メインコンテンツへスキップ
見出し画像

団地のパースペクティブ④ 二割引きのプラモデルと田んぼの城

    #原風景 #思い出 #団地

     爺さんは幼稚園に入る前に、その団地の周辺の戸建てに引っ越してきた。
    それは愛知県三河地方の知立市にある知立団地である。

    知立団地は2,000戸近い大団地で、その外縁に700戸ほどの戸建てが張り付いていた。爺さんはその戸建てのひとつに越してきた。爺さんが幼稚園に入る前年の冬は大雪で、雪が積もった新居の庭を走り廻った記憶がある。

    幼稚園は団地の南北に2つあって、北の方へ通った。幼稚園へ行く途中にグラウンドがあって、私鉄名古屋鉄道の本線の土手との間に小さい谷間があった。既に不法投棄があって、草ぼうぼうだった。幼い爺さんは名鉄の架橋の根元へ行きたかったが、ちょっと危険な香りがしていかなかった。

    二つの幼稚園を結ぶ最も東側の道路は狭いわりに交通量が多くて、少し危険だったが、おばあさんがやっている駄菓子屋があって子供たちは小銭を握りしめてよく通った。

    団地の入り口の商店街に人形店があった。若い家族が増えたので、ひな人形とか節句人形とかの需要を見越しての出店だろう。そこはプラモデルも扱っていて、なんと2割引きだった。家も近いこともあって爺さんは通い詰めた。毎月のおこづかいは学年x100円。とても買えないが、プラモデルが2割引きでいくらになるか、店にいる間中、計算していた。だから暗算は少し得意だったかもしれない。いまでも1,200→960、250→200とか100→80とかとか、数字をみると暗算してしまう。でも今は消費税も入って難しい世になったね。

    団地といえば、5階建ての横長の棟が主で、一部四角い平面の塔状の棟が建っていた。棟番号が妻側の壁面の上の方に書いてあったが、子供は下ばかり見ているので、よく自分がどこにいるのかわからなくなった。団地には豊かな芝生の斜面があって、子供たちは段ボールをひいて滑ったり、自転車でモトクロスよろしく駆け下りたりしていた。

    あと印象に残っているのは、団地周辺に広がる田んぼである。団地の開発と共に用水路が出来て、開発が進んだのか、豊かな緑の野が、隣の市までどこまでも続いていた。用水路は子供の肩くらいの深さのある立派なコンクリート製で、渇水期には入り込んでどこまでも探索した。

    用水路をどこまでも行くと、これもまた自分がどこにいるのかわからなくなるが、そこはどこからでも団地が見えるので安心だった。子供にとって団地はそびえる城か要塞のようなものだったのだ。

    知立の古名は池鯉鮒(ちりゅう)という——小説の舞台をここから借りた爺さんである。


    読んでいただき、ありがとうございます。
    また来ていただけたら、狂喜乱舞の爺さんです。
    コメントも大歓迎です。
    お気軽にコメントしてください。

    <爺さんについて>


    あなたへのおすすめ