
【第六章】 母親と看護師
それから私は、専業主婦になりました。
長女を小学校へ送り出し、次女は幼稚園へ通い始めました。
朝になると、長女を玄関先まで見送りました。
まだ1年生だった長女が、ちゃんと友達と登校できるだろうかと心配で、姿が見えなくなるまで見送っていました。
学年が上がってからも、その習慣は変わりませんでした。
家の中からカーテンの隙間をのぞき、子どもの姿が見えなくなるまで見守っていました。
それは次女が中学生になる頃まで続いていました。
そんな朝を繰り返していました。
長女には、やりたいと言っていた習い事を小学校1年生から高学年まで続けさせてあげることができました。
次女もスポーツ少年団に入りたいと言い、自分の好きなことに打ち込むことができました。
子どもたちの成長を近くで見守れる毎日は、忙しくも穏やかな時間でした。
娘たちを心配したり、成長を応援したり、見守ったりする些細なことが、私には出来ていなかったことに気づくことができました。
そして自分自身そう思うことが、やっと
母親らしくなった気がしていました。
私が市民病院を辞めてから1年半ほど経った頃、再び看護師として働くことになりました。
縁というのは不思議なものです。
退職前の送別会で、ある先生からこんな言葉をかけてもらっていました。
「何年かしたら子どもは大きくなる。僕はそのうち開業するつもりだから、その時は来てほしい。」
当時の私は、看護師として復帰することなど考えてもいませんでした。
ところが、その後本当に開業され、当時のスタッフを通じて連絡をいただいたのです。
子どもたちが幼稚園や学校へ行っている午前中だけでもいいならと私はパート看護師として、クリニックで働き始めました。
その後、正社員となり、今もそのクリニックで働いています。
あれから17年。
退職前の送別会で声をかけてくださった先生は、娘たちが成長していく姿をずっと見守ってくださいました。
院長先生は毎年のように、
「上の子は今何歳になった?」
「下の子はどうしている?」
と声をかけてくださいました。
幼かった娘たちが社会人や大学生になるまでの年月を、先生も一緒に見守ってくださったのです。
振り返ると、
市民病院を辞めたあの日の決断は間違いではありませんでした。
長女は落ち着きを取り戻し、思春期や受験を乗り越え、国公立の看護大学へ進学しました。
そして今は、私と同じ看護師の道を歩んでいます。
次女も国公立大学で心理学を学んでいます。
二人とも、それぞれの道を見つけて歩いています。
けれど、今でも思うことがあります。
長女が5歳から6歳だった頃。
次女が2歳から3歳だった頃。
私はその時期の子どもたちを十分に見てあげられませんでした。
仕事に追われ、毎日をこなすことに必死でした。
一番可愛い時期だったのに。
そのことは今でも少し後悔しています。
でも、途中から立ち止まり、子どもたちと向き合う時間を持つことができました。
だからこそ、今はこう思えます。
あの時の決断は、決して間違いではなかったのだと。
私が悩んだ「6歳の壁」は、決して特別な問題ではありません。
核家族が増え、共働きが当たり前になった今も、同じような悩みを抱えている家庭はたくさんあると思います。
子どもの成長は、本当にあっという間です。
気づけば手をつないでいた子どもは大人になり、自分の力で未来へ歩いていきます。
だからこそ、親が子どもと過ごす時間を大切にできる社会になってほしい。
それが、仕事と子育ての両立に悩み続けた一人の看護師としての願いです。
あの頃の私は、看護師としての自分と、母親としての自分との間で揺れていました。
けれど今振り返ると、そのどちらも私にとって大切な人生でした。
そして、その選択の一つひとつが、今の私につながっています。
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