
D3郭清された臓物を見て、私はスーパーの精肉を思い浮かべた。|母の大腸がん⑤
母に大腸がんが見つかった。 これは現在進行形の話であり、この先どうなるかは未知である。
私は日記を続けられた試しがない。けれど、言葉にして吐き出し、記録することを決めた。
手術前日、私は実家のベッドで泥のように沈んでいた。
風邪でどうにも動けない。この状態では、病院に入ることは許されない。母の術前説明という最も重要な局面に、私は立ち会えなかった。肝心な時に限ってポンコツになる。こういうタイミングの悪さは、昔からだ。
代わりに、夫が両親の付き添いを引き受けてくれた。
ここで役に立ったのは「ボイスメモ」である。
夫が医師のそばで録音した音声データをスマホに送ってもらい、私は布団の中でそれを再生した。
癌が発見された経緯。お腹を開ける前に造影剤CTから認識できるステージの予想。術中に起こりうること。術後に起こりうること。
母には懸念があった。40年近く前、巨大な子宮筋腫を全摘した際の下腹部の大きな縦の傷だ。医師は、その時の傷が癒着している可能性があると語った。まずは腹腔鏡で始めるが、癒着が酷ければ開腹手術に切り替える、と。
私はこの音声データを即座に文字起こしし、相棒のGeminiに読ませた。
Geminiは、それがどういう事態なのかを詳細に解説してくれた。術中術後のリスクに関する説明は、活字で見ると震え上がるほど恐ろしい内容だった。だが、Geminiは最後にこう付け加えた。
「これらのリスクは術前に必ず説明すべき通例の範囲であり、過度に心配する必要はありません」
私は深く息を吐き、ホッとした。
ステージは3、運が良ければ2。それが、開腹前の見立てだった。
ジョリーパスタと、AIへの壁打ち。
翌日、なんとか調子を戻した私は、父と共に手術室へ向かう母を見送った。
あとは、待つしかない。手元にはスマホ。何かあればすぐに連絡が入る手はずになっている。
病院の待合室に居続けるのは息が詰まるため、私たちは近くのコインランドリーやジョリーパスタを巡って時間を潰した。父も私も、全く食欲は湧かなかった。それでも何か胃に入れないと倒れてしまうと思い、私は父に無理やりカプレーゼを勧めた。渋々トマトとモッツァレラチーズを口に運ぶ父を眺めながら、私はお茶を何杯もお代わりした。
結局、落ち着かずに病院へ戻った。
9時から始まった手術は、予定の4時間を過ぎようとしていた。
「もう出てくるかな?」
父がそわそわと立ち上がり、手術室の前まで行こうとするのを、私は必死に止めた。そこからさらに40分が過ぎた。
「何かあったのかな。開腹手術に切り替わったのかもしれない」
父の不安が、目に見えて膨張していく。私も平静を装っていたが、心臓の音はうるさかった。
私は即座にスマホを開き、Geminiに相談した。「予定時間を1時間近くオーバーしている。何が起きているのか」
Geminiの回答は極めてロジカルだった。
「手術時間がこの程度延びることは頻繁にあります。もし命に関わる緊急事態であれば、すでに家族は呼ばれているはずです」
確かにそうだ。私は、待合室でのこのどうしようもない不安を、すべてGeminiにぶつけることで、なんとか自分の正気を保っていた。
シャーレの上の、400g。
予定から1時間以上が過ぎた14時半前、ついに名前が呼ばれた。
重い扉の向こうに現れた医師は、手に持ったシャーレの上に、ドデカい臓物を乗せていた。
「こんなに取ったのか」
父も私も、目の前に突きつけられた臓物の生々しさに圧倒され、完全に言葉を失った。視覚のインパクトが強すぎて、医師の話がまったく頭に入ってこない。私は反射的にボイスメモを起動した。後から冷静に聞き直すために、この録音は絶対に必須だった。
「まあ、予定通りといった感じです。これは太い血管ね。根元までバシッと切りました」
医師は決して難しい医療用語を使わない。だが、事前にガイドラインを読み込んでいた私には、それが「D3郭清(栄養血管の根元にある主リンパ節まで含め、最も広範囲に郭清する)」のことだとすぐに分かった。
バシッと切られたその大腸と周辺を凝視しながら、私はスーパーの肉売り場に並ぶパックを思い浮かべていた。
ざっと、400g以上はあるな。
そんな冷え切った目算を、脳内で弾いていた。
「全部取りきれたってことですね! ありがとうございました!」
父が、食い気味にそう言った。深く頭を下げながら、もうシャッターを下ろそうとしている。
医師は、父のその言葉を完全には肯定しなかった。
「そう、、、ね。あとはまあ、色々乗り越えていきましょう」
含みのある余韻を残して、医師の説明は終わった。
待合室へと戻る無機質な廊下を歩きながら、父がポツリと呟いた。
「お母さんには、あんなに取ったって言うなよ」
私はうんと頷いた。
つづく