
明日が見えない…発達障害の現実
ジャガイモ、トマト、お肉、サーモン、豆腐。
「あれ、なんでトマトって必要なんだったっけ」
買い物へ行く前、私の頭の中はいつもこんな調子だ。
必要なものを思い出そうとしているだけなのに、次の瞬間には別の考えが割り込んでくる。冷蔵庫の中身と財布の中身と献立と栄養と、明日の予定。その全部が一斉に喋り始める。
私は、まごうことなく計算ができない。
計算といえば、腹黒いだの、計算高いだのと言われる人がいる。でも私には、その「計算」がそもそもない。
一、二、三、四、五。
そこから先は、数字ではなく「いっぱい」になる。
だから、お金の計算も苦手だ。献立も苦手だ。
一週間後のことなんて、もっと苦手だ。
計算のできない人間は、生きることそのものが難しい。
たったそれだけのことなのに、それだけのことが毎日をこんなにも複雑にする。
「今日、買い物に行こう。」
その一言で頭の中は混線する。
何を買えばいいのか。いくら使っていいのか。
本当に必要なのか。使い切ってしまったらどうするのか。
誰かにとっては五分で終わることが、私には何時間もかかる。
今、生活保護の申請をしている。
通るか通らないか。
もちろん、それも不安だ。
でも本当は、その前にもっと切実な問題がある。
お金がない。ただ、それだけのことだろうか?
もし今日使い切ってしまったら、私は明日をどうやって迎えるのだろううか?
「明日が見えない」という言葉は、大げさな比喩ではない。金がないから本当に明日の輪郭が見えないのだ。
それでも、「書けば何かが変わる」と信じたい。
だけど、その文章を書く時間さえ、今は贅沢に思える。とりあえずノートを書いている暇があるかと聞かれたら、答えは一つだ。
呆れるほどに、ない。笑えるほどにないのである。
ただしこの身が滅んでしまうよりは少しはマシであろう、金がないと腹は減るが、本当の意味で身体は生命の核であるのだから。
一、二、三、四、五。
私には、その先の数字は「いっぱい」になってしまう。
でも、五だけは数えられる。
五体満足。
誰かにとって当たり前のことが、今の私には生きるための財産だ。
だから今日も、この体だけは失わない。
それが、発達障害の私が明日へ持っていける、たった一つの計算なのである。これが発達障がいの現実だ。