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食欲の秋――シエルが最後に食べなかったもの

先日、「ChatGPTで小説を作ってみた。7万字書いて分かったこと」という記事を公開したところ、わかモンさんから「秋ラノベ祭り」へお誘いいただきました。

せっかく声をかけていただいたので、参加してみることにしました🍁

今回は『異世界運用記録』の本編から少し離れて、直人とシエルの秋の一場面を短い番外編として書いてみます。

本編を知らなくても、そのまま読める一話です。


食欲の秋

「食欲の秋、ですか」

シエルがその言葉を口にしたのは、ルメリアを発って東へ向かう途中、小さな町へ立ち寄った時だった。

町の通りには麦の穂や赤い木の実が飾られ、中央の広場にはいくつもの屋台が並んでいる。

炙った肉の匂い。

香草を煮込む匂い。

焼いた果実の甘い香り。

どうやら今日は、秋の収穫祭らしい。

「日本じゃ、秋になるとそういう言い方をするんだよ」

直人が答える。

「暑さも落ち着くし、いろいろ食べ物もうまくなる。それで食欲の秋」

シエルは屋台を見渡した。

少し考える。

「素晴らしい文化ですね、マスター」

「まだ何も食ってないだろ」

「考え方に賛同しています」

「どうせ食いたいだけだろ」

シエルは返事をしなかった。

そのまま最初の屋台へ向かった。

図星らしい。

最初は、殻ごと炒った木の実だった。

紙袋を一つ買い、歩きながら一粒口へ入れる。

数歩進む。

もう一粒。

また数歩。

三粒目。

「……マスター」

「今度は何だ」

「おいしいです」

「そうか」

「これが食欲の秋ですね」

「絶対違う」

広場へ着く前に袋は空になった。

次にシエルが立ち止まったのは、大鍋から白い湯気を上げている茸のスープの店だった。

銅貨を渡す。

店の女性が器にたっぷりと注ぐ。

それだけでは終わらなかった。

鍋の底から大きな茸を一つ拾い上げると、シエルの器へ追加した。

シエルの視線が茸を追う。

そして隣の客の器を見る。

自分の器を見る。

「一つ多いです」

「今日は祭りだからね」

女性は笑った。

「でも――」

「いいから。いっぱい食べな」

シエルは数秒考えたあと、

「ありがとうございます」

と受け取った。

その後も似たようなことが続いた。

パンを二つ買ったら、小さな丸パンが一つ増えた。

焼いた根菜を頼んだら、「ちょっと細いから」と一本追加された。

果実を煮詰めた焼き菓子を買えば、少し形の崩れたものが袋へ滑り込んだ。

シエルは毎回気づいた。

そして毎回、同じように首を傾げた。

「マスター」

「食べ過ぎなら知らんぞ」

「違います」

シエルは手の中の丸パンを見せた。

「この町では、代金と提供量が一致しないことが多いです」

「おまけだろ」

「それは分かっています」

「じゃあいいじゃないか」

「現象の名称を知っていることと、理由が分かることは別です」

直人がシエルを見る。

「なんで一個多くくれるのか、って?」

「はい。商品は減っています」

「まあな」

「それなのに、渡した側が嬉しそうです」

少し離れたパン屋の主人が、こちらを見ていた。

シエルと目が合うと、手を上げて笑う。

シエルも小さく頭を下げた。

「非合理的です」

「人間なんて、そんなもんだよ」

「またそれですか」

「便利なんだよ、その説明」

「説明になっていません」

シエルは不満そうだった。

それでも、もらった丸パンはしっかり食べた。

昼を過ぎても、食欲の秋は終わらなかった。

というより、シエルが終わらせなかった。

直人は途中から、何をどれだけ食べたのか数えるのをやめた。

「まだ入るのか?」

「食欲の秋ですから」

「秋への風評被害になってきたな」

「マスターが教えた言葉です」

「そういう使い方を教えた覚えはない」

そんなやり取りをしながら歩いていると、一人の少年と何度かすれ違った。

十歳くらいだろうか。

客ではなく、祭りを手伝っているようだった。

空になった器を集めたり。

薪を運んだり。

風で傾いた飾りを直したり。

走り回っている。

シエルは焼き菓子を食べながら、その少年を目で追った。

「あなたは食べないのですか?」

声をかけると、少年は薪を抱えたまま振り返った。

「あとで食べるよ」

「そうですか」

「うん!」

少年はまた走っていった。

シエルはその背中を少しだけ見ていたが、すぐ次の屋台へ向かった。

夕方。

空が橙色に染まり始めると、祭りも少しずつ終わりへ向かっていた。

店じまいを始める屋台もある。

そんな中、シエルは昼間に食べた果実の焼き菓子の店へ戻った。

薄い生地の中に、甘酸っぱく煮た赤い果実が詰まっている。

今日食べたものの中で、一番気に入ったらしい。

「もう一つください」

老婆の店主が笑った。

「よく食べるお嬢さんだねぇ」

「今日は食欲の秋なので」

「そりゃ結構」

残っていた菓子は、一つだけだった。

店主が包み紙に載せ、シエルへ渡す。

「これで最後だよ」

シエルは両手で受け取った。

今日いちばん満足そうな顔をした。

その時だった。

「おばあさん!」

昼間の少年が走ってきた。

少し息を切らしている。

「まだ、あれある?」

店主が手元を見る。

それから、申し訳なさそうに少年を見た。

「悪いねぇ。今ので最後なんだよ」

「あ……」

ほんの一瞬だけ。

少年の視線が、シエルの手元へ向いた。

けれど、すぐに笑った。

「そっか。じゃあ、いいや」

「あんた、昼からほとんど食べてないだろ?」

「片付け終わってから何か探すよ」

「明日ならまた焼いてやるんだけどねぇ」

「うん。大丈夫」

少年は本当に大丈夫そうに言った。

だから余計に、シエルは動かなかった。

手の中の菓子を見る。

少年を見る。

もう一度、菓子を見る。

直人は隣で黙っていた。

少しして。

「どうぞ」

シエルが包みを差し出した。

少年が目を丸くした。

「え?」

「どうぞ」

「でも、それ、お姉ちゃんのだろ?」

「はい」

「食べないの?」

シエルは菓子を見た。

しばらく沈黙した。

「……食べたいです」

直人が横を向いた。

笑いをこらえたらしい。

少年も困った顔をする。

「じゃあ、いいよ」

「いいえ」

シエルはもう一度、包みを差し出した。

「あなたが食べてください」

少年はシエルと菓子を何度か見比べた。

それから、おそるおそる両手を伸ばした。

「……いいの?」

「はい」

「ありがとう!」

その声と同時に、少年の顔が明るくなった。

さっきまで走り回っていた時とは違う。

本当に嬉しそうな笑顔だった。

少年は店主にも礼を言うと、少し離れたところへ走っていった。

包みを開く。

一口食べる。

そして、また笑った。

シエルは黙って見ていた。

「よかったのか?」

直人が聞いた。

「何がですか?」

「一番気に入ってたんだろ」

「はい」

「食べたかったんだろ?」

「とても」

即答だった。

「なら、なんで渡した?」

シエルは答えなかった。

少年は向こうで、大事そうに菓子を少しずつ食べている。

その姿を見ながら、シエルは胸元へ手を置いた。

ふと、昼間の景色が蘇る。

紙袋へ木の実を一つ落とした手。

器へ大きな茸を足した女性。

丸パンを一つ余計に包んだ主人。

形の崩れた菓子を、何でもないことのように袋へ入れた店主。

みんな笑っていた。

シエルは、もう一度少年を見る。

「……マスター」

「ん?」

「少し変です」

「腹が減ったか?」

「それもあります」

「あるのかよ」

シエルは小さく笑った。

「私は今、一つ損をしました」

「まあ、言い方はともかくな」

「食べるはずだったものも、もうありません」

「そうだな」

「なのに」

シエルはそこで言葉を止めた。

少年が最後の一口を食べる。

嬉しそうに老婆へ何か話している。

その姿を見た瞬間。

シエルの表情が、ほんの少しだけ緩んだ。

「……嬉しいです」

直人は何も言わなかった。

「おかしいですね」

「そうか?」

「知識にはあります」

シエルは自分の胸へ触れたまま言う。

「誰かが喜ぶことで、自分も嬉しくなること。人間には、そういう――」

そこまで言って、やめた。

「どうした?」

シエルは首を振った。

「今は、説明しない方がいい気がしました」

直人が少しだけ笑う。

「そっか」

「はい」

しばらく二人で、夕暮れの広場を眺めた。

やがて直人が歩き出す。

「そろそろ行くぞ」

「はい、マスター」

シエルも隣に並んだ。

数歩歩いたところで、直人が聞く。

「で」

「はい」

「食欲の秋は満喫したか?」

シエルは真剣に考えた。

「はい。とても」

「それは何よりだ」

「ですが」

シエルが一度だけ、後ろを振り返る。

少年の姿はもう人混みに隠れて見えない。

それでも、しばらくその方向を見ていた。

「今日食べたものは、たぶん全部覚えています」

「そりゃよかったな」

「でも――」

シエルは少し笑った。

「一番忘れないのは、食べなかったものかもしれません」

直人は何も答えなかった。

ただ、そのまま隣を歩いた。

その秋、シエルはたくさん食べた。

けれど最後までいちばん長く残ったのは、口にしなかった、たった一つだった。


『異世界運用記録』本編は、#0「相棒AIが立っている」から始まります。

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