
カラオケの話②(大森靖子編)
だいぶん間が空きましたが、前回の続きです。
私の一人カラオケ好きは、大学生を経て社会人になってからも続いた。平日の朝7時頃から一時間歌った上で、仕事に向かった日も何度かあったくらいなのである。
しかし、20代になるとB'zだけを歌うということはなくなっていたのである。音楽の好みに幅がでてき、女性ボーカルの曲(戸川純、相対性理論、パスピエなど)をよく聴くようになっていたからだ。
私は、長年の一人カラオケの成果もあって、男性にしては高い音が出るようになっていた。
相変わらず音程はとれていなかったが、B'zを歌っていた時もそれは同じなので、些末なことは気にせず、好きに歌うことにしていたのである。
そんな中で、20代の頃の私が最もよく歌っていたのは大森靖子である。
大森靖子は、自らを超歌手と称しているシンガーソングライターである。少女の激情や悲哀を歌い、特に若い女性から絶大な支持を集めている。
しかし、こうした若い女性ファンに混じって、私のような男性の愛好家(「おっさん」と呼ばれる)もいるのである。
正直に言うと、最近の大森靖子のライブには参加できていないのであるが、少なくとも、2010年代の彼女のライブでは、「おっさん」というコールアンドレスポンス(呼ばれた属性のファンが応える)が成立するほどには、生息していたのだ。
我々おっさんたちは、少女要素など一ミリも持ち合わせていなかったはずなのであるか、なぜか、みな彼女の歌に共感し、涙を流していたのである。
さて、こうなると、一人カラオケにおいて私が歌うのはこうした少女の激情や悲哀となる。
完全に趣味に走るが、以下2曲の一部歌詞と私の解釈を紹介するので、まずはご覧いただきたい。
女のコだけもらえるポケットティッシュ
私のおまもり 汚れてもいいの
あの街をあるく 才能がなかったから
私 新宿が好き 汚れてもいいの
(中馬の解釈)
普段は女の子扱いされない自分でも、新宿を歩くと、風俗店勧誘のポケットティッシュを渡される。「そうか、自分は女の子なんだ」と信じることができる大切な私のおまもり。
キラキラした同世代の女の子が闊歩するあの街(渋谷)を歩くような才能はなかったから、自分を女の子として受け止めてくれる新宿が好き。
たとえ、汚れてしまうとしても。
どんなスタンプ どんな合図で 目と目を合わせた
隣の窓からもグラウンド すこし違う角度の君をみてる
どんなフラグを並べてみても 綺麗にへし折る
あたしじゃ だめなのは わかってる
癖でおいかけてしまうんだ
(中馬の解釈)
あの娘と彼は、私の知らないところで、どんなスタンプ(LINE)や合図(素振り)でお互いの気持ちを理解しあったんだろう。あの娘も、同じ教室の窓から私と同じようにグラウンドにいる彼を見ているのに…。
私がどんなきっかけを作ったところで、彼はそれを綺麗に振り払ってしまう。私じゃだめなのはわかってる。だけど、諦めきれずに、彼のことを癖のように目でおいかけてしまうんだ。
さて、それでは、上記のような女の子(女の子としての自分にコンプレックスを抱きつつも、なお、女の子になりたいと願う女の子とする。)に気持ちを重ねて熱唱するおっさんの勇姿をご想像いただきたい。
…大変気持ち悪いのである。
なぜなら、このおっさんは、女の子だったことはないし、女の子の心も持ったことがないからである。
しかし、歌っている方としては大変気持ち良いのである。なんなら、感情移入しすぎて、時々、涙なんかも出しちゃうのである。
もちろん、職場の飲み会の2次会などでは、これらの大森靖子ソングを歌うことはない。B'zの「ultra soul」を歌ってお茶を濁すのが常である(私も成長したものだ。)。
しかしながら、一人カラオケのときは、アラフォーとなった今でも、やっぱり大森靖子を歌うのである。
このときばかりは、私も少女なのだ。