
僕らのスキージャンプ
1998年2月、我が国において長野オリンピックが開催された。私たち小学生男子は、テレビの前でこの大会に熱狂していたのである。
特に、スキージャンプでの日本代表の活躍は憧れの的であり、中でも絶大な支持を集めたのが原田選手であった。
この大会で、原田選手は他の選手を圧倒する飛距離記録をたびたび叩き出していた。フォームや着地などの芸術点を解さない我々小学生男子にとって、飛距離こそが唯一目に見えてわかる「強さ」だったのである。
長野オリンピックの熱狂冷めやらぬ、とある図工の時間。誰かが、工作用紙を使ってスキージャンパーを作った。
といっても、その構造は至ってシンプルだ。工作用紙で正立方体(サイコロ)を作り、その底に、下敷きをスキー板状に切り抜いたものを二枚貼り付ける。これで完成である。
しかし、こうして作られたジャンパーを我が校の階段へ持ち込んだから大変だ。
我が校の階段は木造でできており、その両端には手すりの土台としてスロープ状のラージヒルが存在していたのである。
その日から、私たちのオリンピックが開幕した。
もちろん、芸術点なるものは存在しない。誰が一番遠くまでジャンパーを飛ばせるか。ただ、それだけである。
クラスのジャンパー開発は、日進月歩の勢いで進展した。誰かが、「この下敷きの素材が良い」と言えば、次の日にはみんながその下敷きを使っていた。そうかと思えば、ワルの安藤くんは、正立方体の中にビー玉を入れて安定性を高めるという革命的な技術を生み出していたのである。
そんな中、哀れであったのが私である。
私は、手先が大変不器用で、工作用紙できれいな正立方体を作ることにすら苦慮する有り様だったのだ。やっとのことでオリンピック参加を表明するころには、周囲の技術革新から大きく取り残されていたのである。
とはいえ、オリンピックは参加することにも十分意義があるのだ。ついに、私の初めてのジャンプが始まったのである。
階段のスロープ最上段からそっと手を離すと、中馬ジャンパー第一号は、ゆっくりと坂を下り始めた。
しかし、次の瞬間である。
私のいびつな立方体は、バランスを崩して転倒してしまったのだ。
坂道を滑るのではなく、ゴロゴロと転がり落ちていく中馬ジャンパー第一号。誰もが、「終わったな。」という目で見ていた。
だが、転がり落ちた中馬ジャンパー第一号は、最後に大ジャンプを決め、これまでの最高飛距離記録を大幅に塗り替えることに成功したのである。
「すげーよ! 中馬!!」
周囲から大歓声が上がる。私は、その大会で優勝したのだ。
しかし、実は何のことはない。
そりゃあ、「滑る」より「転がる」方が遠くへ飛ぶに決まっているのである。
私が、何度か転がりジャンプで優勝するうちに(コースアウトによる失格もあるため、全勝ではない)、次第にみんなの間に冷めた空気が流れ始めていた。
そして、この雰囲気の中、ついにはオリンピックの閉幕と相成ったのである。
私たちにも、芸術点が芽生えた瞬間であった。