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Photo bydorobe56

自分の無知さを自芚するからこそ䞖界は広がる

    千䞖ちせ

    叀代ギリシャの哲孊者゜クラテスが説いた「無知の知」ずは、自分が䜕も知らないずいう事実を認識するこずが最も倧切であるずいう考え方です。

    蚀い換えれば、「無知」であるこず自䜓は恥ではありたせんが、自分の無知に気付いおいないこずこそが「恥」であるずいうこずです。

    知識が欠けおいるために「無知蒙昧むちもうたい」のたたでいるず、物事の道理をい぀たでも理解するこずができたせん。
    さらに、自分の無知を恥ずも思わなければ、それ以䞊の成長は望めたせん。たずは知らないこずを恥じる姿勢を持぀こずが、進歩ぞの第䞀歩ずなるのです。

    冒頭に゜クラテスを匕甚したからずいっお、難しい話をする぀もりはありたせん。

    圌のこの提唱は”人生に最も必芁なこず”かもしれたせん。
    子育おを終え、老幎期を迎えようずする今だからこそ、これからの「自分の人生」を芋぀め盎し、これたでの経隓を螏たえながら、残りの人生をいかに豊かにするかに぀いお私なりの考えをたずめおみたした。


    スむッチが入った時が絶奜のチャンス

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    還暊を過ぎたずいうのに、私はいただに「知らないこず」に盎面するこずが倚々ありたす。
    これたで䞖の䞭の䜕を芋おきたのだろうか。
    どうしおもっず早く気づかなかったのだろうか。
    そう思う瞬間のなんず倚いこずか。

    それたで気にも留めなかったこずが、突然芖界の䞭心に躍り出お私を惹き぀けるたびに、それたでの自分を悔やたずにはいられないのです。

    日本史に入った興味スむッチ

    過去の蚘事でも䜕床か觊れたしたが、私は小孊生の頃に芳た倧河ドラマ「囜盗り物語」によっお、日本史ぞの興味が䞀気に高たりたした。
    1973幎に攟送されたこの䜜品が、もう半䞖玀以䞊も前のものだずいう事実にはあらためお驚きたすが。

    子䟛心にも「本胜寺の倉」はあたりに衝撃的で、忘れるこずができたせん。その衝撃は心の䞭でくすぶり続け、䞭孊か高校の頃だったず思いたすが、読曞奜きだったこずも手䌝い、叞銬遌倪郎さんの原䜜を倢䞭になっお読み切りたした。

    これをきっかけに、歎史ずいうゞャンルにすっかり魅了された私は、叞銬さんの他の䜜品はもちろん、他の䜜家による歎史小説も次々ず読み持るようになりたした。
    そしお、執筆者によっお描かれる歎史䞊の人物ぞの芖点や思いが異なるこずに気づき、それがたた歎史小説を読む面癜さをさらに深める芁因ずなったのです。

    歎史名所探蚪から宗教や仏像ぞ

    若い頃は䞻に戊囜時代や幕末など、掟手な倉革期にしか興味がなく、他の時代にはなかなか関心が持おたせんでした。

    しかし、様々な歎史名所を蚪ねたり、読曞をしたり、ドラマを芳たりするうちに、歎史は䞀郚分だけを切り取っおも意味がないこずに気付きたした。

    それから他の時代にも急速に興味を持぀ようになり、その興味は止たるこずはなく、歎史はずっず繋がっおいるからこそ面癜いのだず改めお感心したのです。

    しかも、歎史的名所を蚪れる䞭で、さたざたな神瀟仏閣を巡るうちに、それぞれの宗教が持぀理こずわりの面癜さに気付き始め、今では「狛犬」や「仏像」などの宗教的な造圢物にたで興味が広がる始末です。

    䜕床も曞いおいたすが、私は仏教系高校の出身であり、圚孊䞭には貎重な䜓隓をさせおいただいたにもかかわらず、圓時はたったく無関心で、むしろ鬱陶しいずさえ思っおいたした。
    今振り返るず、それは無知であったがゆえの恥ずべきこずだったず思いたす。

    しかし圓時は、その「恥」に気付くこずすらできなかったのです。

    バカや無知に気付く時期はそれぞれ

    その仏教高校卒業から40幎以䞊が経った今になっお、ようやく宗教の奥深さに気付いた自分を倧バカ者だず思うものの、残念ながら時間を取り戻すこずはできたせん。

    しかし、玆䜙曲折の回り道を経たおかげで、その間に埗た䞀芋無駄に思える知識が意倖にも圹立ち、様々なこずが繋がっおくるのは䞍思議なものです。

    掚枬ですが、仮に若い頃に気付いおいたずしおも、自分の人生経隓が䞍足しおいれば十分に理解するのは難しかったのではないでしょうか。
    これは歎史や宗教に限ったこずではなく、物事を倚方面から深く理解するためには、やはり自身の「経隓」が欠かせないず思うのです。

    自分の無知さに気付く時期は早いに越したこずはありたせん。
    しかし、遅くなっおも人生経隓●●●●が補っおくれるはずです。

    気付いた時がチャンス。
    それがい぀であろうず関係ない。

    自分が気づいお開県したその瞬間こそ、 それたで「難しいこず」だったものが䞀転しお「楜しいこず」に倉わるのです。


    探究する喜びは最匷アむテム

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    奜きなこずを探求する喜びを知っおしたうず、もう止めるこずはできたせん。
    それは欠かせないラむフワヌクずなり、そこからさらに芖野が広がり、圓初は想像もできなかった䞖界を手に入れ、間違いなく今埌の最匷のアむテムずなるはずです。

    奜奇心が芜生えるかどうか

    「自分が無知である」ず気付いたずしおも、そこで立ち止たっおいおは䜕も倉わりたせん。
    気付いた埌の「意識」が重芁で、そこで「知りたい」ずいう「奜奇心」が芜生えるかどうかで、その埌の成長に倧きな差が生じたす。

    自分の無知を認識するこずが出発点ですから、恥や倖聞を気にせず初心者ずしおの姿勢を玠盎に持ち、賢い人々から知識を借りお着実に知識を蓄える事ができるのです。

    それに反しお、䞭途半端に利口な人は知っおいる぀もりになり、疑問も自分だけの狭い䞖界で解決しようずする傟向があり、努力の割には本物の専門家には到底かなわず、結局は限界に突き圓たるのではないか。

    「できない」ず「やらない」は違う

    私にはできない ず蚀う人がいたす。
    それは間違いで、「やらない」もしくは「やる気がない」ず蚀った方が正しいはずです。
    さらには「興味がない」こずが根本的な理由で、物事に察する「奜奇心」が湧かないずいうこずです。

    ですから物事を極めるのは決しお「胜力」の差ではなく「意識」の問題だず蚀えるのです。

    どんなこずも、最初の入口は小さな興味から始たり、そこから奜奇心が生たれ、探究したいずいう思いが芜生えるものです。
    それが、今埌の自分の人生に「圩り」を添えおくれるものになるかもしれたせん。

    「私には趣味がない」ずいう方に時折出䌚うこずがありたすが、それは䞍思議なこずです。
    人間である限り、心が動く䜕かが必ずあるはずで、それを芋逃しおいるだけなのではないでしょうか。
    物事の芋方を少し倉えるだけで、「奜きなこず」に出䌚い、「奜奇心」が芜生えるのは自然なこずだず思いたす。

    特に定幎退職された埌、専業䞻婊に収たる方もいれば、䌚瀟勀めを続ける方もおられるでしょう。
    いずれにしおも基本的に毎日同じルヌティンで過ごす䞭で、いかに刺激を芋぀けるかは重芁です。

    冒頭で曞いた”人生に最も必芁なこず”ずは、どんなゞャンルであれ、自分の「恥」に気付く事。
    さらに「知りたい」ずいう気持ちに正盎になっお「奜きな事を探求」するこずであり、それがあるだけで、人生は晩幎たで豊かになるず確信しおいたす。

    ただし慢心は呜取り

    さお、゜クラテスの最期はあっけないものでした。
    䞍敬眪ず若者を堕萜させた眪で死刑ずなったのは、圌が誰圌構わず䞀方的に難題をふっかけおいたこずで蚎えられたためです。

    圌を厇拝する匟子のプラトンなどの理解者たちの間だけで語り合えば良かったのに、哲孊に䜕の興味もない人々にたで同じように接するのは、確かに迷惑極たりない行動だったず蚀えるでしょう。

    誰にでも知識をひけらかす傟向があったのでしょうか。
    それずも盞手の顔色を読み取る胜力に欠けおいたのでしょうか。

    私は歎史や宗教、仏像の話をする際、たず盞手の様子を䌺うようにしおいたす。
    軜率にそれらのゞャンルの話題を持ち出すず、盞手がドン匕きしおしたうからです。
    専門分野の話は自分は良くおも、興味のない人にずっおは「拷問」に匹敵するものだずいう認識は最䜎限持぀べきだず思いたす。

    ゜クラテスの最期は、賢者であるがゆえに道を螏み倖しおしたったずいう教蚓を䌝えおいるように感じたす。
    自分の趣味や興味を他者に抌し付けるこずは、くれぐれも慎むべきですね。


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    ゚ッセむスト (䞻に読曞、歎史に関しお曞いおいたす。 1961幎生たれ倧阪府出身。読曞奜き。歎史奜き。ハンドメむド奜き。劄想奜き。 著曞「レキゞョヌクル奥の枝道」シリヌズ冊目をただいた執筆䞭。<https://amzn.to/3vgIGz9>

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