見出し画像

母は自己愛性パーソナリティ障害かもしれない。そう思うほど、私はずっと振り回されてきた。

母は、いつも自分が正しかった。
何を言っても話し合いにはならなくて、最後にはいつも私が傷ついて終わった。
もしかして母は、自己愛性パーソナリティ障害なんじゃないか。
そう思うほど、私はずっと振り回されてきた。

もちろん、私は医者じゃないし、本当にそうなのかは分からない。
でも、そういう言葉を検索したくなるくらい、
「普通の話し合いが通じない」
「どこまで行っても自分が悪いことにならない」
「常に誰かを悪者にしていないと保てない」
そんな相手に、ずっと振り回されてきた。

たぶん、同じように親のことで苦しんでいる人の中には、
この言葉にたどり着いたことがある人もいると思う。

“診断名が知りたい”んじゃない。
ただ、この異常な苦しさに名前をつけたかった。

そうでもしないと、自分が受けてきたものを説明できなかったから。

母の中では、いつも母が絶対に正しい

母は昔から、自分の考えをほとんど疑わない人だった。

自分の感じたこと。
自分が正しいと思ったこと。
自分が気に入らないと思ったこと。

それが、母の中ではそのまま「事実」になった。

こちらが違う説明をしても、意味がない。
冷静に話そうとしても、通じない。
事実を並べても、母の気分の前では簡単にねじ曲げられる。

母にとって大事なのは、何が本当かじゃない。
自分が正しいままでいられることなんだと思う。

だから、話し合いにならない。

こっちは問題を整理して、落ち着いて話そうとしているのに、
いつの間にか論点はずれて、
最後にはこちらが責められて終わる。

「そんなつもりじゃなかった」
「あなたがそう受け取っただけ」
「私は心配して言ってるのに」
「親に向かってその言い方は何」
「昔からあんたは冷たい」

気づけば、何を話していたのか分からなくなる。
そして最後には、こちらだけがどっと疲れている。

何度もそういうやり取りをしてきて、私はやっと分かった。
これは会話じゃない。支配なんだ。

絶対に謝らない人といると、現実感が壊れていく

母は、ほとんど謝らない。

きついことを言っても。
人を傷つけても。
明らかに自分が悪くても。

謝る代わりにするのは、言い訳か、すり替えか、逆ギレだった。

「そんなつもりで言ってない」
「でもあなたにも悪いところあるよね」
「親なんだからそれくらい言うでしょ」
「私ばっかり悪者にして」

だから、こちらはいつまでも傷が閉じない。

ちゃんと傷つけられたのに、
その事実そのものを認めてもらえない。
痛かったと言っても、なかったことにされる。
むしろ、傷ついたこちらのほうが面倒な人みたいに扱われる。

これって、じわじわ効いてくる。

一回一回は小さく見えても、
積み重なると、自分の感じ方そのものが信じられなくなる。

「私が気にしすぎなのかな」
「私の言い方が悪かったのかな」
「本当は私が悪いのかな」

でも違った。
何度もそうやって考えてきたけど、違った。

悪いことをしても絶対に認めない人と一緒にいると、こっちの現実感が壊れていく。

それが本当に怖かった。

スピリチュアルにハマること自体より、それを人に強要するのがしんどい

母はスピリチュアルなものにもハマりやすかった。

占い、見えない力、運気、波動、因果応報。
何を信じるかは本来自由だと思う。
それだけなら、まだいい。

でもしんどかったのは、
母がそれを“自分の中だけの信念”で終わらせなかったことだ。

「こうしないとダメ」
「だからあなたはうまくいかない」
「私の言う通りにしたほうがいい」
「この人は悪い気を持ってる」
「あの人と関わると不幸になる」

母の中で何かが“真実”になると、
それはすぐに周りに強要される。

断れば、こっちが頑固。
従わなければ、こっちが間違っている。
興味を示さなければ、こっちの心が濁っている。

そうやって、母の思い込みはいつも他人を巻き込んだ。

本人は「良かれと思って」いるのかもしれない。
でも、受け取る側からすればたまらない。
信じる自由じゃなくて、従わせる圧力になっていたから。

母にはいつも“攻撃する相手”が必要だった

今思い返すと、母の周りにはいつも“敵役”がいた。

親戚。
近所の人。
職場の誰か。
昔の知人。
私の父。
私のきょうだい。
そして、時には私。

ターゲットは固定じゃない。
ころころ変わる。
でも、常に誰かが悪者になっていた。

誰かの悪口を言っていないと落ち着かないみたいに見える時があった。
しかも、その悪口はただの愚痴では終わらない。

相手の人格を決めつける。
見下す。
攻撃する。
「自分は被害者で、相手が加害者」という構図を作る。

最初は、私も母の話を信じていた。
「そんなひどい人がいるんだ」と思っていた。
でも、ターゲットが入れ替わり続けるうちに、
だんだん気づいてしまった。

問題がどこに行っても繰り返されるなら、原因は本当に相手だけなんだろうか。

でも、母はそこを絶対に認めない。

自分に悪いところがあるかもしれない、
という視点が、本当にない。
少なくとも、私にはそう見えた。

だから周りは消耗する。
巻き込まれる。
次は自分が標的になるかもしれないと、びくびくする。

家族なのに、安心できない。
これがどれだけしんどいことか、外からはなかなか分かってもらえない。

一番苦しかったのは、「母がおかしい」と思う自分を責め続けたこと

こういう母のことを、私は長い間うまく言葉にできなかった。

ただしんどい。
でも、親のことをそんなふうに思う自分が悪い気がする。
育ててもらったのに。
助けてもらったこともあるのに。
こんなことを考えるなんて、ひどい娘なんじゃないか。

ずっとそうやって、自分の感覚を否定してきた。

でも、苦しさは消えなかった。

母と話したあとにぐったりする。
母から連絡が来るだけで気持ちが沈む。
何か言われる前から身構えてしまう。
楽しいはずの時間にまで、母の影が差してくる。

それでもなお、
「でも親だから」
「悪気はないのかもしれない」
「私が大人になればいい」
そうやって自分を納得させ続けた。

たぶん、同じような人は少なくないと思う。

“親がしんどい”だけでもつらいのに、
その上でそう感じる自分を責めるから、さらに苦しくなる。

本当に苦しいのは、そこかもしれない。

診断名がほしいんじゃない。距離が必要だと認めたかった

母が本当に自己愛性パーソナリティ障害なのかは分からない。
これからも分からないままかもしれない。

でも、今の私にとって大事なのは、診断名よりもそこじゃなかった。

この人と近すぎると、私は削られる。
普通の親子関係を期待すると、私のほうが壊れる。
だから距離が必要なんだ。

それを認めることのほうが、ずっと大事だった。

今までは、母を理解しようとしてきた。
分かってもらおうとしてきた。
冷静に伝えれば変わるかもしれないと思ってきた。

でも、そうやって期待するたびに傷ついた。

だからもう、
「分かり合えるかどうか」より、
自分がこれ以上傷つかないかどうかを基準にしていいんだと思う。

親を悪者にしたいわけじゃない。
ただ、自分を守りたいだけだ。

それは冷たさじゃない。
生きるために必要なことだった。

もしあなたも、同じ言葉を検索してここに来たなら

もしあなたが、
「母 自己愛性パーソナリティ障害かも」
そんな言葉を検索して、この文章にたどり着いたのだとしたら。

たぶんあなたも、かなり長いこと苦しんできたんだと思う。

親を診断したいわけじゃない。
悪く言いたいだけでもない。
ただ、どうしてこんなに通じないのか、
どうしてこんなに振り回されるのか、
説明できる言葉がほしかっただけなんじゃないかなと思う。

そして何より、
自分の苦しさが気のせいじゃないと確認したかったんじゃないかなと思う。

だとしたら、伝えたい。

あなたがしんどかったのは、本当のことだと思う。
あなたが傷ついてきたのも、本当のことだと思う。
話し合いにならない相手に疲れ果てるのは、当然のことだと思う。

親だからといって、何をされても飲み込まなくていい。
親だからといって、あなたの現実感まで壊されていいわけじゃない。
親だからといって、ずっと標的にされ続けていいわけじゃない。

診断名がつくかどうかより先に、
あなたがもう十分しんどいという事実を、大事にしていい。

それだけでも、これからの選び方は少し変わっていく気がする。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。

今回は、「もしかして母は自己愛性パーソナリティ障害なのかもしれない」と思うほど振り回されてきた苦しさを中心に書きました。

でも実際には、その苦しさに気づいたあとも、すぐに距離を取れたり、罪悪感を手放せたりするわけではありませんでした。

以前、そのことをもう少し踏み込んで、
「親だから」「助けてもらっているから」と自分を押し込めるのをやめた話を有料記事に書いています。

きれいごとでは自分を守れなかった人に向けて、本音で書いたものです。
必要な方にだけ届けばうれしいです。

いいなと思ったら応援しよう!