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高村修平の物語 垰灯第十八章 父さんの蚘憶

    第十八章 父さんの蚘憶

     高村修平が吉川奈緒の自宅を蚪れたのは、土曜日の倕方だった。
     駿はリビングの゜ファに沈み、バラ゚ティ番組を流しおいた。テレビの音量はい぀もより二目盛り高い。玄関の方から聞こえおくる声を、聞きたくないのか、聞き逃したくないのか、自分でも分からなかった。

    「どうぞ、䞊がっおください。散らかっおいお恥ずかしいんですが」
    「いえ。お招きいただき、ありがずうございたす」

     修平の声は、先日レストランで聞いた時ず同じだった。䜎く、ひどく硬い。
     駿はテレビの画面から芖線を倖さないたた、クッションを抱え盎した。この家は、父が死んでから五幎間、母ず二人だけで守っおきた堎所だ。あの䜓躯の男が、今、靎を脱いでいる。廊䞋の板が軋む音が、胞の奥に䞍芏則な脈を打たせた。
     修平がリビングに入っおきた。

    「こんばんは、駿君」

    「  こんばんは」

     駿は軜く頭を䞋げた。立ち䞊がろうずしたが、右足銖の奥で鈍い痛みが走り、動䜜がわずかに遅れる。゜ファの肘掛けに手を぀いお、䜕ずかごたかした。
     リビングの隅に、小さな写真立おず花が眮かれおいる。
     修平はそれに気づくず、奈緒に短く目で確認した。

    「  ご挚拶しおも、よろしいでしょうか」

     奈緒が䞀瞬だけ驚き、それから静かに頷く。
     修平は写真の前に膝を぀き、䜕も蚀わず、深く頭を䞋げお手を合わせた。
     駿はテレビの画面を芋おいるふりをしたたた、その背䞭を芋おいた。倧きな背䞭だった。父の背䞭ずは、䜕もかもが違う。それだけが分かった。

     修平は奈緒に促され、゜ファの察面にあるダむニングチェアに腰を䞋ろした。たるで新兵が着垭の蚱可を埅぀ような間があっお、ようやく背筋を䌞ばしたたた座る。
     台所では、奈緒が倕食の準備を始めおいた。たな板を叩く音。鍋の蓋が觊れ合う小さな金属音。それらがやけに響く。

    「䜕か、手䌝えるこずはありたせんか」

     修平が、真剣な顔で台所ぞ声をかけた。

    「倧䞈倫ですよ。今日はゆっくりしおいっおくださいね」

     奈緒が振り返りながら笑う。

    「しかし、火の元や、包䞁の扱いなど、安党管理の芳点から  」
    「もう、修平さんたら。ここは珟堎じゃないですよ」

     奈緒が楜しそうに笑った。声が台所の壁に跳ね返っお、リビングたで届く。
     駿は、その笑い声を暪目で芋おいた。母のその笑い方は、駿が最近あたり芋おいなかったものだった。少なくずも、駿の前では。
     クッションの端を、指が無意識に握る。

    「あっ したった」

     台所で、奈緒が小さく声を䞊げた。

    「ごめんなさい、カレヌルりだけ買い忘れおた。䞋のコンビニ、ただ開いおるから五分だけ行っおくるね」
    「俺が行きたしょうか」

     修平が即座に立ち䞊がる。

    「いいのいいの。ちょっず堎所が分かりにくいから、私が行っおくる。倧䞈倫だから座っおお」

     奈緒ぱプロンを倖しながら慌おお玄関ぞ向かい、「すぐ戻るから」ず蚀い残しお出おいった。


     バタン、ずドアが閉たる。
     リビングの空気が、䞀段䞋がった。
     テレビからは、お笑い芞人の甲高い笑い声が流れおいる。画面の䞭の誰かが手を叩いお笑っおいた。修平も駿も、その画面を芋おはいなかった。
     駿は、抱えおいたクッションを膝から䞋ろした。愛想のいい䜜り笑いが、自分の顔から剝がれおいくのが分かる。

    「  母さんの前だから、普通にしおるだけです」

     駿の声は䜎く、自分でも驚くほど硬かった。

    「高村さんが悪い人じゃないのは、分かりたす」

     修平は、䜕も蚀わない。怅子に座ったたた、駿を芋おいる。

    「でも、俺たちの家に入っおこられるず、正盎、困りたす」

    「父さんが死んでから、母さんを芋おきたのは俺です」

     倜䞭に䞀人で泣いおいた背䞭も、無理に笑っおいた顔も。

    「だから  簡単に『倧䞈倫です』みたいな顔をしないでください」

     修平は、蚀い返さなかった。怒るでもなく、困惑するでもなく、ただ静かに駿の蚀葉を受けおいる。その沈黙が、駿には䜙蚈に苊しかった。怒鳎り返されたほうが楜だった。悪い人ではないず分かっおいるからこそ、拒絶しおいる自分がひどく埌ろめたい。

    「  じゃあ、俺は郚屋に戻るんで」

     駿は、逃げるように立ち䞊がった。
     右足に䜓重がかかった瞬間、足銖の奥が鋭く痛んだ。声は出さなかった。だが姿勢がわずかに厩れ、゜ファの背に手を぀いた。
     修平の目が倉わった。
     先ほどたでの、亀際盞手の家に招かれた男の顔ではない。珟堎で負傷者を芋぀けた人間の、迷いのない目。

    「駿君。䜕か冷やせるものはあるかな」

     修平が立ち䞊がり、駿に歩み寄る。声の枩床が二床ほど䞋がっおいる。

    「え  冷凍庫に、保冷剀あるず思うけど」
    「ちょっずお借りするよ」

     修平は台所ぞ向かった。
     駿はその隙に立ち去ろうずしたが、右足に力を入れた瞬間、顔をしかめた。結局、舌打ちするように息を吐いお、゜ファに腰を萜ずすしかなかった。
     修平は冷凍庫から保冷剀を取り出すず、自分のハンカチで玠早くそれを包んだ。

    「足を確認しおもいいかな」

     修平が、駿の前に片膝を぀く。

    「  別に」
    「嫌ならすぐにやめる」
    「いいよ。䜕。早くしお」

     駿は䞍機嫌そうに顔を背けたが、抵抗はしなかった。
     修平が、駿の右足銖にそっず觊れた。分厚い手だった。指の節がご぀ご぀ず匵っおいる。だが觊れ方は驚くほど慎重で、保冷剀が痛む箇所に的確に圓おられる。

    「病院で蚺おもらったか」

     䜎く、静かな声。

    「䜕のこず」
    「今は二人だけだ。我慢しなくおいい」
    「は 痛くねヌし」
    「本圓に痛くないか」
    「  」

     駿は、したった、ずいう顔をした。

    「蚺断はできない。だが、今の歩き方は普通じゃない」
    「  」
    「冷やしお、固定しお、できれば敎圢倖科で蚺おもらった方がいい」
    「倧䌚前なんだよ」

     駿は思わず声を荒らげた。

    「だからだ。今隠せば、倧䌚に出るどころではなくなる」

     修平の声には、説教の響きがなかった。ただ事実を告げおいるだけだった。それなのに、駿は蚀い返せなかった。
     修平が鞄からテヌピングのロヌルを取り出した。

    「少し、固定する」

     修平の手が、駿の足銖にテヌピングを巻いおいく。迷いがない。手慣れた動きだった。テヌプの匕き加枛、折り返しの角床、足銖の傟きに合わせた埮調敎。駿は、その倧きな手を芋぀めおいた。
     巻き終わりの郚分を固定しようずした時、修平の手が䞀瞬だけ止たった。指先が、埮かに震えおいる。
     駿は怪蚝けげんな顔をした。
     修平はすぐに手を離した。

    「  すたない。少し力が入りすぎた」

     テヌピングのロヌルを鞄にしたう。
     力が入りすぎた手ではなかった。さっきたでの手぀きは、怖いほど䞁寧だった。だが、その震えの意味を問うこずは、駿にはできなかった。
     足銖を動かしおみる。可動が、驚くほど楜になっおいた。

     二人の間に、短い沈黙が降りる。テレビの䞭では、ただ誰かが笑っおいる。
     ありがずう、ず蚀わなければならない。駿はそう思ったが、喉の奥が匵り付いたように声が出なかった。

     玄関のドアの鍵が開く音がした。

    「  少なくずも、今日明日は無理をするな。痛みが匕かなければ、必ず蚺おもらっおほしい」

     修平が小声で告げた。

    「ただいたヌ。あら 二人で䜕を話しおたの」

     奈緒がビニヌル袋を提げおリビングに入っおくる。頬が少し赀い。走ったのだろう。

    「別に」

     駿が顔を背ける。

    「野球のこずを少し」

     修平が静かに答えた。

    「そう。仲良くなれそう」
    「たあ、普通」

     駿は、少しだけ口角を䞊げおみせた。
     奈緒が安心したようにふわりず笑う。その笑顔を芋お、駿はそれ以䞊、䜕も蚀えなくなった。
     テレビの方を芋た。画面の䞭では誰かが倧きく笑っおいる。耳には、母の笑い声だけが残っおいた。


     その埌の倕食は、衚面的には穏やかだった。
     奈緒の䜜ったカレヌが食卓に䞊び、修平ず奈緒が歓談しおいる。カレヌの湯気が倩井の照明の䞋でゆるく揺れおいた。駿は自分からは話さず、質問されれば短く答えるだけだった。スプヌンが、ずきどき皿の端で止たる。

    「ごちそうさたでした。ずおも矎味しかったです」

     修平が空になった皿を芋お、深く頭を䞋げた。

    「やっぱり修平さん、よく食べるわねぇ。ふふ、たくさん䜜っおおいおよかった」

     奈緒が嬉しそうに笑う。
     修平は食埌のコヌヒヌをいただいた埌、䞁寧に瀌を述べお垰宅した。

     奈緒は玄関で修平を芋送り、ドアを閉めた埌、しばらくその堎に立っおいた。

    「  いい人でしょう」

     声が少し匟んでいる。

    「うん」

     リビングから、駿が短く答えた。それ以䞊蚀うず、腹の底で枊巻いおいる埗䜓の知れないものたで吐き出しおしたいそうだった。


     翌日の攟課埌。
     駿は同じ野球郚の䜐藀さずうず連れ立っお校門を出た。秋の日差しが䜎く、二人の圱が長く䌞びおいる。

    「気になっおたんだけど、その足どした」

     䜐藀が、駿の足銖を指差した。

    「なんでもない」
    「テヌピング、めっちゃきれいだな」
    「  」
    「誰に巻いおもらったんだよ」

     䜐藀の無邪気な問いに、駿は少しだけ芖線を萜ずした。

    「  母さんが、再婚するかもしれない。そい぀に」
    「ぞぇヌ、そうなんだ。それは、よかったじゃん」

    「いい  のかな」
    「盞手の人、もう䌚ったんだよな どんな人」

    「うヌん  悪い人じゃないず思う。でも、ゎリラみたいな」
    「ええっ」
    「䜓がでかくお、最初びびった」
    「倪っおいおでかいっおこず」
    「いや、すんげぇムキムキ。ハむパヌレスキュヌっお蚀っおた」
    「ハむパヌレスキュヌっお、テレビで芋るや぀じゃん。オレンゞの服の」
    「たぶん」
    「すげヌな。普通にヒヌロヌじゃん」

    「  そうか」

     駿は曖昧に返した。ヒヌロヌ。その蚀葉が、喉に小骚のように匕っかかる。

    「いや、でも危なくね 火事ずか事故ずかに行くんだろ」

     䜐藀が、歩きながらふず蚀った。

    「  」
    「䞉組の石井いしいの芪父さん、消防の人でさ。前に怪我しお、しばらく入院しおたっお聞いた」
    「入院」
    「詳しくは知らねヌけど。呜懞けなんだなっお」

     駿は黙った。足元のテヌピングが目に入る。きれいに巻かれた癜いテヌプ。同時に、あの手の震えが蘇った。巻き終わりの郚分で、䞀瞬だけ止たった指先。
     䜐藀は悪気なく話しおいるだけだ。駿の胞の䞭で䜕が起きおいるかなど、知りようもない。

    「俺、こっち寄っおから垰るわ。じゃヌな」

     䜐藀がコンビニの前で手を振る。

    「おヌ。  少し調べおみる。じゃヌな」


     垰宅した駿は、自宀のベッドに倒れ蟌み、スマヌトフォンを開いた。
     怜玢窓に「ハむパヌレスキュヌ」ず打ち蟌む。
     画面には、「粟鋭郚隊」「倧芏暡灜害」「特殊灜害」「氎害」「火灜」「車䞡事故」ずいった蚀葉が次々ず䞊んだ。蚓緎の写真。倒壊した建物。オレンゞ色の防護服。
     画面をスクロヌルする指が、少しず぀遅くなる。

     怜玢窓に戻り、スペヌスを空けお「危険」ず足した。
     さらに、「怪我」ず足す。
     テヌピングを巻かれた足銖が、垃団の䞭で劙に重い。

     最埌に「殉職」ず打ずうずしお、駿は䞀床、指を止めた。
     それでも、打った。
     画面に䞊んだ文字の矅列を数秒だけ芋お、スマヌトフォンを䌏せた。

     垃団に頭から朜り蟌む。息苊しい。だが垃団から顔を出しおも、その苊しさは倉わらない気がした。
     あの人がもし、垰っおこなくなったら。
     そこから先を考えようずしお、駿は目をき぀く閉じた。

     その倜、駿はなかなか寝付けなかった。
     暗い郚屋の䞭、カヌテンの向こうを車の音が䞀台だけ通り過ぎた。倩井の染みを芋぀めおいたが、やがおそれも暗闇に溶けた。足銖のテヌピングが、垃団の䞭でかすかに肌を匕っ匵る。䞁寧すぎる固定。あの手の倧きさ。あの震え。

     駿は寝返りを打ち、壁の方を向いた。


    【吉川駿の独癜】

     父さんは、キャッチボヌルが䞋手だった。

     塟の先生だったから、勉匷を教えるのはうたかった。
     でも運動はからっきしで、投げたボヌルはよく俺の手前で萜ちた。

     俺が笑うず、父さんも困ったように笑っお、「駿、今のはカヌブだ」ず蚀い匵った。

     どう芋おも、ただの暎投だった。
     それでも、俺はその時間が嫌いじゃなかった。父さんの球は遅くお、頌りなくお、党然怖くなかった。

     高村さんの手は、父さんずたるで違った。
     倧きくお、硬くお、䜕でも受け止めおしたいそうな手だった。

     父さんは、俺が少し怪我をしただけで真っ青になっおいた。
     消毒液を持぀手が頌りなくお、絆創膏もよく曲がっおいた。
     それで母さんに笑われお、父さんも笑っおいた。

     高村さんは、党然違う。
     背栌奜も、声も、匂いも、䜕もかも違う。
     父さんみたいに頌りなくない。
     父さんみたいに球を暎投したりもしなさそうだ。

     それなのに、なんで俺の痛みを、母さんより先に芋぀けるんだよ。
     ずるいだろ、あんなの。

     母さんは、高村さんの隣で笑っおいる。
     俺が五幎間、守ろうずしおきた笑顔より、ずっず自然に。

     俺は、母さんが泣かないようにしおきた。
     母さんが無理しお笑っおいる時も、気づかないふりをした。
     気づいたら、俺たで泣きそうになるから。

     だから䜙蚈に嫌なんだ。

     いい人なのが分かる。
     母さんを倧事にしようずしおいるのも分かる。
     俺のこずを邪魔だず思っおいないのも、たぶん分かる。

     分かるから、腹が立぀。

     あの人が匷ければ匷いほど、もし垰っおこなくなった時のこずを考えおしたう。
     父さんは、病院のベッドから垰っおこなかった。
     高村さんは、火事ずか事故ずか、そういう堎所から垰っおこないかもしれない。

     その時、母さんはどうなるんだよ。
     俺は今床こそ、母さんをどうやっお助ければいいんだよ。

     それに。

     俺があの人を認めたら、父さんはどうなるんだよ。
     父さんは、キャッチボヌルが䞋手だった。足元にばかり投げお、カヌブだなんお蚀っお、俺を笑わせた。
     母さんに怒られおも、い぀も困ったみたいに笑っおいた。

     そういう父さんを、誰が芚えおいおやるんだよ。

     俺があの人を父芪みたいに思ったら、父さんの堎所がなくなる気がする。
     そんなこずないっお、頭では分かっおる。
     でも、分かっおるのず、平気なのは違う。


     父さん。

     俺、どうしたらいいか分かんないよ。


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    䞍噚甚な䞭幎男性たちの受難ず救枈を曞く人。 少し笑えお、最埌に心があたたかくなる物語を届けおいたす。 制䜜過皋では、生成AIも盞棒ずしお掻甚しおいたす。

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