
【ブランコは、夜嗤う。】
閑静な住宅街に、穏やかな暮らしが息づいている。
一年前、私はこの街に越して来た。
駅前にはスーパーやドラッグストアが立ち並び、買い物には困らない。
内科や耳鼻科、歯医者や眼科も徒歩圏内にあり、暮らしに不自由はしない。
夕方になると、窓の下の小さな公園で、子どもたちの遊ぶ声が聞こえる。
子どもたちが帰るころには、高校生のカップルがベンチで語らう。
夕飯の匂いや、コインランドリーから漂う柔軟剤の香り。
そんな生活の気配が、この街を好きにさせた。
夜、誰もいなくなった公園。
街灯が、遊具を優しく照らす。
公園は、街の眠りを静かに見守っているようだった。
ある夜、寝苦しさで目が覚めた。
台所に立ち、水を飲む。
その時、
「キィィーー、キィィーー」
公園から音がする。
時計の針は二時十分を指していた。
「こんな時間に誰が…」
不思議に思いながら、私は再び眠りについた。
その日から、毎日二時十分に目が覚めるようになった。
そして、決まってあの音がする。
「キィィーー、キィィーー」
ブランコが揺れる音。
カーテンを開けて、窓の下を見る。
誰も、乗っていない。
ブランコが、大きく揺れている。
カーテンを閉める。
背筋が凍りつき、歯がカチカチ震えた。
私は、夜眠れなくなった。
二時十分が近づくと、全身がこわばる。
布団を被り、耳を塞ぐ。
明け方、ようやくまどろむ。
満員電車で、気が遠くなる。
パソコンの文字が、霞む。
限界だ。
週末、不動産屋へ行くことにした。
日曜日、近所が騒がしい。
パトカーが列を連ねている。
刑事が訪ねてきた。
近所に住む女の子が行方不明になったらしい。
マスコミが駆けつけ、周辺の学校は休校となった。
平和な街が、疑心暗鬼に沈んでいく。
ーー半年が過ぎた。
女の子はみつからない。
マスコミは、もう次の事件を追っている。
皆、恐怖を飲み込んで暮らしていた。
誰も来なくなった公園は、不気味な静けさが漂う。
二時十分、今夜もブランコは揺れる。
鏡の中の私は、まるで別人のように痩せこけていた。
新しい部屋が決まった。
荷造りを始める。
突然、パトカーと救急車の近づく音がした。
目の前でサイレンが止んだ。
窓の下を見ると、公園に規制線が貼られている。
ブルーシートに包まれた坦架が運ばれていった。
夜、テレビをつけると、今日の事件が報道されていた。
公園のブランコで、男性が亡くなっていたらしい。
死因は不明。
もう、たくさんだ。
次の日、私はこの街を出た。
新しい街での生活が始まり、事件のことは忘れかけていた。
ある日、立ち寄ったコンビニで、週刊誌の見出しに目が吸い寄せられた。
一目でわかった。
あの街で起こった事件のことだ。
週刊誌を手に取る。
女の子の死体が山中で見つかった。
死亡時刻は二時十分。
公園で亡くなっていたあの男性は、この事件の容疑者の一人。
そして、公園のブランコで死体となって発見された。
眼球が飛び出し、首は不自然に捻じ曲がっていた。
刑事の話が、蘇る。
「あの子、公園のブランコが好きだったらしい」
……知ってる。
あの窓から、毎日見ていた。
ぷくっとしたほっぺた。
警戒心のない笑顔。
手応えのない柔らかさが、まだこの手に残っている。
公園は、今日もあの街を見守っているだろう。
ブランコも、きっと。
「キィィー…」
全身が、こわばる。
振り返った。
風が、吹き渡る。