寛政浮世浪漫草紙 しゃあらっと (五十八)
第六話「|狐面」(七)
こうして、この日の芝居は無事、大盛況のまま幕を閉じた。
寅吉扮するお鶴の可愛らしさ、筋書きを逸した意外な展開、そして役者全員による迫真の演技が、功を奏したのだろう。
やがて芝居も跳ね、十郎兵衛達は再び旅立とうとしていた。
「とんだご迷惑をかけてしもうたなぁ。すんまへん」
おやじは十郎兵衛に頭を下げた。十郎兵衛は否と手を振る。
「いいや俺こそ。舞台じゃ調子に乗ってしまい、面目なかった」
「楽しかったわ。どうです? これからも一緒に、芝居しまへんか?」
お久は二人を誘うが、十郎兵衛はかぶりを振った。
「気持ちは嬉しいが、俺達はこの子の親を捜さなくてはならないからな」
「いや、とらきっちゃんは惜しいなぁ……お客はんからも、『あのお鶴はだれや?』ってよう聞かれますのや」
おやじは残念そうに腕を組む脇で、
「男だと知ったら……あいつら泣くだろうな」
ひとり太一が漏らしている。しかし、彼らには知られてはいないが寅吉は娘子である。十郎兵衛は少々複雑な心境だった。
「では、俺達はこれで失礼する。行くぞ、寅吉」
「うん……おじちゃん、ありがと!」
寅吉は手を振り、十郎兵衛らは歩き出す。手を振る寅吉の手には、あの狐の面が握られていた。
おやじとお久が手を振り返していたが、ふいに太一は一歩前に出て、十郎兵衛達に叫んだ。
「十郎兵衛さん! ……ご、ごちそうさまでしたっ!」
そうして太一は手を振った。
「た、太一? ……ははは」
おやじが驚いて太一を見た。
「まぁ、太一ったら、お礼なんか言って」
お久も嬉しそうに太一を見る。太一は何も言わず、少し照れくさそうに手を振った。
「おう! 親に迷惑かけねぇで、達者で暮らせよ!」
十郎兵衛も太一に向かって手を振りかえす。すると寅吉が十郎兵衛にすがりついてきた
「ん、どうした寅吉」
「いいなぁ……おじちゃん達……」
寂しそうに寅吉は呟いた。太一の家族が仲良さそうにしているのを見つめている。そして十郎兵衛の裾の端をぎゅっと掴んだ。その仕草を見て、十郎兵衛は咳払いする。
「いいじゃねぇか寅吉。それとも、やはり俺じゃ不満か」
寅吉の頭を優しく撫でてから、十郎兵衛はちらりと寅吉を見た。寅吉は嬉しそうな表情になり、
「ううん……十郎兵衛となら、どこへ行ってもへっちゃらだよ」
と、笑った。
こうして、茜色の夕焼けの中を、十郎兵衛達は旅立った。もう少し歩けば天下の台所、大坂も間近である。
寛政元年、秋も半ばを過ぎた頃の事であった。
(第六話 完)