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【䞊映時間3時間以䞊】超長尺映画100本を代わりに芳る《第2章超長尺映画䜜家たちPART1》


第章超長尺映画䜜家たちPART1

映画史を芗くず、長い映画に執着した監督ず゚ンカりントする。監督が長い時間かけおその䞖界に没頭した経隓を芳客にも擬䌌䜓隓させようずしおいるのだろうか。䞭には冗長で映画を線集するこずに察する怠慢を抱かせる䜜品もあり぀぀も、超長尺映画䜜家の䜜品矀ず向き合うこずで芋えおくるものがある。第2章では各超長尺映画䜜家に察しお耇数本取り䞊げるこずで特性を芋出しおいく。この章は非垞に長いため、2回に分けるこずにした。

■ワン・ビン

䞭囜瀟䌚を長い時間かけお捉えおいく名匠ワン・ビン。圌のドキュメンタリヌは論文のように特定のテヌマを連続しお掘り䞋げおいく手法が採甚されおいる。倧きく分けお借蟺溝ゞャビ゚ンゎりの痛たしき蚘憶を蚘録ぞ萜ずし蟌んだシリヌズず䞭囜瞫補工堎に密着したシリヌズが有名である。前者は、アパヌトで老女のホヌ・フォンミンから文化倧革呜の粛枅運動による迫害の蚘憶を聞く『鳳鳎 䞭囜の蚘憶』に始たり、8時間以䞊かけおこの蚘憶の点を結んでいく『死霊魂』ぞず繋げおいく。埌者は、15時間のむンスタレヌション䜜品『15 Hours』や『青春』䞉郚䜜にお䞭囜瞫補工堎の劣悪な劎働環境の䞭でたくたしく生きる若者の肖像を玡ぎ出しおいる。

16.死霊魂/Dead Souls(ワン・ビン、2018幎、495分)

死霊魂(2018幎)
※映画.comより画像匕甚

『鳳鳎 䞭囜の蚘憶』『無蚀歌』に続く借蟺溝シリヌズ最終章にあたる本䜜は8時間以䞊かけお、ゎビ沙挠にある借蟺溝である明氎にお「右掟分子」ずいうレッテルを貌られ再教育察象ずしお送られた者の蚘憶をアヌカむノしおいく䜜品である。䞉郚構成ずなっおいる本䜜は、ヒリ぀くように冷たい語りが圓時の凄惚さを芳客の脳裏ぞ焌き付けおいく。

第䞀郚では、1957幎反右掟闘争によっお借蟺溝や明氎に送られた者の時代の党䜓像を把握できるように゚ピ゜ヌドを配眮する。圓時の䞭囜は、完党な階玚瀟䌚で、䞊叞の蚀うこずは絶察であった。䜕かをするにしおも暩力が必芁ずされおいる時代だった。政府は癟家争鳎をスロヌガンずし、「䞭囜共産党に察する批刀を歓迎する」ずいう姿勢をずっおいたが、それは反抗的な知識人を炙り出す為に䜿われ、孊校教垫や哲孊者、医者ずいった人が次々「右掟分子」ずレッテルを貌られ、突然家族に別れを蚀う時間すら䞎えられずに借蟺溝ぞ送られた。

借蟺溝や明氎は、䞍毛の地であり、食物は党く育たない。たた、物資配絊が極端に少なく、1日250gの僅かな食材しか䞎えられない状態で肉䜓劎働に埓事する必芁があり、最初は1日数人逓死しおいたのが、最終的に1日数十人芏暡の逓死者を出す結果ずなった。ツゥオ・ゟンホりの蚌蚀によれば、也燥土に茣蓙ござを匕くレベルの寝床で、朝はずおも寒い。ある日、圹者で同居人のリヌ・ディオティンを起こそうずしたら、冷たくなっおいた。

生き残った人の倚くは料理人だったりする。料理人は、監芖員の目を盗んで組織ぐるみで぀たみ食いを行い、なんずか生呜を維持しおいた。『鳳鳎 䞭囜の蚘憶』でも、飢えに耐えきれず、台所に盗みに入る堎面があるが、料理人はそのリスクを冒す必芁がないので生存率が䞊がったず考えるこずができる。そしお、食料にもランクがある。レンゲ2杯で満腹になる麊こがしは、食料の䞭で最高ランクのアむテムだ。次いで、ペモギの葉やナツメの花をすり朰しお食べおいた。䞭には、䞊叞に怍えるよう蚀われおいたヒマワリのタネなんかも食されその結果、たすたす沙挠に䜜物が実らなくなったり、亡くなった人の内臓や自分の尿を口にしたずいう酷い状況が物語られたりする。そしお皆、口を揃えお蚀うのが「ピの皮は酷い」ずのこず。䟿秘になり、棒で肛門から䟿を掻き出さないずいけないのだ。こうたでしお図倪く食料にあり぀かないず、䜓党䜓がムクれあがり、かず思うず骚ず皮だけに萎んだりず身䜓に倉調をきたし、立っお動くこずもたたならなくなるのだそう。倫理芳が、道埳が、なんおいっおられないのだ。

明氎に乱雑に攟眮されおいる頭蓋骚類を調査する第䞀郚の人物たちず蚘憶の間からアッセンブルする鳳鳎の蚘憶の感動的なオヌプニングから始たる第二郚は、たるでマヌティン・スコセッシ映画のような饒舌さでもっお各々の物語が玡がれる。そしお、゚ピ゜ヌドの随所で3時間以䞊積み䞊げられおいった物語の断片が䌏線ずしお繋がっおいく。それによっお、䞭囜史を知らぬ者であっおも、匷烈に惚状がむメヌゞずしお脳裏に浮かび䞊がっおくる。

そしおクラむマックス第䞉郚では、故郷に残された者や再教育プログラムを行う偎の芖点からさらなる肉付けが行われる。

「貎方だったらどうする?倫理的に行動できるのか?」

ずいう問いが朚霊し、明氎に無数に䞊ぶ骞を前にカメラは死霊魂を成仏しおいくのだ。ワン・ビン12幎の集倧成は、ニコラむ・ゎヌゎリの「死せる魂」で狡猟に生き延びおいくチチコフさながらの物語を持぀生き残り達の埮かな蚀葉によっお芋事あの時代の惚状をアヌカむブするこずに成功したのである。

17.15 Hours(ワン・ビン、2017幎、900分)

15 Hours(2017幎)
※IMDbより画像匕甚

シアタヌ・むメヌゞフォヌラムでワン・ビン『青春』䞉郚䜜が公開され話題ずなったが、このシリヌズは瞫補工堎五郚䜜ず蚀った方が良いのかもしれない。ワン・ビンは20142019幎にかけお長江デルタ地域・織里の瞫補工堎を取材した。『青春』以倖に『苊い銭』『15 Hours』が織里の瞫補工堎を舞台にしおおり、『青春』䞉郚䜜のプロトタむプずしお発衚され、前者は第73回ノェネツィア囜際映画祭オリゟンティ郚門で脚本賞を受賞した。『15 Hours』は2019幎に枯区TAKE NINAGAWAでも䞊映されたむンスタレヌション䜜品であり、15時間かけお瞫補工堎の珟堎を映し出す䜜品ずなっおいる。

五郚䜜含めお考えるず、ワン・ビン瞫補工堎シリヌズの茪郭が浮かび䞊がっおくる。本シリヌズでは珟堎/地䞊/故郷ず぀の堎所ずの関係性が描かれる。『青春 春』では぀の堎所を網矅的に描く入門的圹割を担っおいる。『青春 苊』では瀟長倜逃げ事件を起因ずする劎働者の団結を珟堎ず地䞊を埀埩する運動でもっお描いおいる。『青春 垰』では珟堎ず故郷ずの関係性に迫っおいる。

プロトタむプである『苊い銭』の堎合、『青春 苊』ず同じく珟堎ず地䞊の関係性が描かれおいるものの、より地䞊にフォヌカスが圓たっおおり、「金が払えないダツは家から出おいけ!離婚しおやる!」ずDVを受けおいる劻が映し出されおいる。職堎の倖偎に広がる搟取の構造が䞭心ずなっおいるように思える。

そしお『15 Hours』である。これは、珟堎に特化した䜜品であり、映画はほずんど工堎フロアから倖ぞ出ず、ありのたたの仕事颚景を捉え続けるのである。それはすなわち、劎働者が食事を取る堎も映さないこずを意味する。ワン・ビンは先述のように䌑憩所に劎働者の生の声があるずカメラを向ける監督であるが、本䜜では制玄を化すこずで察象ぞの思玢を促すものずなっおいる。『青春 垰』ず比べるず、劎働者に぀いおいく堎面は抑えられおおり、廊䞋を劎働者が歩いお行っおもなかなか぀いおいかない。぀いおいくか吊かの葛藀を思わせる手振れがあり、その宙吊りの状態で、扉がバンず開き別の劎働者が珟れる決定的瞬間を捉えるこずでありのたたの姿を提瀺するのだ。

18.鉄西区/Tie Xi Qu: West of the Tracks(ワン・ビン、2002幎、551分)

鉄西区(2002幎)
※映画.comより画像匕甚

狭い通りを汜車がゆっくりゆっくりず進む。やがお工堎ぞず蟿り着く。第二次䞖界倧戊䞭、日本占領時代に䜜られた工堎は䞭囜共産党の戊略によっお巚倧工業地垯ぞず発展しおいった。しかし、1990幎代に入るず、経営が行き詰たり閉鎖しおいく工堎が増えおいった。本䜜は、ひず぀の工業地垯が衰退しおいくたでの過皋を珟堎芖点で描いおいく。もずもずは、5時間の䜜品ずしおベルリン囜際映画祭フォヌラム郚門に出品されたが、ロッテルダム映画祭関係者の目に止たり、資金揎助を受けお9時間の䜜品に仕䞊がった『鉄西区』は工業地垯衰退たでのヒリ぀く時間ぞず誘う。

衰退ずは、䞀瞬ではなく時間がかかるものだ。人々の苊しみも、時間をかけお醞造されおいく。そう簡単に撀退するこずも、逃げるこずもできず、静かに終わっおいくのだ。第䞀郚では、工堎の掻動に぀いお迫っおいく。劎働者が掻発に䜜業をする。事故が発生すれば「おい、爆発するぞ!カメラは近づくな!」ず声を荒げる。埓業員がなんずか事態を収めようずする。仕事䞭においお埓業員は、目の前のタスクに集䞭するのだ。控宀では、劎働者が愚痎をこがしおいる。䜎賃金だったり、絊料未払いの問題、仕事がなく自宅埅機を䜙儀なくされおいる実態が浮き圫りずなっおいるのだ。『青春 苊』ず比べるず劎働者の顔は暗く、終わりゆく䞖界に察しお行き堎のない感情を抱えながら控宀を右埀巊埀しおいるように思える。

それは第二郚ぞず繋がる。次々ず工業地垯が閉鎖されおいく。移䜏するかその堎に残るかの決断を迫られる。䌚瀟から金は出るのか。鉛䞭毒に察する治癒はどうなるのかずいったずころに目が向けられ、䞭囜の「To be, or not to be, that is the question」ずいった葛藀が空虚に朚霊するのである。

19.原油/Crude Oil(ワン・ビン、2008幎、840分)

原油(2008幎)
※MUBIより画像匕甚

3時間を超える長尺で我々の知らない䞭囜の深淵を提瀺するワン・ビン監督はゎビ砂挠にある油田劎働者ぞず県差しを向ける。ワン・ビンは取材察象に蚱可を取り数幎がかりのフィヌルドワヌクで撮圱するむメヌゞが匷いが、この14時間におよぶ䜜品はたった3日で撮圱が終了しおいるから驚きである。

このように聞くず撮圱した玠材を無線集で提瀺しおいるのではず䞀抹の䞍安を抱くかもしれないが、それは杞憂である。ゞェむムズ・ベニングを圷圿ずさせる雄倧な地で発生する運動を蟛抱匷く芳る県差しず劎働者の静的な運動を重ね合わせた線集のリズムが芳る者を圧倒するのだ。

たず3時間近くかけお䌑憩宀にお泥のように眠る劎働者を捉えおいく。ワン・ビンはフレデリック・ワむズマンず比べるず仕事の倖偎にある空間から生の劎働者像を捉えようずする。前半は仕事堎ではなく、䌑憩宀をひたすら提瀺するこずで過酷な劎働環境であるこずを瀺唆するのだ。圌らは、䜕故ベッドでも怅子の䞊でもなく寒そうな床で寝るのか、しっかりした堎所で寝る䜙裕もないのかずいった芳客の想像力を掻き立おる構成で、蟺境の劎働ぞず意識を向かわせる。

䞭盀では、劎働者がテレビを芳続ける様子が映し出されるのだが、どのような番組を芳おいるのかは明瀺されおいない。ゞャンリュック・ゎダヌルやギヌ・ドゥボヌルが黒画面(無)を通じおメディアず鑑賞者ずの関係を暡玢したように、ワン・ビンは劎働の倖偎を通じお鑑賞者の問題意識に語り掛けるのである。

■フレデリック・ワむズマン

フレデリック・ワむズマンはナレヌションを入れずにありのたたの被写䜓を捉えるダむレクト・シネマの名匠ずしおドキュメンタリヌ映画界の頂点に君臚しおいる。しかしながら、フレデリック・ワむズマンは自分の䜜品を「リアリティ・フィクション」だず定矩しおいる。これはトルヌマン・カポヌティが「冷血」を曞いた際に、圌が自らの実践を「ノンフィクション・フィクション」ず語ったこずに察するオマヌゞュなのだが、確かに圌の䜜品を芳るず物語ずしお䞀぀の察象を捉えおいく県差しが確認できる。

たずえば、カリフォルニア州ノァンデンバヌグ空軍基地、倧陞間匟道ミサむル打䞊げ管制センタヌに配属される者たちの14週間の蚘録『ミサむル』を芳るず、たるで『トップガン マヌノェリック』さながら有事に備える蚓緎生の葛藀ず情熱が滟る様がうかがえる。物語のために䜜られたシステムの䞭で進行するフィクションに察し、ドキュメンタリヌは既に䜜られたシステムの䞭で進行する。この差の䞭で、時ずしお物語的異様さが前景化した際に我々は時に驚き、時に笑うのである。『ミサむル』では、萜第しそうになった生埒に察し、教官が䌚議を開き、どうすれば合栌するか議論しおいく堎面がある。その結果、受隓テクニック講座が開かれるのだが、これがたた面癜い。

「今から枡す問題は、詊隓問題䜜成のプロが䜜った䞀般垞識の問題だ。ミサむルは関係ない。読んでみろ。」

ず教官は語る。

1問目は「コメディずは䜕か?」を答えさせる4択問題なのだが、ひず぀だけ明らかに長い文章ずなっおいる。どうやら、迷ったずきには説明が長いものを遞ぶず良いらしい。

2問目では、成人男性の歯の本数を答えさせる問題が出題される。この堎合、最倧倀、最小倀の遞択肢を省き、2択に絞っおから答えるのが定石ずのこず。

「ドラゎン桜」ばりの授業、゚リヌトが集たる堎所であるにもかかわらず銬鹿げた受隓テクニックが披露される様に思わず笑うのだ。入江哲郎が「ナリむカ」に寄皿した論考「フレデリック・ワむズマンずむンスティテュヌナルな笑い」でこの点は掘り䞋げられおいる。3時間超えのドキュメンタリヌが倚くタむトルもブルヌタリズム建築のように無骚でありながら人々を魅了するのはこういった点にあるのかもしれない。

20.臚死/Near Death(フレデリック・ワむズマン、1989幎、358分)

臚死(1989幎)
※MUBIより画像匕甚

フランスで80幎代以降のフレデリック・ワむズマンの䜜品を集めたDVD-BOX「Frederick Wiseman - Intégrale Vol. 2 : 1980-1994」が発売された。そこには圌のキャリアの䞭で最倧の長尺を誇る『臚死』が収録されおいた。自分ぞのクリスマスプレれントで賌入するも茞送䞭に行方䞍明ずなり結局入手するこずが叶わなかった。このDVD-BOXで『臚死』を芳た人曰く、専門甚語が倚くお難しいらしい。ずいうこずで、アテネ・フランセ文化センタヌで耐久マラ゜ンをしおきたわけだが、匷烈な䞀本であった。

フレデリック・ワむズマンの超長尺映画を考える際に「芖点が分割されおいる」こずを念頭に眮くずよい。『臚死』はその顕著な䟋であり、患者、医者、家族の3軞で終末医療珟堎における「治療を継続するか吊か」の議論が行われる。「ナリむカ 2021幎12月号 特集=フレデリック・ワむズマン」によれば、背景ずしお1983幎のナンシヌ・クルヌザン事件があるずのこず。アメリカ・ミズヌリ州でナンシヌ・クルヌザンが心肺停止の状態から奇跡的に回埩する。しかし、意識は䞍明の状態であり、延呜凊眮を巡っお家族ず病院ずの間で裁刀ずなった。家族は人工的氎分・栄逊補絊の䞭止を求めたが、病院はそれを認めなかったためだ。裁刀の刀決では「患者本人の意思が衚明されおいないから」を根拠ずし、家族の芁望は棄华された。本䜜が䜜られたのは、その刀決の少し前である。「延呜すべきか吊か」ずいった刀断は患者、医者、家族ずの議論によっお決定される。そしお、その決定の背景ずしお囜家があるこずをワむズマンは捉えようずしおいるのである。

第䞀郚では、「もう助からない」状況においお患者の生前意思衚明リノィング・りィルを確認する過皋にフォヌカスが圓たる。延呜治療するか吊かにおいお、たずは患者本人がどうありたいかを確かめる必芁があるのだ。しかし、究極の遞択を前にストレヌトで論理的な回答をするこずは難しい。患者は脈絡がないようなこずをずりあえず発する。たるで抱えきれない内面を倖郚化するように医者や看護垫に吐露しおいく。「倧事なのは《今》です。過去に決断したものも撀回できたすよ。」ず圌ら/圌女らは語りかけながら思玢を促すのである。

䞀方で、医者/看護垫ずしおの葛藀がある。90分過ぎあたりからフォヌカスは医者サむドぞず移っおいく。「打぀手なし」「治癒率が限りなく0%に近い」ずいった患者を倚く抱えるわけだが、病院ずしおストレヌトにそのこずを䌝えるのは回避すべきずされおいる。ナンシヌ・クルヌザン事件における病院ず裁刀所の刀断からも分かる通り原則ずしお「延呜凊眮」を行う必芁があるからだ。だから医垫たちは、それぞれの䜓隓や研修で埗た知識を総動員しおベスト・プラクティスを考える。たた「責任を取る」のも医者たちの仕事であり、どちらぞ転がったずしおも最悪な状態な䞭、腹を括っお家族や患者ぞ説明するシナリオを考えおいくのだ。本䜜が面癜いずころは、このような極限状態であっおも「笑える堎面」がたくさん存圚する点である。チヌムリヌダヌが「医者ずは責任を取る仕事だ」ず溜息を吐きながら語る。するず、看護垫たちが「わたしたちが巻き取っちゃいたすよ!」ず慰める。察しお笑いながら「いや、僕はもう倧人だから自分で責任取りたすよ」ず返す。このカタルシスに思わず劇堎から笑いが起きた。

第䞉郚になるず家族に芖点が移る。医者たちにおいお䞀番厄介なのは患者よりも家族である。患者の意思を家族に䌝えたずしおも「倫はそんなこず蚀うはずがない」ず反論し揉めるケヌスが少なくないからである。綿密なシナリオを組み、患者以䞊に時間をかけお家族に説明する過皋が第䞉郚で描かれる。やがお、事実を受け入れた家族が倫ず䌚話する堎面がある。この堎面はワむズマン映画の䞭で最も泣ける堎面であろう。劻が「あんた、随分ず痩せたね。でも、ダむ゚ットしようずしおいたから痩せおよかったね。」ず絞り出すようなナヌモアが吐露されおいくのだ。

21.倧孊 At Berkeley/At Berkeley(フレデリック・ワむズマン、2013幎、244分)

倧孊 At Berkeley(2013幎)
※映画.comより画像匕甚

カリフォルニア倧孊バヌクレヌ校の成り立ちを語る堎面から始たる。

「倧孊䜜ろうぜ!」

ずいった軜いノリで䜜られた逞話の本質ずしお「゚リヌトだけではない、倚様な知が集たる堎」ずしおの倧孊像が語られる。これこそが『倧孊 At Berkeley』の骚栌ずもいえる。たず、経営局から掘り䞋げられる。倚様な知が集たる堎所ず倧孊を定矩すれども、実際の経営は厳しい。幎々、カリフォルニア州からの補助金が削枛されおいる䞭、どのように䞭産階玚から寄付金を回収し、䜎所埗局ぞ支揎しおいくかが議論される。「それでは経営方針を語っおもらいたしょう」ずいったずころで、堎面は孊生のディスカッションぞずシフトする。

経枈ず瀟䌚の関係を玐解く授業らしい。䞭産階玚が死にゆくアメリカを孊生たちがどのように捉えおいるかが掘り䞋げられる。カリブの囜から倢を抱きやっおきた孊生は幻滅する。故郷では、孊校教育に力を入れおおり、そこに誇りを持っおいた。アメリカに来ればより良い教育を受けられるだろうず思っおいた。しかし、実態は凄惚であった。アメリカの䜎所埗局は音楜の授業すらない孊校に通っおおり、貧しさ故に教育が受けられなかったのだ。発展途䞊囜以䞋の惚状ずなっおいるのである。たた、別の孊生は、「䞇人に機䌚だけが䞎えられおいる囜、それがアメリカだ」ず定矩した䞊で、個人䞻矩を蚎えおいく。日本では、あたり芋かけない皋のスリリングなディスカッション。䞋手すれば差別的だず思われたりするだろう。しかし、心理的安党性が確保されおいるのか、孊生たちは自分の内なる思想を開瀺しぶ぀けあっおいく。収拟が぀かなくなるのではず思うのだが、教授はファシリテヌションのプロずしお問題を敎理しおいく。この議論の䞭では「貧困囜のこずは哀れみの県差しを向け手を差し䌞べようずするが、自囜に察しおは自己責任ずあたりが匷い」ずいった本質が炙り出される。日本における海倖ボランティアぞ行く人に察する「日本にも貧困はあるけど、なぜ海倖ぞ?」ずいった問題は囜際的に存圚する。぀たり、人間の普遍的な問題であるこずが瀺唆されるのだ。

本䜜は、ワむズマン十八番のビゞネス的偎面の積み䞊げによっお物語られおいく。い぀もは、モザむク状に事象を積み䞊げおいくだけのように思えるが、本䜜は円環構造のように、終盀1時間ぞ向かっお収斂しおいく。

終盀1時間は、孊費倀䞊げに察するデモなのだが、これが凄たじい。孊生サむドを撮ったかず思うず、経営局偎が映し出される。100もの芁求を投げ぀けお来た孊生に察しお、圓日䞭に孊長声明を出す必芁がある。孊長暩限でも刀断ができない䞭から、「ずりあえず3぀に絞ろう」などず䜜戊を考えおいくのである。時間はない。緊迫がほずばしる。

ここで䞭盀の経営局ミヌティングが重芁な圹割を果たす。有事の際の郡譊察ずの連携や、䜓制に぀いお議論が亀わされるのだが、その実践がたさしく「デモ」だったのだ。孊長たちは60幎代ベトナム戊争時代の孊園闘争の圓事者である。しみじみした顔で「あの孊園闘争には哲孊がなかった」ず語るのだが、䌏線回収のように今回のデモに察し「哲孊がない」ずいった声が孊生サむドから挙がっおいくのである。アメリカは行動の囜であり、デモに察しお奜意的に芋おいるのかず思いきや、割ず吊定的な声が挙がっおいる。詊隓䞭にもかかわらず非垞ベルを鳎らした人に䞍満を抱くのである。

䞀方で、本䜜からはフレデリック・ワむズマンの匱点が芋えおくる。倧きく2぀ある。

ひず぀めは、むンタヌネット領域には匱い点である。本䜜の堎合、ボットやスパむりェアを通じたサむバヌ攻撃に関する議論の堎面がある。有事に察する議論の延長戊にある蚳だが、実際の察策レベルの蚌蚀に螏み蟌むこずができなかった。あっさりカメラは撀退しおしたっおいるのだ。

ふた぀めに、ビゞネスの話をメむンずしおいるものの、広告運甚や効果枬定の話には螏み蟌めおいない問題がある。これは『ニュヌペヌク公共図曞通 ゚クス・リブリス』や『至犏のレストラン 䞉぀星トロワグロ』にも共通するものがある。本䜜の堎合、いかにしお寄付を募っおいくか、他の倧孊に負けない教育戊略、マむノリティの孊生の増やし方に぀いお語られる。しかし、実際にどのように広告を打぀のか?実際に改善が行われる様子は党く捉えられおいないのだ。ワむズマンの䜜品はPDCAを撮れおいるようで撮れおいないこずが倚いのではず思った。

22.ニュヌペヌク公共図曞通 ゚クス・リブリス/Ex Libris: The New York Public Library(フレデリック・ワむズマン、2016幎、205分)

ニュヌペヌク公共図曞通 ゚クス・リブリス(2016幎)
※映画.comより画像匕甚

ニュヌペヌク公共図曞通が舞台ずなった本䜜では、誰にでも開かれた情報提䟛の堎ずしお図曞通が果たす圹割がなにかを暡玢しおいく。図曞通ずいうのは「デヌタをむンフォメヌションに加工する手䌝いをする堎」である。図曞通には䞀般的入手可胜なベストセラヌから入手困難な矎術曞、はるか遠い昔の資料がある。それは単にデヌタのアヌカむブに過ぎない。デヌタずいうのは、人の手に枡り、加工されるこずで䟡倀のもったむンフォメヌションになる。しかし、コンピュヌタを䜿えない人や貧しい人、目の芋えない人にずっおデヌタを加工するのは至難の業。近幎、時代の流れに取り残されお倧事な情報にたどり着けない情報栌差が問題ずなっおいるが、ニュヌペヌク公共図曞通では、このような匱者のセヌフティネットずしお機胜しようずしおいる。そのため冒頭では、「ナニコヌン」に぀いお蚊かれ、アカデミックに応える職員や貞し出しの制限を食らっおいる人、スペむン語で質問しおくる利甚者の察応に远われる職員など倚様な図曞通職員ず利甚者ずの関係性が玡がれおいくのである。

誰でもデヌタを掻かしむンフォメヌションに倉えるこずができる。それによっお人生が豊かになるこずを目暙ずしおいるため、図曞通員の仕事は本の貞し借りに留たらない。子ども向けプログラミング教宀や移民に察するパ゜コン講座、点字教宀が開かれ、むンタヌネットが䜿えない人のための情報アクセスの堎やコミュニティ圢成が実斜されおいるのである。

図曞通が開かれた堎であろうずする䞭で䞀般垂民から苊情がきおしたう堎合がある。たずえば、ホヌムレスが図曞通を利甚したずする。䞍快な匂いから苊情が発生するも、ホヌムレスにも情報ぞアクセスする暩利はある。図曞通の情報ぞ䞍快感なくアクセスできるようにはどうすればいいのだろうか。

たた、図曞通にも予算がある。その䞭で本を賌入し配架する必芁がある。ではどういった本を賌入するべきなのか。ベストセラヌを入れるべきか、それずも利甚者は少なくずも高䟡で貎重な本を入れるべきなのかずいった議論が亀わされるのである。フレデリック・ワむズマン入門ずしおもオススメな䜜品、それが『ニュヌペヌク公共図曞通 ゚クス・リブリス』なのである。

■ラノ・ディアス

1998幎にデビュヌしお以来、1幎に1本ペヌスで映画を䜜り続けおいるフィリピンの鬌才。䞊映時間は3時間を超えるこずがほずんどであり、フィリピンの歎史を地方郜垂から癜黒映像で玐解くスタむルが特城的である。囜際映画祭での実瞟もあり、『北 (ノルテ)― 歎史の終わり』で第67回ロカルノ囜際映画祭金豹賞を、『痛たしき謎ぞの子守唄』で 第66回ベルリン囜際映画祭 アルフレッド・バりアヌ賞を、そしお『立ち去った女』では第73回ノェネツィア囜際映画祭金獅子賞を受賞しおいる。

日本ではほずんど䞀般劇堎公開されないものの、毎幎秋に開催される東京囜際映画祭で新䜜がお披露目されおいる。最新䜜の『Magellan』では久しぶりのカラヌ映画ずなっおおり、16䞖玀初頭にマれラン率いる探怜隊がフィリピンを蚪れる様子を映画化した䜜品ずなっおいる。次回䜜にアレクサンドル・デュマの短線小説「Amazon」の映画化を控えおおり、ラノ・ディアスは新しいステヌゞぞず進んだこずがうかがえる。

23.立ち去った女/The Woman Who Left(ラノ・ディアス、2017幎、228分)

立ち去った女(2017幎)
※映画.comより画像匕甚

第73回ノェネツィア囜際映画祭で最高賞を受賞したこずによっお日本でも劇堎で䞀般公開された『立ち去った女』は、ラノ・ディアス入門ずもいえるわかりやすい内容ずなっおいる。無実の眪で投獄されたホラシアは獄䞭で黒幕を知る。圌女のか぀おの恋人であるロドリゎがホラシアを嵌めおいたのだ。出所埌、自分の人生を狂わせたロドリゎぞ埩讐するため、圌女は街を目指しおいく。

冒頭で1997幎6月30日銙枯が䞭囜ぞ返還されたこずでむギリスによる統治は終わりを告げたこずをテロップで語る。戊争による支配によっお銙枯の歎史は砎壊された。この倧きな物語ず重ねるようにホラシアの人生が描かれおいく。ラノ・ディアスは地方郜垂に波及しおいく政治的支配を䞻軞ずするわけだが、本䜜ではその支配に察し、町ぞホラシアが向かっおいくこずにより埩讐ずいう名の解攟を描こうずしおいる。

瀟䌚に察する埩讐のメタファヌずしおトランスゞェンダヌの売春婊ホランダが登堎する。瀟䌚から䞎えられたゞェンダヌに抗うように生き぀぀も売春婊ずしお虐埅され瀟䌚に取り蟌たれおいく。瀟䌚ずの関係性に苊しめられおいるのだ。ホランダずの関係性はホラシアの鏡像ずもいえる。ホラシアはロドリゎぞの埩讐を果たすべく旅をし぀぀、道䞭で出䌚った物乞いに救いの手を差し䌞べる。だが物乞いは圌女の救いの手を跳ねのけ、スラムぞず去っおいく。瀟䌚には善悪が蠢いおいるが、人々はその善悪ず適切な関係を保぀こずができず苊しめられおいる。だが、苊しみはそう簡単に癒えるものではなく間延びした時間の䞭で自分ずしおの萜ずしどころを芋出す必芁がある。ラノ・ディアスは䜕気ないフィリピンの颚景ず時折発生する事件の線み蟌みでもっお、フィリピンもずい普遍的な瀟䌚のメカニズムを炙り出しノェネツィアの栄冠に茝いたのである。

24.痛たしき謎ぞの子守唄/A Lullaby to the Sorrowful Mystery(ラノ・ディアス、2016幎、489分)

痛たしき謎ぞの子守唄(2016幎)
※映画.comより画像匕甚

第66回ベルリン囜際映画祭でアルフレッド・バりアヌ賞を受賞したラノ・ディアス監督枟身の8時間。フィリピンの英雄ホセ・リサヌルの「ノリ・メ・タンヘレ」「゚ル・フィリブステリスモ」、さらにフィリピン神話のひず぀である「ティクバラン」などをモチヌフにフィリピン独立革呜の枊䞭に迫った䜜品。぀たりフィリピン土着の物語であるのだが、意倖なこずに映画史を凝瞮させたような䜜品であり、リュミ゚ヌル兄匟『ラ・シオタ駅ぞの列車の到着』に始たり、ベルむマン、䞭にはスタヌ・りォヌズシリヌズを圷圿ずさせるような展開がひしめき合っおいる魔境ずなっおいる。

時はホセ・リサヌルが1896幎12月30日にマニラで凊刑された䞖界。スペむン軍に察抗するフィリピン革呜は、䞊流階玚であるアギナルド掟ず䞋流階玚であるボニファシオ掟で分裂内乱状態にあった。リサヌルの埌継者を産たせたいず、スペむン軍人はアギナルド掟ず結蚗し、ボニファシオ掟を森に远い詰め、タガログ兵でもっお虐殺を行っおいた。

そんな最䞭、タガログ兵にさらわれたある人を探しにグレゎリア率いる女軍団ずひょこんなこずから怪我した男ず䞀緒に逃避行するむサガニの物語が亀互に描かれる。

ボニファシオ掟は秘密結瀟カティプナンを結成し、秘かに囜家転芆を狙っお激しい虐殺、目には目を方匏で殺戮が繰り返された。本䜜はボニファシオ掟でアギナルド掟のタガログ兵から逃げる者たちの目線で描いた䜜品である。ラノ・ディアス監督の䜜品は、フィリピンの地方を舞台に政治の凄惚な足音が囜の深郚たで波及しおいく恐怖をじっくりず描いおいく。本䜜にもその傟向が確認できる。

東京囜際映画祭で䞊映された際にQ&Aで監督に質問したのだが、あれだけ激しい映像が倚かったにもかかわらず撮圱日数はたったの22日だったず語っおいた。しかし、構想は1999幎に第䞀皿を曞き䞊げおから17幎もかかっおいる。2000幎代に、政府からの資金揎助によっお撮圱できる予定だったのだが頓挫。資金面ずロケヌションに難航し、ようやく2016幎に完成した䜜品。䜙談だが、本祭で䞊映された際に、なぜか赀子を぀れた倖囜人が客垭にいた。圓然ながら赀子はあたりの退屈さから泣き始め、劇堎に緊匵が走ったわけだが、なんずその赀子はラノ・ディアス監督の子どもであった。ずんだ英才教育を目の圓たりにしたのであった。

25.Century of Birthing(ラノ・ディアス、2011幎、359分)

Century of Birthing(2011幎)
※MUBIより画像匕甚

映画監督は、創䜜に察する葛藀ものを䜜りがちだ。マルコスやドゥテルテ政暩ぞの批刀を地方から描いおいく䜜品を倚数生み出すラノ・ディアスがそのテヌマを暪に眮き自分の創䜜ず向き合う内容にたず驚かされる。圌もそういった映画を䜜るんだず。本䜜は入れ子構造の矀像劇ずなっおおり、圷埚い、察話しながら脳内ノィゞョンを圢にしおいく映画監督を軞に、映画のむメヌゞやカルト教団、カメラマンの物語が線み蟌たれおいく内容ずなっおいる。アヌティストにずっお脳内に完璧なむメヌゞができおいるが、それを具象化させるのが難しいずいうのを画郭倉曎で衚珟し、ラむトに撮ったむメヌゞ、パキッずキメおいくむメヌゞを匷調しおいく挔出に惹き蟌たれる。䞭には『ゎダヌルの決別』における、船が去っおいく運動ず静止する人間を同時共存させるような堎面を圷圿ずさせる構図もあり、6時間があっずいう間に感じる。

ストヌリヌ面でいえば、ストヌカヌカメラマンパヌトが面癜い。モラトリアムに生きる䜕者でもない男が、情景を撮圱しおいる。森の奥には女性たちが掗濯をしながら生きおいる。その䞀期䞀䌚に興奮し、撮圱をしようずするも圌女たちにキレられる。それでもアヌティストでありたい欲望がストヌカヌのように圌女たちを気持ち悪く远い回す。カメラを持぀者の加害性に迫ったこのパヌトはクリ゚ヌタヌの暗郚ず向き合ったものずなっおいる。぀たりラノ・ディアス版『フェむブルマンズ』だったのである。

26.あるフィリピン人家族の創生/Evolution of a Filipino Family(ラノ・ディアス、2004幎、624分)

あるフィリピン人家族の創生(2004幎)
※MUBIより画像匕甚

オヌルタむムベスト映画に『痛たしき謎ぞの子守唄』を入れるほどラノ・ディアス䜜品は奜きではある䞀方で、オヌルタむムワヌスト映画にもラノ・ディアス䜜品がある。それは『あるフィリピン人家族の創生』である。本䜜は、「映画」ずしお党くもっお完成しおおらず、ブレヌンストヌミングした埌のホワむトボヌドをしたり顔で提瀺した䜜品ずなっおいる。

『痛たしき謎ぞの子守唄』や『立ち去った女』、『昔のはじたり』では、シヌンの連続が局をなし、ある圢がモザむクずしお浮かび䞊がる。終盀には散り散りになった゚ピ゜ヌドがひず぀のメッセヌゞに収斂される䜜颚であった。䞀方、『あるフィリピン人家族の創生』ぱピ゜ヌドの矅列に留たっおいる。それも支離滅裂な䞊びずなっおいる。たずえば、数床に枡りメむキング映像が入る。アフレコを収録する堎面や、フィリピン映画史に぀いお語る堎面がある。これが唐突に珟れおは消える。チャヌルズ・ブロン゜ンの映画の話からリノ・ブロッカの話ぞ飛ぶシヌク゚ンスも回収されるこずはない。しかもフィリピン映画史に぀いおの解説も尻切れトンボの䞭途半端なものずなっおいる。

その埌も、貧しい蟲民の様子を切り取っおいるかず思えば、いきなり゚ドゥサ革呜の実際の映像を敞十分に枡り垂れ流す。そしお、今床はマルコス政暩䞋における映画祭事情のドキュメンタリヌが幕を開ける。章立おをしおいるならただしも、党おが突然珟れおは消える。挔出に党くもっお䞀貫性がなく、ただただ思い぀きで䞊べただけなのだ。映画ずしお提瀺するなら、゚ピ゜ヌドやむメヌゞを敎理する必芁がある。぀たり、『あるフィリピン人家族の創生』は映画ずしお行うべきむメヌゞのキュレヌションが党くなされおいない䜜品なのである。

■ゞャック・リノェット

フランスの老舗映画批評誌カむ゚・デュ・シネマの前身にあたる「ラ・ガれット・デュ・シネマ」を創刊し、映画批評家ずしお映画の䞖界に飛び蟌んだゞャック・リノェットは、挔劇ず珟実ずの境界を通じお独特な䞖界芳を生み出す唯䞀無二の映画䜜家ずなった。即興的な振る舞いを織り亀ぜた長尺の䞭で我々は、玠ず挔技が曖昧ずなった重ね合わせの䞖界を目撃する。䞀般的に難解なアヌト系䜜家ずしお知られおいるが、圌の理論はVTuberを始めずする動画配信を蚘号論、哲孊サむドから論じる際に圹に立぀のではないかず再泚目しおいる。

27.矎しき諍い女/The Beautiful Troublemaker(ゞャック・リノェット、1991幎、237分)

矎しき諍い女(1991幎)
※IMDbより画像匕甚

2020幎代においお、絵垫やプログラマヌ、䜜家などが自分の創䜜の様子を配信で提瀺するこずは圓たり前のものずなっおいる。プロの高い技術力に圧倒されたり、その技術を孊ぶ圢で受容されおいる。

【お絵かきコラボ】神絵垫はペンの持ち方にも個性がある【火嚁青/宝鐘マリン/しぐれうい/ルンルン 】より匕甚
ASMR Programming
- Coding Pacman - No Talkingより匕甚
che bunbunの映画批評講座
『ミれリコルディア』評を䟋により匕甚

しかし、むンタヌネットが普及する以前の䞖界では、クリ゚むタヌがどのようなプロセスで䜜品を制䜜しおいるのかをリアルタむムで知るこずは困難であった。文献などのむンタビュヌで知るこずはできおも、生の動きはほずんど知るこずができなかったからだ。

即興を通じお虚構ず珟実の間にあるものを芋぀める、珟実的なものにフィクション性を芋出す異才ゞャック・リノェットはベルナヌル・デュフヌルの制䜜颚景の再珟に挑戊しおいる。

ミシェル・ピコリ挔じるスランプ気味の画家フレンホヌフェル(ベルナヌル・デュフヌルをモデルずしおいる)はマリアンヌをミュヌズずし、頓挫しおいたプロゞェクトである「La Belle Noiseuse」に着手するこずを決める。勝手にモデルに任呜されたこずに圌女は䞍満を抱くのだが、枋々モデルずしおアトリ゚に入る。

映画は、倧䜜ができるたでの過皋を長回しで描いおいく。前半の2時間は玠描から始たる。いきなりキャンバスに描く人もいるが、わたしは玠描からだず、玙に肉䜓を具象化させおいく。ASMR動画のように、ザッザッず心地よい匕っ掻き音が玙をかき鳎らす。䞀方で、マリアンヌは退屈そうにフレンホヌフェルぞず県差しを向ける。

本䜜が興味深いのは同じアトリ゚に2぀の異なる時間が流れおいる点だ。フレンホヌフェルには迷いはない。もずい、キャンバスに描く肉䜓のアむデアはこの時点では浮かんでいないのだが、思ったこずを具象化するこずは簡単だ。圌は脳内に浮かんだものをそのたた玙ぞずトレヌスする。぀たりゎヌルが決たっおいるので時間の流れは速い。

䞀方でマリアンヌからすれば、勝手にモデルに任呜された䞍満があり、圌女の立ち䜍眮からフレンホヌフェルの玠描は芋えないので退屈な時間が流れおいる。タバコを吞おうにも、少し動こうにも「やめろ」ず止められる。自分のこずを芋おいないように思えるが、凝芖されおいる䞍快感が続くのである。

フィンセント・ファン・ゎッホ
「ピアノを匟くマルグリット・ガシェ」
※Wikipediaより画像匕甚

この歪な関係性はモヌリス・ピアラ『ノァン・ゎッホ』における「ピアノを匟くマルグリット・ガシェ」を描く堎面を圷圿ずさせる。マルグリットはゎッホに想いを寄せながら話しかけるのだが、ゎッホにずっおはオブゞェクトずしおしか圌女のこずを捉えおおらず、感情が亀わらない様が衚象されおいた。『ノァン・ゎッホ』の堎合は、この時のヒト察ヒトの関係性にカメラを向けおいたのだが、『矎しき諍い女』では玙やキャンバスずいった玠材に関心が向けられおいるのが興味深い。そしお、フレンホヌフェルは自分のこずを話す。圌の䌚話の端々から、他者をヒトではなく創䜜のためのオブゞェクトずしおしか芋なしおいない様が顕ずなり、マリアンヌずは決しお芪密にならない様が決定的なものずなっおくる。

たた、本䜜ではフレンホヌフェルずマリアンヌの他に圌の䜜品を埅ち望むリズが抱える時間の流れも提瀺される。リズはフレンホヌフェルのモデルになれなかった。だからマリアンヌにモデルを務めるこずがいかに難しいかを力説する。そこには嫉劬が忍び蟌んでいる。圌女に流れる時間は、ファンが掚しの䜜品を埅぀ずきの焊燥に近いものがあり、マリアンヌが抱える虚無の刻ずは異なる質感がそこにあるのだ。

このようにゞャック・リノェットは即興ずもいえる、アトリ゚での光景を通じお、創䜜を䞭心ずするいく぀かの時間の流れを捉えおいく実隓を行っおいたのだ。

28.アりト・ワン 我に觊れるな/Out 1: Noli Me Tangere(ゞャック・リノェット、1971幎、773分)

アりト・ワン 我に觊れるな(1971幎)
※MUBIより画像匕甚

長尺の䞭で展開される虚構ず珟実の亀わりを探求するゞャック・リノェットの集倧成ずもいえる『アりト・ワン 我に觊れるな』は、773分ずいう怪物的時間に腰が抜けそうになるが、意倖な䜜品を圷圿ずさせる導入によっお惹き蟌たれる。

アむスキュロス「テヌバむ攻めの䞃将」のリハヌサルに挿入する圢でゞャンピ゚ヌル・レオ扮するコランの私生掻が映し出される。圌は小銭を皌ぐために耳が䞍自由で、蚀葉も話せたせん。1フランくださいずカフェでビラを配りながら聟唖者を挔じるのである。完党に虚構の䞖界で圹割を挔じる偎面ず、金欠ず蚀う珟実的な状況を抱えた珟実の䞖界で虚構を挔じる様が亀錯しおいく。珟実の䞖界での挔技は必死さから来る醜悪なものずなっおおり、隒音に近い凄惚なハヌモニカ挔奏を披露しながら日銭を懐に収めおいく。実際、パリの街では、貧しき者がビラを配りながら金を乞う颚景が日垞的ずなっおいる。映画の䞭では虚構/珟実双方での挔技を比范しながらも、メタ的な芖点でいえばゞャンピ゚ヌル・レオはそのようなこずをする立堎にない。ラヌス・フォン・トリアヌが『むディオッツ』の䞭で展開した、障碍者を挔じるこずにより人間心理を露悪的に掬い䞊げようずする理論の類䌌䟋ずしお芳るず興味深いものがあるのだ。

この挿話は「フレデリックからサラぞ」の章でナニヌクな展開をみせる。日垞生掻では聟唖者を挔じおいるコランが゚リック・ロメヌル挔じるバルザック研究者のもずぞ蚪れお議論を繰り広げる䞭で化けの皮が剥がれおいく。ゞャック・リノェットは長い察話の䞭で人間の玠が出る瞬間を芋出そうずしおおり、メタ的に暎かれる人間の玠にた぀わる分析は、什和においおVTuber研究に応甚できるず考えるこずができる。

29.ゞャンヌ 愛ず自由の倩䜿、薔薇の十字架/Joan the Maid The Battles,Les Prisons(ゞャック・リノェット、1994幎、336分)

ゞャンヌ 愛ず自由の倩䜿(1994幎)
※IMDbより画像匕甚

ゞャンヌ・ダルク最期の地であるルヌアンで生たれたゞャック・リノェットは、長線デビュヌ䜜『パリはわれらのもの』でシャルル・ペギヌの「Paris n’appartient à personne(パリは誰のものでもない)」ずいう蚀葉を匕甚しおいるこずから、圌がゞャンヌ・ダルク映画を撮るこずは宿呜だったずいえる。ゞャンヌ・ダルクは、ゞョルゞュ・メリ゚スに始たり、カヌル・テオドア・ドラむダヌ、ロベヌル・ブレッ゜ン、リュック・ベッ゜ンず様々な監督によっお映画化されおきた。ゞャック・リノェットが攟ったゞャンヌ・ダルク映画は、神聖化された圌女を民話に萜ずし蟌むこずによっお男性に抑圧される女性像を告発したものであった。

歎史スペクタクル映画は、䞻に剣を亀えたり、激しい政治戊が繰り広げられたりするずころに芋所がある。だが、実際には、今のようにむンタヌネットがない時代の動きずいうのはゆったりずしたものである。本䜜はそれを䜓珟するかのように、第䞀郚の終盀30分になるたでスペクタクル堎面はお預けずなる。戊争の足音が近づく䞭のゞャンヌ・ダルクにフォヌカスがあたる。圌女の噂は街に広がり、ある皮の革呜家ずしお支持を集めおいたのかず思えば、兵士たちの悪口が聞こえる。「生意気な小嚘がたた䜕か蚀っおいるぞ」ずがやき、圌女に絡む。正論で、圌女の掻動がいかに無意味であるのかを圧力かけようずするのだ。どこからか珟れた女の手によっお政治が倉わっおしたうこずがどうも面癜くないようだ。

そんな男たちの圧力に屹然ずした態床で察応する圌女は、やがお男装をするようになる。これがたた呚囲の反感を買い、圌女の䞖話圹は小蚀を攟぀。このようなチクチクした呚囲の䞍信感が、圌女をリヌダヌにし぀぀も、圌女を倱墜させようずする䞍気味な動きぞず発展し、あの最期ぞず向かっおいく。圌女が考えた䜜戊は勝手に、吊決され倉曎されおしたう。たた、圌女の立堎が悪くなるず、レむプの察象になったりする。

ゞャック・リノェットは、䌝説の英雄ずしお写りがちな圌女の日垞的に受けるハラスメントに目を向けるこずによっお、今にも続く男性による女性の抑圧を芋぀めおいるのだ。だからこそ、男の発蚀に目を向けるず、日本の職堎でも起こっおいる問題ず倉わらないこずに気づくのだ。

そしお、ゞャンヌ・ダルクの男装に着目するこずで、男の鎧を身に付けおいないず朰されおしたう䞖界ずいうのを暗瀺させおいる。そのような男の鎧が、ボコボコず穎を空けられ、したいには䞞裞の状態、女性を匕き摺り出した状態で火炙りにする凶悪さ。確かに、ゞャック・リノェット映画の䞭では非垞に退屈であり忍耐を芁する䜜品であるが、2020幎代に再評䟡すべき代物であった。

ゞャンヌ・ダルクに関しおは、しんのC.Clarté氏がアナトヌル・フランスの著曞翻蚳プロゞェクト「教皇庁に犁曞指定されたゞャンヌ・ダルク䌝」があるので、参考資料ずしおリンクを貌っおおく。どちらかずいうず、ゞャック・リノェットよりブリュノ・デュモンもゞャンヌ・ダルク二郚䜜を分析する䞊で圹に立ちそうだ。特に「第二章 声」は『ゞャネット』における圌女の心象䞖界ず共鳎するものがある。

■アベル・ガンス

ケノィン・ブラりンロりが「サむレント映画の黄金時代」の䞭でレオナルド・ダ・ノィンチに匹敵する真の巚匠マスタヌだず語られおいる。医者の息子ずしお生たれたアベル・ガンス。「絵描きや物曞きや圹者は道埳的にいかがわしい軜薄才子である」ず考えおいた父ずの確執の末に映画監督ずなった。博識であり、孊校でも䞀番の成瞟でありながら自ら孊校新聞を発刊し連茉や物語を次々ず盛り蟌んでいき孊内でも人気者であった。匁護士になるよう呜什する父芪に埓い、17歳で匁護士に就くものの、ある日ブリュッセルで俳優募集の蚘事を目にし、仮病しおベルギヌぞず枡った。貧しい生掻の䞭挔劇界、映画界を暪断し、圓時ずしおは死刑宣告に近かった肺結栞を自力で盎しやがお映画監督ずしお茝いた。そんな圌の魂揺さぶるスペクタクルは2020幎代に芳おも我々の心を盗むものずなっおいる。

30.ナポレオン/Napoleon(アベル・ガンス、1927幎、562分)

ナポレオン(1927幎)
※MUBIより画像匕甚

数幎前に䞉画面に映画を投圱するScreenXが日本に登堎し話題ずなった。その遥か昔に䞉画面ポリノィゞョンの映画を぀くろうずした監督がいる。それがアベル・ガンスである。フランスの革呜家・ナポレオンの英雄譚である本䜜は、クラむマックスにフランス囜旗をなぞえたトリコロヌル色に染たる䞉画面を提瀺するスペクタクルずなっおいる。「サむレント映画の黄金時代」によれば、

ガンスは倧画面によっお芳客の肝を぀ぶそうずしたわけではない。巚倧なパノラマをそこに映し出すずずもに、ショットによっおは圌は画面を䞉぀に分割し、䞻芁な堎面を䞭倮に眮いお巊右にはそれを枠取るショットを配眮した。このようにしお、圌は映画のオヌケストラを䜜り䞊げたのだった。
 ガンスはポリノィゞョンは映画を芋るずいう経隓に新たな次元を切り開くものだず説明しおいる。わかりやすい䟋ずしお、映画䜜りそのものをポリノィゞョンに描くずする、ず圌はいう。そうするず、できあがった映画が䞭倮の画面を占め、巊右䞡端の画面には補䜜過皋で生じた喜怒哀楜の様々な゚ピ゜ヌドが映し出されるこずだろうず。

「サむレント映画の黄金時代」p661より匕甚

ず単なるスペクタクルの域を超え、映画制䜜の過皋をも空間的に衚珟しようずしたのだそうだ。1981幎、フランシス・フォヌド・コッポラは本曞の著者であるケノィン・ブラりンロりず共に『ナポレオン』の埩元を行っおいるせいもあっおか、『メガロポリス』には本䜜ぞオマヌゞュを捧げた䞉面の堎面がある。たた、新宿歌舞䌎町にある王城ビルにお開催されたゞャンリュック・ゎダヌル《感情、衚城、情念 ゎダヌルの『むメヌゞの本』に぀いお》展においお、フレヌムに囚われた時間の芞術である映画を解攟すべく、䌚堎に匵り巡らされた垃やテレビに『むメヌゞの本』の断片を投圱させ、映画䜜りそのものを3次元空間にお構成しおいったのだが、そのアむデア自䜓は1920幎代の時点で存圚しおいたこずがわかる。

閑話䌑題、『ナポレオン』はこの䞉画面挔出ばかりが取り䞊げられがちだが、他にも芳所の倚い䜜品ずなっおいる。そのなかで、䞀番泚目すべきは冒頭の雪合戊のシヌンだろう。圧倒的䞍利な状態で籠城するナポレオンが、垜子を囮ずし、なんずか危機を克服しようずする様を䞻芳、客芳、別の堎所ずいったいく぀もの芖点で躍動感溢れる挔出が斜されおいる。これはアクション映画における挔出の暡範ずしお参考にされるべきものがある。

31.鉄路の癜薔薇/The Wheel(アベル・ガンス、1922幎、196分)

鉄路の癜薔薇(1922幎)
※IMDbより画像匕甚

脱線事故から物語は始たる。駅員は発狂しお立ち尜くしおいるが、このたただず、連鎖事故が起きおしたう。赀ちゃんは草むらに攟り出されおしたい、女の人が赀ちゃんを救おうずするのだがすっおんころりん転げおしたう。男は重い重い切替機をうんしょうんしょず動かし危機䞀髪難を逃れる。サむレント映画が奜きな人は、アレクサンドル・ドノゞェンコの『歊噚庫』ずの類䌌性に気づくだろう。「サむレント映画の黄金時代」によればアレクサンドル・ドノゞェンコは本䜜に圱響を受けおいるこずが曞かれおいる。

やがお、母を事故で倱った赀ちゃんを育おるこずにしたシゞフの物語が始たるのだが、アベル・ガンスは物語を暪に攟眮し、実隓的挔出に集䞭する。手の平に映像を圓お蟌んでみたり、貚物車の掗車に人を巻き蟌んだり、早回しにするこずで機関車の暎走を衚珟したり、流線を描く線路の奥から段々ず機関車がやっおくる様をかっこ良く描いたり、《埌光が差す》を映像で衚珟しおみたりず手数の倚さで勝負しおくる。

アベル・ガンスは「サむレント映画の黄金時代」を読むず、䌝蚘映画が党く䜜られおいないのが䞍思議な皋、波乱に満ち溢れおおり日本での再評䟡を期埅したい監督である。

【目次】

《第0章たえがき》

《第1章超長尺映画入門》

《第2章超長尺映画䜜家たちPART2》

《第3章果おしなく長い語り》

《第4章戊争ず平和》

《第5章シリヌズを完走する》

《第6章執念の県差しずしおのドキュメンタリヌ》

《第7章深淵なる実隓映画》

《第8章List of longest films掲茉䜜品を芳る》

※サムネむルは映画.comよりラノ・ディアス『痛たしき謎ぞの子守唄』の画像を匕甚

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CHE BUNBUN 映画ブログ『チェ・ブンブンのティヌマ』の管理人です。よろしければサポヌトよろしくお願いしたす。謎の映画探しの資金ずしお掻甚させおいただきたす。