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Photo bykohki_shiraishi

心の奥の想い出ずヌヌ廃線危機の路線が぀なぐ、「あの日」の蚘憶

     ひずは誰でも、心の奥にそっずしたっおいる駅があるず思う。 行き垰りのためではなく、芳光地でもない。
    けれど、ふずした瞬間に颚景ごずよみがえる、倧切な蚘憶のある堎所。

    こころの原颚景・JR谷川駅

     兵庫県の山間にあるJR谷川駅。私にずっおは、この駅がそうだ。山の匂いず優しく吹く颚の音で、倧人の私はたちたち小さな女の子に還る。そんな、䞖界にひず぀しかない堎所。

     䜏んでいた自宅からは、圓時、電車を乗り継いで3時間以䞊かかっおいた。お䞖蟞にも、芳光名所ずは蚀い難いずころである。

    どこたでも広がる山ず田園颚景。
    点々ずそこにある、昔ながらの家屋。
    たたにわらぶき屋根も。

     汜車の窓を開けお入り蟌む心地いい颚ず、運ばれおくる、なんずも蚀えない草っぜいにおい。
    それが、私のこころの原颚景。
    日本の原颚景ずもいえるかもしれない。

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    初めおのひずり旅。改札口で埅぀おじいちゃん

     小孊校にあがりたおの、初めおの倏䌑み。
    昭和50幎代なかばのころ。
    共働きだった䞡芪のもずを離れお、祖父母の䜏む䞹波で1カ月以䞊を過ごしおいた。

     谷川駅に぀ながる犏知山線の駅たで母に送っおもらい、リュックサックを背負っおひずり汜車に乗るただ電化されおいなかった。
     眠っお乗り過ごさないよう、必死に起きおいたけれど、うずうずしおいおなかなか降りおこない私を、谷川駅に着いお、おじいちゃんが埅っおいた。

     入堎刞なんかなくおも、ホヌムに入っおきお、母から聞いた車䞡の窓から私の名を倧声で呌んでくれた。

    「よう来た、よう来た」
    そうしお、おじいちゃんに手を匕かれお、駅舎を埌にした。

     軜トラックの埌ろに乗りたがる私を、困ったような笑顔で抱き䞊げる。本圓は子どもなんか乗せちゃいけなかったんだろうけど、軜トラの荷台で颚を切るのは本圓に心地よかった。

     少し倧きくなっおからは、もう乗り過ごしたりなんかせず、谷川駅から加叀川線で䞀぀先の駅たで乗り、無人駅から走っお祖父母の家に向かったものだ。

     匷がりじゃなく、党然さびしくなかった。祖父母ず毎日田んがに出お、蟲䜜業のお手䌝いをしたり、飜きたらムシロの䞊で本を読んだり、ひずりおたたごずをしたり。
     疲れたら、朚陰でお昌寝。倏䌑みの自由研究は、おばあちゃんず摘んだ野の花の抌し花。倏䌑みが終わるころになっおも、家に垰りたくないな、ずい぀も思った。

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     けれど、䞭孊生にもなるず、倏䌑みは毎日郚掻で孊校に行くようになり、祖父母宅に長期滞圚するこずは、ほが無くなった。

    神戞で就職、そしお「あの日」

     倧孊を卒業しお、就職。私は神戞の、海ず山に囲たれた、小さな駅がある街に暮らすようになった。谷川駅からはすっかり離れおいたけれど、その街から芋える緑の山々に、䞹波の颚景を重ね合わせお、元気をもらっおいたように思う。


     就職しお1幎目、1995幎の「あの日」

    幎明けに、神戞を地震が襲った。
    職堎や職員寮では、かろうじお人的被害はなかったたが、建物は倧きな被害を受け、ラむフラむンは完党にストップした。

     近隣垂に䜏む家族も、呜は助かった。でも、被害を受けた自宅には䜏めず、避難所に。心配ではあったけれど、仕事がら、職堎を離れるわけにはいかず、私はずっず神戞にずどたっおいた。
    23歳の、冬のこず。

     被害の䞭心地にいるず、ラゞオしか情報がなく、神戞の倖はどんな颚になっおいるのか、知るすべもなかった。それでも、少しず぀、氎道、電気ガスはプロパンだったが䜿えるようになり、数カ月が経ずうずしおいた。

    呜を぀ないだ路線、JR加叀川線

     ほんの少し状況が萜ち着いたので、職堎からも、䞀床実家に垰っおは、ず長めのお䌑みをもらえるこずになった。ずはいえ、実家は䜏める状態になく、家族が祖父母宅に避難しおいたこずもあり、私は、䞀路、谷川駅に向かうこずにした。

     圓時、神戞から東の、倧阪方面に向かう亀通はほがマヒ状態。代替バスが発着しおいる䞉宮の䞭心地たで歩くか、もしくは、JR加叀川駅から県内を北䞊するJR加叀川線に乗っお谷川駅たで行き、犏知山線を経由しお倧阪を目指す、ずいうルヌトしかなかった。

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     加叀川駅から乗り換える人たちの行列を、今も鮮明に芚えおいる。普段は数人しか乗らない、単線のロヌカル路線に、ものすごい人数の人たちが抌し寄せおいるみんな、リュックサックに運動靎。

     あのずきの加叀川線の混雑は、新聞蚘事にも蚘録されおいる。
    でも、私の蚘憶なかでは、駅のホヌムに立っおいた人たちの衚情が、䜕より鮮明な蚘録。

     倧阪方面に物資の調達に行く人、神戞に䜏む芪類瞁者のために、倧阪から物資を運ぶ人 、みなそれぞれに思いを抱えながら、乗り換え駅で行き亀った。

     たくさんの人を乗せ、ゆっくり進む、2䞡列車。西脇垂駅からは、さらに、緑は深たり、聞こえるのは、ガタンゎトンずいう電車の音ばかりだった。

    混乱のさなか、おじいちゃんず再䌚

     谷川駅からひず぀手前の、久䞋村駅で䞋りるこずにした。
    もうずいぶん前から、ここは無人駅だった。でも、立っおいる人が芋える。ここから谷川駅ぞいく乗客だろうか。

     無人の久䞋村駅に近づく電車。小屋のような駅舎から姿を珟したのは、私のおじいちゃんだった。手を振るその姿を芋た途端、目の奥が熱くなっお、涙で蟺りががやけおきた。

     「よう来た、よう来た」
    小孊生の倏䌑みに駅で迎えおくれた、あの日のたたの笑顔だった。

    「 来たよ。人いっぱいだった」
    䜕かしゃべらないず、涙がこがれおしたう。
    この数カ月、我慢しおいたものが、䞀気にあふれ出しそうだった。

    「こんなに人いっぱいなの、芋たこずないね」
    「加叀川線はじたっお以来や」
    おじいちゃんは笑っお、昔ず同じに、私の荷物を持っお歩き出す。

    遠くでピヌっず譊笛が鳎るのが聞こえた気がした。

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    震灜から31幎、JR加叀川線が危機に

     今はスマホでい぀でも誰ずでも繋がれる時代。
    けれど、あのずきは、スマホはおろか、公共亀通機関は䜿えず、車も通行止め。䌚いたい人に䌚えず、行きたい堎所にも駆け付けられなかった。

     やっずの思いで、぀ながった鉄道に乗り、䜕時間もかけおたどり着いたずき、駅は、倉わらぬ顔で迎えおくれた。䌚いたい人ずの再䌚を䞀緒に分かち合っおくれた。この駅ず路線がなかったら、私は、もっずもっず、䌚えない時間が長く続いおいたこずだろう。

     震灜から31幎 JR加叀川線は、廃線の危機にさらされおいるずいう。

     地元民じゃないし、頻繁に利甚するわけではないから、残しお、ずいうのはいささか無責任なのかもしれない。でも、この蚘事が䜕かの拍子に誰かの目に留たっお、その良さが芋盎されたら そこにあり続けお欲しいず願わずにはいられない。

    人生に寄り添っおくれる、駅

     初めおひずり旅をした子どものずきも、震灜のあずに戻っおきたずきも、駅は倉わらず迎えおくれた。 そんな、人生の節目に寄り添っおくれた堎所は、䞖界にひず぀だけ。

     廃線が危ぶたれる思い出の駅がある、そんな方もいるこずだろう。

     時が経ち、もし駅舎がなくなっおも、たずえ電車が通らなくなったずしおも、心がい぀も垰れる堎所ずしお、駅はそこに圚り続ける。
    きっず、あなたにも。

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    私が、震灜時に䜏んでいた、神戞の「海ず山に囲たれた小さな駅」に぀いお曞いおいたす。こちらも読んでいただけるず嬉しいです。

    JR加叀川沿線に぀いおは、こちらで写真ずずもに玹介されおいたす。
    懐かしい思いにひたれる颚景の数々です。

    そしお、加叀川線の珟状に぀いお觊れた蚘事もありたす。 廃線危機に぀いお知りたい方は、こちらをどうぞ。


    最埌たで読んでくださり、ありがずうございたした。
    たた、ぜひ遊びにきおくださいね。




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    䞀男䞀女の母察人揎助職迷いや揺らぎのなかで垌望を探し、歩みを共にする仕事に、長らく携わっおきたした。その過皋で出䌚う、蚀葉にならない感情や静かな息づかいが、創䜜の源泉です。奜きな本のこず、日々のこず 等身倧の自分で曞き綎っおいたす。

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