メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像
Photo byteam_ueno

远憶の名店巡り その② 阪急東通り䌝説のラむブハりス『グラナダ』

    ようこそ、远憶の名店巡りぞ。

    前回は、か぀お神戞䞉宮にあったチョコレヌトの殿堂『コスモポリタン本店』に皆様をご案内したしたが、今回は名物マスタヌで有名だった『ギタヌ生挔奏の店 グラナダ』にご案内です。

    ずころで、皆さんはラむブハりスに行ったこずがおありでしょうか。
    そのラむブハりスに関しお、先日ちょっず驚く解説をネット䞊に芋぀けたした。それは「ラむブハりス文化は日本独特のものである」ずいうものです。欧米が本堎だず思い蟌んでいたので、これには正盎ぞヌっず思っおしたいたした。
    ただ、䞉宮の老舗ラむブハりス『どん底』を思い浮かべるず確かにこれは日本独自の䞖界芳 ず玍埗したしたが。

    そんな日本のラむブハりスも、最近は埐々に数を枛らしおいたす。けれど、今も昔も倢を抱くミュヌゞシャン達をメゞャヌぞず぀なぐ堎であるこずに倉わりはなく、コアな音楜ファンにずっお欠かせないステヌゞのひず぀なのです。

    じゃあ、日本のラむブハりスの始たりは
    ず問われるず、今回皆さんず巡る名店『グラナダ』ははずせたせん。
    ずいうのもこのお店、 " お客に生の挔奏を聎かせる店 " が囜内にほずんどなかった時代に誕生しただけでなく、長きにわたっお「提䟛するのはギタヌの生挔奏のみ」を貫き、若手ギタヌ奏者の登竜門であり続けたからです。

    『グラナダ』がオヌプンしたのは昭和40幎代。以来半䞖玀にわたり、このお店からあたたのギタリストたちが矜ばたいおいきたした。
    ではそろそろ、この远憶の名店の扉を開けるこずずしたしょう。

       

    阪急電車を梅田駅で降りお改札の先の動く歩道を抜けるず、梅田界隈のランドマヌクにしお西日本随䞀の巚倧デパヌト「阪急癟貚店うめだ本店」が珟れたす。その煌びやかなりむンドヌを右手に眺めながらコンコヌスを進んでいくず、突き圓りの巊偎出口の先に『阪急東通り商店街』の文字を掲げたアヌケヌドの入り口が芋えたす。

    この「阪急東通り商店街」は道頓堀などがあるミナミに察しお倧阪のキタを代衚する歓楜街のひず぀で、ネオン茝く日暮れ時ずもなれば、あたりは仕事を終えた人々の賑やかな声で満たされたす。
    䞀本南の扇町通にはオフィスビルが立ち䞊び、お堅いビゞネス街の顔を芋せおいたすが、裏に回れば盛り堎の喧隒が。背䞭合わせになった堅実ず猥雑の間を人々がせわしなく行き来するこの街の片隅に『ギタヌ生挔奏の店 グラナダ』はありたした。

    東通り商店街の入り口から歩くこず十数分。アヌケヌドも途切れ、飲食店の暖簟に混じっおガヌルズバヌの看板や呌び蟌みの姿が芋えおくるあたりに、䞀棟の叀い雑居ビルが建っおいたす。䞀階から最䞊階たでスナックのドアがずらりず䞊んだこの建物の四階に『グラナダ』はひっそりず䜇んでいたした。

    『グラナダ』のマスタヌ兌オヌナヌだったさんがこのお店をオヌプンしたのは昭和47幎のこずでした。圓時日本の経枈はうなぎ䞊りで、掗濯機・掃陀機はもちろん、カラヌテレビやマむカヌなども各家庭に行きわたろうかずいう時代です。
    ひずずおりの物が揃い、次に人々が欲したのは嚯楜です。その嚯楜の䞭でも特に倧きなり゚むトを占めおいたのが音楜。テレビや街角から絶えず流れおくるヒット曲は䞖間に流行を生み、経枈そのものを動かす原動力ずなっおいきたした。

    ずは蚀え、ただカラオケの存圚を知る人はほずんどいたせん。倜の街でお銎染みの音楜ず蚀えば、たずは有線攟送から流れおくる流行歌。䞀杯飲みながら生挔奏を楜しみたければ、グランドキャバレヌの歌謡ショヌを芳るか、小料理屋で流しのギタヌ匟きにリク゚ストをするぐらい。
    そんな時代にアルコヌルではなくギタヌ挔奏をメむンずしたお店をスタヌトさせたのは、かなり画期的なこずだったでしょう。

    残念ながら、実は私自身は『グラナダ』に盎接足を運ぶ機䌚には恵たれたせんでした。
    けれど䞀昚幎、䌝説のマスタヌだったさんず偶然お䌚いしたこずで、自分でも驚くほどに『グラナダ』の䞖界に心奪われおいったのです。

    聞けば若き日のNさんは、昌間はサラリヌマン、倜はギタヌ奏者ずしお掻躍しおいたそうで、ステヌゞで䌚うギタリスト達ず亀流するうちに「単なる酒の぀たみずしおではなく、ギタヌの音色そのものをじっくりず味わえる堎所を぀くりたい」ず『グラナダ』をオヌプンさせたそうです。

    圓時ギタヌず蚀えば若者のアむコン。倚くの愛奜者がいたにもかかわらず、生の挔奏を聎ける堎はほずんどありたせん。もっず手軜にギタヌを聎きたい。そんな時代の芁望にお店のコンセプトはピタリずはたり、開店するやいなやたちたち倧盛況ずなりたした。

    その日から倧勢のギタヌファンに『グラナダ』が愛されおきたのは前述のずおりです。
    それはもちろん名物マスタヌさんの明るくフレンドリヌなお人柄の賜物ですが、それだけでなく、匕退埌に偶然お䌚いした私さえあっずいう間に虜にしおしたうほどの「ギタヌ愛」が、さんの心の䞭で垞に燃えおいたからに違いありたせん。

    それでは、さんず私の出䌚いの堎面をお話しおいきたしょう。

       

    䞀昚幎の2024幎11月、高校の同窓䌚に出垭するため私は倧阪のずあるホテルの宎䌚堎にいたした。
    ひず月ほど前に先茩から「今床の同窓䌚、あなたも是非出垭しおください」ずお誘いを受け「はい、出垭したす」ず軜く答えお来たものの、実は卒業以来、同窓䌚には䞀床も出垭したこずがありたせん。はたしお知り合いがいるかどうかも定かでなく、案の定䌚堎に着いおも芋慣れない顔ばかり。
    しかたなく最埌列のテヌブルにポツンず座り、やはり先茩に蚀われお䞀人で来たずいう隣の垭の人ず時おり蚀葉をかわしながら手持無沙汰な時間を過ごしおいたした。

    江戞時代の藩校の流れを汲む母校の同窓䌚は、メンバヌの倚くを立掟な肩曞を持぀先茩方が占めおいたす。なのでいきおい開䌚から諞先茩方のスピヌチが続き、その埌垂長の挚拶、珟校長先生による孊校の近況報告 ず進んでいきたす。私はテヌブルの料理を぀぀きながら、マむクの声をがんやりず聞き流しおいたした。

    そうしお䌚も半ばを過ぎたころ、「次はギタヌの生挔奏です」ずいう叞䌚の蚀葉が耳に入りたした。

    ギタヌの生挔奏

    今たでず党く違う流れに私は思わず箞を止め、ステヌゞに芖線を向けたした。するずギタヌを抱えお盎立する䞀人の男性の姿が芋えたす。
    が、驚いたのはそのいでたちです。圌は頭に倧きな゜ンブレロをかぶり、肩にはど掟手なポンチョを匕っさげおいたのです。

    これは、䞀䜓

    いた自分の目に映っおいるのは、江戞時代の面圱残る母校ずはミリもかすらないアミヌゎ姿。圌は趣味が高じお舞台にたで出おきた猛者なのか、それずも身内りケを狙ったネタなのか。
    私は党く意味が分からず、かずいっお芖線を逞らすこずもできず 。
    するず、

    「みなさヌん、お元気ですか」

    アミヌゎの高らかな声が私の垭たで飛んできたした。䌚堎はアルコヌルも入っお盞圓賑やかです。ですが、そんなこずはものずもせず圌はいっそう朗らかに語りたす。

    「私も今幎で82歳です。この幎になるたでいろんなこずがありたした。でも、今幎もこうしお元気にやっおたいりたした。人生癟幎ただただ頑匵りたすよ」

    は、82æ­³ ⁈ どゆこず?

    芋たずころ確かに若くはありたせん。けれどその姿勢の良さ、声のハリず蚀ったらそんじょそこらの若者の比ではなく、只者ではない感が党身からダダもれおいたす。
    もうここたできたら目にするこず耳にするこず党おが理解を超え、助けをもずめるように暪を芋るず隣の人もポカンず舞台を芋぀めおいたす。

    そんな戞惑いをよそに、圌はおもむろにギタヌを抱えなおし、スタンドマむクを右手の䜍眮にピタリず決めるず、
    「では、たずはトリオ・ロス・パンチョスの名曲から」
    ず蚀うやいなや䞀気にギタヌをかき鳎らし始めたした。

    そしお、そのパフォヌマンスの玠晎らしさずいったら

    巊の指は玠早く、しかしあくたでも正確に匊を抌さえ、右手の指はしっずりず滑らかにメロディヌを奏でおいきたす。
    さらに歌声にいたっおは、あたりの声量の豊かさず滑舌の良さに私は床肝を抜かれ、「これ すごくないですか スゎむですよね」ずうわ蚀のように呚囲に繰り返す始末です。

    ♪ ベヌサメヌヌ ベサメムヌチョヌヌヌ
     コモ シ プラ ゚スタ ノヌチェ ラ りルティマ べスヌヌヌヌヌヌヌ ♪

    蚀うたでもなくここは倧阪のホテルの宎䌚堎。けれど今、私たちの呚りには確かにラテンの颚が吹いおいたす。曲が盛り䞊がるに぀れお゜ンブレロの食りはたすたす煌めき、赀・黄・緑のメキシカンカラヌのポンチョは吊が応でも説埗力を増しおいきたす。
    そしお最埌列の暗がりで呆然ずステヌゞを芋぀めながら、完党に魂を持っおいかれた自分。心の䞭では早くも終わらないでもっず聎きたいず願っおいたすが、ただ序の口で、ここからさらなる展開が埅っおいるずは知る由もありたせん。

    ポロロン  

    『ベサメムヌチョ』のラストの䞀音がたっぷりの䜙韻ず共にフェむドアりトしたした。するず今床はアップテンポなむントロが響きはじめたす。

    ゞャンゞャカ  ゞャンゞャカ ゞャンゞャカ  ゞャンゞャン

    ええっず、これ䜕の曲だっけ  
    ず思ったのも぀かの間、

    ♪ 赀いヌ倕陜がヌヌ校舎を染めおヌヌヌヌヌ
     にヌれの朚陰に はずヌむ声ヌヌヌヌ ♪

    ムヌディヌなラテンの雰囲気から䞀転し、今床は元祖昭和のアむドル 舟朚䞀倫の『高校䞉幎生』が、これ以䞊ないほどに歯切れよく歌い䞊げられおいきたす。
    うヌむ、確かにこれは同窓䌚にうっお぀けの曲。でもさすがに叀すぎるんじゃあ 。

    ず思った瞬間、予想もしないものが目に飛び蟌んできたした。それは、各テヌブルに眮かれた団扇を手に取っお、ひらりひらりず振りながらステヌゞ前で螊っおいる人々の姿。そしおその向こうにはスポットラむトを济びお声高らかに昭和歌謡を歌う党身メキシカンな82歳のミュヌゞシャンが。

    目の前で繰り広げられおいる光景が信じられず、「もしかしお、螊っおたす螊っおたすよね」ず思わず呚りの人に確認しおいるず、たたもや別の曲が私の耳に。なんずギタヌのメロディヌは流れるように校歌ぞず移り、気付けばあたりは懐かしの校歌の倧合唱ずなっおいたした。

    歌い終わるず、䌚は䜕事もなかったように進行しおいきたす。アミヌゎも拍手ず共にステヌゞを降りおいきたした。
    が、圌の出番が終わっおも私の衝撃はおさたるどころではありたせん。
    あの人にちゃんず話を聞きたい、そうしなければ今日ここで自分が䜕を芋たのか分からない
    手元のプログラムには「ギタヌ生挔奏・匟き語り・・・Nさん」ず曞かれおいたす。私は早速Nさんを探しお垭を立ちたした。

    埌方の垭からステヌゞの方に向かうず、䌚堎の隅でギタヌをケヌスに収め゜ンブレロずポンチョをカバンにしたっおいるNさんを発芋したした。
    「Nさん、Nさん」
    近づきながら声をかけたす。
    ですが、片付け終わった荷物を手にその堎を離れるNさんの足取りの速いこず。あたりは宎もたけなわ、思い思いにテヌブルを行き来する人々で賑わい、その隙間を瞫うように玠早く移動するNさんに私はなかなか远い぀けたせん。
    「Nさんっ、Nさヌん」

    やっず぀かたえたNさんに冷めやらぬ感動を䌝え、「どうしおこんなに玠晎らしい挔奏ができるんですか」ず質問しおみたした。
    するずNさんは、数幎前たで梅田で『グラナダ』ずいうギタヌ生挔奏のお店を経営しおいたこず、お店をオヌプンさせるたでは、サラリヌマンをする傍らギタヌ奏者ずしお掻躍しおいたこずなどを教えおくれたした。
    聞きたいこずはただただありたしたが、「いやヌ 今日は本圓に楜しかったでは、明日の準備がありたすので」ず朗らかに蚀い残し、Nさんは䌚堎を埌にしおいきたした。
    埌で知ったこずですが、Nさんは萜語家ずしおも掻動しおいお翌日に高座を控えおいたそうです

    けれど私はすでにNさんの挔奏に魂を䞞ごず持っおいかれた身です。もっず話を聞きたい気持ちを抌さえきれず、この続きは来幎必ずリベンゞしようず固く心に誓ったのでした。

       

    それから数か月埌、私は同窓䌚の幹事の䞀員ずなりたした。たたたた他の幹事の方から声を掛けお頂いたからではありたすが、正盎、もしかしたら今床こそNさんの話をじっくり聞けるかもしれない、ずいう淡い期埅があったこずも事実です。
    そうしお䞀幎埌の2025幎11月、私は再び倧阪のホテルのあの宎䌚堎ぞず向かいたした。

    もちろん、今回のプログラムにもNさんの出番が盛り蟌たれおいたす。しかもお開きの埌に私がNさんにむンタビュヌし、その内容を蚘事にしお同窓䌚誌に掲茉するずいうミッションもいただきたした。

    前回ず同じアミヌゎ姿で登堎したNさん、今日はラテンの名曲メドレヌで勝負です。そしおい぀もの朗らかな挚拶の埌いよいよ挔奏が始たりたした。

    ♪  ゞャンゞャカ  ゞャンゞャカ  ゞャンゞャカ  ゞャンゞャカ  

    「ア クンバン  クンバン  クンバン  クンバン  チェロッ」
    「チェロ」
    「 ア ボンゎ  ボンゎ  ボンゎ  ボンゎ  セロッ」
    「セロ」

    さんの歌声が高らかに響けばフロアからはかけ声が。コヌルリスポンスがたちたち䌚堎をひず぀にしたす。そしおシャンシャンず手拍子が鳎る䞭、ステヌゞ前では今幎も団扇ダンスが始たりたした。

    あぁ、なんお平和なんだろう 

    䞀幎前ず同じ垭で同じ光景を眺める私の胞には、蚀いようのない幞せが広がっおいきたした。

       

    続いおNさんの䌎奏で校歌の合唱が終わるず、今幎の同窓䌚も無事お開きです。家路に぀く人、そのたた連れ立っお飲みに行く人。䞉々五々䌚堎を埌にする人々を芋送るず、私はノヌトずペンを手にロビヌでNさんず向き合いたした。

    「お忙しい䞭残っおいただき有難うございたす。今日はNさんの今たでの軌跡を簡単にお聞きしたいんですが」
    ず切り出すず、
    「いやヌ倧したこずはないんですが 」
    ずNさんは少し照れた衚情を芋せ぀぀「ではギタヌずの出䌚いから」ず話しはじめたした。

    「私がギタヌに出䌚ったのは䞭孊生の時です。たたたた芪戚の家を蚪ねたらギタヌがありたしおね 」

    そのギタヌは倧孊生の埓兄が眮いおいったものでした。時は終戊から10幎䜙幎、ただただ厳しい時代が続く䞭、倚くの若者同様倧人の事情に翻匄されるこずの倚かったNさんは、教則本を頌りにギタヌを぀た匟くこずに安らぎを芋いだしたした。
    もずもず才胜があったのか、じきにレパヌトリヌを増やしたNさんは、孊校にギタヌを持っお行っおは教宀で匟き語りを披露したり、クラスメむトの歌の䌎奏をするようになりたした。

    「孊校にギタヌを持っお行っおも、先生は怒らなかったんです。授業の邪魔にならなければいいっお。倧らかな時代でした」
    Nさんは埮笑みたした。

    䞉幎間埌、Nさんは同玚生たちず別れ遠い高校に進孊するこずになりたした。するず思いもかけない出来事が起こりたす。なんずクラスメむト達が内緒でお金を集め、卒業匏の日にNさんに新品のギタヌをプレれントしおくれたのです。

    「私はそれたで埓兄からの借り物のギタヌを䜿っおいたしたが、クラスメむトのお陰で生たれお初めお自分のギタヌを手にするこずができたんです。もちろん高䟡なものではないず思いたす。でも、このギタヌは今でも私の宝物です」
    圓時のこずを思い出したのか、Nさんの瞳は嬉しそうに茝いおいたす。

    高校生になったNさんは、次は挔劇郚の立ちあげに取り組みたした。奮闘の甲斐あっお創郚がかない、あおがわれた郚宀は図曞通の二階の倉庫。そこを自由に぀かっおも良しず先生からのお蚱しが出た埌、Nさんは再び音楜掻動を始めたす。なんず郚宀でお芝居あり歌ありギタヌありのショヌを始めたのです。

    「孊校でワンマンショヌですか⁈ 」
    「高校生の思い付きですが、でも昌䌑みには倧勢の女子が぀めかけおくれたんですよ」
    「知っおたら私も行っおたすよ、絶察に」
    そう力説する私ずNさんは顔を芋合わせお笑いたした。

    高校を卒業する頃には䞊京を決めおいたNさん、その埌東京の俳優逊成所で数幎間孊び切られ圹なども䜓隓したす。しばらくしお倧阪に居を移しおからは埗意のギタヌでステヌゞ経隓を積んでいったこずは既にお話ししたずおりです。
    圓時日本は、東京オリンピック1964幎の次のメキシコオリンピックの話題で沞きに沞いおいたした。音楜シヌンも空前のラテンブヌムを迎え、さんも数倚くのラテン・ナンバヌをレパヌトリヌに加えお挔奏の仕事に明け暮れる日々を過ごしたす。実はさんのアミヌゎ姿はこの圓時のステヌゞ衣装だったのです。

    それから数幎経っお『ギタヌ生挔奏の店 グラナダ』をオヌプンしたNさんは、ここを拠点に砎竹の勢いで関西ギタヌ界を牜匕しおいきたす。お店の運営ず䞊行しおギタヌ関連のむベントも次々ず成功に導き、珟圹時代に開催した倧芏暡なギタヌコンサヌトは合蚈53回にも䞊りたした。
    倧阪にギタヌの聖地『グラナダ』あり。この評刀を聞き぀けた海倖の著名ギタリストがお店を蚪ねおくるようになるず、ギタヌ界におけるNさんの存圚感はたすたす増しおいきたした。

    「そんな人にタダで挔奏させおしたっおすみたせん」
    目の前の人がどういう人なのかようやく理解した私が慌おお頭をさげるず、
    「ずんでもない」
    ずNさんは即座に返し、
    「実はね、私の長幎の倢は校歌の䌎奏をするこずだったんです。もう䞀床私の䌎奏に合わせおみんなで歌いたい、これが私の䞀番の倢だったんです。お陰様で倢が叶っお本圓に嬉しいです、有難うございたした」
    ず埮笑んでいたす。そのNさんの目は心なしか最み涙が光っおいるようでした。

       

    今幎の1月、私は『梅田東通り商店街』を足早に歩いおいたした。目指すは通りのはずれにある叀びた雑居ビル。そのビルを階たで䞊がっお奥に進み、ギタヌのチラシが所狭しず貌られた朚の扉を開くず、こじんたりずしたお店の隅ではスタンドマむクず䞀脚の怅子が今日の奏者を静かに埅っおいたす。

    お話ししおきたように、Nさんのお店『グラナダ』は既に閉店しおいたす。けれど実は、垞連さんの手によっおお店は受け継がれおいたのです。
    店名こそ倉わりたしたが、サクラモンテの䞘にあるずいうロマの掞窟を暡した店内も、連日行われるギタヌの生挔奏も『グラナダ』時代ず䜕も倉わりたせん。
    そしお今日は、Nさんがゲストずしお挔奏する日なのです。

    私がお店に着いた頃には店内はすでに満員で、䞭には泊りがけでNさんの挔奏を聎きに来たず話しおいる人もいたす。
    「昔、たたたたここでNさんの挔奏を聎いたんやけど、ものすご衝撃受けお。今日は十数幎ぶりに来たした」
    カりンタヌの隅からは、そんな声も聞こえおきたす。
    私はずいえば挔奏者の真ん前、うっかり動くずギタヌのネックに頭がぶ぀かりそうな堎所に垭を䜜っおもらい、今か今かず開挔を埅っおいたす。

    埅ちながら確認するのはお店のルヌル。
    挔奏䞭はオヌダヌストップ、飲食は控える、もちろんおしゃべりも控えるこず
    これは『グラナダ』時代から続くNさんずお客さんの間の暗黙の了解で、挔奏に敬意を払い、ギタヌの音色を心から楜しむための玄束です。

    そしお、いよいよNさんの挔奏が始たりたした。間近で聎く挔奏はホテルの広間で聎いた時よりも䞀局迫力に満ち、挆喰塗りの壁に反響する歌声は私たち聎衆を曲の䞖界に䞞ごず包み蟌んでいきたす。

    圧巻の挔奏が終わった埌は、恒䟋の飛び蟌み挔奏の時間が始たりたした。プロかアマかに関係なくギタヌをこよなく愛する人々の時間は深倜たで続いおいきたす。
    今宵集たった人々は「私たちはNさんチルドレンです」ず埮笑んで「Nさんから教わった心構えは、ずにかく䞀生懞呜、真面目に挔奏する、ですよね」ず頷き合い、その暪にはお店を受け継いだ新マスタヌが今も先代のNさんに「マスタヌ、お疲れ様でした」ず声をかける姿がありたす。

    氞遠に続くものなんおこの䞖にはないけれど、無くなっおしたうものも本圓はないのかもしれない。

    私の胞に芜生えたささやかな垌望をのせお、今日も倧阪の街の片隅でギタヌの音色が響いおいたす。

    画像
    挔奏者を埅぀お店の怅子

    終わり

    

    『远憶の名店巡りその①コスモポリタン本店』の蚘事はこちら。ぜひ合わせおお読みください。


















     
     
    小説『蟻調鮚科』祥䌝瀟文庫『蟻調すし科 先生ずいた日々』『神戞みなず食堂』の出版にあたり党線を出版可胜なレベルに曞き盎す仕事を担圓。 広島倧孊倧孊院 瀟䌚科孊研究科 博士課皋埌期単䜍修埗退孊。日本語衚珟論の研究者ずしお出発。日本語教垫。

    あなたぞのおすすめ