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Photo byokadodo

子どもが不登校になって家で過ごすことがグラデーションのように続いているけれど、子どもが成長したな、と気付く瞬間がある。

    太田みのる🐳作家

    話せる場所がある。
    共感できる場所がある。
    笑ったり泣いたりできる場所がある。

    そういう居場所があることで、日々を穏やかに過ごせるんじゃないかな、と思う。

    今日は、不登校を語る親カフェポレポレ7月のお話会。

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    「受け入れる」「見守る」ことの難しさ。


    当事者だとしても、子どもが不登校になって1か月の親と、1年や2年と時間が経った親と、その辛さが異なる。

    それでも、不登校の親同士、当事者同士で語るから、気付くこともある。

    子どもの将来が不安になるけれど、「子供の将来」という親の価値観を、僕が子どもに受け入れるよう強いていたのかもしれない。

    と、今日のお話会で、
    お母さんたちと話しながら、気付いた。


    上の子が不登校になって、およそ2年くらい中学校に行かず、高校は通信制でずっと家にいる。家で過ごすことがグラデーションのように続いているけれど、背も高くなってきたし、ひげも生えてきた。

    成長したな、と気付いた瞬間 ───

    変化していないようにみえて、変化していたのは、親としての心持ちだ。

    「子どもの将来」を不安に思うのは、子どものことじゃなくて、自分の心配を重ねているだけ。

    まだ起こっていない将来を、漠然と不安だ、って思い込んでいただけじゃないか。

    それよりも、今の子どもの「そのまま」を観察してみよう。

    ─── あ、僕も成長している。

    そう感じたとき、なぜか、僕は笑ってしまった。
    いつまでも親バカでいることに、気付いてしまったからだ。

    20世紀生まれの僕らの「青春」と、21世紀生まれの子どもたちの「青春」は、きっとイロもカタチも違う。
    親たちが描いた子どもの幸せは、20世紀の青春を取り戻したい僕らの願望だったのかもしれない。

    ずっと家で過ごしているけれど、インターネットの向こうに広がる世界で、「青春」を謳歌しているんだよな。多分。

    そう、肩の力が抜けたときに、ようやく、親として子どもを見守ることができた。



    そういう日々もあったな、と今日は思い出した。

     
     
     
    教室のいちばん後ろの席からの物語を。|現役高校教師の小説家|『くじらの部屋』シリーズ/SF短編「伊藤大志は、今日も。」/新シリーズ『音の見える物語』|創作大賞2022中間選考突破|元不登校の子の親|好きなものは紙の本と餃子カレー

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