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Photo bytama3ro

じゃあ、またね (ショートショート)

    時雨

     ずっと私は子どもが欲しかった。リョウと夫婦になって数年が経つ。周りでは、二人目が… などと話していてだんだん焦るようになった。
     不順だったけれど生理は毎回来て、今度こそと思ってもそのたびに落ち込んだ。
     ある時ずっと体温が高い日が続き、もしかしてと期待する。数日してトイレへ行くと、水が真っ赤になっていた。私は肩を落としながらドアを閉めた。
     季節は移り変わり、冬が来ると体調を崩しがちになる。何もしなくても怠だるかったり、ずっと起きていられない。病院へ行っても
    「たぶん風邪でしょう」
    と言われてしまう。薬を飲んでも気持ちが悪いので、産婦人科へも行ってみた。
    「九週目です」
    と女医は告げる。
    「えっ…」
     突然の告知に、声が出なかった。
    「もうヒトの形になってますね」
     エコーの写真に、小さなダルマのような頭と体が映っている。これが自分のお腹にいるなんて… と不思議に思えた。医者は言葉を続ける。
    「それと、
    前にも一度妊娠されてます」
     思わず耳を疑った。首をかしげると
    「早い時期に流れてしまったんでしょう」
    と言われた。
    「そんな事が…」
     かなり生理が遅れた事が頭をよぎる。あれが、そうだったのかも。
     妊娠したのは嬉しいが、流産もしていたなんて衝撃だった。唇を噛み締めていると、
    「ミナ、お祝いしようよ」
    と夫が言う。そうか、待ち望んだ子どもができたんだ。だけどあまり食べられそうにない。ラーメンなら入りそうなので近くのお店へ行った。
     つわりは重く、すぐ戻してしまうので少しずつ小分けにする。水も変な味に思えて飲めない。そんな調子で電話の仕事もできないので、仕方なく退職した。妊娠半ばは切迫早産で食事と風呂、トイレ以外は安静にと言われてしまう。
     それでも何とか赤ん坊を産み落とした。生まれた瞬間に大きな声で泣き出し、私は息をつく。肩の荷が降りたような気がしたが、それからはもっと大変だった。
     絶えずお腹がすいたとミルクを欲しがり、ずっと子どもを抱えていた。片時も離れないユウに心が折れそうになるが、彼が寝るとそっと起きてひたすら本を読む。
     赤ん坊が動き始めるといろんな所へ連れ出し、ルリとマキというママ友ができた。月齢も近く、よくランチしたりする。ルリは気さくで明るく、子どもを持ててよかったとしみじみ感じていた。
     前の子を思う時間は減っていたが、ある日過去を突きつけられるような事件が起きてしまう。
     まだ風の冷たい、早春の昼すぎだった。私は窓の外の澄みきった空を、授乳しながらぼうっと眺ながめていた。
     傍かたわらのスマホが震える。表示されたメッセージに、大きく目を見開いた。それはマキからのものだった。
    「ルリさんの子どものケンくんが亡くなりました」
     え…、どういう事? 昨日もみんなでお茶をしてたのに。
     次の日、マキと一緒に家を訪ねる。
    「ああ、どうぞ」
     出てきた彼女はいつもとそう変わらない感じだった。けれど、ルリの夫や母親などみんな揃そろっているのに、彼だけがいない――
     雑談の後、ケンはSIDSで亡くなったと話し出す。
    「あの夜は寒くて。なかなか寝てくれないから布団を何枚かかけたの。
    朝になったら息をしてなくて… 救急車、呼んだんだけど…」
    と声を詰まらせる。思わず私は身を震わせた。
     もしかしたら、ユウも…
     それ以来、彼が眠ると手を伸ばして息を確かめ、うつぶせで寝ていないかも毎回確認するようになる。いつも不安が心を占め、気が休まらない。やがて心療内科へ通いはじめた。私はまた前の子の事を思い返す。
     もし生まれていたらどんな子だったかな。男だったのか、それとも女…? 甥っ子のヨウみたいに優しかったのかな…
     ルリはしばらくして、ひっそりと引っ越していった。何駅か離れた町で家を建てるらしい。
     記憶が薄れはじめた頃、
    『遊びに来てね』とハガキが届く。
     あれから、もう何年か経っていた。久しぶりに会った彼女には、もう一人子どもが生まれていた。
    「顔つきがケンと少し違うし、穏おだやかなのよ」
     前のような明るい表情で話す。和室にはケンの仏壇と笑顔の写真が飾られていた。
     でも、と思う。ルリさんにはケンくんの思い出や抱っこした記憶がある。私にはあの子の思い出がほとんどない。誰にも知られず、母親にさえ気づかれなかった子。名前もなく、抱きしめる事も手にふれる事も…
     あの子は確かにいたはずなのに。
     トイレで気落ちした事を思い返す。あの時、分かっていれば。赤く染まった水を取っておけば… でも、そんなのは現実的じゃない。
     いつかは処分しなくてはいけない。私は二度もあの子を捨てる事になる――
     両手を広げてじっと見る。結局、私には何も残されていなかった。
     いつか、消えていくんだろうか。私も、そしてユウも…
    「ママー、見て」
     顔を上げると、彼は低いブロック塀の上を歩いていた。
     無理に口元を上げて笑みを作る。
    「気をつけてね」
     渡り終えるとぴょんと飛び降りて、ユウはニコッと笑った。

                    了(1970字)


     花澤薫様の募集に応募させていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
    #第二回すべて失われる者たち文芸賞

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    時雨

     
     
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