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アナログ派の楽しみ/スペシャル◎深沢七郎の「最後の言葉」(その2)

    堀間善憲

    わたしが出版社で仕事をしていたころ、心に刻まれたエピソードをお伝えしたいと思います。もちろん、記憶にあるとおりに書くつもりですが、文章責任はすべて当方が負うものとご承知ください。また、敬称略とさせていただきます。

    深沢七郎が世を去る直前に、偶然にもわたしはインタヴュー取材をしました。その内容をほぼ忠実に再現して、『中央公論』1987年10月号に掲載した追悼記事の後半部分です。この特異な作家の最晩年の心境を伝える唯一の記録だろうと考えて再録しました。より細かい経緯は、その1(前半部分)の冒頭に書きましたのでご参照ください。
    https://note.com/brave_zinnia300/n/n60f107310aeb


    いちばん嫌いなのは日本人


    ―― 先生は昔、日劇ミュージックホールでギターを弾かれていたころ、外国人とのおつきあいは?
    深沢 そういうの、ないね。わたしら、全部レコードですから。エルビスとか、あれはロカビリーで、かれが死んでからはロッド・スチュアートとかね。凄かったですよ、とにかく外国のレコードが日本で売れるのは。それがいまじゃ、こんな変な、何とかいう女が来てるけど……。
    ―― マドンナですか。
    深沢 あれ、歌はそんなにうまかないけど、円高でね、いい商売してますよ。ああいう連中はいいやね。
    ―― 先生、外国はどちらに?
    深沢 行ったことない。海を渡ったのは、昔、大島に(笑)。あとは九州と北海道ね。朝鮮も行ったことない。沖縄も行ったことない。でも、いまだによく分からないんだ、日本というものが。外国に行きゃ分かるっていうけど、本当かね。
    ―― 行ってみたいとは思われますか。
    深沢 景色なんかホラ、『兼高かおる・世界の旅』を見ると、大体行ったような気がするんだ(笑)。それから、ここの(胸を指す)感覚はね、エルビスとかロッド・スチュアート、ああいうので分かる。もう本当に何ともいえないものを持ってるからね。ただ一度、ここへ来てからだけど、外国に行くかって話があったんだ。騙されて行くみたいだったから、やめた。
    ―― 騙されて?
    深沢 むこうでオレの小説を訳したやつから、「いらっしゃい、いらっしゃい」と。何かタカリ屋に全部タカられそうな気がしたから。オレ、外国人って大嫌い。もうみんな大嫌いだけど、いちばん嫌いなのは日本人。日本人なんて、オレ以外は外国人だと思う。
    ―― それはどういうところを?
    深沢 日本人? まあ、尊敬するようなのは一人もいないね。過去には織田信長とか、なかなかの人物はいる。オレもその当時なら、あいつと戦争をやろうとは思わないもの。だから、歴史上で好きな人には会えるけどね、幾人もいやしない。わたしは弘法大師だとか大嫌いだから、お坊さんの偉いのは。ハハ、嫌いな人ばっかりだ。
    ―― どんな職業の方もいけませんか。
    深沢 そりゃ、学者とか小説家とかそういうのじゃなくて、長ーいこと役者やった人とか、農業をやっている人でもね、とてもわたしなんか敵(かな)わない、ずっと優れた人がいます、いろいろな意味で。人生に苦労してるんだね。勉強の頭と苦労した頭じゃ、違うもの。そういうしっかりした人は、好きじゃないけど偉いと思うね。真似をしようとは思わないけど。まあ、わたしは贅沢してるんでしょうね、人間に対して、生き物に対して。わたしは山梨の出だけど、山梨の人間なんて大嫌い。故郷を愛するなんて、とんでもない。ただ、山梨の果物ね、葡萄とかサクランボとかネクタリンとか、そういうものをわたしは愛している。……ちょっと、オシッコしてくる。
    (深沢氏、席を立ち、戻る)
    深沢 これ、どう?
    ―― ワインですか。いただきます。
    深沢 山梨のなの。つまむものは何もないけど。
    ―― おいしいですね。
    深沢 あんた、その葡萄酒が美味(うま)いというのは、うんと酒の強い人よ。
    ―― 酸味があって……。
    深沢 人工の、ホラ、防腐剤が全然入ってないから。夏はね、ちょっとこう醗酵しだすの。これがもっと暑くなると煙(けむ)みたいになって、そして、秋になって冬になるとグーッと沈んで底に油粕みたいなのが一杯出てね、上が澄むわけ。で、何年もたつと美味くなるというけど、いまは防腐剤を入れちゃうからそうならない。醗酵してる方が消化がうんといいそうですね、肉なんか食うときは。
    ―― ちゃんと暗室に置いてあるわけですか。
    深沢 うち? いえ、いまのところはまだ。わたしが全然飲まないから。うちなんか、一升持って来るとね、三年ぐらいありますよ。スキヤキをやるときに使う程度だから、大匙一杯なんて。(笑)
    ―― すると、これも何年か前の?
    深沢 これは一昨年(おととし)かな。冷蔵庫に入れとくとズーッと澄むけど、それよりこの方が美味いという。さ、もうちょっと。
    ―― いえ、結構です。一升しかないものを。
    深沢 いえ、一升じゃない。わたしは自分のお医者さんにね、盆暮れにやるの。
    ―― すみません。(飲む)
    深沢 やっぱり葡萄酒が飲めるようなからだじゃなきゃ駄目だね。うちの家系は六人だか入院してね、六人とも酒が飲めないの。みんな先天性の心臓ですよ。

    『楢山節考』とはだかの関係


    ―― 『楢山節考』の最後に楽譜が添えてあるあの歌は、先生が作詞・作曲されたものですか。
    深沢 ええ、そうです。自分でわけの分からない歌をつくってね、それを自分で解釈するわけ。説明しなきゃ分からないから。だから、案外楽にできましたよ。丸尾長顕が、「それならあんた、『節考』とくっつけりゃいい」と言ってね。もとは『楢山』という題だったんです。
    ―― 丸尾さんも数年前に……。
    深沢 ええ、死にましたね。もうずいぶん、わたしらの時代の人は死にましたよ。
    ―― 三島由紀夫さんの印象はいかがでしたか。
    深沢 わたしは、あの人はちょっとおかしな人と思った。たしか四十五歳で自殺したけどね、自分の書いた小説が子供の小説だったと気づいて、もうガッカリしてね、それで死ぬ気になったんじゃない? それこそ大義名分は国防だかに押しつけて死んだけどさ。
    ―― 自分で気づいた、と?
    深沢 オレはそう思うね。だって、そりゃ絶望するよ。あんな偉い、偉いといわれた人がね。
    ―― 三島さんは『楢山節考』について、「はじめのうちは、何だかたるい話の展開で、タカをくくって読んでいたのであるが、五枚読み十枚読むうちに只ならぬ予感がしてきた。そしてあの凄絶なクライマックスまで、息もつがせず読み終ると、文句なしに傑作を発見したという感動に搏(う)たれた」(『小説とは何か』)と、中央公論新人賞の審査に当たった際の情景を書いておられますね。
    深沢 ええ。だけどね、あの人はオレの小説を好きじゃないですよ。いやな小説だと思ってた。
    ―― あとに「しかしそれは不快な傑作であった」と続くんですね。
    深沢 そこが大変な違い。あの人の書く小説はきれいごとでね。だから、わたしは生前、三島さんにお目にかかったときに、「『金閣寺』は、実際に金閣寺が焼ける前に書かれれば傑作でしたが、焼けてから書いたので惜しかったですね。キワモノになっちゃった」と言ったの(笑)。わたしは、あの人に頼まれて歌をつくったことがあるんですよ、変な映画の主題歌を。
    ―― 『憂国』ですか。
    深沢 いえ、その前に。
    ―― 『からっ風野郎』かな。
    深沢 それそれ。で、「頼む」と言って料理屋に連れて行って、いろいろご馳走してくれたの。まあ、キザなこと。ムシが好かないんだ、あの人は(笑)。オレの小説について、武田泰淳の話がいちばんわたしには分かったね。武田さんは、ミュージックホールのヌードへ来てみてね、で、「このヌードというものが『楢山節考』と大変な関係がある」って言うんだから。偉いものだね、仏教的な感覚を持っているって。『楢山節考』だって仏教的なものを持っているけど、そんなにないものね。ヌードの方もそんなに……、ああいうはだかの世界が分かるというのはさすがですよ。
    ―― そういえば、『楢山節考』の新しい映画(今村昌平監督)では倍賞美津子さんが大胆なヌードを披露しましたね。
    深沢 緒形拳と、あの “麻薬の女王” ――何て言ったっけ、坂本スミ子がやったのでしょう。あれはホラ、『東北の神武たち』を一緒にしちゃったんだから。食糧難とオマンコ難というやつを一緒にしちゃった。原作では二つに割ったけど、知ってる人はいやがるよ。あんあのおかしいもの。……あんた、強いね。一升瓶が空いちゃったよ。ああ、よかった。(笑)
    ―― 恐れ入ります。
    深沢 気になるよ、あんまり葡萄酒を置いとくとね。
    ―― どうも長い時間、ありがとうございました。お話をまとめると、つまりは、われわれ若い人間はまず、世界をもっとじかに見なきゃいけないんでしょうね。
    深沢 とんでもない。見ちゃ困る(笑)。そんなことから「離れろ、離れろ」と自分に言い聞かせる人間にならなくちゃ駄目よ。立派にならなきゃ。
    ―― もっと日本を見つめろ、と。
    深沢 いやいや、世界も日本もない。自分は自分だけ。国がどうのこうの関係ない。自分のことだけを見る。見つめ続ける。そうすれば、だんだん薄くなってくるわけ、日本の色がね。そこから始まる。
    ―― 分かりました、というか……。
    深沢 これ(『中央公論』七月号の表紙画を指す)はヤマメだね。いま、ヤマメだってイワナだって、みんな養殖。でね、逃げたのはほかのニジマスなんかと勝手に交配しちゃうんです。新しい種類がうんと出てくる。ヤマメとイワナの交配なんて。
    ―― 何となくグロテスクですね。
    深沢 これまではそんな量がなかったから大したことなかったけど、いまじゃ続々と……。わたしは川魚というのは大嫌いでね。アユが嫌い、ウナギが嫌い。
    ―― でも、山梨なら川魚でしょう。周りに海がないから。
    深沢 うん。アユもウナギも有名だったけど、わたしは大嫌い。
    ―― 最近も、先生の信者たちがこちらを訪れることはあるんですか。
    深沢 ないな、だれも。若い小説を書く連中がたまに来るけど、玄関払いだから。顔も見ない。
    ―― 先生は毎日、四時半にはおやすみになるとか。
    深沢 まあね。ちょっときょうは喋りすぎて疲れちゃった。
    ―― 秋になったら葡萄パーティをやりましょうよ。
    深沢 やろうやろう。オレが生きてたらね。


    蛇足を承知で、ちょっとしたエピソードを補足します。わたしが出版社に入ったとき、記事中にも登場する嶋中鵬二社長が「三島さんが生きていたら、きっときみを気に入ったろうね」と口にしました。今日では見る影もありませんが、当時のわたしにはどうやら同性愛の傾向を持つ作家に好まれる雰囲気があったようです。晩年人間嫌いとウワサされていた深沢がこの日、ことのほか上機嫌におしゃべりしてくれたのには、あるいはそんな要素も作用していたのかもしれません。くだんの社長は、この記事原稿を読んだあとに、とかく同性愛者同士は複雑な関係だから、深沢が三島さんに対して辛辣なもの言いをしたことを真に受けてはいけない、と注釈しました。わたしには当否の判断がつきませんが、念のため書き添えておきたいと思います。

    このインタヴュー取材から2か月後の1987年8月18日、深沢七郎は同じ “日なたぼっこの部屋” の椅子に腰かけて、だれにも気づかれないまま静かに息を引き取ったといわれています。


     
     
     
    気がついてみたら60代のなかば。これまで出会った本や音楽、映画……からピックアップして、自分なりに解読してみたいと思います。めざすはあっと驚くような大発見ですが、果たしてどうなりますやら。みなさまもご一緒に楽しんでいただけますと幸いです。

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