
【ただの人④】―搾取から自分を守るために―
はじめに
私は、この本で誰かを責めたいわけではありません。
ただ、たくさんの人を見てきました。
家族のために辞められない人。
責任感から無理をし続ける人。
優しいから断れない人。
助けを求められず、一人で抱え込む人。
そして、その苦しさを全部、自分の責任だと思い込んでいる人たちを見てきました。
私は、その姿を見るたびに思っていました。
どうか、自分をそこまで追い詰めないでほしい。
本当に、全部あなたの責任なのだろうか。
社会には、誰かの優しさや責任感の上に成り立っているものがあります。
「やりがい」
「助け合い」
「責任感」
「みんなのため」
それらは本来、とても大切な言葉です。
でも、その言葉が使われることで、誰かが無理をし、自分の人生を削り、自分を責め続けていることがあります。
人は、自分が悪いと思い込むと、逃げられなくなります。
断れなくなります。
助けを求められなくなります。
そして、静かに壊れていきます。
だから私は、この本を書こうと思いました。
あなたに誰かを責めてほしいわけではありません。
ただ、自分を責める前に、一度だけ立ち止まってほしいのです。
本当に、その苦しさは全部あなたの責任なのだろうか、と。
あなたの人生は、誰かのために削り続けるためだけのものではありません。
どうか、自分の人生を大切にしてほしい。
自分を追い詰めないでほしい。
そして、できるなら、自分の人生をもう一度、自分の手に取り戻してほしい。
私は、そんな願いを込めて、この本を書いています。
第一章 私はなぜ、この本を書こうと思ったのか
私は、たくさんの人が自分を責めている姿を見てきた。
家族のために辞められない人。
責任感から無理をし続ける人。
人手不足を自分の頑張りで埋めようとする人。
病気や障がいを持ったことで、自分が悪いような感覚を持たされている人。
そして私自身も、長い間そうだった。
苦しいのは自分が弱いから。
合わせられないのは自分がおかしいから。
うまくできないのは努力が足りないから。
そう思って生きてきた。
でも、大人になってから気づいた。
本当に全部、自分の責任だったのだろうか。
私が見てきたものは、もっと別のものだった。
本来は構造の問題であることが、いつの間にか個人の責任へと変えられていくこと。
そして、その責任を背負うのは、いつも真面目な人や優しい人たちであること。
私は、その姿にずっと違和感を持っていた。
この本は、誰かを責めるための本ではない。
ただ、自分を責めている人に、一度だけ立ち止まって考えてほしいのだ。
本当に、全部あなたの責任なのだろうか、と。
第二章 私が見てきたもの
【母の工場での出来事】
ある日、母の工場の上司が代わった。
作業効率向上を掲げ、社員が交代で改善方法を発表する会が定期的に開かれるようになった。
仕事が終わった後で行われ、無給だ。
母の発表の順番が近くなってきた。
母は不安定になり、
「発表なんてしたことない」
「分からない」
「嫌だ」
「辞めたい」
と繰り返し私に訴えるようになった。
私は母の不安を取り除くために、会社から配布された本を読み、発表のための原稿を作り、発表の練習に付き合った。
なぜ会社が考えるべきことを、社員に考えさせるのだろう。
人数が足りないから納期に間に合わないのが原因なのに。
その時、私は小学校六年生だった。
【学校で感じた違和感】
担任は勉強が出来る子だけを、自分のクラブに入れて可愛がっていた。
親たちは言った。
「贔屓ではないか」と。
すると担任は言った。
「贔屓される子どもに育てなさい」と。
その頃は、子どもに学校へ行かないという選択肢はなかった。
逃げ場がない。
だから担任に嫌われれば、一年間苦しい思いをすることになる。
私は、その先生に認められることはないのだと思った。
だからクラスで目立たないように影になることを選んだ。
【A型事業所の利用者さんたち】
私が、病気が少し落ち着いて自立のためにA型事業所の利用者として入社したとき。
その事業所では、支援員が上で利用者が下の構図が出来上がっていた。
利用者は黙って支援員の指示に従うべきだ、という空気だった。
どんどん利用者は病気や障がいがある自分が悪いのだと思うようになっていく。
驚いたし、悔しかったし、悲しかった。
たまたま病気や障がいを持っただけで罪は犯していない。
レッテルで人間性を決めつけられ、押さえつけられる気持ちを知った。
【病気や障がいと働くこと】
一般で就職したくて少しの間、就労移行支援事業所に通った。
その事業所で言われたのは、今までの資格や働いてきた実績は意味がない。
新しく資格をとって働けることを証明するように言われた。
健常者と言われる人々が転職するときに実績はそのまま評価になる。
なぜ病気や障がいを持った途端に、今までの実績が白紙に戻るのだろう。
こうしたら就職させてもらえるかもしれない。
ここに応募したら、拾ってもらえるかもしれない。
私には、「雇ってもらえるだけありがたいと思いなさい」と言われているように聞こえた。
【パートで出会った社員さんたち】
私がパートで入った会社は、「皆平等」を掲げている会社だった。
私はそれを信じて応募し入社した。
現実は違っていた。
社員の仕事の処理能力や作業のボリュームを考えず、早く終わった順に作業を渡していく。
仕事の早い社員さんに負荷がどんどんかかっていく仕組みだった。
疲弊し、体を壊す社員さんたちを見た。
印象に残っている言葉がある。
皆、子どもがいて、何かあった時に休みやすいからこの会社で働いている。
休んだ分の仕事は減らずに残っているから、休めば休むほど苦しくなる。休んだ自分が悪いんだけどね。と。
上司が設定した意味のない会議も我慢して参加してさらに仕事が遅れる。
だけど上下関係の厳しい社内では、それを発言することも出来ない苦しい空気。
家族や子どものために頑張りたいという気持ちが、利用されているように見えた。
私には、家族や子どもが人質になっているように見えた。
そして思った。
健常者であっても病気や障がいがあっても、権力があるものに搾取される構造を。
そして、人は自分が悪いのだと思いこまされていく。
私は考えてしまう。
権力を持つ側は、人の人生が削られていることに気づいているのだろうか。
そして、その苦しさは本当に個人の責任なのだろうか。
第三章 搾取はいつも綺麗な言葉でやってくる
やりがい、助け合い、責任感、みんなのため。
綺麗な言葉を盾にして搾取はやってくる。
介護や保育、貧困、長時間労働、障がい、不登校、少子化。
原因になっている安い賃金や制度の不備をごまかすために、綺麗な言葉たちが使われている。
綺麗な言葉たちに逆らえずに皆こう思う。
この言葉に違和感をもつ自分は悪い人間なんだと。
綺麗な言葉で問題を覆い隠し、責任は個人へと変換されていく。
問題の置き場所が変わる。
本来は構造の問題であることが、いつの間にか個人の努力不足へと変換されていく。
そして、人は自分を責め始める。
その時、自分を守るための視点を失っていく。
最終章 自分の人生を取り戻すために
もし今、苦しいのなら。
もし今、自分を責めているのなら。
一度だけ立ち止まって考えてほしい。
本当に全部、あなたの責任なのだろうか。
誰かの為に自分の尊厳や人生を削られていないか。
早く気づいて自分を責めるのをやめてほしい。
自分の人生を大切にしてほしい。
自分を追い詰めることに使っていた力を、これからは自分を生きるために使ってほしい。
私は、そう願っている。
祈りにも似た気持ちで。
あなたが、自分の人生を大切に生きていけることを。