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「自分を整える」が、あなたと周りを壊す——脳科学者×僧侶×経営者だから書ける、ウェルビーイングの落とし穴 #16 あとがき 〜2500年前から、答えはあった〜

    ここまで、長い旅にお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

    本編は、前回でひととおり幕を閉じました。なので、本投稿は文字どおりの「あとがき」です。肩の力を抜いて、少しだけ話を聞いてください。

    実は、私はずっと細心の注意を払いながらこの本を書いてきました。

    私が、ずっと黙っていたこと

    本編を通して、私はできるだけ脳科学や歴史などの学問のエビデンスとロジック、そして日常の言葉だけで話を進めてきました。

    「観察」すること、「つながり・関係性」に目を向けること、「感謝」を日常に埋め込むこと、そして「仕方ない」と、現実を受け入れること。

    これらを、fMRIの脳科学の研究エビデンスや、神経可塑性などの脳の仕組みや、心理学の実験、歴史や宗教学という学問から、なるべく分かりやすい言葉で説明してきたつもりです。スピリチュアルな話にも、宗教の話にも出来るだけ寄りかからないように、科学的なロジックで説明できるように。

    でも、勘のいい方は、どこかで気づいておられたかもしれません。

    本書で語ってきたことは、どれもはるか昔から、ある一つの智慧の体系が、整理してずっと説き続けてきたロジックなんです。

    それが、仏教です。

    最初の自己紹介で、私はビジネスの現場にいながら、脳科学の研究者でありながら、同時に僧侶でもあります。だから、本当はこの本の話は、最初から最後まで仏教の言葉で語ることもできました。でも、あえてそうしませんでした。

    なぜなら、「仏教ではこう言われています」と最初に持ち出してしまうと、多くの方がそこで心を閉じてしまうからです。「ああ、宗教の話ね」「勧誘されるのかな」と。

    その気持ち、すごくよく分かりますし、勿論、それはこれまでの日本の歴史的背景がある以上、仕方がないことだと思っています。

    だからこそ、まず脳科学のロジックや、歴史などの学問、そしてビジネスの現場での経験からの話で、「なるほど、確かにそうだ」と納得していただきたかった。その上で、最後に「仏教」という言葉を出したかったんです。

    「観察」も「つながり」も、ぜんぶ仏教だった

    例えば、「マインドフルネスの本質は観察だ」という話をしました。評価や判断をいったん手放して、いま自分の心に何が起きているかを、ただ眺める。

    これは、仏教では「サティ」、日本語では「気づき」と呼ばれてきたものです。そして「気づき」とは、言ってしまうと「悟り」なんですよね。

    日常の現実は全く変わっていないにも関わらず、物事の捉え方、受け取り方が変わることで、自分の心が「怒りや悲しみ、嫉妬」などのネガティブな感情に揺り動かされなくなって、平穏に生きれるように、誰かの幸せを願えるような心になっていく。

    これが「悟りをひらく」ということであり、ブッダが目指した境地なんです。そして、そんな心の状態を分かりやすく場所的に象徴表現したのがお浄土なんです。

    2500年前に生きたブッダが仏教として説いたことが、いま世界中の企業や病院で、最先端のメソッド「マインドフルネス瞑想」として実践されている。そして、それを実践する人々は、宗教の垣根を超えて、キリスト教徒も、イスラム教徒も、無宗教の方もいる。とても素晴らしいことだと思いませんか?

    例えば、感謝の話で「いただきます」に込められた「すべてはつながりの中で成り立っている」という見方を紹介しました。あの時、少しだけ触れましたが、これも仏教の考え方です。

    「縁起」といいます。

    全てのものごとは、単独では存在しない。無数の原因と条件、つながりが網の目のように支え合って、今ここに現れているんですね。

    私が本書を書けたのも、あなたがこの文章を読めているのも、noteを創られた方と働く方、スマホを作ったスティーブ・ジョブズやAppleで働く方、スマホを運搬して届けた方、家電量販店の方、電力会社の方など、数えきれない縁が重なった結果です。私という存在も、私一人で成り立っているのではなく、いただいた無数のご縁の、いわば結び目のようなものなんですね。

    本編でずっと言ってきた「矢印を、自分の内側から外へ向け直す」。

    これは突きつめれば、この縁起に気づくということでした。自分が、世界との関係の中で生かされている。そのことに気づいたとき、矢印は自然と外へ、感謝と思いやりのほうへ向いていく。

    脳科学が最新の研究で少しずつ証明してきていること。それを、2500年前の人たちは、fMRIも統計学もない時代に、深い内省だけを頼りに実践の智慧として体系化していたのです。私は、普通の会社員として働き、社会というものを勉強しながらも、仏教を勉強することによって、これらが繋がった時、正直、鳥肌が立ちました。

    それでも、仏教は「宗教」なのか

    この話をしていると「結局、宗教の宣伝じゃないか」と思われるかもしれません。

    でも、仏教は少し特殊なんですね。
    本書でもアインシュタインが「科学と矛盾しない唯一の宗教」と言ったということや「仏教は全ての心理学のもとになった」とも言われるとお話しました。

    つまり、「宗教 = 神」という皆さんのイメージとは全く違うものなんですよね。神様を信じなさい、という話ではなく、「人間の心とは、こういう仕組みで動いている。だから、こう考えると・関わると心が平穏になりますよ」という、いわば実践哲学、心の使い方のマニュアルとしての側面がとても強いんです。

    そもそも、現在の「宗教 = 神」というイメージは明治開国以降に作られました。それ以前は、宗教とは仏教のみを指す言葉であり、神道や民族宗教などをまとめて宗教と言っていたわけではないのです。

    宗教とは、「宗教 = 宗(究極的な真理)+ 教(指示・言説)」という、例えば物を投げたら重力にしたがって地面に落ちるというこの世界の法則、その中でも「私たちの心の仕組み」を体系化したものなのです。

    現在の「宗教 = 神」というイメージは、「宗教 = Religion」の語源であるラテン語「Religio」の「神と人の結合」という超自然的なものに対する畏怖という一神教的文化が輸入されたものなのです。

    だから私は、この本で仏教を「信じてください」とは、一言も言っていません。ただ、「昔の人が見つけた心の扱い方のマニュアルが、現代の科学とこんなにも重なる。だとしたら、使わないのはもったいないですよね」と、そうお伝えしたかっただけなんです。

    800年の時を超えて

    もう一つだけ、個人的な話を。

    私は浄土真宗という宗派のお寺に生まれ、僧侶になりました。800年ほど前に、親鸞という人が説いた教えの流れをくむものです。

    正直に言うと、小さい頃の私は、脳科学と仏教は全く別のものだと思っていましたし、仏教と一神教の違いも満足に分かっていませんでした。研究室で脳の情報処理を調べる自分と、お寺で手を合わせる自分は、どこか切り離されていました。

    でも、有難いご縁をいただき、仏教を勉強していくうちに、だんだん分からなくなってきたんです。
    「脳科学の研究エビデンスが示すことと、仏教の本質が、あまりにも同じことを言っている」と。
    「別々のものだと思っていた二つが、じつは同じ一つの山を、違う登り口から見ていただけだったんじゃないか」と。

    その気づきが、この本を書く一番の原動力になりました。

    800年前の親鸞聖人が、そして2500年前のブッダが、深い内省の果てにたどり着いた「心と脳の仕組み」。それを、現代の脳科学が全く別の方法で、少しずつ裏づけていく。時代も、方法もまるで違うのに、行き着く先が同じ。

    これって、本当にすごいことだと思うんです。

    答えは、ずっと前からそこにあった。私たちはただ、それを新しい言葉でもう一度発見し直しているだけなのかもしれません。

    ただし、本書で何度もお伝えしていますが、本来関連しあっているはずの「脳科学」「仏教」「歴史や宗教学」「ビジネス」を本質的に繋げられている人が少ないからこそ、現代社会においては間違った方向に進んでいると感じています。

    だからこそ、私の願いは、たとえ読んだ後に本書の説明するロジックに納得されなくても、本書ができるだけ多くの方に届き、その方がいつか本書を思い出して「そういえば、こういう話があったな。あれは、こういうことだったのか。」と、そのように本書の想いが届くことです。

    おわりに

    本書が、あなたが「自分を整える」という言葉と、これまでと少し違った付き合い方をするきっかけになれたなら、これほど嬉しいことはありません。

    自分の内側だけを、必死で磨こうとしなくて大丈夫です。ときどき顔を上げて、あなたを支えてくれている人やものごとに、そっと矢印を向けてみてください。その小さな一歩が、あなた自身をも、静かに整えてくれるはずです。

    最後になりましたが、ここまで読んでくださった、あなたに。

    たくさんのご縁の中から、この本を手に取り、最後のページまで一緒に歩いてくださったこと。それ自体が、私にとっての「ありがたいご縁」です。本当に、ありがとうございました。

    それでは、また、どこかでお会いできることを楽しみにしております!

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