
「アノテーションって知ってる?」動くことで見つけた、ビジネスアイデア
「アノテーションって知ってる?」
「日本市場で僕らがやろうとすると単価的に厳しいんだけど、マサくんならできるんじゃない?」
BonZuttner代表の坂下さんが、この2つの言葉をくれた瞬間、
マレーシアで交わした無国籍の家族との約束が、ようやく動き出しました。
これは、グッドデザイン賞やForbes ASIA 30 UNDER 30受賞までたどり着いた、難民・無国籍問題を解決するアノサポのビジネスアイデアを考えついたエピソードです。
ビジネスアイデアの条件を考え続けた
マレーシアで出会った無国籍の家族に「必ず戻ってくる」と伝えてから、9年の月日が経ちました。
けれど別れ際に交わしたその約束を、僕はずっと忘れられずにいました。
日本に帰国し、ボーダレス・ジャパンに入社。
僕は、難民の雇用創出に取り組む事業(Zero PC)に身を置きながら、毎日考えていました。
「無国籍の子どもと家族の現状を変えるためには、どんなビジネスをつくればいいのか」
約2年間、考え続けました。
「必ず実現する」という気持ちだけは、一日も消えなかったです。
※ボーダレスやZero PCの話はまた別のnoteに書こうと思います。
そうして捻り出した、難民・無国籍問題を解決するビジネスの条件は、5つです。
日本語が話せず、読めなくてもできる仕事
高度スキルに依存しない仕事
月5万円を継続的に維持できる仕事
第一目標300世帯が働けるだけの市場規模
場所に囚われず、どこに住んでいても働ける労働環境
僕は、この5つの条件を作りながら確信していました。
「これに当てはまる仕事さえ見つかれば、マレーシアの家族たちの暮らしは変えられる」と。
「これ、コーディングじゃない?」動き出せた瞬間
入社3年目のある日、ボーダレス・ジャパン代表のたぐっさんと話していたときのことです。当時のたぐっさんはハチドリ電力の立ち上げをしていました。たまたま僕の事業プランの話になり、5つの条件を見せた僕に、たぐっさんはこう言いました。
「これ、コーディングじゃない?」
「デジタルの仕事よね。」
たしかに、条件にあてはめてみると、コーディングはきれいに当てはまりました。リモートで完結し、訓練すればスキルを身につけられる。市場も大きい。
そこで僕は決心し、1年間ハチドリ電力でエンジニアとして働かせてもらいました。コーディングを身につけて、事業を立ち上げた際に難民の家族たちに教えていくために。
そこから1年の月日がたち、コーディングという仕事の中身も、ある程度の解像度をもって見えてきました。
「これだ」と、僕は思いました。
そして入社4年目。ようやく事業立ち上げ準備に入りました。僕はコーディング代行サービスとして事業をつくるべく、ヒアリングを始めました。
「ニーズない。」15社のヒアリングで見えた現実
3週間で15社ほどに、ヒアリングの依頼と実施をしました。
エンジニアの会社、デザイン会社、スタートアップ。
Web制作のコーディング人材を必要としていそうな会社を、紹介してもらいながら一つひとつヒアリングしていきました。
ある日、Web制作やシステム開発を提供している大手エンジニア会社に伺ったときのことです。
担当の方は、こう言いました。
「我々もエンジニアが余っているから、むしろ仕事が欲しいくらいだよ」
ハッキリと「ニーズがない」と言われたのは、2社くらいでした。残りの会社は、聞く耳を持たなかったり、丁寧に断られたり。それでも、現場を知れば知るほど見えてくる現実がありました。
また、日本で大手と呼ばれるコーディング代行サービスでも、従業員は35名ほど。300世帯以上の難民の家族が働ける仕事をつくる、という僕の構想とは規模が噛み合わないことも発覚しました。
「あー、厳しいな。」
落胆したというより、冷静にそう思いました。1年間ハチドリ電力でエンジニアをやりながら準備してきたけれど、ここでビジネスアイデアを切り替えないと事業が成り立たないなと本気で感じました。
「逆に、なんだったらニーズありますかね?」 聞き方を変えた日
ビジネスアイデアの切り替えを決めた僕は、もう一人、話を聞きたい人がいました。
株式会社BonZuttner代表の、坂下裕基さんです。
坂下さんは、日本に避難してきた難民メンバーと共にシステム開発サービスを運営されていました。コーディングという仕事のリアルを、誰よりも知っている方の一人です。
その坂下さんにも、ヒアリングをさせてもらいました。
ただ結果は、やはり厳しいものでした。
ここで諦めていたら、もう事業立ち上げは難しい。
僕は思い切って、こう聞きました。
「逆に、坂下さんから見て、なんだったらニーズありますかね?」
「この5つの条件に当てはまるビジネスアイデア、ありますか?」
少し考えて、坂下さんはこう言ってくれました。
「アノテーションって知ってる?」
「日本市場で僕らがやろうとすると単価的に厳しいんだけど、マレーシアの難民たちとやるマサくんだったら、できるんじゃない?」
「アノテーション…?」
僕は、その言葉を知りませんでした。
その場でパソコンで検索したけれど、調べてもよく分からない。
それくらい、僕にとっては未知の世界でした。
でも、坂下さんが「マサくんだったらできるんじゃない?」と言ってくれたその一言が、僕の中に残りました。
必死のFacebook投稿を、みんなが応援してくれた
坂下さんから話を聞いた2〜3日後、僕はアノテーションを調べて上げ、可能性があることが分かりました。
そしてその日のうちに、僕はFacebookに一本の投稿をしました。
元々文系でITのことは全く。
さらにAI業界のこととなると本当に分からなすぎて、「頼む」という気持ちで投稿しました。
誰か、業界に詳しい人を紹介してください、と。
そうしたら反応は、想像以上でした。
ボーダレスの社長陣が真っ先にシェアをしてくれて、彼らのネットワークから次々と紹介の連絡が入りました。
AI開発の現場にいる方、スタートアップの経営者、エンジニア。
紹介してもらった会社は、10社以上にのぼり、そのなかには上場準備中だった会社のCTOの方もいらっしゃいました。
「完璧でした!」 一通のメッセージで見えた成功の扉
そのなかで紹介してもらったのが、株式会社Opt Fit取締役COOの荒川さんでした。
紹介してくれたのは、ボーダレスの同期で、荒川さんは高校時代の友人とのこと。
Opt Fitは、無人ジムのDX支援サービスを展開されている会社です。
AIカメラで店舗内の状況を解析し、転倒などの異常を検知するシステムを開発されていました。
初回の打ち合わせで、僕は正直に伝えました。
「難民・無国籍問題を解決したいと本気で思っていますが、アノテーションという仕事について、現場感がまだ何も分かっていません」
「もし可能なら、トライアルを通じて教えていただけないでしょうか?」
荒川さんは、そんな僕に丁寧に教えてくれました。
仕様書をもらい、アノテーションツールの操作方法を教わり、少量を作業して納品し、品質を確認してもらう。
そのサイクルを、お客様であるはずの荒川さんが伴走してくれました。
そして、納品が終わったある日、Slackに一通のメッセージが届きました。

このメッセージを見たとき、湧き上がってきたのは褒められた「嬉しさ」よりも、事業化できるという「確信」でした。
僕は、AIの技術者ではありません。
アノテーションについても、つい数週間前まで言葉すら知らない状態でした。
その僕が、お客様にレクチャーされながらやって、「完璧でした」と言ってもらえた。
ということは、
マレーシアで出会った難民の家族たちも、必ずできる。
アノテーションに必要だったのは、高度スキルではありませんでした。
「分からないことをちゃんと聞く姿勢」と、「言われたことを丁寧に対応する姿勢」。
その2つこそが何より大事なのだと、自分が現場で作業をしてみて初めて分かったのです。
※その後アノサポを通じて見えたサービス価値は、こちらのnoteにまとめています。
成功の扉は、頭で考えても見つからなかった
それから1年後。コロナの渡航制限が解け、ようやく現地マレーシアに足を運べるようになりました。
9年前、「必ず戻ってくる」と伝えた難民・無国籍の家族たちに、僕は会社を立ち上げたことを伝えました。
成功の扉は、頭で考えても見つかりませんでした。
3年間、5つのビジネス条件を設定しても。
たぐっさんの「これ、コーディングじゃない?」という一言で動き出し、15社で「ニーズない。」と言われ、坂下さんの「アノテーションって知ってる?」で希望が生まれ、Facebookに投稿し、荒川さんの「完璧でした!」で確信に変わりました。
動いた先に、成功の扉はありました。
その後、このアノサポを通じて、無国籍の子ども達とその難民家族の人生に何が起きたのか。
僕がここで語るより、彼女自身の言葉で読んでいただきたいので、別のnoteにまとめています。
一緒に、動いていきませんか
このnoteを読んで、少しでも何かを感じていただけたなら。
フォローしていただけると、これからのアノサポの活動をお伝えしていけます。
そして、もし周りにAI開発をされている方がいらっしゃれば、このnoteをシェアしていただけると、また次の難民家族の暮らしにつながるかもしれません。
ぜひ一緒に、動いていきませんか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。