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あの言い訳をつぶせ

     何かを提案すると、こう返される。

     「いいと思うけど、うちには権限がないんだよね」
     「それ、私の判断ではできないから」
     「決裁はもっと上の人じゃないと…」

     この言葉を、あなたは何度聞いてきただろうか。

     一見、筋の通った理由のように聞こえる。だがこれは、組織の無責任構造を正当化する『便利な呪文』でもある。

     まず、「権限がない」というのは、本当に事実だろうか?

     小さな改善や、情報発信なら「やってから報告」でも済むことは多い。他部門と協働するプロジェクトも、「相談ベース」で進められることはある。何より、『試してみること』に明確な決裁が必要な場面は、実は少ない。

     それでも人は、「権限がないからできない」と言う。
     それは、やらない理由として最も責任回避ができるフレーズだからだ。

     この構造が危険なのは、権限の所在が曖昧なほど、何も決まらなくなるという点だ。

    「それは上が決めることだから」
     ──こうして、話はたらい回しになり、責任のバケツリレーが始まる。

     誰も止められず、誰も動かせず、誰も責任を取らない。
     権限不在は、組織の時間を腐らせる構造的ウイルスなのだ。

     さらに悪いのは、「権限がある人ほど忙しい」構造。

     全件が上層部に集まり、判断が滞り、日常の小さな改善が、週次会議まで保留される。または判断する人が現場を知らないまま決める。

     その結果、下の層は「どうせ通らないからやらない」と諦め、上の層は「なんで誰も動かないんだ」と嘆く。

     ──こうして、『誰の組織でもない組織』ができあがる。

     では、どうすればいいのか?

     「自分にできる最小の範囲」でまず動く。そして、「これは決裁が必要か?」を明文化し、『判断のスピード表』を作る。「やってはいけないこと」ではなく、「やっていいライン」を明確にする。

     そして何より、「やる前提の会話」に切り替えることだ。
     「できるか・できないか」ではなく、「どうすればできるか」で動き始めれば、『権限の壁』は案外、紙のように薄いとわかる。

     「権限がないから」と言ったその瞬間、あなたはプレイヤーではなく、傍観者になってしまう。

     その言葉、本当に“構造上の制限”だろうか?
     それとも“心の保険”だろうか?

     こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。


     前回の #教科書に書いてない  シリーズは…

    エンディングテーマ『教科書に書いてない』

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    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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