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『何がしたい?』なんて聞かれたくないッ!!

     「自分のやりたいことをやったらいいよ」
     「人生は一度きり、自分らしく生きよう」
      そして「で、結局、君は何がしたいの?」……

     こんな言葉を投げかけられたとき、あなたはすぐに答えられるだろうか?

     この「やりたいこと主義」は、一見、自由で前向きなメッセージに見える。だがその実、多くの人を沈黙させ、思考を停止させる問いにもなっている。

     そもそも「何がしたいのか」がわからないのは、怠惰でも無関心でもなく、構造の副作用である。

     常に「期待される役割」を優先してきたり、空気を読む力が評価される環境で育ってきたのではないか。
     そう、失敗のない「正解探し」を繰り返してきた下地がここにある。

     そんな中で、自分の欲望を明確に表現する訓練を受けてこなかったという事なのだ。

     だから、「何がしたいの?」と問われると、心の奥でこうつぶやいてしまう。

    「何がしたいかなんて、考えたことない」

     つまり、これは内面の問題ではなく、構造の問題なのである。

    「やりたいことがわからない」人には共通する特徴がある。

     自分で選択した経験が少なかったり、自分の感情を言語化する場がなかった。そして、「正解」か「不正解」かで物事を見てきた。

     このような構造では、「自分の声」より「他人の目」を優先する習慣が染みつく。そしてその結果、「やりたいことをやる」という言葉が、むしろ苦痛になるのだ。

     では、この構造から抜け出すにはどうするか?

     「好き・嫌い」「快・不快」といった身体感覚から問い直そう。
     そして、小さな「やりたい」を見逃さず、毎日記録し「したいことがわからない自分」を否定せず、観察者として受け入れる。

     やりたいことは、最初からあるのではない。
     構造を変えることで、見えてくるものなのだ。

     「何がしたいの?」という問いに答えられないことを、あなたの弱さにしないでほしい。それは、『自分のままでいた時間があまりに少なかった』という、構造の痕跡かもしれない。 こんなこと、教科書に書いてなかったんだよな。


     前回の #教科書に書いてない  シリーズは…

    エンディングテーマ『教科書に書いてない』


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    https://note.com/big_hilo 世の中の綺麗事の裏側にある不都合な真実を言語化しようとする実験的note。幸福の土台は感情論ではなく冷徹な合理性にあるのでは!?そんな少し皮肉で限りなく自由なコラムを模索中。読後、あなたの常識が少しだけ書き換わるかもしれません。

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