
「【実録】2006年、上海の航空券ブローカーが仕事をしながら中国を放浪した話」⑨チベット-拉薩編
〜2006年・中国放浪の記録〜
⑨青蔵鉄道開業の拉薩編

■ラサ:2006年7月3日
【💡当時の便太郎日記】
移動の連続できたせいか…
翌日、熱発。
一日何も出来ず、寝てました。
チベットに入ってから、
ずーっと移動だったから仕方ないか。
しかし、このラサってわりと都会なんですよ!
しかも、漢族とその他の少数民族の住んでる
場所がはっきり分れています。
漢族エリアは、はっきり言ってつまんない…
ジョカンと呼ばれる周辺にチベット人が
多く集まっています。
みんな熱心にお祈りしてる。
この辺りは、かなり面白いです。
町全体が巨大迷路です!!!
たくさんのお土産屋さん、
レストランがずらりと並んでます。
ちょっと路地に入ると、
ビリヤード場(日本のとは全然違いますが)、
喫茶店みたいなところで、
たくさんの人がだべってます。
もーこの辺、うろうろしてるだけで大満足!
多くの人たちが、
右手にデンデン太鼓みたいなの思ってくるくる回して、
左手には数珠を持って歩いてます。
そして、男の人は、
ジャケットを袖を通さずに羽織っていて、
カーボーイの帽子をかぶって、歩いてます。
あの帽子は、チベットからアメリカに流れたのか?
それとも、アメリカからチベットに来たのか?
どっちなんでしょう?
ダライ・ラマのお家だった、
ポタラ宮は外から見たけど中には入ってません…
今日、行こうか迷ってますが、
あいにくの雨でして…
昨日は、なんとかって言う湖に
行くツアーに参加しました。
何箇所か、観光地を回ったんですが、
その観光地にいる、
お土産を売りに来るチベット人が、
うっとおいしいんです。
お土産買わないなら、
タバコくれ!
とか。
物乞いに、お金あげたら普通、
居なくなるでしょ?
でもね、一回あげてもまた来るんですよ!
同じ人が!
でも、あまりにしつこいので、
またあげてしました…
だから来るんだろうな…
挙句の果てに、ヒドイ奴なんか、
昨日から全然売れてないので
どうか助けてくださいって泣きつくんですよ!
仕方が無いので、買ってあげました…
とにかく、行く先々でまったく
同じようなことが繰る返されるんです。
ホント疲れましたよ…
恐るべしチベットの物売り・物乞い。
それを考えると、日本の乞食の
なんと受身な姿勢なことでしょう!
お金ちょーだい!とかタバコちょーだい!
と、アグレッシブに攻めてくる乞食が
日本に居るだろうか?
もし、この先、俺が日本で乞食に
なるようなことがあったら、
チベットで学んだ、経験を生かして頑張ろう!!!
がはは。
でも、乞食になるなら断然、東南アジアですね。
なんの話をしてるんだろう…








ほとんどが団体旅行用で抑えられてて、
窓口にいっても全然買えなかったのであきらめた。

【現在の便太郎より一言】
ラサでは、四川から飛行機で
訪れる観光客を良く見かけた。
みな高山病で苦しそう…。
酸素ボンベとかそこらへんで
売っててみんなそれを吸っている。
とっくに高山病を克服していた便太郎は、
勝ち誇りその姿を見ながら内心、
「ダッセッ!」
とか思って、腹の中で舌を出してました!!!
てへ。
ちなみに、
酸素ボンベを吸い続けていると、
その時は良いのですが、
ボンベが空になるとすぐに
高山病の症状が現れるそうです。
しかも、酸素を吸い続けている為、
いつまで経っても免疫が出来ないので、
なるべく吸わない方が良いと言ってました。
まー私は酸素ボンベなどなくとも克服出来ましたから!
つっちゃって~😎

【青蔵鉄道】

【💡当時の便太郎日記】
ただ今、ラサは鉄道開通に沸いております!
7/1から、ラサから北京まで一気に
鉄道でいけるようになりました。
どんどん身近になる、
チベットであります。
まーそれが良いのか悪いのか、
俺にはわかりませんが…
でも、中国のこの鉄道に対する
入れ込みようは凄いです!
ラサでは2日間に渡って凄い
大掛かりな花火大会が行われました。
綺麗だったけど、一人じゃーなー
ゴルムドでは、開通式に
「こきんとう」(漢字わからん)
国家主席も来てたし。
テレビでは、実録・青蔵鉄道!
なんてドラマまでやってました。
つーわけで、
せっかく出来たなら乗ってみよー!
明日の汽車で西安行きますぅ。
がはは。
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【💬 当時のマイミクさんのコメント】
・青蔵鉄道のニュース大連でも見ましたよ。
もうすぐ夏休みだから先生達も興奮気味に
「みんな旅行するなら是非いってみて」
みたいな感じなので、
国を挙げての一大事業だったのかな~
なんて、思いました。
で、早速乗れるなんて、どらえもんさん、うらやまし~
【💬 当時の便太郎の回答】
・実は、私が乗ったラサー北京西行きの汽車は、一番列車でしたー!!!
切符に首発列車ってハンコをしてくれました!!!
がはは。
マニアに高く売れるかな?
なんちゃってー
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ジョカンのすぐ近く、
路地が入り組んだ一角に、
小さな旅行代理店を見つけた。
特に目的もなく、ただ
「なんかツアーでもないかなぁ」と、
ふらっとドアを押して入った。
店内は狭くて、壁には色褪せたチベットの
風景写真と手書きのツアー料金表が貼ってあった。
カウンターの向こうにいたのは、
20代半ばくらいの元気そうな女の子。
髪を後ろで束ねていて、
笑顔がとても印象的でした。
「あら、こんにちは! いらっしゃい!
どこから来たの? 日本? すごーい!」
勢いよく話しかけられて、少し面食らった。
そしてそこから、
彼女の怒涛のマシンガントークが炸裂!
「ラサにいつ来たの? 高山病大丈夫?
もう慣れた? じゃあどのツアーに行きたい?
ナムツォ湖? ヤムドゥク湖? それとも寺院巡り?
あ、最近新しいスポットもできたよ!」
質問攻めというか、ほとんど一方通行…
私が少し考える間もなく、
次から次へとおすすめを連発してきます。
「もし、あなたが参加するとしたら、どのツアーに参加する?」
「私なら、ヤムドゥク湖のツアーかな? 」
「じゃ、そのツアーで!」
「明日、朝8時にホテル迎えに行くから、楽チンだよ!」
彼女の勢いに押されるまま、
お薦めツアーの申し込みをしてた。
ついでに上海へ戻る手段についても聞いてみた。
「そういえば、ラサから西安か成都か
上海まで飛行機っていくらくらいするの?」
すると彼女は、
「え? 飛行機? 西安までなら、
青蔵鉄道で行けばいいじゃん!
せっかく開通したばかりなんだから、
絶対乗った方がいいよ! 景色がすごいんだって!」
「でも、チケット取るの難しくない?
開通したばかりで予約いっぱいなんじゃないの?」
「大丈夫! 私、頑張って取ってみるよ。
コネとか使って(笑)。」
その言葉に、つい調子に乗った便太郎。
「じゃあもし本当に取れたら、
ご飯奢るよ。火鍋とかどう?」
瞬間、彼女の顔がパッと明るくなって、
「えええ!? 本当!? 嬉しい〜!!
絶対取るからね! 約束だよ! 連絡先教えて!」
と、目をキラキラさせてメモを取るのでした。
【ヤムドゥク湖ツアー】






アウトレイジお土産売り

翌朝、
旅行代理店の女の子が手配した車が、
約束通りホテルまで迎えに来てくれた。
小型バスに揺られ、ラサ市街を抜けると
すぐに高原の荒野が広がり始めた。
約3時間後、標高4900mのガンパラ(カンパ峠)に到着。
バスを降りた瞬間、息を飲んだ。
眼下に広がるのは、
トルコ石のような鮮やかな青の湖。
ヤムドゥク湖。
チベット三大聖湖の一つで、
遠くに雪を被ったニェンチェンタンラ山がそびえ、
湖面が宝石のように輝いている。
チベットの至る所で感じる青色が凄い!
一言で「青」と形容出来ないのだ…。
この湖の色と空の色もそうだった。
形は上空から見ると
サソリに似ているという。
峠からの眺めは圧巻だったが、
下に降りて湖畔近くまで行くと、
ヤクが草を食む牧歌的な風景や、
色鮮やかなチベット人のテント、
そして…
例によってしつこいお土産売りの
アウトレイジ軍団が待ち構えていた。
「写真撮る? ヤクと一緒に! タバコくれ! 安いよ〜!」
(相変わらずアグレッシブ…)
湖は泳いだりボートに乗ったりは禁止の聖なる湖。
波もあって海みたい。
雪山に囲まれた壮大な景色を眺めながら、
高山の冷たい風に吹かれているだけで、
なんだか108個ある煩悩が洗われるような気がした。
(気のせい気のせい)
クタクタになってホテルに戻った頃には、
ラサの太陽が赤く沈み始めていた。
クタクタになってホテルに戻ると、
ちょうど携帯が鳴りました。
「もしもし! 取れたよ!!
ラサから西安までの寝台車!
明後日の出発だよ!」
「マジか…本当に取れたんだ!?
なら 約束通り、ご飯奢るよ! 今晩どう?」
最初は、冗談だからいいですって、
断ってきたんだけど、
折角だから行こうと無理矢理、誘った。
(いやいや、下心は少ししかありませんでしたよ)
その夜は彼女と二人で火鍋屋デートに行きました。
四川人だけあって、彼女は辛いのガンガン注文。
彼女のマシンガントークに、
ひたすらマシンガン相槌を打つ便太郎。
彼女も不思議と一緒にいても、
全然気まずくならない、いい子だった。
結局、閉店時間近くまで一人で、
しゃべり倒していました…
そんな彼女の笑顔が妙に印象に残りました…
その後どうなったかは、
有料官能版で発表するかどうか予定は未定…
ウソウソ冗談です。
でも、彼女とは上海に戻ってからも、
時々メールのやり取りが続きました。
最初は「元気?」「ラサどう?」
みたいな軽い感じでしたが、
徐々に彼女の近況や悩み事も入ってくるようになり、
半年くらいは自然と連絡を取っていました。
最後の方は「成都に引っ越して、新しい仕事始めたよ」と
報告が来て、それきりぱったりと連絡が途絶えました。
今思うと、あの短いラサでの出会いは、
ちょっとした甘酸っぱい青春のワンシーンでした。
むふふ…
【ラサ⇒西安】

という訳で、
ラサから西安行の寝台車に乗り込んだ。
足臭くなくって良かった良かった!
本当に良かったよ~!
てかさ~この景色がまた凄かった!
良くこんなところに鉄道を通したもんだ。
(恐らく四川省からの出稼ぎ労働者が頑張ったのだろう)
それに、青蔵鉄道じゃなくても、
寝台車ってテンション上がるじゃないですか?
そこに高原から、森林地帯を抜け、
どうやって掛けたたんだ?
というもの凄い高さの鉄橋を走り、
丘陵地帯を抜け茶色の砂漠地帯に入り、
徐々に下界に降りていくのである。
進むにつれて移り変わる絶景を
楽しめるなんて最高の経験でした。
あと、乗客の一部はラサ滞在期間中、
高山病のため、ずっと酸素ボンベを吸っていたらしく、
ゴルムドを過ぎるまでは、
ベッドで倒れている人がチラホラいた。
まー便太郎は完全に免疫出来てて、
走り回れるくらい、元気もりもりでした!
ちなみにこのゴルムドという街でも、
海抜2000メートル以上あるので、
ここで1,2泊してから、
ラサへ行くと高山病にならないらしいです。
そして、西安についた時、
改札でこの切符に『首発列車』
というハンコを押してくれた。
「記念なりますよ」
って駅員が渡してくれました。
実際は北京からラサが本当の1番列車で、
私が乗ったのはその折り返し便になるんですよ。

今のこの、ご時世的には、もはやこんな旅行は、
許されないのかも知れないですが、
またチャンスがあれば行ってみたいですね。
今度は、確り準備して計画立てていかないとね?
てか多分、便太郎にそんなことは出来ない気がします…