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【小説×睡眠】『隣の倜』 前線

    【このnoteに぀いお】
    この物語は、地方郜垂の片隅に建぀叀いマンションの䞀宀で、ある倜を境に突然「眠れなくなった」26歳の女性䌚瀟員をめぐる心理サスペンスです。圌逃げ堎のない倜のなかで過敏になっおいく五感ず、その裏偎で起きおいる脳のはたらき。睡眠科孊ず音響工孊の確かな事実(ファクト)を物語に織り蟌みながら、ひずりの等身倧の女性が、自分の内偎にひらいた暗がりず向き合っおいく3か月を描きたす。
    すべおを読み終えたずき、あなたの郚屋の「静寂」は、もう昚日たでず同じ意味を持たないかもしれたせん。


    第1ç«  芚醒の境界

    「マクベスは眠りを殺した。無垢な眠りを」
    (Macbeth does murder sleep, the innocent sleep.)

    ── りィリアム・シェむクスピア(『マクベス』より)

    その郚屋は、片瀬銙織(かたせ かおり)にずっお、䞖界を遮断するための唯䞀の装眮だった。

    10月の冷え蟌みが本栌化しはじめた真倜䞭、銙織はベッドのなかで暪たわっおいた。肌に觊れおいるのは、ブランドのロゎすら入っおいない、銖元の少し䌞びた柔らかいコットンのスりェットだ。り゚ストを玐で瞛る緩いスりェットパンツず、足を包む癜い厚手のりヌル゜ックスの枩かさだけが、暗闇のなかで銙織ずいう存圚の茪郭を、蟛うじおこの䞖界に繋ぎ止めおいた。

    昌間のオフィスずいう堎所は、ただそこに身を眮くだけで、銙織の粟神を薄く削り取っおいく。特別な事件など、䜕も起きはしない。
    ただ、人ず同じ空間に身を眮いおいるずいうだけで、神経の衚面が、薄く、薄く、剥がれ萜ちおいく。その絶え間ないすり枛りの果おに、ようやく逃げ垰っおくるのが、この叀い鉄筋コンクリヌト造マンションの401号宀だった。

    窓を閉め切り、遮光カヌテンを完党に䞋ろせば、ここは自分ひずりだけの、神聖な空癜になるはずだった。

    だが、その倜、銙織は突然、眠れなくなった。
    時蚈の針はすでに午前2時を回っおいる。瞌(たぶた)の裏には、昌間のオフィスのリノリりムの床の癜さが残像のように焌き぀いお離れず、目の奥には也いた熱がじっず滞っおいた。

    銙織は、深く呌吞を敎えようずした。スりェットの胞元にそっず手を圓お、肺に冷たい空気を送り蟌む。意識を無ぞず沈め、眠りの駅ぞ滑り蟌んでいく、あの滑らかな䞋降の感芚を埅った。
    その瞬間だった。

    ごずり   

    静寂の底を䞍意に螏み砕くような、埮かな、しかし硬質な音が、耳の奥ぞず䟵入しおきた。
    銙織の身䜓が、寝具のなかで䞀瞬にしお硬盎した。

    音は、右偎の壁の向こう、隣の402号宀ずの境界壁の奥から響いおいた。
    それは決しお、深倜に倧音量で音楜を流すような分かりやすい非垞識でも、怒鳎り声のような暎力的なものでもなかった。
    朚補の家具の端を床の䞊でわずかに匕きずったような、あるいは、厚みのある硬い荷物を䞀床だけ無造䜜に眮き盎したような、ごくありふれた生掻の動䜜音にすぎなかった。

    銙織は呌吞を止め、耳栓をさらに耳の奥ぞず抌し蟌もうずした。しかし、その指先が、郚屋を四角く囲む境界壁のコンクリヌトの冷たさに觊れたずき、脳の奥の现い神経が、鋭く匟かれた。

    音が、消えない。

    耳栓をすり抜けお、その「ごずり」ずいう䜎い振動は、圌女の頭蓋骚を盎接揺らし、胞の内偎ぞず冷たい吐き気のように染み蟌んできた。

    静たり返った401号宀のなかで、銙織は初めお、自分が背䞭を預けおいたその壁ぞず、たっすぐに意識を向けた。

    暗闇に浮かぶ壁の衚面は、いたやただの無害な境界線ではなかった。向こう偎の気配を、こちら偎ぞ䞀方的に滲たせおくる、䞍穏な膜のように芋えはじめおいた。

    銙織は、スりェットの袖口を指先で握りしめた。
    音は、䞀床では終わらなかった。
    䞍自然なほど䞀定の間隔を眮いお、再び、壁の奥で䜕かが響く。

    ごずり   

    その䞍噚甚で、しかし執拗な反埩は、いったい䜕を意味しおいるのか。壁の向こうにいる、顔も知らない402号宀の䜏人もたた、この時間、眠れずに暗闇のなかで䜕かを埅っおいるのだろうか。

    銙織の脳幹の奥で、カチリず、ひず぀の小さな装眮が䜜動するような感芚があった。
    それは、圌女の意思ずは無関係に起動した、倜のための芋匵りだった。

    ◆ 知識の扉  眠りの階局ず、入眠ずいう移行期 
    人間の眠りは、意識のスむッチを䞀床で切るような、単玔で平坊な珟象ではありたせん。健康な脳が芚醒から睡眠ぞず移っおいくずき、脳波は、掻発な思考を叞る「ベヌタ波」から、リラックスした状態を瀺す「アルファ波」、そしお本栌的な入眠の入り口である「シヌタ波」ぞず、段階を远っお滑らかに倉化しおいきたす。意識ず無意識の境目が溶けおいくこの時間垯は、脳にずっお最も無防備で、繊现な調敎を必芁ずする「移行期」にほかなりたせん。この埮现な転換のさなかに、倖から予期せぬ物音や、建物を䌝う振動が入力されるず、脳はそれを環境の異垞──生存ぞの脅嚁──ず刀定し、倧脳皮質を匷制的に芚醒ぞず匕き戻したす。
    そしお、いったんこの入眠の流れを取り逃すず、脳は次の「䞍時着」を譊戒する態勢に入りたす。皮肉なこずに、ここから脳は、静寂そのものを次の脅嚁の予兆ずしお、過敏に芋匵りはじめるのです。
    眠ろうずすればするほど、眠りは遠ざかる。その倜、銙織の脳に起きおいたのは、たさにこの逆転でした。

    第2章 45デシベル

    「嘘には3皮類ある。嘘、倧嘘、そしお統蚈だ」
    (There are three kinds of lies: lies, damned lies, and statistics.)

    ── マヌク・トりェむン(『自䌝』より)

    それは、明らかな悪意の圢をしおはいなかった。

    ごずり   

    15分、あるいは20分ずいう、予枬の぀かない空癜を挟んで響くその音は、402号宀の䜏人が机の䞊に厚みのあるマグカップを眮いた瞬間の衝撃かもしれなかったし、ベッドから立ち䞊がるために床ぞ䞀歩を螏み出した、螵(かかず)の重みであるかもしれなかった。

    集合䜏宅であれば、誰もが䞀日に䜕床か無自芚に立お、そしお誰もが生掻音ずしおやり過ごす、ありふれた日垞の断片。壁の向こうの䜏人は、ただそこで生掻しおいるだけなのだ。

    それでも、その埮かな振動は、高機胜な耳栓を完党に透過しお、銙織の頭蓋骚を盎接揺さぶっおいた。
    寝返りを打぀たびに、スりェットのコットンがシヌツず擊れ、也いた小さな音を立おる。銙織は仰向けになり、深く瞌を閉じた。目の奥に溜たった熱が、じわじわず涙腺を圧しおいくのを感じる。

    音そのものは倧きくない。
    しかし、いちどその振動が内耳の蝞牛(かぎゅう)ぞ䟵入するず、脳は次の音が鳎る瞬間を、静寂のなかで匷迫的に埅ち構えおしたうのだった。

    銙織は暗闇のなかで、枕元のスマヌトフォンぞ手を䌞ばした。
    指先が画面に觊れるず、癜すぎる光が、也いた網膜を容赊なく灌(や)いた。
    気のせいだ。私の脳が、倜の静けさのなかで過敏になっおいるだけ。客芳的な数字を芋れば、きっず安心できる。

    そう自分に蚀い聞かせお、銙織は、あらかじめ入れおおいた隒音蚈のアプリを起動した。
    スマヌトフォンの䞊郚の小さなマむクの穎を、402号宀ずの境界壁ぞ向ける。画面のなかで、緑色の波圢が、宀内の沈黙に合わせお小さく䞊䞋しおいた。

    ごずり   

    壁の奥からあの音が届いた瞬間、画面䞭倮の数倀が、䞀瞬だけ跳ね䞊がった。

    衚瀺されたのは、45デシベル、ずいう無機質な数字だった。
    45 。

    銙織は、その発光する数字を暗闇のなかで芋぀め、そしお、絶望した。
    スマヌトフォンの安䟡なマむクは、20ヘルツから100ヘルツ付近の䜎い音に察する感床が極めお䜎く、個別の范正も行われおいない。

    建物のコンクリヌト骚組みを䌝っおくる、重い固䜓䌝搬の振動を正確に蚈るこずは、この機噚には最初から䞍可胜なのだ。画面の数字は、銙織が感じおいる重圧の、ほんの䞀郚をかすめただけの倀でしかなかった。

    さらに、45デシベルずいう数倀は、䜏宅街の倜間に぀いお環境省が瀺す基準の、たさに境界線そのものの数字だった。曞類のうえでは「十分に静かである」ず凊理される数字。譊察や管理䌚瀟にこの画面を芋せたずころで、これくらいは普通の生掻音の範囲です、ず䞀蹎されるための、完璧に合法な免眪笊にすぎなかった。

    銙織を救う数字も、銙織の苊痛を正圓に蚌明しおくれる数字も、この䞖界には最初からひず぀も存圚しおいなかった。画面に浮かぶ45ずいう倀は、圌女の䞻芳の苊しみを、客芳ずいう名の曞類の壁で孀独に突き攟すための、冷たい蚘号でしかなかった。

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    銙織はスマヌトフォンを裏返し、その光を垃団のなかぞ抌し蟌んだ。
    瞌の裏に、昌間のオフィスの光景が、癜い蛍光灯のたぶしさずずもに蘇っおくる。

    昌の職堎の空気は、い぀も銙織の呌吞を浅くさせた。
    ネむビヌのゞャケットの硬い生地に身䜓を抌し蟌み、タむトなスカヌトの裟が怅子の座面からずり䞊がらないよう、数分ごずに指先で盎す。銖元たでボタンの詰たった癜いブラりスの襟が、喉をかすかに圧しおいる。床を歩くずきは、自分の足音が事務スペヌスに響かないよう、爪先に䞍自然な力を蟌める。

    そこでは、䞀枚の䌝祚を入力する動䜜にすら、自分の存圚がすり枛っおいく質感が䌎っおいた。同僚がキヌボヌドを叩く指先のわずかな匷さ。曞類を受け取るずきの䞀瞥(いちべ぀)の角床。そのすべおに銙織は無蚀で身構え、盞手の機嫌を損ねない圓たり障りのない蚀葉を、喉の奥で䜕床も遞び盎しおは、ひずりきりで疲れおいた。

    誰も、圌女を盎接攻撃しおはいない。それなのに、そこにいるだけで、粟神の茪郭が薄く削られおいく。その消耗の果おに、ようやく蟿り着いたはずの、401号宀。

    銙織は垃団のなかで、スりェットの胞元を、手のひら党䜓でゆっくりず握り蟌んだ。

    ごずり   

    正垞ずされる45デシベルの数字の裏偎で、壁のコンクリヌトは、再び䜎いうねりを圌女の郚屋ぞ攟っおいた。耳栓の奥で、銙織自身の心拍だけが、ドク、ドク、ず、倜の深さのなかで、静かに、しかし確実に、その密床を増しはじめおいた。

    第3ç«  すり枛る質感

    「䞍眠症になるず、本圓に眠るこずも、本圓に目芚めるこずもない」
    (When you have insomnia, you're never really asleep, and you're never really awake.)

    ── 映画『ファむト・クラブ』(Fight Club)より

    睡眠䞍足が3日目を迎えた朝、オフィスの空間は、銙織の芖界のなかで完党に脱色されおいた。
    倩井の蛍光灯の光が、網膜の衚面に薄い膜を匵ったように癜く乱反射し、呚囲の颚景から色圩ず立䜓感を奪っおいる。目の奥には也いた砂が入り蟌んだような埮かな痛みが滞り、頭の芯には、重い鉛を流し蟌たれたような鈍い圧迫が、絶え間なく続いおいた。

    銙織は、自垭のモニタヌに向かいながら、ゞャケットの窮屈な袖口を、無意識に䜕床も匕き盎しおいた。ブラりスの襟が、呌吞のたびに喉をかすかに締め぀ける。

    タヌンッ。

    斜め前の垭の同僚が、入力を終えお゚ンタヌキヌを匷く叩いた音が、銙織の頭蓋骚の内偎に鋭く突き刺さった。

    銙織の肩が、びくりず跳ねる。
    普段なら、オフィスの喧隒のなかに埋もれお消えるはずのその音が、いたの銙織の耳には、すぐ暪で故意に鳎らされたかのように、䞍自然な倧きさで響いおいた。

    キヌボヌドを叩く、あの指先の匷さ。あれは、仕事の遅い自分ぞの、明確な苛立ちの衚明ではないのか。

    銙織は息を朜め、マりスを握る手に力を蟌めた。

    「片瀬さん、昚日のあの䌝祚の件だけど、あずで確認しおおいおくれる」

    通路を通り過ぎざたに、䞊叞が背埌から声をかけおきた。蚀葉そのものは、日垞的な業務の指瀺にすぎない。しかし、その事務的なトヌンず立ち止たりもせず過ぎおいく足音の響きが、銙織のなかでは、䜕床蚀えば分かるんだ、ずいう底意地の悪い非難ぞず、ひずりでに倉換されお届いおいた。

    銙織は、胃の奥が冷たく瞮むのを感じながら、はい、すみたせん、ずかすれた声で返した。

    出来事ずしおは、本圓に䜕も起きおいない。
    同僚はただ自分の仕事をしおいるだけで、䞊叞はただ指瀺を出しただけだった。誰も銙織を怒鳎り぀けたり、露骚に嫌がらせをしたりはしおいない。

    それなのに、すれ違いざたの芖線の角床や、匕き出しを閉める音のひず぀ひず぀が、すべお銙織を監芖し、この堎所から抌し出そうずする攻撃のサむンずしお、濁流のように流れ蟌んでくる。

    「片瀬さん、少し䌑んだら」
    䞍意に、真暪から穏やかな声が萜ちおきた。

    隣の垭の橋本だった。銙織の母芪ず、ちょうど同じくらいの幎栌奜の女性で、い぀も穏やかな䜎い声で話す。その橋本が、銙織の匷匵った暪顔ず、血の気を倱った手元を、芋かねたのだろう。

    銙織のデスクの隅に、音を立おないように、小さなチョコレヌトの包みがそっず眮かれた。普段の銙織であれば、そのささやかな差し入れず気遣いの蚀葉は、枩かさや安らぎずしお受け取られたはずだった。

    だが、その行為は、銙織の感芚をそのたた玠通りしおいった。
    差し出された小さな菓子の包みは、圌女の芖界のなかで、叀いモノクロの静物画のように脱色され、枩床を持たない無機質な「モノ」ずしお通り過ぎおいく。橋本の衚情から、心配や奜意の手觊りを読み取るこずが、いたの銙織には、できなかった。

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    「  倧䞈倫です」

    銙織は、芖線をモニタヌから倖さないたた、硬く短い声でそれだけを返した。橋本が気たずそうに自分の垭ぞ戻っおいく気配すら、銙織には届かなかった。

    䞀方で、遠くの垭で誰かが曞類の束を机の䞊で揃える鋭い音だけは、圌女を切り裂く刃のように、はっきりず焌き぀いおいく。

    なぜ、皆が私を責めるのだろう。
    銙織は、枇いた喉を小さく鳎らしお唟を飲んだ。

    昌のオフィスは、もずから圌女の粟神を薄く削る堎所だった。
    しかし、いたのこの空間は、ただの摩耗ではなく、明確な敵意に満ちた針の筵(むしろ)ぞず倉わっおいた。
    そしお倜になれば、あの401号宀ずいう最埌の堎所でさえも、壁の向こうからの「ごずり」によっお、圌女を䌑たせおはくれない。

    昌も、倜も、䌑める時間がない。
    䞖界党䜓が結蚗しお、自分を远い詰めおいる。
    逃げ堎のない敵意の連鎖が、銙織のなかで、静かに、しかし確実に、その茪を固く結び合わせおいた。

    ◆ 知識の扉  感芚のゲヌトず、過芚醒ずいう眠 
    人間の脳幹には、「網様䜓賊掻系(もうようたいふか぀けい)」ず呌ばれる神経のネットワヌクがありたす。英語の頭文字をずっおRASずも呌ばれるこのしくみは、倖から絶え間なく入っおくる無数の感芚情報のなかから、倧脳皮質ぞ䌝えるべき重芁な情報ず、無芖しおよい無害な情報ずを、自動で遞り分けおいたす。いわば、脳のフィルタヌ、感芚のゲヌトです。
    正垞な状態であれば、遠くの車の音や、他人の立おる埮现な生掻音は、このゲヌトでせき止められ、意識にのがるこずはありたせん。
    ずころが、慢性的な睡眠䞍足や極床のストレスによっお脳が「過芚醒(かかくせい)」の状態に陥るず、このフィルタヌは壊れおしたうわけではありたせん。フィルタヌは、その刀定の閟倀(しきいち)を、極端に䜎く蚭定し盎しおしたうのです。脳が生存の危機を感じ取り、すべおの刺激を重芁な脅嚁ずしお扱う、ずいう過剰な防衛モヌドに切り替わっおしたう。
    こうなった脳には、他人のキヌボヌドの音も、すれ違いざたの芖線も、本来は無害なはずの刺激が、ふるい分けられないたた濁流のように流れ蟌みたす。脳は、静寂さえも次の攻撃の予兆ずしお芋匵りはじめたす。

    ここで、ひず぀の問いが残りたす。
    もしそうだずするなら──倜の暗闇のなかで壁の向こうから届く、あの隣人の音もたた、本圓はただの、取るに足らない生掻音にすぎないのかもしれたせん。閟倀を狂わされた脳が、その音を自ら「加害」ずいう圢ぞ組み䞊げおいるのだずしたら。本圓の脅嚁は、壁の向こうず、壁のこちら偎ず、いったいどちらに存圚しおいるのでしょうか。

    第4ç«  固䜓䌝搬

    「良い垣根が、良い隣人を぀くる」
    (Good fences make good neighbors.)

    ── ロバヌト・フロスト(詩『壁の修繕』より)

    朚曜日の午前10時15分、受話噚の向こうから聞こえる声は、銙織の頭痛をさらに䞀段深くするのに十分なほど、滑らかで、事務的だった。

    「──片瀬様、お気持ちは深く理解できるのですが」

    マンションの管理䌚瀟の担圓者は、マニュアルの行間をなぞるような、起䌏のない声で続けた。

    「該圓の402号宀の入居者様にも確認をお取りしたのですが、倜間に倧音量で音楜を流したり、倚人数で隒いだりずいう事実は、いっさい確認できたせんでした。鉄筋コンクリヌト造の建物では、どうしおも特定の振動が柱や梁を䌝っお響いおしたう、ずいう偎面がございたしお。こればかりはお互い様ずいう郚分もございたすので、圓事者間での過床な接觊はお控えいただき、もうしばらく様子を芋おいただければ  」

    構造䞊の問題。お互い様。
    銙織は、デスクの匕き出しの奥に隠すように握っおいたスマヌトフォンの通話を切り、静かに机の䞊ぞ眮いた。

    誰も私を悪意で攻撃しおはいない。
    管理䌚瀟も、隣人も、ただ正しさの曞類の枠組みのなかで、手続きをこなしおいるだけだ。なのに、なぜ私の倜だけが、こんなふうに削り取られ続けなければならないのだろう。

    その倜、午前3時の401号宀は、11月を間近にした晩秋の冷気によっお、芯から冷え切っおいた。
    銙織は、銖元の䌞びたスりェットのなかに銖を瞮めるようにしお、ベッドの䞊に正座しおいた。りヌルの゜ックスを穿いた足の裏は、床から這い䞊がる冷気で、感芚を倱いかけおいる。

    耳栓を倖した圌女は、導かれるようにベッドを降り、フロヌリングの䞊を音もなく這うようにしお、右偎の壁ぞ近づいた。

    401号宀ず402号宀を隔おる、厚さ200ミリメヌトルのコンクリヌトの戞境壁(こざかいぞき)。

    銙織は、躊躇するこずなく、そのざら぀いた衚面に、䞡手のひらを盎接抌し圓おた。  冷たい。

    最初に䌝わっおきたのは、指の皮膚を凍らせるような、容赊のない物質の冷えそのものだった。
    続けお、銙織は自分の右の頬を、そしお耳の柔らかな付け根を、その冷たいコンクリヌトぞ匷く抌し圓おた。

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    壁は、この密閉された郚屋のなかで、銙織が觊れるこずのできる唯䞀の、隣人にも同時に觊れおいる物䜓だった。この薄いコンクリヌトの板だけが、二぀の孀立した倜を、物理的に繋いでいる。

    そのずき、壁の深いずころから、それが届いた。

    ごずり   

    それは、耳で聎く音ではなかった。
    壁のコンクリヌトの粒子を媒介にしお、頬の骚、頭蓋骚、そしお銖の付け根の皮膚を通っお、胞の奥ず内臓の最も深い堎所ぞ、盎接䟵入しおくる、重い䜎い振動だった。

    内偎から盎接揺さぶられるようなその衝撃に、銙織の喉の奥から、冷たい吐き気がせり䞊がった。圌女は壁に瞋(すが)り぀いたたた、胃の腑を激しく収瞮させ、匷匵った息を吐いた。

    音は物理的に実圚し、壁を䌝っお、自分の肉䜓を確実に䟵しおいる。
    けれど同時に、壁の冷たさが耳の奥の熱を奪っおいくなかで、銙織の意識は、暗闇のなかでさらに深く匵り詰めおいった。

    これほどたでに壁に身䜓を抌し圓お、向こう偎の呌吞を感じ取ろうずしおいる私自身の、この異垞な所䜜、この息遣いもたた、同じ物理の法則に埓っお、壁の向こうぞ䌝わっおいるのではないか

    私は、玔粋な被害者なのか
    それずも、向こう偎の䜏人にずっおの、倜の䞍穏な物音の䞀郚に成り䞋がっおいるのか

    隣の402号宀の䜏人もたた、いた、この同じ壁の裏偎に耳を抌し圓お、眠れぬ倜のなかで、私の気配を埅っおいるのかもしれない 

    壁を挟んで、二぀の孀独な倜が、暗闇のなかで恐ろしい速さで重なり合い、互いの茪郭を䟵しはじめおいた。

    ◆ 知識の扉  固䜓䌝搬音ず空気䌝搬音 
    集合䜏宅における音の䌝わり方には、倧きく分けお、二぀の異なる経路がありたす。
    ひず぀は、テレビの音や話し声のように、空気を媒介ずしお波が䌝わる「空気䌝搬音(くうきでんぱんおん)」です。これは、䞀般的な防音壁や高機胜な耳栓、遮音カヌテンによっお、比范的容易にその゚ネルギヌを枛衰させるこずができたす。
    しかし、もうひず぀の経路である「固䜓䌝搬音(こたいでんぱんおん)」は、たったく性質が異なりたす。
    足音、家具を動かす衝撃、排氎管を流れる氎の振動などが、建物の梁や柱、床スラブずいった匷固なコンクリヌトの構造䜓そのものを盎接揺らし、それが壁面から再び空気の振動ずなっお宀内ぞ攟たれる。これが固䜓䌝搬音です。
    固䜓䌝搬音は、建物の構造そのものを経由しお回り蟌んでくるため、どれほど高性胜な耳栓を耳の奥ぞ抌し蟌んでも、防ぐこずは極めお困難です。ずくに20ヘルツから100ヘルツ付近の䜎い音は、錓膜だけでなく、頭蓋骚や内耳、ずきには内臓ぞも振動を䌝え、自埋神経を緊匵させお、目眩や吐き気、特定の音源ぞの匷い拒絶を匕き起こすこずがありたす。
    この音響工孊の事実は、隣人の立おる埮小な動䜜が、物理的に実圚する加害になりうる、ずいう客芳的な裏づけになりたす。
    しかし同じ事実が、もうひず぀の顔を持っおいたす。構造䜓を耇雑に回り蟌んでくる固䜓䌝搬音は、発生源の特定も、音圧の正確な枬定も、技術的に極めお難しい。぀たり、その音が本圓に隣人の動䜜によるものなのか、それずも建物そのものが生んだ環境音なのかを、客芳的に切り分ける手立おは、どこにも存圚しないのです。
    壁は、加害を䌝える。けれど壁は、その加害が誰のものかは、決しお教えおくれたせん。

    第5ç«  受忍限床

    「法廷はあなたから䜕も求めない。あなたが来れば受け入れ、去れば攟っおおくだけだ」
    (Das Gericht will nichts von dir. Es nimmt dich auf, wenn du kommst, und es entlÀsst dich, wenn du gehst.)

    ── フランツ・カフカ(『審刀』より)

    11月に入るず、倜の空気は急速に湿り気を倱い、401号宀の癜い壁は、觊れるだけで指先の氎分を奪う、冷たい也きに支配されおいた。

    銙織の䞍眠は、すでに明確な臚界点に達しおいた。
    ベッドから起き䞊がろうずするだけで、こめかみの奥を倪い針で突き刺されるような頭痛が走り、芖界の端がぐにゃりず歪む。枕に頭を乗せおいるこず自䜓が、頭蓋骚の重みを䞍快に意識させ、䌑息のための時間は、ただ苊痛に耐え続けるだけの、底のない時間ぞず反転しおいた。

    銙織は、敷垃団の䞊に座り蟌み、スマヌトフォンの薄暗い画面のなかで、ある蚀葉を怜玢し続けおいた。
    画面の埮光を芋぀める圌女の目は、瞌の裏が也いお、瞬きのたびに现かな痛みが走った。県球の奥には、慢性的な過芚醒の熱が、ずっず滞っおいる。
    画面に䞊んでいたのは、集合䜏宅の生掻隒音をめぐる、過去の冷たい刀䟋の集たりだった。

    画像

    スクロヌルする指先が、ひず぀の法埋甚語の䞊で止たった。
    受忍限床(じゅにんげんど)。
    瀟䌚生掻を営むうえで、呚囲から生じる䞀定の䞍利益は、互いに我慢すべきものずされる。その我慢の限床を超えたず客芳的に認められたずきに、初めお法埋䞊の違法が成立する──画面の解説は、そう告げおいた。

    我慢すべき、限床 
    銙織は、その文字の列を、かすれた呌吞のなかで芋぀め、胞の奥が凍り぀くのを感じた。

    過去の刀䟋が瀺しおいるのは、被害者がどれほど粟神を病み、どれほど肉䜓を削られおいるか、ずいう個人の限界の重さでは、決しおなかった。法が枬るのは、建物の構造や、隒音蚈の匟き出す数倀や、瀟䌚䞀般の平均的な人間が耐えられるずされる基準。曞類の䞊の、客芳的な正しさだけだった。

    個人の固有の苊痛は、制床の倩秀の䞊では、ひずかけらの重さも持たない。瀟䌚の平均倀ずいう無機質な定芏によっお、圌女の剥き出しの悲鳎は、蚱容範囲内ずしお、静かに、合法的に圧し朰されおいく。

    人の䞭で削られ続け、呜をすり枛らしおようやく手に入れた、この401号宀が、音のない法埋の死角によっお、いたや完党に䟵されようずしおいた。
    そのずき、銙織の手のひらのなかで、スマヌトフォンが短く、激しく振動した。

    画面に、芋芚えのある数字の䞊びが浮かび䞊がる。連絡先に登録されおいない、けれど銙織がその配列を、瞌の裏で完党に蚘憶しおいる、ひず぀の番号。

    銙織は、呌吞を止めた。
    圌女は通話のボタンに觊れるこずなく、汚れたものから逃れるように、画面を䞋に䌏せお、床の䞊ぞ匷く眮いた。

    その番号が誰のものなのかを、銙織は知っおいた。だが、そのこずを圌女は自分の意識の䞭倮に眮くこずを、長いあいだ拒み続けおきた。出おはいけない。話しおはいけない。それは、悪意のある人間からの着信ではなかった。

    悪意などどこにもなかった。
    ただ、その声に応えおしたえば、自分がたたあの堎所たで、薄く、薄く、削られおいくこずだけは、はっきりず分かっおいた。

    隣人が珟れる、ずっず前から、その憎しみの苗床は、圌女のなかにあった。怒るこずを蚱されないたた、宛先を持たないたた、柱(おり)のように溜たり続けおいた感情。

    そのずき、右偎の壁の奥から、埅っおいたずばかりに、あの音が響いた。

    ごずり   

    銙織のなかで、䜕かが決壊した。
    圌女は、スりェットの胞元を、骚が浮き出るほどの匷さで、爪を立おおかきむしった。コットンの生地が擊れる鈍い音が、暗闇に響く。

    隣人は、悪意で私を灌いおいるのではないのかもしれない。これは私の脳が䜜り出した怪物なのかもしれない。
    そんな冷静な声は、䞀瞬で、暎走する感情の濁流にかき消された。

    そんなこずは、どちらでもよかった。
    いた、私の目の前には、心ゆくたで憎むこずを蚱された「敵」が、あの壁の向こう偎に、確かに存圚しおいる。法埋が私を救わないのなら、この受忍の境界線の倖偎ぞ、自分の足で螏み出すしかない。

    暗闇のなかで、銙織は、芋開いた県球を冷たい空気に也かしながら、隣の壁を、ただ睚(にら)み続けおいた。その芖線には、もう、ためらいの熱はなかった。

    ◆ 知識の扉  扁桃䜓の脱抑制ず、ネガティブぞの偏り 
    慢性的な睡眠䞍足が人間の粟神にもたらす最も残酷な圱響は、「前頭葉のはたらきが匱たる」ずいう単玔な衰えだけではありたせん。
    近幎の脳科孊の研究では、わずか数日間の睡眠䞍足によっお、理性的・客芳的な刀断を叞る内偎前頭前野ず、恐怖や嫌悪、怒りずいった原始的な情動を叞る「扁桃䜓(ぞんずうたい)」ずの結び぀きが、目に芋えお匱たるこずが確認されおいたす。扁桃䜓は、普段は前頭前野によっお過剰な掻動を抑えられおいたす。その結び぀きが匱たるずき、情動のブレヌキが倖れ、扁桃䜓が脳の䞻導暩を握っおしたう。これを「脱抑制(だ぀よくせい)」ず呌びたす。

    さらに重芁な事実がありたす。
    睡眠䞍足の扁桃䜓の過剰な反応は、すべおの刺激に察しお均等に起こるわけではない、ずいうこずです。実隓では、睡眠䞍足の脳は、恐怖や敵意を含むネガティブな情報には過敏に反応する䞀方で、幞犏や奜意ずいったポゞティブな刺激に察しおは、反応の感床がほずんど倉化しない──぀たり玠通りしおしたう、ずいう顕著な偏りを瀺すこずが分かっおいたす。
    脅嚁には過敏になり、奜意には鈍くなる。これが、睡眠を奪われた脳の、傟いた倩秀です。
    この生理的な偏りは、銙織が職堎で橋本の差し出した芪切をモノクロの颚景ずしお芋過ごし、隣人の立おる埮小な音にだけ、抑えのきかない憎しみを膚らたせおいく過皋の、確かな裏づけになりたす。

    そしお同じ事実が、もうひず぀の深淵をひらきたす。
    圌女が知芚しおいる䞖界からの敵意、隣人からの明確な加害は、実際に呚囲が悪意に満ちおいるからではなく、ブレヌキを倱った圌女自身の脳が、ネガティブな信号だけを遞んで受け取り、増幅し続けおいる結果なのかもしれない──この冷たい反蚌もたた、同じ事実によっお、等しい重さで支えられおいるのです。

    第6章 負の同調

    「怪物ず戊う者は、自らも怪物ずならぬよう心せよ。長く深淵を芗き蟌むならば、深淵もたた、お前を芗き蟌んでいる」
    (Wer mit Ungeheuern kÀmpft, mag zusehn, dass er nicht dabei zum Ungeheuer werde. Und wenn du lange in einen Abgrund blickst, blickt der Abgrund auch in dich hinein.)

    ── フリヌドリヒ・ニヌチェ(『善悪の圌岞』より)

    その倜を境に、銙織の向きは、完党に反転した。
    時蚈の針が午前3時を指したころ、401号宀のなかで息を朜めおいた銙織は、もはや、音を遮断するこずを諊めおいた。

    耳栓は、匕きちぎるようにしお、フロヌリングの䞊ぞ攟り出されおいる。圌女はベッドに暪たわるのをやめ、吞音材になっおしたう掛け垃団をすべお足元ぞ蹎り出すず、冷え切った床の䞊に盎接、膝を立おお座り蟌んだ。

    圌女が詊みたのは、防埡ではなく、迎撃だった。
    銙織は、静寂そのものを恐れおいた。音が鳎っおいない時間の、あの耳の奥が痛くなるような無音が、いたや最倧の脅嚁ずしお、圌女の神経を絶え間なく圧しおいた。

    い぀鳎るずも知れない衝撃を埅ち続けるくらいなら、いっそ、次の音が鳎る瞬間を、この耳で胜動的に捕たえにいけばいい。そう暎走しはじめた譊戒が、圌女の身䜓を、境界壁ぞず瞛り぀けおいた。

    銙織は、自分の二の腕を䞡手で抱え蟌むようにしお、402号宀ずの境界壁ぞ、身䜓を限界たで密着させた。
    コンクリヌトの骚組みから盎接䌝わる11月の倜気が、スりェットの生地を透過しお、肋骚の茪郭を凍らせおいく。だが、銙織はその冷たさを拒たなかった。右の耳の付け根を壁のざら぀いた衚面ぞ匷く抌し圓お、䞡手のひらをコンクリヌトぞ吞い぀かせお、向こう偎の気配ぞ、神経のすべおを尖らせる。
    窓の倖では、倜半から降りはじめた冷たい雚が、アルミサッシを现く叩いおいた。

    瞌の裏は、限界を超えた熱で也き、瞬きのたびに痛みが走る。けれど、圌女の意識のピントは、自分の肉䜓の悲鳎を完党に無芖しお、壁の向こうの暗闇ぞ据えられおいた。

    数分、あるいは数十分の、呌吞の止たるような静寂。やがお、壁の最も薄いずころから、それは届いた。

    ごずり   

    い぀もの、重い固䜓䌝搬の振動。
    だが、その盎埌だった。

    頭蓋骚を盎接揺さぶるその残響の底から、いたたで䞀床も聞いたこずのない異物が、銙織の耳ぞ滑り蟌んできた。

    「  うぅ  っ  」

    それは、埮かな、しかし玛れもない、人間の、掠れた䜎いうめき声だった。
    怒りや快楜の声ではない。激しい肉䜓の苊痛、あるいは終わりのない粟神ののたうちの果おに、喉の奥からどうしおも挏れおしたったような、剥き出しの呌吞の断片。

    銙織は、壁に耳を抌し圓おたたた、党身の血の気が匕いおいくのを感じた。
    その掠れた呌吞のテンポは、いた、この薄暗い郚屋のなかで、壁に瞋り぀きながら絶望的な埅機を続けおいる銙織自身の、浅く匷匵った呌吞ず、ぞっずするほど完璧に、同期しおいた。

    画像

    自分を眠らせないあの音の䞻も、この凍えるような倜の底で、たったく同じように起きおいる。自分ず同じ倜のなかで、䜕かに灌かれ、䜕かから逃れるように、暗闇を圷埚っおいるのかもしれない。

    その地続きの気配が、壁の冷たさを通っお銙織のなかぞ入り蟌んだ瞬間、圌女の胞の奥を、ひず぀の小さな明滅が掠めた。これほど私が壁に耳を抌し圓お、皮膚を匷匵らせお呌吞を挏らしおいるのなら  

    この壁の向こう偎にも、私のこの執着の音、爪を立おる音、すすり泣きが、同じように䌝わっおいるのではないか
    私を砎滅させようずしおいるのは、隣人なのか。それずも、私が、隣人の倜を灌いおいる加害者なのか。

    だが、その芜は、次の瞬間に胞を満たした激しい憎しみの濁流によっお、螏み朰され、かき消された。うめき声が本物であるかどうかも、もう確かではない。睡眠を奪われ続けた脳が䜜り出した、郜合のいい幻聎であるずいう可胜性さえ、等しい重さで、そこに暪たわっおいた。

    銙織は、壁を抌す䞡手にさらに力を蟌めた。爪の隙間に、コンクリヌトの癜い砂が食い蟌む。隣人のうめき声の奥にある、剥き出しの珟実ずは、いったい䜕なのか。

    䞖界から切り離された401号宀の沈黙のなかで、銙織の意識は、壁の向こうの暗闇ぞ吞い蟌たれおいく。

    䜕ひず぀解決の糞口を芋぀けられないたた、倜は、ただ終わらない。

    (前線了)

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