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健康は、自分にとっての「ちょうどよさ」を探し続けるゲームかもという話

    こんにちは。ベンジャミン浅田です。

    前回の記事では、私が健康やアンチエイジングについて発信しようと思った理由や、自然体で健康を楽しむという考え方についてご紹介しました。

    今回は、もう少し自分の中にある「健康についての考え方」を書いてみたいと思います。

    最初にお伝えしておくと、これは科学的な解説記事ではありません。何かの論文を紹介したり、医学的な正解を示したりするものではなく、私が自分の体でいろいろ試しながら感じてきた健康についての考え方や、大げさにいえば哲学のようなものです。

    なので、「それはエビデンスがあるの?」というよりも、「そういう考え方もあるのか」くらいの気軽な感じで読んでもらえたら嬉しいです。

    生きることは、何かをすり減らすことでもある

    以前からよく考えていたのは、結局、人は何かをすり減らしながら生きているのではないか、ということです。

    当たり前のことではありますが、生きるということは、体力や気力、関節、内臓、肌、血管、神経、そして時間のような、上限のあるリソースを少しずつ使っていくことでもあります。

    こう書くと少し暗い話に聞こえるかもしれませんが、私はこれを悲観的に捉えているわけではありません。ただ、どれだけ健康的な生活をしていても、私たちはまったく消耗せずに生きることはできない。年齢を重ねるということは、ある意味で、そのリソースの使い方の結果が体に少しずつ表れていくことなのだと思います。

    もちろん、これから科学や医療が飛躍的に発展すれば、老化に対する考え方も大きく変わるかもしれません。けれど、少なくとも当面の間は、私たちは「まったくすり減らない体」で生きることはできないのではないでしょうか。

    だとすれば、大切なのは、すり減ることに抗いすぎることではなく、「何を、どのくらい、どう使って生きるのか」を考えることなのだと思います。

    健康に良いことにも、必ず裏側がある

    たとえば、運動は健康にとって大切です。

    これは私自身も強く感じていますし、それを裏付ける多くの研究もあります。
    例えば、ウォーキングはとても良い習慣だと思っています。1日8,000歩から10,000歩程度を目安に歩くことは、健康に良いと言われることも多いですし、私自身もウォーキングによって実際に体調や気分が整う感覚があります。

    歩いていると頭がすっきりしますし、血のめぐりがよくなるような感覚もあります。夜も眠りやすくなりますし、体全体が自然に整っていくように感じることもあります。

    ただ一方で、負荷の軽いウォーキングであっても体は少しずつ消耗しているのではないか、とも思います。

    私の父は散歩が趣味です。同年代の男性と比べても健康な方だと思いますし、実際によく歩いています。ところが最近、膝が痛くなってきたようで、医者に行ったところ、「膝の軟骨がすり減っている」と言われたそうです。

    もちろん、これは散歩が悪いという話ではありません。むしろ、散歩をしてきたからこそ、今も健康に過ごせている部分は大きいと思います。

    ただ、どれだけ体に良いことでも、そこには何らかのコストがある。

    歩くことで得られるものがある一方で、膝や足には負担がかかる。
    筋トレで得られるものがある一方で、関節や腱には負担がかかる。
    日光を浴びることで得られるものがある一方で、肌へのダメージもある。
    食事を増やせば栄養はとれますが、内臓への負担も増えるかもしれません。
    逆に制限しすぎれば、体は軽くなるかもしれませんが、エネルギーや楽しさを失うこともあります。

    健康に良いと言われることにも、必ず裏側がある。

    これは、健康を考えるうえで大切な感覚だと思っています。

    筋トレも、万能ではないと思う

    最近は、「筋トレは健康に良い」というイメージが一般論として広がっているように感じます。

    もちろん、筋肉は大事です。年齢を重ねるほど、筋肉量を維持することの重要性は増すと思います。姿勢や見た目にも関わりますし、代謝や活動量にも影響します。私自身も、適度な筋トレは健康やアンチエイジングにとってとても有益だと思っています。

    ただ一方で、筋トレも万能ではありません。

    高重量を扱えば、肩、肘、腰、膝などの関節には負担がかかります。若いころは多少無理をしても回復できたとしても、年齢を重ねると同じ負荷が体に合わなくなることもあります。以前は問題なかったフォームや重量、トレーニング頻度が、ある時期から負担になってくることもあるはずです。

    また、健康長寿やアンチエイジングにとって、いわゆる「ムキムキ」と言われるような筋肉量を大きく増やす方向の体づくりが本当に最適なのかというと、私は必ずしもそうとは思っていません。

    筋肉質な体はかっこいいですし、見た目の若々しさにもつながると思います。ただ、極端に筋肉を増やすためには、身体にも内臓にも大きな負荷がかかりますし、食事量や生活の管理も必要になります。そこには得られるものもあれば、失うものもある。

    筋トレを否定したいわけではありません。むしろ、適度な筋トレは大切だと思っています。私も「適度」であることを常に意識しながら、筋トレは生活に深く取り入れています。

    ただ、「筋トレは健康に良い」という一言だけで、すべてを片づけない方が良いのではないかと思っています。大切なのは、自分にとってどのくらいの筋トレが適度なのか。どのくらいなら体が喜び、どこから先は体がすり減りすぎるのか。そこを見極めることが重要だと考えます。

    自分の「弱い部分」を知ることが、健康の近道かもしれない

    人の体は、みんな同じではありません。

    関節が強い人もいれば、弱い人もいます。胃腸が強い人もいれば、少しの食べすぎですぐに調子を崩す人もいます。血管系に不安がある家系の人もいれば、腎臓に負担をかけない方がいい人もいる。肌が強い人もいれば、少しの刺激で荒れやすい人もいます。

    同じ健康法でも、ある人には合っていて、別の人には合わない。これは当たり前のことだと思います。

    たとえば、関節がもともと弱い人が、健康のために高重量の筋トレを始めたとします。短期的には筋肉がついて、見た目も変わるかもしれません。でも、その人にとって関節が弱点だった場合、そこを酷使することで、結果的に健康から遠のいてしまう可能性もあります。

    腎臓に不安がある人が、筋肉を増やすために高タンパクな食事を増やすことも、慎重に考えた方がいいかもしれません。

    ちなみに、私の親族には若くして腎臓を悪くして人工透析を受けている方もいます。私自身も若いころから腎臓の数値があまり良くなかったため、遺伝的に腎臓が弱い可能性があります。
    そのため、筋トレをはじめとする運動や、タンパク質の摂取量・質には人一倍気を使っています。
    あくまでも健康の観点から、自分の体がどこまで負荷を受け止められるのかを強く意識しています。

    また、血管系に不安がある人が、毎回限界まで追い込むような激しいトレーニングを続けることにも、同じように注意が必要だと思います。

    もちろん、専門的な判断は医師に相談すべきです。私は医師ではないので、ここで医学的なことを断定するつもりはありません。

    ただ、自分の体質や遺伝的な弱点を無視して、一般的に良いと言われる健康法をそのまま当てはめるのは、少し危ういのではないかと思っています。

    健康でいるためには、自分の耐久力が高い部分をうまく使いながら、耐久力が低い部分を守る。このバランス感覚が、非常に大事なのではないかというのが私の考えです。

    足腰が強いなら、歩くことをうまく活用する。関節が弱いなら、負荷のかけ方を工夫する。胃腸が弱いなら、消化に負担をかけすぎない。睡眠が乱れやすいなら、まず睡眠を整える。肌が弱いなら、何かを足す前に刺激を減らす。

    自分の強いところを活かしながら、弱いところを守る。

    これは、健康における本質的な考え方なのではないかと思っています。

    健康は、過剰と不足を避け続けるゲーム

    私の中では、健康とは「過剰」と「不足」を避け続けるゲームのようなものです。

    運動は不足してもよくありませんが、やりすぎても体に負担がかかります。睡眠も足りなければ体調を崩しますが、寝すぎて生活リズムが乱れることもあります。食事も同じで、足りなければ体は弱りますし、食べすぎれば別の負担が生まれます。

    日光も、栄養も、ストレスも、休息も、仕事も、人間関係も、すべてに「不足」「適度」「過剰」があるように感じます。

    そして奥深いのは、その「適度」が常に変わり続けることです。

    20代の自分にとっての適度と、40代の自分にとっての適度は違います。仕事が忙しい時期と、余裕がある時期でも違います。よく眠れた日と、寝不足の日でも違う。季節や気候、住んでいる場所、メンタルの状態によっても変わります。

    つまり、健康には固定された正解がないというのが私の考え方です。

    理論上は、すべてのパラメータが完璧に整った「最高の一点」があるのかもしれません。でも、実際の生活の中でそれを常に狙い続けるのは、ほとんど不可能です。そもそも自分自身が毎日少しずつ変わっていくので、パーフェクトな正解の場所も常に動き続けます。

    だから私は、完璧な一点を目指すよりも、だいたい良い範囲に収め続けることが大事なのではないかと思っています。

    極端に足りないものを作らない。極端にやりすぎない。体が嫌がっているサインを無視しない。調子がよいと感じる方向に、少しずつ整えていく。

    言い換えると、健康とは自分にとっての「適度」を探し続けるゲームと言えるのではないでしょうか。

    最高を目指すより、自分のちょうどよさを探す

    健康やアンチエイジングの世界では、どうしても「最高」を目指したくなります。いわゆる、理論値の追求です。

    最高の食事、最高の運動、最高の睡眠、最高のサプリ、最高のスキンケア、最高のルーティン。

    もちろん、より良い方法を探すことは楽しいことです。私自身も、健康について調べたり試したりするのは大好きです。

    ただ、最近は「最高」を目指しすぎること自体が、少し不健康になることもあるのではないかとも思っています。

    完璧な食事をしなければいけない。毎日決まった運動をしなければいけない。睡眠スコアを上げなければいけない。体に悪いものを一切避けなければいけない。

    そうやって健康を追いかけすぎると、健康のために生きているのか、生きるために健康でいるのか、よくわからなくなることがあります。

    私にとって健康とは、人生を縛るものではありません。人生を楽しくするための土台です。

    だから、最高を目指すよりも、自分にとってのちょうどよさを探したい。体が軽く、気分が安定していて、よく眠れて、お腹や肌の調子も大きく崩れない。無理なく続けられて、生活していてどこか自然体でいられる。そういう感覚を大切にしたいと思っています。

    数値も大事です。研究も大事です。専門家の意見も大事です。

    でも、それだけではわからないものもあります。自分にとって心地よいか。自分の体がどう反応しているか。自分の生活に自然に馴染むか。そこを見ないまま、外側の正解だけを追いかけても、結果的に長くは続かないのではないでしょうか。

    健康を哲学する、という面白さ

    少し大げさに聞こえるかもしれませんが、私は「健康を哲学する」ことは、とても奥深くて面白いことだと思っています。

    何を食べるのか。何を食べないのか。どのくらい体を動かすのか。どこまで自然なものにこだわるのか。何にお金を使うのか。どんなふうに年齢を重ねたいのか。

    こうした選択には、その人の価値観が明確に表れます。

    若く見えたいのか、長く動ける体でいたいのか、痛みなく暮らしたいのか、美しくいたいのか、自然体でいたいのか。あるいは、多少の楽しみを残しながら、ほどよく健康でいたいのか。

    健康法には、その人の生き方が表れると思います。

    だからこそ、人の正解をそのまま借りるだけでは、どこかで無理が出るのだと思います。誰かにとっての最高の健康法が、自分にとっての最高とは限りません。有名な専門家のルーティンが、自分の生活に合うとも限りません。長寿の人が食べているものをまねしても、自分が同じように健康になるとは限らない。

    結局、自分の体と生活に合わせて、自分なりの「健康道」のようなものを作っていくしかないのだと思います。

    それは少し面倒なことでもあります。でも、同時に楽しいことでもあります。

    自分の体を観察し、調子がよくなるパターンを見つける。合わないものを少しずつ手放し、今の自分に合う生活を組み立てる。そして年齢に合わせて、健康法を更新していく。

    これは、ある意味で一生続く遊びのようなものです。

    さいごに

    今回書いたことは、科学的な正解というより、私自身の健康に対する考え方です。

    人は、何かをすり減らしながら生きている。だからこそ、何をどう使うのかを考えたい。

    健康に良いことにも、必ず裏側がある。だからこそ、自分の弱い部分を守りながら、自分に合う形を探したい。

    健康は、過剰と不足を避け続けるゲームのようなもの。だからこそ、完璧な一点ではなく、自分にとっての適度を探し続けたい。

    そんなふうに考えています。

    もちろん、これが絶対の正解だとは思っていません。健康については、人それぞれ考え方があって良いと思います。科学的な情報を参考にすることも大切ですし、専門家に相談すべき場面もあります。

    ただ、それと同じくらい、自分自身の体を観察し、自分にとっての健康とは何かを考えることも大切なのではないでしょうか。

    健康は、単なるノウハウではなく、自分の生き方を考えることでもある。

    自分にとっての適度。自分にとっての心地よさ。自分にとっての自然なバランス。

    それを探し続けることが、私にとっての健康との付き合い方なのかもしれません。

    この文章が、読んでくださった方にとって、自分なりの健康について少し考えるきっかけになれば幸いです。

     
     
    アンチエイジング・健康長寿実践者|アラフォー男性。プロテインなどのサプリに極力頼らず、自然体で続けられる健康習慣とアンチエイジングを実践中。論文やさまざまな情報をもとに、自分で試して得た気づきを発信しています。

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