
肉塊のお姫様⑤
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結局、その日は施設に戻る気にもなれず駅近くの安いホテルに泊まりました。一人で過ごすにはやけに広いし、おまけに鎖などの変な装飾があって不気味な雰囲気がある部屋でした。お風呂から上がって暇つぶしにバラエティー番組を見ていると、またあの狐を思い出してしまったのです。
「……川田さん」
彼と過ごしたあの日はすごく楽しかったのに、今日買ったタピオカは味すらしないし、テレビも全く面白くありませんでした。
それだけで胸が苦しくなって、逃げるようにベッドに潜って目を閉じました。…臭い。シーツが何だかイカ臭くて中々寝つけません。
起き上がって番組を変えると、男女が激しく乱れながらお互いの名前を叫ぶ場面が映ったのです。そうだ。明日は川田さんの名前が分かるかもしれない。そう思うと何だか嬉しくて、久しぶりに日記を書きました。
もう少しできっと会える。
だから何があっても挫けないし負けない
妄想に耽りながら筆を動かす中で、知らない男女の喘ぎ声がいつまでも部屋に響いていました。
翌日10時。カフェの前で待っていると、ヒョウ柄シャツを着た昨日の男が視界に映りました。手には高級ブランドのクラッチバッグを持っています。その派手さで周りにジロジロ見られながら、こちらにやってきました。
「あーあ、残念だったな」
「えっ、ど、どうだった?」
男は自慢げにスマホの画面を見せてきました。名簿のような写真が映っていて、そこに小さく『川田 順雄 36歳』という文字が載っています。
「なんて読むのか分からないわ」
「はぁ?マジ馬鹿だなお前。かわだとしのりって読むんだよ。コイツ結構年いってんのな、おじさんじゃん。どの職員が情報流したんだろうな?子供は守るけど、大人は守らないってか」
ゲラゲラ腹を抱える男を横目に、私はその名前を頭で繰り返し再生しました。……としのり。としのり。かわだとしのり。あぁなんて素敵な名前なんでしょう。川田さんと呼び慣れているし、でも名前で呼ぶのも捨てがたい。どっちの方がいいのかなぁ。
「時間がないから早くしろ」
男は妄想に耽る私に怒鳴って、駅から人気のない公園まで無理やり連れていきました。するとスーツが入った紙袋を渡してきて、多目的トイレで着替えるよう指示してきたのです。
しつこく怒られるのも嫌だったので仕方なくシャツとジャケットに袖を通して、スカートのファスナーを閉めました。初めてのスーツ。この姿を見たら、あの人はどんな反応をしてくれるのでしょう。
『…似合ってるよ、すごく』
どんなに時が経っても、私はいつだって低く甘い声を鮮明に思い出せました。今日の用事が終わったら色々調べてみよう。そう決意してトイレから出ると、男はスーツ姿をジロジロ見て観察してくるのです。
「似合うじゃん。意外といい女だよな」
「やめて気持ち悪い。それよりどうして着替えさせたの」
「あぁ、いいかよく聞けよ?お前は受け子をすんの」
男はそう言うとポケットから何かをゴソゴソ取り出します。それは私の身分証でした。多目的トイレでスーツへ着替えている間に、預けていたバッグから勝手に盗んでいたのです。
「断ると個人情報やら何やら全部ネットに晒しちまうぞ」
「勝手にして。早く彼を探しに行きたいの」
私が呆れて帰ろうとすると、男は肩をいきなり強く掴んで叫びました。
「待てよ。俺は川田って奴のこと、何もかも全部知ってるんだぜ」
「コイツに舞子ちゃんは別の施設でも大暴走してる悪い子ですって連絡してやろうか?」
「そ、それだけはやめて」
慌てて謝るとパッと肩から手を離して、男はこう呟いたのです。
「じゃあ受け子をやってくれたら、おまけに家族構成も細かく教えてやるよ」
またもや魅力的な提案にすっかり惹かれて、『受け子』という仕事を手伝うことにしました。しかし、仕事の内容を聞くにつれて、怪しいと馬鹿な私でも気づいたのです。
「お前は金融庁の職員だ。俺が電話で指示してやるから、その通りに動いてババアからクレジットカードを貰ってこい」
「でもそれって……」
「あーあ、残念がるだろうなぁ。舞子ちゃんが悪い子だって知ったらなぁ」
「わ、分かった!!本当に川田さんのこと、もっと教えてくれるのね?」
「勿論。馬鹿なんだからヘマすんなよ」
絶対川田さんには嫌われたくない。もう必死でした。私はどうやらかなり演技が上手いようで、男の言う通りにちゃんと仕事をこなせました。罪悪感も全くありませんでした。
だって私なんかに騙されるお婆さんよりも、こんな自分を受け止めてくれた川田さんの方が、ずっと、ずううううっと大切だからです。クレジットカードを受け取って仕事を終えた頃には、彼の為ならこんなことまで出来るのだと何だか誇らしくなっていました。
少しスキップしながら待ち合わせしていた公園へ帰ると、男も上機嫌そうにベンチで待っていました。
「舞子、俺びっくりしたよ~。えらいなぁ」
「名前で呼ぶのやめて。川田さんにも呼ばれたことないのに」
「はいはい、いいから座れって」
座るなり男は馴れ馴れしく肩に手を回してきました。
「薄々気づいてるだろ?ババアにやったことは豚箱行きになるって。それでも知りたいなんてある意味純粋だな」
「そんなのどうでもいいから早く教えてよ!彼のことなら何でも知りたいの」
しばらく沈黙が続きました。早く情報を知りたい私には、その時間がとても長く思えたのです。そして男はようやく情報を喋り始めました。
「あぁ教えてやるさ。お前が求めて止まない川田は既婚者だってよ!6歳の子供もいる。そう考えるとソイツは結構なクズだよな。舞子がここまでしたってのに、今も幸せに暮らしてるんだから」
「…そんなんじゃない」
「違くないだろ、舞子は…」
「違うわ!!!!川田さんはクズじゃない!」
私はいつもの癖で暴れて男を殴ろうとします。しかし全く身体に力が入らず、ただ縋りつくことしかできません。
____本当は薄々気づいていました。やたらと女性の流行を知っていることも、キスを拒んだことも、全てが怪しいと思っていたのです。あの施設は子供も職員も装飾品が厳しく禁止されていたので、指輪は着けていませんでした。それをいいことにずっと都合良く考えていたのです。
「これで分かっただろ?」
男はそう囁くと、泣きじゃくる私を優しく撫でました。
「分かった、分かったわ」
「川田さんは、私と結ばれたかったのに、家族が邪魔だったのね!!」
「……はぁ?」
「今度は私が迎えに行く番なのよ!あぁ素敵…素敵だわ!!」
男は撫でる手を止めて何故か呆然とこちらを見ています。私にとって既婚者の事実は、家族にバレる危険性があったとしても、脱走をしてくれた証明なのです。
もう堪らなくなって熱くなった顔を手で抑えました。その瞬間勢いよく手を掴まれると、目の前に興奮している男の顔が映りました。
「舞子…お前マジで狂ってるな!気に入ったよ。とびきりな情報を教えてやろうか」
「本当に?!」
「特別だぞ。俺の言うことを何でも聞くと誓うな?」
「ええ、誓うわ」
「じゃあ川田の住所を教えてやるよ」
男は笑って、側に置いていたクラッチバッグからまた何か取り出しました。
「今日の報酬5万だ。情報を教えたから少なくしてるが、まぁ好きに使いな。明日は15時にいつものカフェの前で待ち合わせだ」
「スーツは?」
「いらない。どんな服でもいい。だけど…」
「もう捕まるのも時間の問題だからな」
男は真剣な顔でそう言うと、公園から去って行ったのです。
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