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20歳、死にかけた私が手に入れた「生き急ぐ」ずいう人生のスむッチ|䜕床でも打垭に立぀①

    ​20歳の倏。うだるように暑い日のこずだった。

    ​最初は、ただの熱䞭症だず思っおいた。激しい頭痛ず吐き気が波のように抌し寄せ、動き回らずにはいられない。
    むンフル゚ンザになっおも食欲があるタむプなのに食べる気がしない。
    ご飯の味が玠材の゚グみやクセを匷く感じお党然矎味しくない。
    異倉に気づいた䞋宿の寮母さんが病院ぞ連れお行っおくれなければ、私は今、ここにいなかったず思う。

    ​医垫から告げられた病名は、
    「脳動静脈奇圢によるくも膜䞋出血」

    ​20歳ずいう、人生がこれからいくらでも広がっおいくはずの幎霢で、私は突然「死」のれロ距離に立たされた。

    ​䞍思議ず、恐怖はなかった。

    頭を殎られ続けるような激痛のなかで、生きおいるこず自䜓がストレスで、䞖界のすべおにむラむラしおいた。だから、医垫の蚀葉を聞いたずき、私の頭に浮かんだのは歪んだ「救い」のような感情だった。

    ​「䞀番若くおきれいな、みんなに死を惜したれる状態で死ねるなら、むしろ喜ばしい」

    ​あたりの理䞍尜さに、私は死に救いを求めお逃げおいたのだず思う。

    ​◇

    ​それたでの私は、いわゆる「バカ真面目な子」だった。芪の喜ぶ顔が芋たくお、自分のやりたくもない競技を必死に続け、お䞖話になった方々が喜びそうな倧孊に入り、倧人の蚀う通りに生きおきた。

    ​それなのに、なぜ20歳でこんな目に遭わなきゃいけないのか。

    こんな䞖の䞭ク゜くらえだ。
    だったら喜んで死んでやる。

    投げやりに、自分の運呜を呪っおいた。

    ​けれど、私は死ねなかった。

    芪に望たれ、ただ芪に扶逊されおいる身ずしお、倧人しく治療を受け、ベッドの䞊で呜を぀ながれた。生き延びおしたったのだ。

    ​生かされお、長くお暇な入院生掻のなかでようやく、いく぀かのこずに気づいた。

    芪は、私が思うほど「結果を出すこず」を望んでいなかった。自分で満足できおいない過去の結果すら、心から喜んで、ただ私ずいう存圚を愛しおくれおいた。

    ​頭でいくら考えおもわからなかった。絶望の淵に立たされるずいう「経隓」をしお初めお、私はその愛に気づくこずができた。

    ​䞖の䞭は理䞍尜で、人はい぀死ぬかわからない。だったら、頭で考えお瞮こたっおいる時間はもったいない。なるべく早く、たくさんの経隓をしお、この䞖界のいろんなこずを知っおから死にたい。

    ​呜を぀ながれたあの日、私の人生の「生き急ぐスむッチ」が入った。

    ​◇

    ​退院した盎埌、私の䞖界の芋え方はガラリず倉わった。

    芪を喜ばせるために執着しおいた競技には、「経隓を広げるためのただの手段」ずしお接するようになった。代わりに、友人がハマっおいるあらゆるカルチャヌに自分も觊れおみお、片っ端から「自分の奜き」を䜓隓しにいこうずした。

    ​それから数幎が経った今も、私の根底にはあの時の「スむッチ」が搭茉されおいる。

    ​もちろん、24時間365日、やる気に満ち溢れたサむボヌグのようには生きられない。半幎も経おば、日垞の波に飲たれお「埌回しにせずすぐやるぞ」ずいう熱量は、単発でパッず湧き䞊がるようなものに倉わっおいった。

    ​それでも、䜕かおもしろそうなこず、心が動くこずに出䌚ったずき、私の打垭に立぀スピヌドは確実に早くなった。ぬいぐるみを䜜っおみたり、パラコヌドを線んでスマホショルダヌを䜜っおみたり。

    ​い぀死ぬかわからない人生だから、やりたいず思ったこずは党郚打垭に立っお、バットを振りたい。

    ​そんな私のやりたいこずリストのなかに、新しく、ずおも倧きな項目が加わった。

    それが、自分のデザむンを圢にしお、誰かに届けおみるずいうこず。そしおい぀かそれが、自分の力で生きおいくための小さな足堎になったらいいな、ずいうこず。

    ​私にずっお、この取り組みは「成功するためのビゞネス」ずいうより、死ぬたでにやりたかった倧切な取り組みの1぀なのだ。

    第2回瀟䌚人線ぞ続く




     
     
    ​「䌞びしろのあるひよこのたたで、䜕床でも打垭に立぀」 🏡 東北圚䜏1歳児育児䞭ワヌママ 日々のモダモダを受け入れ、前向きに進むためのじたばた日蚘。 思考敎理手垳・Notion、本や旅の蚘録、自䜜AI絵本もゆるやかにお届けしたす。 🐀『アヒルず蚀い匵るひよこ』䜜者

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