
「肩書きは、名乗ることで変わっていく」神田なりさんに聞いた、“エッセイスト”として生きる覚悟
エッセイスト、インタビューライター、そして二児の母——。
3つの顔を持ちながら活動する神田なりさんは、noteに450本以上のエッセイを投稿し、先日には初の育児エッセイ本『あたりまえの日常を、奇跡と呼ぶことにした』を出版した。
順調にキャリアを築いているように見える彼女だが、過去には一度、夢を手放しかけた時期があったという。
それでも再び「書くこと」に向き合い、夢を引き寄せたのはなぜだったのか。今の神田さんが考える「書くこと」について、話を聞いた。
「夢が叶う直前で、手放した」あのとき
キャリアの原点を聞くと、当時を思い出しながら丁寧に言葉を紡いでくれた。
「今思えば、子どもの頃から文章を書くことが好きでした。当時は『小説家になりたい』って言っていたのを、今になって思い出します。」
「その後、『ホテル・ルワンダ』という映画を観たときに、『私たちが届けたいことは届かない』という戦場カメラマンの言葉に衝撃を受けて。悔しさや葛藤を感じると同時に、真実を伝える仕事に携わりたいと思うようになったんです」
そんな悔しさから新聞記者を志すようになった神田さん。
「ただ、新聞社のインターンシップで周囲の優秀な学生の姿に圧倒されてしまって……。結局、逃げるように商社に就職しました。それは私にとって、初めての挫折だったと思います」

その後、実際に夢へ近づいたタイミングもあったそうだ。
「前職を辞めるタイミングで転職活動をしていて、産業系の新聞社から内定をいただいたんです。夢が現実になろうとしていた瞬間でした」
「でも、そのタイミングで妊娠がわかって」
少し間を置いて、神田さんは続けた。
「実は、一人目の子どもを死産しているんです。だから次は絶対に失いたくないという気持ちが強くて。我が子に会うために、内定を辞退しました」
「高校生の頃から抱いていた夢を、叶う直前で手放した。自分で決めたことではあったけれど、やっぱりどこか悔しい思いはありましたね」
挫折の先で、「もう一度やりたい」と思えた理由
そこから、どのように今の道へつながっていったのか。
「妊娠をきっかけに夢を諦めて、専業主婦になった時期がありました。その頃はメンタルのバランスを崩してしまったこともあって」
「でも、散々悔しい思いをしてきたからこそ、逆に火がついたというか(笑)。もう一度、何かに挑戦したいって思ったんです」

その思いから、キャリアスクールに通い、ライターとして学び直しを始めた。一度“挫折”した夢に、再び立ち返った感覚もあったではないだろうか。
「そうかもしれません。ただ当時は、ライターという仕事への解像度もまだ低くて。でも、一度できなかったことを、今ならできるんじゃないかって思ったんです」
「過去の自分に対して、“やり直す時間”をあげられる気がしたんですよね」
スクールへの自己投資に、ためらいはなかったのだろうか。
「もちろん大きな決断ではありました。でも当時は、『これ以上下がることはない』という感覚があって。失うものがないと思えたんです」
「専業主婦として家庭にいるだけじゃなく、社会とつながっていたい気持ちも強くて。だから、スキルを身につけようと思いました」
実際に学び始めてみて、感じたことは?
「すごく楽しかったです。子育てに没頭していると、社会と断絶している感覚になって不安もあったんですが、一気に世界が広がって」
「コミュニティのリーダーを任せてもらったり、スクール内のアワードに選ばれたり。少しずつ人生が好転していっているのを感じました」

子育てと仕事、「理想」と「現実」のあいだで
実際にフリーランスライターとして働き始めてからは、どうだったのだろうか。
「夢みたいな仕事だなと思いました。芸能人や経営者など、普段なかなか話を聞けない方々のお話を、目の前で伺えるんですから」
「ある女優さんの取材では、人生観について涙を流しながら、一つひとつ言葉を選んで話してくださったことがあって。私の前で本心を打ち明けてくださったことが、本当に嬉しかったですし、この仕事のやりがいだと感じました」
一方で、苦労したことも?
「仕事と子育て、家事との両立ですね。最初は家庭とのバランスを決めていたんですが、徐々に仕事が増えるにつれて崩れていってしまって」
「フリーランスって、ロールモデルも少ないじゃないですか。ペース配分がすごく難しかったです」

働き方について、夫とぶつかることもあったそうだ。
「家庭最優先で働くつもりだったのに、仕事が楽しくなって、『もっとフルパワーで働きたい!』と思うようになって。夫と衝突したこともあります。それこそ、離婚危機レベルで(笑)かなり大きな変化でしたね」
「今も、家庭と仕事のバランスは模索中です。でも夫と対話を重ねながら、自分にとって本当に大切なものは何かを問い続けています」
「一番大切なのは、子どもたちと過ごす時間。そのうえで、自分が本当にやりたいことは何なのかを、常に考えるようにしています」
取材の先にあった、「自分の言葉を書きたい」という衝動
インタビューライターとして活躍する一方で、noteでは長く個人エッセイも書いている。もともと、“自分の言葉を書きたい”気持ちが強かったのだろうか。
「はい。小説を書いていた時期もありましたし、自分の言葉で書きたいという気持ちはずっとありました」
「ただ、いきなりそれを仕事にするのは難しいじゃないですか。無名の人間が書いた文章を、多くの人に届けるのは現実的ではないと思っていました」
そんなとき、ある人にかけられた言葉が転機になった。
「『取材もエッセイも、人や自分の言葉を深掘りしていく行為だから近いんだよ』と言ってもらったんです」
「そこからは、インタビューの仕事も同じ“書く仕事”として捉えるようになりました。取材相手から大切な宝物を預かるような気持ちで、心を込めて書いています」
noteには3〜4年で450本以上のエッセイを残している。かなりの熱量で綴られた文章ばかりだ。
「私にとってnoteは、自分の言葉を届けられる場所だったんです」
「取るに足らないと思っていた日常を見つけてくれる人がいて、『ファンです』と言ってくださる方もいて。少しずつ、書くことへの自信を取り戻していきました」
「名乗ることで、変わる」キャリアの転換点
そんな神田さんにも、大きな転機があったそう。
「ある作家さんにインタビューしたときに、忘れられない言葉をかけてもらったんです」
その作家も、もともとはクライアントワーク中心のライターだったという。
「『どこかで舵を切らないと、行きたい方向には行けない』という話を聞いて、すごく腹落ちしたんです」
その方が、神田さんにとって具体的なロールモデルになった。
「はい。『自分も同じように進めばいいんだ』って、初めて明確にイメージできました」
そこから、行動も変わった。
「まず、名前を『なりー』から『神田なり』に変えました。それから、公募にも積極的に応募するようになって」
「小さなことでも、行動を変えたことで少しずつ結果が出始めたんです」
その中で、エッセイに対して初めて報酬を得た経験もあった。
喫茶夜ふかしさま主催のエッセイコンテストで、最優秀賞に選んでいただきました…!🎊
— 神田なり | 取材・コラム・エッセイ (@Nalie0923RB) May 20, 2026
連日のようにカオスな育児現場の渦中にいますが、遠い将来、子どもたちにとっても幸せな思い出になってくれたらいいなという想いです🥲💓
貴重な賞をいただき、本当にありがとうございます!🌙✨ https://t.co/ychxkk1lPd
「たとえ小さな金額でも、もうエッセイストって名乗っていいんだって思えたんですよね」
「書くことで、自分の軸をつくる」
今は「インタビューライター」「エッセイスト」「作家」という複数の肩書きを持つ神田さん。一番大切にしたい軸は何なのだろうか。
「場面によって使い分けている感覚ですね。取材の場ではインタビューライターですし。でも、一番大切にしたいのは、やっぱりエッセイストという軸かもしれません」
最近では、自身初となるZINE(自主制作本)も刊行した。
「4歳の息子の妊娠中から1歳過ぎまでの出来事や、心の変化を書いた本なんです」
「最初は、『誰が私の本なんて読んでくれるんだろう』って不安でした。でも実際に出版してみたら、友人や知人だけじゃなく、会ったことのない方まで感想をくださって」
さらに、日記屋 月日が主催する日記本イベント『日記祭』にも出展。
「一人ひとりが本を手に取って、感想を伝えてくださったんです。本当に感激しました」
「自分が生み出した一冊が、こうして誰かの手に届いていく。その感覚が、とても嬉しくて」

その体験が、さらに背中を押した。
「そうですね。“エッセイスト・神田なり”と名乗る覚悟が、よりはっきり決まった気がします。今後は、さらに数冊のZINEを出す予定もあるんですよ」
自分をどう名乗るか。きっと、多くの人が迷い続けるテーマだろう。
けれど神田なりさんは、“まだ何者でもない自分”を恐れず、小さな行動を積み重ねながら、自ら肩書きをつくってきた。
肩書きとは、与えられるものではなく、自分で育てていくものなのかもしれない。そう思わせてくれる取材だった。
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文責:安心院 彩