
悟りのその先への旅、鍛錬する人たち🙏葛飾北斎
葛飾北斎🙏名人から、なお学ぶ老人へ
葛飾北斎は、六歳の頃から物の形を写す癖があったと語っています
その言葉だけを聞けば、幼い頃から才能を示した天才絵師の物語のように思えます
けれど北斎の本当のすごさは、早くから絵を描き始めたことではありません
六歳から描き続け、七十歳を過ぎてもなお「まだ足りない」と言い続けたことにあります
人は少し上達すると安心し、人から褒められると自分はもうできると思いがちです
名が知られれば、その名を守ろうとし、評判になった作風にしがみつきたくなります
しかし北斎は、名人と呼ばれるようになってからも、そこに安住しませんでした
むしろ、さらに学び、さらに変わろうとしました
北斎は生涯に何度も画号を変えています
春朗、宗理、北斎、戴斗、為一、画狂老人卍
それは単なる名前の変更ではなく、過去の自分を脱ぎ捨て、新しい自分へ進もうとする自己更新でした
普通なら、一つの名前が売れれば、その名前を守りたくなります
一つの型が評価されれば、その型を繰り返したくなります
しかし北斎は、名ができても変わり、型ができても壊し、描けるようになっても別の描き方を探しました
ここに北斎の第一の変節があります
名を得る絵師から、名を脱ぎ捨てる絵師へ
型を身につける人から、型を越えようとする人へ
評価されるために描く人から、描くことで自分を更新する人へ
北斎にとって絵とは、完成品を並べることではなく、自分自身を作り替える鍛錬だったのです
代表作『冨嶽三十六景』、とりわけ「神奈川沖浪裏」には、北斎の世界を見る力がよく表れています
巨大な波が生き物のように立ち上がり、小さな舟を呑み込もうとし、その奥に静かな富士が見えます
動く波
揺れる舟
変わらぬ富士
そこには、自然の激しさと永遠の静けさ、人間の小ささと世界の大きさが同時に描かれています
北斎は単に美しい風景を描いたのではありません
一瞬の動きと永遠の形を、一枚の中に閉じ込めようとしたのです
富士山は同じ山でありながら、見る場所や時間、天気によって姿を変えます
朝の富士、夕暮れの富士、雨の富士、風の中の富士、人々の暮らしの向こうに見える富士
同じものを見ても、同じようには見ない
見慣れたものの中に、まだ見えていないものを探す
そこに北斎の鍛錬がありました
北斎は『富嶽百景』の跋文で、七十歳以前に描いたものは取るに足らないものだった、という趣旨の言葉を残しています
世間から見れば、七十歳以前の北斎はすでに名人です
多くの作品を描き、名も知られ、十分な実績がありました
それでも本人は満足していませんでした
七十三歳になって、ようやく鳥や獣、虫や魚の骨格、草木の生まれ方を少し悟った
八十歳ではますます進み、九十歳で奥義を極め、百歳で神妙の域に達し、百十歳になれば一点一格が生きているようになるだろう
そう語ったのです
ここに北斎の第二の変節があります
名人と呼ばれる人から、自分を未熟と見る人へ
描ける人から、まだ見えていないものを追う人へ
完成した絵師から、完成を拒む老人へ
この言葉には、老いへの恐れではなく、老いへの期待があります
北斎にとって年を取ることは終わりではありませんでした
七十代でようやく見えてくるものがあり、八十代でさらに進める
九十代で深まり、百歳になればまだ別の境地がある
老いとは衰えだけではなく、世界を深く見るための時間でもあったのです
人は年を重ねると、過去の栄光を守ろうとします
昔はよかった
自分にはこれだけの実績がある
そう言いたくなることがあります
けれど北斎は、過去の自分に厳しい目を向けました
それは自分を卑下していたのではありません
もっと先が見えていたからです
山を登れば登るほど、さらに遠い峰が見えてくるように、北斎は描けば描くほど、自分がまだ途中にいることを知りました
だからこそ、描き続けることができたのです
北斎にとっての悟りとは、絵がただ形を写すものではないと知ることだったのかもしれません
鳥には鳥の骨格があり、魚には魚の泳ぎがあり、虫には虫の小さな命があり、草木には草木の伸び方があります
形だけをなぞっても、生きているようには描けません
そのものがどのように存在し、どこから力が生まれ、どこへ動こうとしているのか
そこを見抜いてこそ、絵は本当に生きる
北斎は世界の表面ではなく、命の構造を見ようとした人でした
晩年の北斎は、自らを「画狂老人卍」と名乗りました
画に狂った老人
そこには、老いの寂しさよりも、老いてなお燃え続ける情熱があります
若い頃の情熱は、人に勝ちたい、名を上げたい、認められたいという勢いで燃えることがあります
しかし晩年の北斎の情熱は違いました
誰かに勝つためではなく、名を得るためでもなく、ただ見たいものがある
ただ描きたいものがある
まだ届いていない線がある
ここに北斎の第三の変節があります
成功を求める情熱から、道そのものを愛する情熱へ
人に見せる絵から、命に迫る絵へ
若さの勢いから、老いの深い狂気へ
北斎の絵には、線そのものが生きているような力があります
波がうねり、風が吹き、人が歩き、鳥が飛び、龍が身をよじる
その線は輪郭をなぞるだけではなく、命の動きを宿しています
北斎が百十歳になれば一点一格が生きるようになるだろうと語ったのは、まさにその境地を求めていたからでしょう
一点が生きる
一線が生きる
一画が命を持つ
そこまで行けば、絵は上手い下手を超えます
悟りのその先とは、ここにあります
悟ったから終わりではない
七十三歳で命の構造を少し悟っても、そこで終わらない
八十歳で進み、九十歳で深まり、百歳でもなお先がある
悟りの先にも、まだ稽古があるのです
晩年の北斎には、貧しさや苦労もありました
引っ越しを繰り返し、火事で作品や下絵を失ったとも伝えられています
それでも描くことをやめませんでした
環境が整ったら描くのではない
描く人は、どんな環境でも描く
筆を取り、観察し、描き、また描く
それが北斎の日々でした
北斎の最期の言葉として、あと十年、いや五年の命があれば、本当の絵師になれただろうという趣旨の言葉が伝えられています
九十歳で亡くなる間際に、なお本当の絵師になりたいと願う
世間から見ればすでに巨匠であり、後世から見れば世界的な大画家です
しかし本人にとっては、まだ途中でした
この言葉には、絶望ではなく希望があります
北斎は死の間際でさえ、過去の傑作ではなく、まだ描いていない未来の絵を見ていたのです
宮本武蔵が、勝つ剣から己を磨く道へ進んだ人なら
世阿弥が、若き日の花から老木に残る花へ進んだ人なら
千利休が、飾る美から削ぎ落とす美へ進んだ人なら
空海が、知識から祈りと実践へ進んだ人なら
葛飾北斎は、名人から、なお学ぶ老人へ進んだ人です
北斎は、絵を通して「完成しないことの力」を教えてくれます
人は完成したと思った瞬間に止まります
もう十分だ、もうわかっている、もう自分の形はできた
そう思ったとき、成長は静かに終わっていきます
けれど北斎は終わりませんでした
七十歳でまだ足りない
八十歳でさらに進める
九十歳でなお本物になりたい
百歳、百十歳の自分にまで期待する
この姿は、老いを暗いものとしてではなく、まだ深まれる時間として見ています
老いとは、若い頃には見えなかったものを見る時間
名声を手放し、もう一度初心者になる時間でもあるのです
現代を生きる私たちは、早く結果を求めがちです
早く上手くなりたい
早く認められたい
早く成功したい
けれど北斎の生き方は、続けることの中でしか見えてこないものがあると教えてくれます
今うまくいかなくてもいい
今未完成でもいい
今迷っていてもいい
大切なのは、なお筆を取ることです
文章を書く人も、絵を描く人も、料理をする人も、商売をする人も、占いを学ぶ人も、誰かを支える人も、みなそれぞれの筆を持っています
鍛錬とは、技を上げることだけではありません
世界を見る目を深くすることです
悟りのその先とは、完成した自分に満足することではありません
悟ったあとも、また筆を取ること
わかったと思ったあとに、まだ見えていないものを探すこと
名を得たあとに、もう一度初心者になること
老いてなお、明日の自分に期待することです
葛飾北斎は名人でした
けれど、それ以上に、名人であることに満足しなかった人でした
波の向こうにあるもの
富士の奥にあるもの
草木の生まれ方
鳥獣虫魚の骨格
一点一線に宿る命
それを見たい
それを描きたい
それに近づきたい
その願いが、北斎を最後まで動かしました
未完成であることを恥じず、明日もなお筆を取る人
その人こそ、悟りのその先への旅を歩いているのです