メインコンテンツへスキップ
見出し画像

「12月31日は、自己評価がちょっと大げさになる日学」――区切りたがる人間と、終わらせなくていい夜の話(今年もありがとうございました)【コラム】思好の科楽(その213)

    「年末になると、自分を採点してしまうあなたへ。」

    年末になると、なぜか始まる自己評価。
    今年はこれでよかったのか、全部ダメだったのではないか。
    その違和感を否定せず、日本の大晦日の生活感とともに眺め直すコラムです。
    答えを出さず、少し気を休めるための「12月31日学」。

    今回は、あまり得られる内容はないです(笑)



    🧠 このコラムで学べる、3つのこと

    • 1️⃣ 年末に自己評価が大げさになる理由
      → それは性格ではなく、「年末という空気装置」の影響だと分かります。

    • 2️⃣ 評価から一時的に降りる、という選択肢
      → 反省しなくても、次の日は来るという事実を受け取れます。

    • 3️⃣ 「続いていること」を価値として見る視点
      → 成果や達成では測れない一年の見方が手に入ります。



    🟦 序章|なぜか落ち着かない、12月31日の夜

    画像
    By ChatGPT

    ◉ 静かなのに、気持ちだけが散らかっている

    大晦日の夜は、基本的には静かである。
    外はもう暗く、用事もだいたい終わっている。
    それなのに、なぜか気持ちだけが落ち着かない。

    テレビからは紅白歌合戦の音が流れている。
    ちゃんと見ているわけではない。
    画面に目を向けていなくても、歌や司会の声だけが部屋に入り込んでくる。
    知っている曲もあれば、そうでもない曲もある。
    それでも、「年末の音」として耳に残る。

    特別なことは何も起きていない。
    トラブルもないし、急ぎの用事もない。
    それなのに、心の中だけが、なぜか散らかっている。
    静かな部屋と、そわそわした内側が、うまく噛み合わない。


    ◉ 忘れ物がある気がするが、たぶん大したものではない

    スマホを見ると、年末ジャンボ宝くじの当選番号が表示されている。
    確認するつもりはなかったはずなのに、表示されると、少しだけ気になる。
    とはいえ、特別な期待をしているわけでもない。

    当選番号を見ても、案の定、何も起きない。
    それなのに、不思議と「当たっていないのに、なぜか負けた気がする」感覚だけが残る。
    何かを賭けていたわけでもないのに、結果だけを突きつけられたような気分になる。

    忘れ物をしている気がする。
    でも、それは人生を左右するような大事な何かではない。
    きっと、思い出せたとしても「まあ、いいか」と言える程度のものだ。
    それでも、この夜は、その「大したことのない違和感」が、妙に気になってしまう。

    静かなのに
    気分は勝手に
    年越し中


    🟧 第1章|「今年、これでよかったのか?」という声

    画像
    By ChatGPT

    ◉ 誰も聞いていないのに、勝手に始まる反省会

    大晦日の夜になると、なぜか頭の中で反省会が始まる。
    誰かに呼ばれたわけでもないし、振り返りの予定を入れていたわけでもない。
    気づいたら、もう始まっている。

    ただし、これは裁判ではない。
    証拠を並べて、有罪か無罪かを決めるようなものではなく、
    どちらかというと、独り言に近い。
    「そういえば、あれはどうだったんだろう」
    そんなつぶやきが、勝手に浮かんでは消えていく。

    テレビでは年末特番の総集編が流れている。
    今年の出来事を、短い時間にぎゅっとまとめた映像。
    事件、話題、活躍した人たち。
    反省が始まるには、条件がそろいすぎている夜である。


    ◉ 出てくるのは、だいたい同じ反省

    少し考えてみると、出てくる反省は毎年ほとんど同じだ。
    もっと〇〇しておけばよかった。
    あれは中途半端だった気がする。
    今年も、結局ここか、という内容ばかりである。

    新しい失敗を見つけたわけでもない。
    むしろ、「去年も同じことを言っていた気がする」という感覚のほうが強い。
    反省というより、年末になると自動再生される音声に近い。

    この時点で、もう少し怪しくなってくる。
    これは本当に、今年を評価した結果なのだろうか。
    それとも、毎年決まった場所で鳴る、年末特有の効果音なのだろうか。


    ◉ 社会の「今年の顔」が、横目に入ってくる

    考えごとをしていると、視界の端に社会の評価が入り込んでくる。
    紅白歌合戦の出場者。
    年間ランキング。
    「今年を代表する〇〇」という言葉。

    誰かが「今年の顔」として選ばれているのを見ると、自分の一年にも、無意識のうちに点数をつけたくなる。
    特に比べるつもりはなくても、「代表」が決められる空気の中にいるだけで、自己評価は外側と接続されてしまう。

    気づけば、自分の一年を、社会の採点表の端っこにそっと置いている。
    そんなつもりはなかったはずなのに。


    ◉ この問い、そこまで真面目に受け取らなくてもいい

    ここで一度、立ち止まってみる。
    「今年、これでよかったのか?」という問いは、必ずしも成長欲から生まれているわけではない。

    むしろ、癖に近い。
    年末になると鳴る、確認音のようなものだ。
    意味があるかどうかよりも、鳴っていると落ち着かないから、つい耳を澄ましてしまう。

    だから、この問いを真正面から受け取らなくてもいい。
    深刻に答えを出そうとしなくてもいい。
    「ああ、今年もこの音が鳴っているな」
    そのくらいの距離感で十分だ。

    少しだけ肩の力を抜いて、次の場面に進めばいい。

    反省も
    年末仕様の
    通知音


    🟥 第2章|23:59と00:00で、人は変わるのか?

    画像
    By ChatGPT

    ◉ 1分で切り替わった気になるが、たぶん気のせい

    年が変わる瞬間が近づくと、空気が少しだけ張りつめる。
    テレビやスマホから、カウントダウンの声が聞こえてくる。
    10、9、8……と数字が減っていくにつれて、理由のない高揚感が生まれる。

    00:00になった瞬間、何かが切り替わった気がする。
    気分が一段リセットされたような、少しだけ新しくなったような感覚。
    けれど、冷静に考えれば、1分前と何も変わっていない。
    さっきまで考えていたことも、抱えていた違和感も、そのままだ。

    それでも、人は一斉に「変わった感」を共有する。
    たぶん気のせいだ。
    でも、このナンセンスが、なぜか嫌いになれない。


    ◉ 宇宙は何も祝っていないが、人間は祝いたい

    「行く年来る年」の映像は、いつも淡々としている。
    大きな演出もなく、静かな風景と落ち着いた語り。
    世界は特別な反応を示していない。

    宇宙のどこかで、年が変わったことを祝っている星はないだろう。
    地球も、たぶん普段通りに回っている。
    それでも人間は、どうしても祝いたくなる。

    除夜の鐘が鳴る。
    意味や数のことはさておき、ただ音だけが続く。
    その音を聞きながら、「ああ、終わった」「ああ、始まった」と思う。
    茶番と言えば茶番かもしれない。
    でも、この茶番を毎年、全力でやってきたのが、日本の年越しなのだ。


    ◉ 区切りがないと、だらだらしてしまう生き物

    もし、カウントダウンも鐘の音もなかったら、どうなるだろう。
    おそらく、多くの人は年が変わったことに気づかないまま、だらだらと続きを生きてしまう。

    人間は、区切りがないと切り替えられない生き物だ。
    108回の意味を正確に理解していなくても、音が鳴るから、切り替えた気になる。
    数字が変わるから、一区切りついた気がする。

    それは賢さではないが、欠点とも言い切れない。
    不器用だけれど、そうやって自分を前に進めてきた。
    区切りをでっちあげてでも、続けるための工夫をしてきた。

    この夜のナンセンスは、人間が人間であるための、ひとつの仕様なのかもしれない。

    変わらずに
    変わった顔で
    年を越す


    🟩 第3章|12月31日は、自己評価がちょっと大げさになる日


    画像

    ◉ 365日を1日で判断するのは、さすがに雑

    冷静に考えると、1年を1日で判断するのは、かなり無理がある。
    365日分の出来事、気分、選択、迷いを、12月31日の夜の感覚だけで総括しようとする。
    どう見ても、雑だ。

    それでも、人は毎年やってしまう。
    なぜかと言えば、今日は「年末」という編集点だからだ。
    ここで区切らないと、続きを続きとして扱えない気がする。
    だから、この1日に、無理やり意味を詰め込む。

    編集点があると、人は安心する。
    雑だと分かっていても、「ここで一度まとめた」という事実が欲しくなる。
    年末は、そういう日だ。


    ◉ 感情ノイズだらけの日に、真面目な採点をする無謀

    しかも、この日は採点に向いていない。
    疲れている。
    比較も多い。
    周りがやたらと賑やかで、焦りも入りやすい。

    テレビでは一年の総集編が流れている。
    出来事が編集され、意味づけされ、「今年はこういう年でした」と語られる。
    その流れの中で、自分の一年も、勝手に編集され始める。

    本来なら、落ち着いた場所で、時間をかけて見直すべきものを、この夜に一気に採点しようとする。
    それは、場違いな評価行為だ。
    静かな試験会場ではなく、年末の騒がしいフロアで、答案を広げているようなものだ。


    ◉ 「全部ダメだった」は、便利な一言

    そんな状況で出てきやすいのが、「全部ダメだった」という一言である。
    この言葉は、とても便利だ。

    細かく考えなくて済む。
    良かった点と悪かった点を分けなくて済む。
    全部まとめて、ひっくり返せる。
    年末ジャンボ宝くじのように、一発で状況を変えたい衝動とも、どこか似ている。

    ただ、この一言が出てくる日は、自分が特別にダメだった日ではない。
    むしろ、雑にまとめたくなる条件が、これ以上ないほどそろっている日だ。

    だから、ここで必要以上に自分を責めなくていい。
    「全部ダメだった」という評価が浮かんだら、それは結論というより、年末特有のショートカット反応だと思えばいい。

    刺すとしたら、ここまでで十分だ。
    あとは、少し緩めて、次の夜に進めばいい。

    一年を
    今日で採点
    無理がある


    🟪 まとめ章|終わらせなくていい、という選択

    画像
    By ChatGPT

    ◉ 何もしなくても、勝手に次の日は来る

    結局のところ、何を考えていても、何も考えていなくても、次の日はやって来る。
    人間の努力とは、ほとんど関係がない。

    カウントダウンを見逃しても、鐘の音を聞きそびれても、年越しは、だいたい自動処理で進んでいく。
    気がつけば日付は変わり、部屋の空気も、ほんの少しだけ新しくなっている。

    何かを終わらせなくてもいい。
    ちゃんとまとめなくてもいい。
    年は、勝手に越していく。
    それで、十分なのだ。


    ◉ 「まだ途中だな」と思える人は、案外しぶとい

    一年を振り返って、「よくやった」と言い切れない人は多い。
    でも、「まだ途中だな」と思えている人は、実はかなりしぶとい。

    大きな達成感はないかもしれない。
    胸を張れる成果も、分かりやすい数字もないかもしれない。
    それでも、ここにいる。
    続いている。

    よくやっている、ではない。
    よく残っている。
    その感覚だけで、この夜は十分だ。


    ◉ 因数分解で、深刻さを分解する

    ここで一度だけ、深刻さを分解してみる。

    健全な12月31日
    =(区切りの安心 × 未完を許す感覚 × 続いている実感)
    ÷(成果主義・年末自己採点)

    これは正解ではない。
    人生の公式でもない。
    ただの気休めだ。

    でも、年末には、こういう気休めがちょうどいい。
    すべてを理解しなくても、少し楽になるなら、それで役目は果たしている。


    ◉ 少し散らかったまま、年を越す

    年越しそばは、きれいに整ってはいない。
    切れないように、ただ長く続いているだけだ。
    干支は、巳年から午年へと切り替わる。
    暦はちゃんと仕事をする。

    人間のほうは、特に変わらない。
    散らかった考えも、途中の気持ちも、そのままだ。
    それでも、布団に入って、ちゃんと眠れる。

    すべてを片付けなくても、答えを出さなくても、生活は続く。

    そして迎える、2026年…。

    終わらせず
    続いてしまう
    年の越し


    🤲 あとがきのようなもの

    ここまで読んでくださり、ありがとうございました。
    年末の慌ただしさや、少し落ち着かない空気の中で、この文章に立ち寄っていただけたことを、とてもありがたく思っています。

    思好の科楽シリーズでは、いつも「答え」や「正しさ」よりも、考えている途中の感覚や、言葉になりきらない違和感を大切にしてきました。
    今回の「12月31日は、自己評価がちょっと大げさになる日学」も、何かをうまくまとめるためのコラムというより、年末にありがちな気持ちを、そのまま置いておくための文章だったのかもしれません。

    今年も、このシリーズを読んでくださった方、途中から読んでくださった方、静かに見守ってくださった方、本当にありがとうございました。
    反応をいただいたときも、何となく読んでいただいていると感じたときも、その一つひとつが、書き続ける力になっています。

    来年もまた、日常の中で「これ、何なんだろう」と立ち止まる瞬間を拾いながら、思好の科楽を書いていけたらと思っています。
    大きな目標や立派な宣言はありませんが、読んだあとに少しだけ肩の力が抜けるような文章を、変わらず目指していきたいです。

    どうぞ来年も、無理のない距離でお付き合いいただければ幸いです。
    また、どこかの思考の途中で、お会いできたら嬉しいです。

    ここまで、本当にありがとうございました。

    読んでくれて
    それだけで
    続いてる

    画像
    By ChatGPT

    プロフィール|Kazuomi Matsunaga

    🧭思考の案内人|Thinking Navigator

    画像

    略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
    “問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
    本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
    🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
    📮 感想や応援メッセージ、いつでも大歓迎です!

     
     
    工学部>金属系素材メーカーエンジニア>フリーペ ーパー広告営業>学校法人職員🏫 生成AIを活用し"思好の科楽"”ここに、おったけん”,"私学の中の人が語る","Photographic Poetry"などを掲載しています。長崎県在住50代。

    あなたへのおすすめ