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「“AIなんて〇〇”と言う前に学」――そのAI評価、本当に“使った後”のものですか?【コラム】思好の科楽(その234)

    「AIを評価しているつもりで、
     自分の“学び方”を評価していませんか。」

    AIはすごいのか、危ないのか、信用できないのか。
    私たちはつい「AIなんて〇〇」と結論を急いでしまいます。
    けれど教育の世界には、
    評価の前に“順序を設計する” という知恵があります。
    前提を確かめる。
    使う前の自分を測る。
    使った後の変化を見る。
    インストラクショナル・デザインの視点から、
    AI議論をこの「前提・事前・事後テスト」で組み直してみました。
    読み終えたとき、
    AIの見え方だけでなく、
    自分の学び方の癖 が少しだけ見えてくる。
    そんなコラムになっています。


    🧠 このコラムで学べる、3つのこと

    • 1️⃣ AI議論が噛み合わない本当の理由
      → 意見の違いではなく、前提を確かめないまま語っている構造 に気づけます。

    • 2️⃣ 薄いAI回答は“問いの設計不足”から生まれる
      → AIの能力差ではなく、自分の問い方が結果を左右している ことが分かります。

    • 3️⃣ AIを評価する行為は自己評価でもある
      → AIを測るプロセスが、自分の学び方・理解の癖を映し出す鏡 になることを理解できます。。



    🟦 序章|「AIなんて〇〇だよね」と言いたくなる夜

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    By ChatGPT

    ◉ 「怖い/薄い/すごい」──〇〇はすでに口に出ている

    AIの話は、昼よりも夜に戻ってくる。

    スマホを置いたあと。
    明かりを少し落とした部屋で。
    今日、誰かが言った一言が、遅れて胸に刺さる。

    「AIってさ、結局〇〇だよね」

    〇〇の中身は、人によって違う。
    「怖い」かもしれないし、「信用できない」かもしれない。
    「薄っぺらい」と言いたくなる日もある。

    反対に、〇〇は明るい言葉にもなる。
    「すごすぎる」
    「もう人間いらない」
    そんな〇〇も、同じ口から出てくる。

    面白いのは、否定でも肯定でも、口に出る形がよく似ていることだ。
    まるで私たちは、AIそのものより先に、感情の結論だけを持っている。


    ◉ まだ触っていないのに、もう評価してしまう

    ここが、一番やっかいだ。

    私たちは、まだ十分に触っていないのに、もう評価してしまう。

    自分ではほとんど使っていないのに、ニュースやSNSで流れてきた“それっぽい結論”に頷いてしまう。
    会議の雑談で誰かが言った「AIってこうじゃない?」に、なんとなく合わせてしまう。

    そして帰り道、妙にスッキリしている。
    まるで“ちゃんと考えた”気分だけが、きれいに残る。

    でも夜になって、一人になると、どこかで引っかかる。

    ――私は、何を根拠に〇〇と言ったんだっけ。
    ――そもそも、私はどれくらい触ったんだっけ。

    この小さな引っかかりが、実は大事な入口だと思っている。


    ◉ 人は“結論”から話したがる生き物

    ここで私は、人間の癖を思い出す。

    人は、結論から話したがる生き物だ。

    結論から言うと、速い。
    場が締まる。
    わかった感じも出る。
    そして、ちょっと賢く見える。

    だから私たちは、つい「AIなんて〇〇」と言ってしまう。
    それは怠けているからではない。
    脳が、そういう作りをしているからだ。

    結論は、安心をくれる。
    曖昧なまま抱えているより、いったん言葉にしたほうが落ち着く。
    その気持ちも、よく分かる。

    ただ――落ち着いた代わりに、何かを飛ばしてしまうことがある。


    ◉ でも教育の世界では、それは順序が逆だと知っている

    教育の世界では、順序が逆だ。

    学びを設計する人たちは、いきなり結論を言わない。
    まず「前提」を確かめる。
    次に「使う前の状態」を測る。
    そして「使った後に何が変わったか」を見る。

    要するに、評価の前に、確認と体験を挟む。
    “わかった気”のまま突っ走らないために、あえて遠回りをする。

    私はこの順序が、AIの議論にこそ必要だと思っている。

    AIがすごいのか、危ないのか。
    役に立つのか、薄いのか。
    それを言うのは自由だ。けれど――言う前に、順序を取り戻したい。

    前提を確かめる。
    試してみる。
    そして、変化を確かめる。

    この三つを挟むだけで、「AIなんて〇〇」は感想から検証へと変わる。
    そして面白いことに、AIの評価が変わるだけではない。
    自分の思考の置き方が、少しだけ変わる。

    AIを評価することは、実は自分の学び方を評価することでもある。


    🟧 第1章|インストラクショナルデザインという“学びの設計図”

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    By ChatGPT

    ◉ 私はなぜIDに出会ったのか(短大授業・大学院・中退の未完性)

    私は一度、大学院でインストラクショナル・デザイン(ID)を学んだことがある。
    ただし、修士号は取れていない。中退したからだ。

    だから最初に、少しだけ正直に書いておきたい。
    私は「資格」や「肩書き」でこの話をしたいのではない。
    むしろ逆で、肩書きがないからこそ、今もこの考え方にしがみついている。

    きっかけは、短大で情報教育の授業を担当していた頃だった。

    授業をやればやるほど、不思議に思うことが増えた。

    同じ説明をしたのに、ある学生はすっと理解する。
    別の学生は、置いていかれる。
    その差は、才能だけで片付くのか。
    努力だけで埋まるのか。
    そもそも、理解とは何なのか。

    「人はどうやって学ぶのか」
    「知識や技術は、どうやって定着するのか」
    「もっと良い方法はないのか」

    授業の準備をしているはずなのに、
    気づけば私は、人間の頭の中の“仕組み”を探していた。

    そして、その探しものの途中で出会ったのが、インストラクショナル・デザインだった。

    修士号は取れなかった。
    でも、IDがくれた「順序」という考え方は、今も私の中に残っている。
    むしろ、未完のまま残ったからこそ、何度でも取り出して使ってしまう。


    ◉ 学びは感想ではなく設計される

    学びについて語るとき、私たちはつい感想で話してしまう。

    「分かりやすかった」
    「難しかった」
    「向いてなかった」
    「才能がない」

    もちろん感想は大事だ。
    でも感想だけでは、次に進めない。

    IDが教えてくれたのは、学びとは「気合い」や「根性」だけで回すものではなく、設計できるもの だという発想だった。

    ここで言う設計とは、立派なカリキュラム表の話ではない。
    もっと素朴で、もっと現実的な話だ。

    料理なら、味見をせずに「薄い」とは言わない。
    旅行なら、現在地を見ずに「道を間違えた」とは言わない。
    健康なら、検査をせずに「大丈夫」とは決めつけない。

    学びも同じで、何かを評価する前に、まず“測る”がある。


    ◉ テストとは「罰」ではなく「現状把握」である

    ここで多くの人が身構える言葉がある。

    テスト。

    テストと聞くと、点数をつけるもの。
    裁くもの。
    怖いもの。
    そういう記憶が先に立つ。

    でも、IDの文脈で言うテストは、少し違う。

    テストとは、罰ではない。
    現状把握 である。

    学びを最適化するための「確認」であり、遠回りに見えて、最短距離をつくるための道具だ。

    私は授業をしていて何度も思った。
    努力が足りないのではなく、「どこが分かっていないのか」が本人にも見えていない。
    この状態が、いちばん苦しい。

    テストは、その苦しさを減らすためにある。
    責めるためではなく、助けるためにある。


    ◉ 前提テスト・事前テスト・事後テストという発明

    IDの世界には、妙に強い発明がある。

    前提テスト・事前テスト・事後テスト。

    まず 前提テスト。
    これは、土台が揃っているかを見る。

    用語の意味は共有されているか。
    前提条件は一致しているか。
    環境は整っているか。
    いわば、ゲームを始める前に、コントローラーが繋がっているか確認するようなものだ。

    次に 事前テスト。
    これは、スタート地点を測る。

    今の自分は、どこまで出来ているのか。
    何が得意で、何が苦手なのか。
    ここが曖昧なままだと、学びは“努力の雰囲気”になりやすい。

    最後に 事後テスト。
    これは、変化を確かめる。

    学んだ後、何が出来るようになったか。
    何が速くなったか。
    何が楽になったか。
    ここを確認しないと、学びは「やった気」で終わる。

    この三点セットは、学びを“運任せ”にしないための、順序の発明だと思っている。


    ◉ 「わかった気」を防ぐための知恵

    そしてこの順序は、学びの世界で最も厄介な敵――
    「わかった気」を防ぐための知恵でもある。

    「わかった気」は、怖い。
    なぜなら、それっぽく話せてしまうからだ。

    うなずけた。
    言い換えができた。
    反論できた。
    それだけで脳は「理解した」と勘違いする。

    でも、いざ手を動かすと止まる。
    説明しようとすると詰まる。
    実際の場面で使えない。

    この罠を抜けるために、IDはテストを挟む。
    順序を挟む。
    測定を挟む。

    ここまで書いてきて、ひとつだけ付け加えておきたい。

    正直、私自身もまだ試行錯誤の途中。

    だからこそ私は、この順序を「正しさ」ではなく、自分が迷子にならないための“手すり”として使っている。

    そして思う。
    AIの議論に今いちばん必要なのも、たぶんこの手すりだ。

    次章では、なぜAI議論がここまで揉めるのか――
    その原因の一つが「前提テスト抜き」にある、という話をしてみたい。


    🟥 第2章|AI議論のほとんどは“前提テスト抜き”である

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    By ChatGPT

    ◉ AIを語る前に確認すべき前提

    AIの話になると、なぜか空気がざわつく。

    楽観と悲観が同時に出てくる。
    期待と不安が同じテーブルに並ぶ。
    そして、いつのまにか議論はすれ違っていく。

    でも、その光景をよく観察してみると、
    そこにあるのは「意見の対立」ではなく、前提の不一致 であることが多い。

    本来なら、意見を交わす前に、まず前提を揃える必要がある。

    けれどAIの議論では、この「前提テスト」がほとんど行われない。

    だから、最初からボタンの掛け違いが起きる。


    ◉ 何をAIだと思っているのか問題

    たとえば、こんな会話を見かける。

    Aさんは言う。
    「AIはすごい。もう人間はいらなくなる。」

    Bさんは言う。
    「AIは危ない。信用できない。」

    Cさんは言う。
    「AIなんて、ただの自動化でしょ。」

    三人とも、同じ「AI」という単語を使っている。
    けれど、見ているものはまったく違う。

    Aさんが見ているのは、ChatGPTのような生成AIかもしれない。
    Bさんが想像しているのは、暴走する自律型ロボットかもしれない。
    Cさんが指しているのは、会社で動いているRPAかもしれない。

    つまり――
    同じ言葉で、別の景色を見ている。

    この状態で意見を交わせば、すれ違うのは当然だ。


    ◉ 前提がズレたままの議論はすれ違う

    SNSでも、職場でも、よくある光景がある。

    誰かが記事を貼る。
    「AIは人間の仕事を奪う。」

    それに対して、
    「いや、AIはただの道具だ。」
    「いやいや、AGIが来る。」
    「いやいや、そんなのは誇張だ。」

    言葉は飛び交う。
    論点は拡散する。
    でも、誰も最初にこうは聞かない。

    「あなたが今、AIと言っているものは、具体的に何ですか?」

    この一問がないまま、議論だけが進んでいく。

    前提テスト抜きの議論は、地図を持たずに目的地を論じるようなものだ。

    どちらが正しいか以前に、立っている場所が違う。


    ◉ 揃えるべきは“意見”ではなく“前提”である

    多くの議論は、「意見を揃えよう」とする。

    賛成か、反対か。
    楽観か、悲観か。
    白か、黒か。

    でも本当に揃えるべきなのは、意見ではなく 前提 だ。

    • 何をAIと呼んでいるのか

    • どの場面のAIを語っているのか

    • 自分はどれくらい触ったことがあるのか

    この前提が揃って初めて、意見の交換が意味を持つ。

    そしてここで、第1章の道具が効いてくる。

    前提テスト。

    AIの議論にこそ、本来いちばん最初に挟むべき工程だ。


    🟩 第3章|事前テストなしのAI評価は“空中戦”になる

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    By ChatGPT

    ◉ 実際に触ったか?──“往復”して初めて使ったと言える

    「私はAIを使ったことがある。」

    この言葉を、最近よく耳にする。
    そして私自身も、しばらくの間、同じことを言っていた。

    でも、あるとき気づいた。

    それは“触った”だけで、“使った”とは言えないのではないか。

    一度質問して、一度答えが返ってきて、「へえ、こんな感じか」と閉じる。

    この一往復で、私たちは「使ったつもり」になる。
    けれどIDの観点で見るなら、これは事前テストもないまま、事後テストもないまま、途中で終わっている状態だ。

    本当に“使った”と言えるのは、問いを変え、答えを受け取り、また問い直す――。
    そういう、往復が生まれたとき だと思う。


    ◉ 私が最初にAIで失敗した小さな話

    ここで一つ、私の小さな失敗を話したい。

    最初に生成AIを触ったとき、私はとても雑な問いを投げた。

    「AIのメリットを教えてください。」

    返ってきた答えは、どこかで見たような、薄くて、整いすぎた文章だった。

    私はそのとき、思った。

    「なんだ、AIってこの程度か。」

    そして、しばらくAIから距離を置いた。
    “評価”だけが、先に決まった。

    でも、あとから気づいた。

    薄かったのは、答えではなく、問いのほうだった。


    ◉ どの問いを投げたか?──薄い答えは薄い問いから生まれる

    AIは、問いの鏡だ。

    雑に聞けば、雑に返ってくる。
    曖昧に聞けば、曖昧に返ってくる。
    どこかで見た言葉を投げれば、
    どこかで見た言葉が返ってくる。

    これはAIの限界ではなく、自分の問いの設計不足 をそのまま映している。

    だから「AIの答えが薄い」と感じたとき、私は一度だけ、問い返すようにしている。

    ――私は、何を知りたかったんだっけ。

    この問いを挟むだけで、次のプロンプトは驚くほど変わる。


    ◉ 問いを設計すると、AIより先に自分の思考が整う

    面白いのは、ここからだ。

    「何を知りたいのか」
    「どんな前提を置くのか」
    「どこまで具体化するのか」

    これを考えている時間、私はまだAIに何も打ち込んでいない。

    でも、その時点で、AIより先に、自分の思考が整い始めている。

    問いを設計するとは、実は“自分の頭の中を設計すること”でもある。

    AIはそのあとでいい。
    先に整うのは、自分のほうだ。


    ◉ 「使い方」を変えれば“能力”は変わる

    こうして往復が始まると、不思議な変化が起きる。

    「AIが賢くなった」
    ように感じる。

    でも実際には、自分の使い方が変わっただけ だ。

    問いが具体になった。
    前提が揃った。
    往復が生まれた。

    それによって、AIの“能力”が引き出されただけだ。

    評価は、AIに下されたのではない。
    自分の使い方に下された のだ。


    試す。
    外す。
    直す。
    また試す。


    この往復を経ないままのAI評価は、地面に足がついていない。

    空中戦 だ。

    そして、空中戦のままでは、AIの可能性にも、自分の可能性にも、気づかないまま終わってしまう。

    次章では、この“使ったあと”を見たとき、評価がどう更新されるのかを考えてみたい。


    🟨 第4章|事後テストをすると、評価は必ず更新される

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    By ChatGPT

    ◉ 使った後に何が変わったか

    ここまでで、前提を揃える。
    問いを設計する。
    往復して使う。

    この三つを経て、ようやく最後のテストが登場する。

    事後テスト。

    使ったあと、何が変わったかを確かめる工程だ。

    多くのAI議論は、「使う前」か「使っている最中」で止まる。

    • すごい

    • 薄い

    • 怖い

    • 䞿刊

    でも、そのあとを見ない。

    使ったあと、自分はどうなったのか。

    ここを見ない限り、評価は“印象”のまま固定されてしまう。


    ◉ 成果より先に“プロセス”が変わる

    「AIを使って、仕事が早くなった。」
    「AIを使って、文章が書きやすくなった。」

    こうした成果は、分かりやすい。
    数字にもできる。
    報告もしやすい。

    でも、もっと静かで、もっと根の深い変化がある。

    以前の私は、何かを考えるとき、すぐに“答え”を探していた。

    今の私は、まず“問い”を書くようになった。

    AIに投げる前に、メモ帳に一行だけ、自分の問いを書く。
    その問いは、普段の何気ない、ひとコマ、ひとことで良い。
    それだけで、頭の中の霧が少し晴れる。

    AIを使っているようで、実際には 自分の思考の順序が変わっている。

    この変化は、成果よりも先に起きる。


    ◉ AIではなく“自分の思考”が更新される

    ここで一つ、不思議な感覚が生まれる。

    「AIを使って、自分が賢くなった気がする。」

    でも、よく観察してみると、賢くなったのはAIではない。
    最初からAIはそこにあった。

    更新されたのは、自分の思考の置き方だ。

    • 結論を急がなくなった

    • 前提を確認する癖がついた

    • いきなり評価しなくなった

    • “わかった気”に少し疑いを持つようになった

    これはAIの性能変化ではない。
    自分の学び方の変化 だ。

    事後テストが映し出すのは、AIの姿ではなく、使う側の成長の履歴 である。


    ◉ 評価とは固定ではなく履歴である

    だから、ここで一つだけ言葉を置いておきたい。

    評価とは、固定ではなく履歴である。

    昨日の自分が下したAI評価。
    一週間前の自分が感じたAI観。
    一ヶ月前の自分が言った「AIなんて〇〇」。

    それらはすべて、その時点の“学び方”のスナップショット にすぎない。

    使い方が変われば、問いが変われば、順序が変われば、評価は必ず更新される。

    だからこそ、AIを語るときに必要なのは、「正しい評価」ではなく、更新され続ける評価の姿勢 なのだと思う。


    AIを測っていたつもりで、私は自分を測っていた。


    🟪 まとめ章|AI評価とは“学習者としての自己評価”である

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    By ChatGPT

    ◉ AIを測っているつもりで、自分を測っている

    ここまで、前提を揃え、問いを設計し、往復し、使ったあとの変化を見てきた。

    その一連の流れを振り返って、私はようやく気づいた。

    AIを測っているつもりで、私は自分を測っていた。

    AIの性能を見ていたようで、自分の問いの浅さを見ていた。
    AIの答えを評価していたようで、自分の理解の曖昧さを見ていた。
    AIの可能性を語っていたようで、自分の学び方の癖を見ていた。

    AIは、鏡だった。


    ◉ 判断の前にテストを設計する知性

    このコラムで一貫して言いたかったのは、AIの善悪でも、優劣でもない。

    判断の前に、テストを設計する知性 の話だ。

    前提を確かめる。
    事前に自分の立ち位置を測る。
    使ったあとに変化を見る。

    この順序を挟むだけで、評価は“感想”から“学び”へ変わる。

    そしてこの順序は、AIだけでなく、仕事にも、学習にも、人生にもそのまま使える。

    私はIDを学んだとき、「学びには順序がある」と知った。

    今になって、その順序が、AI時代の思考の作法 になりつつあるのを感じている。


    ◉ AI評価 = 前提理解 × 事前体験 × 事後更新

    ここで、このコラム全体を、思好の科楽らしく、一行の因数分解式にしておきたい。

    AI評価 = 前提理解 × 事前体験 × 事後更新

    どれか一つがゼロなら、評価はゼロに近づく。

    前提を確かめない評価。
    触らない評価。
    使ったあとの変化を見ない評価。

    それらはすべて、“空中戦”のまま固定された印象にすぎない。

    そして逆に、もしも今、「AIなんて〇〇」だけが先に立っているなら、そこにはたぶん、こういう式が隠れている。

    「AIなんて〇〇」 = 前提未確認 × 未体験 × 未更新

    少しだけ苦い式だ。
    でも、責めるための式ではない。
    伸びしろが残っていることを示す式 でもある。

    どちらの式で語るかは、AIではなく、自分が決められる。


    ◉ 「AIなんて〇〇」の前に、“私はどこまで試したか?”

    だから私は、
    これからも「AIなんて〇〇」と言いたくなると思う。

    怖い。
    薄い。
    すごい。
    信用できない。

    その感情が湧くこと自体は、自然だ。
    人間の脳は結論を欲しがる生き物だから。

    でも、その前に、一つだけ自分に問い返したい。

    私は、どこまで試しただろうか?

    前提を確かめただろうか。
    問いを設計しただろうか。
    往復しただろうか。
    使ったあとの変化を見ただろうか。

    この問いが一つあるだけで、AIの話は、もう別の次元に入る。


    AIを語ることは、結局、自分の学び方を語ることになった。


    ☕ あとがきのようなもの|結論を遅らせる勇気

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    By ChatGPT

    ◉ 書くこと自体がテストだった

    このコラムを書き始めたきっかけは、実はとても日常的なものでした。

    仕事の資料づくり。
    メールの下書き。
    ちょっとした企画の壁打ち。

    「とりあえずAIに聞いてみるか」

    そうして画面に向かい、返ってきた答えを見て、「お、使えるな」と思う日もあれば、「ん?なんか薄いな」と首をかしげる日もある。

    その繰り返しのなかで、ふと気づいたのです。

    AIを試しているつもりで、自分の試し方を試しているのではないか。

    書くことは、その気づきを確かめるテストでした。
    問いを雑に投げる。
    答えが薄い。
    問いを言い直す。
    答えが変わる。

    この往復こそが、このコラムで語ってきた「順序」そのものでした。


    ◉ AIは“使うほど上手くなる道具”に似ている

    私は基本的に、AIは うまく使ったほうがいい と思っています。

    AIにできることはAIに任せる。
    そこで生まれた余裕で、人と話す。
    考える。
    つくる。
    楽しむ。

    あるいは、自分ひとりでは気づけない視点を、そっと差し出してくれる相棒として使う。

    きっとAIは、学び方も、働き方も、暮らし方も、遊び方も、少しずつ変えていく道具なのだと思います。

    ただ――
    道具は、使い方で姿が変わる。

    私はよく、AIは「車」に似ていると説明しています。

    正しく使えば、遠くまで連れて行ってくれる。
    なくてはならない存在になる。

    けれど、使い方を知らなければ危ない。
    ルールを知らなければ事故が起きる。

    そして、運転は、使えば使うほど上手くなる。

    AIもきっと同じです。

    だからこそ、交通法規にあたる「知っておくべきこと」
    守るべき「順序」
    学べる「体系」

    それらを持ったほうが、安心してアクセルを踏める。

    このコラムは、そのための“教習所の一時間目”のようなものだったのかもしれません。


    ◉ 更新されたのはAIではなく、付き合い方だった

    書き終えたいま、AIが突然すごい存在に見え変わったわけではないでしょう。

    でも、AIとの付き合い方 は、少し変わるのではないでしょうか。

    問いを投げる前に、「何をしたいんだっけ?」と一度考える。
    返ってきた答えを見て、「これはどこまで自分の問いの責任だろう?」と振り返る。

    それだけで、AIは“便利な検索機”から、“思考の相棒”に近づいていきます。

    更新されたのはAIではなく、あなたの運転技術なのです。


    ◉ 結論を急がない自分でいたい

    これからも、「AIなんて〇〇」と言いたくなる瞬間はあると思います。

    でも、そのときに、ほんの一拍だけブレーキを踏む。

    どこまで試しただろうか。
    どの順序を飛ばしていないだろうか。

    その一拍が、安全運転をつくり、遠くまで行ける道をひらく。

    私は、結論を急がない自分でいたいと思っています。
    そして、あなたももし同じように感じてくださったなら、それはとても心強い旅の仲間です。


    ◉ 読んでくれたあなたへ感謝

    ここまで読み進めてくださり、本当にありがとうございました。

    忙しい日々のなかで、少しだけ立ち止まり、AIとの付き合い方を一緒に考える時間を、このコラムに委ねてくださったこと。

    それ自体が、すでに“上手に使い始めている人”の証 に違いありません。

    またどこかで、新しい問いとともにお会いできたら嬉しいです。


    以前、インストラクショナル・デザインそのものをテーマにしたコラムを書いたことがあります。
    今回の文章は、その続きを、AIという新しい道具で走り始めた話でもありました。


    次に誰かが、「AIなんて〇〇」と言いかけたとき。

    この文章が、あなたの中でそっとブレーキランプを灯せたなら、それ以上の喜びはありません。


    プロフィール|Kazuomi Matsunaga

    🧭思考の案内人|Thinking Navigator

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    略歴:九州大学工学部卒業(材料工学)⇒中京地区の金属素材メーカーエンジニア(生産技術)⇒地元長崎県のフリーペーパー広告営業⇒学校法人職員(←いま、ココ)。長崎県在住の50代。こどもは二人とも大学生となって巣立ち、妻と二人暮らし中。
    “問い”と“好奇心”の交差点で、日々思考を遊ばせている書き手です。最近は、連載コラム「思好の科楽(しこうのかがく)」シリーズを中心に、教育・物語・心理・AI・デザインなどをテーマとした独自視点の思索を綴っています。既存の枠を超えた“自由な知のデザイン”を模索中。モットーは「想像力が世界をひらく」。
    本業では大学・教育関連の仕事に携わりつつ、「人が何かを“好き”になる瞬間」や「問いが芽吹く場面」を丁寧に見つめることを大切にしています。
    🧭 読んだあと、あなたの中に“新しい見方”がひとつ芽生えるような。そんな記事をお届けできたらうれしいです。
    📮 感想や応援メッセージ、いつでも大歓迎です!

     
     
     
    工学部>金属系素材メーカーエンジニア>フリーペ ーパー広告営業>学校法人職員🏫 生成AIを活用し"思好の科楽"”ここに、おったけん”,"私学の中の人が語る","Photographic Poetry"などを掲載しています。長崎県在住50代。

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