星川先生がアメリカを動かした??|「忘れられたイモ」を追って〜日米アピオス作物化の謎〜
このところ私は、アピオスの歴史を調べていた。
日本でのアピオスの作物化については、東北大学農学部教授である星川清親先生監修の、1994年出版の書籍『奇跡のアピオス健康法―ダイエットしながらスタミナがつく!!』(以後、『奇跡のアピオス健康法』)を読むと、その経緯がよく分かる。
原産地は北米で、本来なら日本にはない。
知っている人もほぼいない。
そんな中で、星川先生が独自に研究を進めて道を拓いたものだ。
日本人にとっては、本当に、新しいイモ。
一方、原産地、アメリカでのアピオスの扱いは、というと、
「忘れられたイモ」
のようなニュアンスで語られることが多いようだ。
どういうことかというと、
かつて、多くの先住民が重要な食料として利用していた。
入植者も、農業が軌道に乗る前はアピオスを食べて、飢えをしのいだ。
次第に、先住民も入植者も利用しなくなり、現在のアメリカではほとんど知られていない。
つまり、「忘れられた イモ」。
これは『奇跡のアピオス健康法』にも書いてあるし、実際に今現在も、アメリカの情報を検索すると一般的に出てくるストーリー。
そして、『奇跡のアピオス健康法』にはこんな一文がある。
昭和五十五年、星川教授が『食用植物※』という著書のなかでアピオスをとりあげると、アメリカの農学者たちは忘れられた植物であるアピオスを再認識し、栽培化を始めたそうです。日本の学者が、アメリカ人に、原産地のアピオスを思い出させたというのも、いかにもおもしろいではありませんか。
※誤植と思われる。正しくは『食用作物』
星川先生の著作が、アメリカの農学者に「忘れられたイモ」を思い出させたのだという。
星川先生もこう言っている。
アピオスが”忘れられた食物”になってしまったことを、拙著「食用作物」(1980)で気付いたアメリカの農学者たちが、アピオスの復活、栽培化を始めたが最近の消息は定かでない。
調べてみると・・・
実は、
アメリカのアピオス関連の資料を調べると、アピオスそのものの研究は、昔から途切れずに行われている。
でも確かに、それまで「植物」としての研究のように見えていたものが、1980年以降、「作物」としての研究へと重点を移しているように見える。
本当に、星川先生がアメリカを動かしたの??
私は、1985年以降、アピオス作物化に関する論文を発表しているブラックモン博士に注目し、調べ始めた。
また、同時に、アピオスを主題にしている論文を、日米に限らず、くまなくまとめることも始めた。
すると、いくつかの論文の参考文献に、『Apios Tribune』という文字が出てくる。
『Apios Tribune』
アピオス・トリビューンって、一体何??
調べると、
ルイジアナ農業試験場の ウィリアム・ブラックモンが、あまり知られていないグラウンドナット(Apios americana)を普及させるための意欲的な取り組みを進めている。
Apios Tribune は、その目的のために発行されているニュースレター。
とのこと。
Apios Tribuneはブラックモン博士に関係があるようだ。
そして、Apios Tribuneについて調べる過程で、とても興味深い記事を見つけることができた。
書いたのは、タマラ・ディーン(Tamara Dean)さん。
自然と人間の関係をテーマに活動している、フォトメディアアーティスト。
その文章のタイトルは、
Stalking the Wild Groundnut
In case of a famine...a plant that grows everywhere
和訳: 野生のグランドナッツを求めて
~飢饉になったら…どこにでも生えている植物~
これを読むと、現在のアメリカで、アピオスがどんな存在なのかが、とてもよく分かる。
そして、特筆すべきは、ブラックモン博士の言葉。
育種プログラムがなくなった背景や博士自身の考えなど、他ではなかなか見ることのできない貴重な資料となっている。
これはぜひ、日本のアピオスファンに共有したい。
思い切ってタマラさんに連絡を取ってみたところ、なんと、日本語に翻訳してnoteで紹介することを快く許可してくださった!
だけでなく!
2025年出版のエッセイ集 『Shelter and Storm: At Home in the Driftless』のために改題・加筆修正された最新バージョンを送ってくださった!!
本当に、ありがとうございます。
このタマラさんの文章は、アピオスについての「研究論文」ではない。
一人の作家が、アピオスという植物と出会い、そこから食べること、土地のこと、そして「もし食料が足りなくなったら」ということを考えていくエッセイ。
私自身、今回アピオスの歴史を調べる中で、
「アピオスって、奥が深いな…」と思っている。
13年前にアピオスファンクラブのサイトを作った時は、そこまで踏み込まなかった。
「今そこにあるアピオス」が興味の対象で、それを中心に、食べたり、広めたり、会員さんと交流したり。
実はあの時、「星川先生から預かった資料を託したい」と言ってくれた研究者さんがいたのだが、その時の私の興味は、「そこ」ではなかった。
でも今、私の興味は、まさに「そこ」。
13年経って、私の年齢も上がり、(きっとたぶん)考えが落ち着いてきたこと。
13年ぶりにアピオスの世界を見て、ネットのアピオス情報が増えている気がすること。
でも、生産者が減り、生産量が落ちていること。
アピオス加工品が減っている気がすること。
AIの台頭で、専門性の高い文書や異国語の文書の理解、大量の資料の概要把握が容易になったこと。
こういったことから、私の興味は、アピオスというイモではなく、
「アピオスをとりまく文化そのもの」
になっていった。
そのきっかけの真相はまだ分からないが、ほぼ同時期に、日米それぞれで、アピオスを「作物」として捉え直す動きが進んでいた。
それは1980年代。
その時に第一線で活躍していた人々は、2026年の今、いくつになっているだろう?
そう、
私たちは今、その時に一体何があったのかを知り、それをまとめて、歴史に残す使命を負っている。
時間が経てば経つほど、分からないことが多くなっていく。
そういう気持ちで、タマラさんのエッセイを読んでもらえたら、これほど嬉しいことはない。
導入が長くなってしまったので、タマラさんのエッセイは、次の記事に載せます!
▼続きはこちら
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