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移民になって感じた世界③|ウクライナが遠い国ではなくなった理由

    私が昨年通っていた、デンマークの「移民・難民のための教育準備コース(FIF kursus)」でのこと。
    そこで私は、年齢も国籍もバラバラのクラスメートたちと、デンマークの言語や文化を学んでいた。

    ウクライナ出身の友人も何人かいた。
    一人ひとりのことを覚えている。

    よく猫のシャツを着ていた人。
    美しすぎて自分の写真を撮るのが大好きだった女王様。
    グループワークでラテン勢と優柔不断な日本人(私)をまとめあげてくれた頼れるリーダー。

    ある日の出来事について書きたいと思う。


    帰りたい場所

    デンマーク語の授業中、すごろくトーキングをした。
    これは、サイコロを振ってコマを進め、とまったマス目のお題にデンマーク語で答えるというシンプルなゲーム。

    「バカンスで訪れたい場所は?」の質問にコマがとまり、私たちは「あたたかいスペインのビーチ」とか、「美味しい食べ物があるイタリア」とか答えながら盛り上がっていた。

    けれど、ウクライナ出身の友人は「ウクライナ」と答えた。

    教室の空気が一瞬変わった。
    そうだよな、と思った。

    気軽なゲームの質問が、鋭い棘のように感じられた。

    帰りたい場所に帰れない人たちがいる。
    それでも、その日がいつ来るかわからないまま、こうして異国に暮らしている。


    先が見えない中、異国に生きる

    家族で移住してきている人の中には、自分はウクライナに帰りたいけれど、子どもたちはすでにデンマークでの暮らしを気に入っているから複雑な気持ちだという人もいた。

    戦争が終わった後、デンマークを離れるのか。
    もし残るなら、その時の滞在ビザはどうなるのか。
    人生の先の見えなさが、戦争や国際情勢に左右される。

    日本にいた時、私は遠くの国で起きている戦争に、やるせなさを感じていた。
    けれど、彼女たちのいる教室で、その戦争はニュースの向こう側の出来事ではない。

    遠かった世界が、隣にあった。

    彼女たちは、ウクライナ料理の話になると表情が変わる。
    才色兼備な女王様も、“ボルシチ”の話に驚くほどはしゃいでいた。
    いつか、彼女たちの故郷で本場のボルシチを食べられる日が来たらな、と思う。


    一人ひとりの物語

    もう一人思い出す人がいる。
    いつもみんなの写真を撮ってくれていた人だ。

    クリスマス前、みんなで名前の書かれた紙を引いてプレゼントを贈り合うイベントがあった。
    私はその人の名前を引いた。

    はじめてウクライナ語でメッセージカードを書き、彼女が好きそうな雪だるまのマグカップと一緒に贈った。
    彼女はとても喜んでくれて、手縫いのハンカチをくれた。

    お互いのデンマーク語のアクセントが違いすぎて、たくさん会話したわけではない。
    それでも、彼女がいつも笑顔でクラスメートたちの写真を撮ってくれていたのを覚えている。

    まわりの人たちのことを愛しく思っていたのだろう。
    あたたかく、みんなを見守ってくれているような人だった。

    🇺🇦

    いつだったかテレビで見た、美しいウクライナの景色を思い出す。
    その景色の向こう側に、彼女たちの故郷がある。

    遠かった世界は、人をとおして近くなる。

    ▶︎このコースでの1年間や、デンマークで移民として暮らして感じたことは、以下のnoteにもまとめています。


     
     
    海外生活や一人旅に「homeとは何か」を求めた3年間の記録。今は、書きながら内側のhomeを育てている途中。猫が好き🐱 会社員▶︎小学校教員▶︎フォルケホイスコーレ▶︎デンマークで大学生▶︎旅人▶︎キャリアチェンジに挑戦中

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