
家族に希死念慮というのは伝わらない。伝わらなくて良いのだけれど。
リビングで希死念慮が発生するとしよう。
リビングでは母が夕食を用意していて、自分はそれを食べる為にリビングにいなければならない。つまり自室には行けない。自傷も出来ない。
その状態で希死念慮が来る。
がんがん、ばんばん、アブラゼミが「セーミセミセミセミセミ」と鳴くように、脳内では誰かが「死ね死ね死ね死ね」と鳴く。
呼吸が乱れる、倒れ込むことだってあるだろう。
その状態で自分は母にこう言われるのだ。
「は?何?えマジで何、は?」
私の父と母は凡そ、うつ病と呼ばれる症状を経験したことがない。周りにもそんな人、聞いた事のない環境下で過ごしてきた、普通の人。
私が精神科に通うまで、娘がそんな症状を抱えていただなんて知らなかった人。
うつを知らない人。
普通の人に「希死念慮とはどういうものか」というのを説明するのは難しい。
ただただ「無」が広がっている時もあるし、知らない誰かが自分の存在を否定し、「死んでしまえ」とひたすら言われて俯くしかない時もある。病状だって人それぞれ。
それを「理解しろ」だの「分かってよ」だの言うのは傲慢であり、それこそ「えマジで何?」だ。
それでも知って欲しいと願ってしまうのも傲慢だ。分かっているのだ。だが「意味が分からない」と初めからぞんざいに扱われ、異物扱いされるのは嫌なのだ。何てったって私は曲がりなりにも人間だから。屍みたいな生きてる人間だから。
苦しいよ、辛いさ、辛いに決まってるのだ。
何で分からないのか不思議にだって思う。
ストレスは誰だって感じる。だが我々はそれが重荷になり過ぎて押し潰された側の人間だ。
普通の人は、その押し潰された痛みを、辛さを、悲しみを、知らない。だから分からない。理解出来ない。不思議に思う。
でも私は思う。
理解できない人を大切に思い、知らなくていいと思わねばならないと。
そう、知らなくていいのだ。こんな苦しみを。
ましてや家族や友人にこの苦しさや辛さを伝染病みたく移してはいけないのだ。
知らなくていい。知って欲しいけど、分からないままでいて欲しい。
そう思うのは傲慢か、怠惰か、分からない。
私は、ただ、希死念慮を感じるのは自分だけでいいと思ってしまうのだ。
正しいかどうかなんて、知らない。