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昭和がダサいと感じる理由|豊かになる過程で、日本は何を失ったのか

    ─戦後復興、高度経済成長、バブル、氷河期。違う時代を生きた人たちは、なぜこんなにも分かり合えないのか。─


    以前、昭和感たっぷりのアルバムができた。

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    作っているうちに、思った。
    昭和って好きじゃないな。
    いや。かなりダサいと思っている。

    もちろん、昭和という時代を生きた人すべてを否定したいわけではない。
    私も昭和生まれだし。昭和にも素晴らしいものはたくさんあった。
    音楽も、映画も、文学も、建築も、職人の技術も。

    それでも、時代全体に漂っていたあの空気。
    特に戦後から高度経済成長、そしてバブルへ向かっていったあたりの価値観には、どうしても違和感がある。

    では、私は一体、何を「ダサい」と感じているのだろう。
    少し考えてみた。

    どうやら私が嫌いなのは、昭和という時代そのものではない。


    嫌いなのは多分こういう価値観

    • 経済成長を絶対善とする

    • 消費すれば豊かだと考える

    • 儲かるならいい、となる

    • 自然や景観を犠牲にして開発する

    • 後世への負担を考えない

    • 作ったものを維持・撤去する責任を負わない

    • 「今が良ければいい」で思考停止する

    • 自分が享受した時代背景を「自分の努力」だけで説明する

    • その価値観を下の世代にも押しつける

    たぶん、私はこういうものが嫌いなのだ。


    「豊かさ」を享受

    昭和、と聞いて私が思い浮かべるものの一つに、バブルがある。

    札束。
    ディスコ。
    ブランド品。
    高級車。
    土地。
    接待。
    消費。

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    「24時間戦えますか」なんて言葉まで流行った時代。
    就職すれば仕事はいくらでもあり、会社に入れば年功序列で給料が上がっていく。

    今の私たちからすると、別世界のように見える。
    私はその時代を、実際には知らない。

    だから、正直に言えば、
    ただの妬みなのかもしれない。

    以前にも書いたけれど、私は「選ばれる世代」だった。


    何をやっても簡単には選ばれない。
    仕事も。結婚も。将来も。

    「頑張ればなんとかなる」と言われても、そもそも入口が狭い。
    「頑張る場所、どこ?」

    そんな時代を生きてきた自分からすると、
    大きな流れに乗るだけで良かったなんて
    「相当いい時代だったんだろうな」と思う。

    そして同時に、
    「そりゃ、嫌いにもなるよ」とも思う。

    でも、たぶん、それだけではない。
    私が引っかかっているのは、単純な経済的な豊かさではない。

    豊かになること自体を悪いと思っているわけではない。
    きっと問題は、「豊かになったあと、何をするのか」なのだ。


    団塊の世代が作ったものに乗った人たち


    戦後、日本は焼け野原から立ち上がった。
    食べること、生きること、働くこと。
    まずはそこからだった。

    そして高度経済成長があり、日本はどんどん豊かになっていった。
    団塊の世代を含め、その時代を生きた人たちは、本当にものすごい勢いで働いたのだと思う。

    戦後の復興。
    インフラ整備。
    工業化。
    大量生産。
    住宅。
    家電。
    自動車。

    日本という国を、ここまで豊かにした功績は大きい。
    そこは否定できない。むしろ、私はすごいと思う。

    ただ、その上にバブルがやってきた。

    そして、その豊かさを享受した人たちの中には、
    「なぜこんなに豊かになったのか」を考えることなく、その時代を生きた人も多かったのではないかと思う。

    もちろん、全員ではない。
    努力を続けていた人もいるだろう。

    きっと浮かれている人たちを横目に、地道に働いていた人もいる。
    バブルの恩恵を受けることなく、その後の不況に苦しんだ人もいる。

    だから「バブル世代は全員こうだった」なんて言うつもりはない。
    ただ、「時代そのものが非常に恵まれていたことは事実」だと思う。

    今とは社会保障も税制も雇用環境も違う。

    預金金利だって、今では考えられないような水準だった時代がある。
    土地や株が上がり続けるという空気もあった。
    「働けば豊かになれる」という感覚が、今よりずっと現実的だった。

    それは、かなり特殊な環境だ。

    だから私は、
    「自分たちは努力した」という話だけで、その時代を語られることに違和感がある。

    努力したことまで否定するつもりはない。
    ただ、

    努力だけで説明できないほど、時代の追い風も大きかったのではないか。と思ってしまう。


    私の家の空気


    私の親は、団塊の世代よりさらに上。
    戦中・戦後を生きた世代だ。

    しかも親が再婚していることもあって、私は同年代の人よりも、かなり上の世代の親を持っている。
    だから、家庭の中にはずっと、戦中戦後の空気があった。

    もちろん、私自身が戦争を経験したわけではない。
    でも、親が背負っていたものは、家庭の中に残っていた。

    生きることに必死だった人。
    大きな「傷」を抱えたまま、それでも生活を続けてきた人。
    「つらい」と言っている場合ではなかった人。

    そういう人たちの子どもとして育った。
    だから私の中には、同年代の人たちとはかなり違う「時代の感覚」があるのかもしれない。

    同じ日本に生まれていても、
    育った家庭に流れていた時間が違う。

    そう感じることがある。


    その子どもたちは氷河期世代


    その親世代の子どもたち。つまり私のひと回り位上の世代。
    夫も含め、就職氷河期世代にあたる人たちは、また別の時代を生きることになった。

    親世代が経験したのは、「傷を負った日本」。
    その子供たちは、「豊かだったはずなのに、何も手に入らない日本」を見た。

    会社は人を採らない。
    正社員になれない。
    将来が見えない。

    それでも上の世代から、「努力すればなんとかなる」と言われる。
    いや。その努力をするための席が、もうないんですけど。
    そんな感覚だった。

    もちろん、これも世代全体を一括りにはできない。

    でも、少なくとも私の人生から見れば、
    生まれた時代によって、見えている世界があまりにも違う。

    これはかなり大きい。


    嫌いなのは「昭和」の価値観


    ここまで考えてみると、私は昭和そのものが嫌いなのではないのだと思う。嫌いなのは、後先を考えずに豊かさだけを追いかける価値観だ。

    ただ利益を上げればいい。
    ただ売れればいい。
    ただ儲かればいい。
    ただ便利になればいい。
    ただ消費すればいい。
    ただ楽しく生きればいい。

    そういう価値観。
    そこに、私は美しさを感じない。

    もちろん、現実はそんなに綺麗ではない。

    お金も必要だし、利益も必要。
    商売をしている身で、「利益なんていらない」と言ったら、それこそおかしい。

    でも、
    利益を出すことと、利益だけを追いかけることは違う。
    便利になることと、便利さのために何かを壊すことも違う。
    豊かになることと、豊かさを浪費することも違う。

    そこを分けたい。


    田舎に住んでいると見えるもの


    これを強く感じるようになったのは、田舎に移住してからかもしれない。
    そこら中にある、かつて建てられた建物。

    観光施設。
    別荘。
    ホテル。
    使われなくなった建物。
    人がいなくなった場所。
    自然の中に突然現れる、古びたコンクリート。

    毎日のように目にしていると、
    「これ、誰がどうするんだろう」と思う。

    当時はきっと、夢があったのだと思う。

    人が来る。
    観光客が増える。
    土地が栄える。
    お金が動く。
    建物を作る。

    それ自体は悪いことではない。
    でも、その後のことは?

    壊すときは?
    維持できなくなったときは?
    人が来なくなったときは?
    自然は?
    景観は?
    次の世代は?

    そこまで考えたのだろうか。
    私は、そういう「後始末」が見えないものに、ものすごく違和感を覚える。


    「作ったもの」より「残したもの」


    何かを作るのは、華やかだ。

    新しいホテル。
    新しい道路。
    新しい施設。
    新しいビル。
    新しい商品。
    経済効果。
    雇用。
    売上。

    ニュースになる。
    でも、本当はその後の方が長い。

    作ったものを何十年も維持する。
    修理する。
    使い続ける。
    必要がなくなったら壊す。
    土地を元に戻す。
    次の世代に負担を残さない。

    こっちの方が、ずっと地味だ。
    でも私は、そっちの方に美学を感じる。

    作ったものではなく、最後まで責任を持ったもの。
    そっちの方が、ずっと格好いい。


    戦前・戦中の日本人に感じる「何か」


    以前、特攻隊を題材にした映画を見て、号泣したことがある。

    映画『永遠の0」も泣いた。

    もちろん、私は戦争や当時の人たちを美化したいわけではない。
    戦争は悲惨だ。
    若い人たちが命を失ったことも、家族が引き裂かれたことも、絶対に美化してはいけない。

    それでも、あの時代の人たちの中に、
    「自分より大きなもののために、自分を差し出す」という感覚があったことに、心を動かされる。

    それが正しいかどうかとは別の話だけど。
    今の私たちには、なかなか持てない感覚だと思う。

    家族。
    故郷。
    国。
    仲間。
    自分より大きな何か。

    そういうものを守るために、自分の利益を後回しにする。
    私は、そこに一種の「魂」のようなものを感じる。

    聖書の中でイエスはこう語った。

    友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない

    ヨハネによる福音書 15章13節


    だから、「戦後になって何かが壊れた」という感覚が、私にはどうしても残る。

    ただし、これは歴史的事実として「戦後に日本人の魂が壊れた」と言っているわけではなく、私自身が、戦後の近代化を見ていて感じる違和感だ。

    戦争を終えて、豊かになった。
    便利になった。
    自由になった。
    寿命も伸びた。
    生活も楽になった。

    それは間違いなく素晴らしいことだ。

    でも、その一方で、
    何か大切なものまで一緒に手放してしまったのではないか。
    そんな気がする。


    便利になって、人間は幸せになったのか


    近代化は、私たちの生活をものすごく便利にした。

    洗濯機。
    冷蔵庫。
    車。
    テレビ。
    インターネット。
    スマートフォン。
    AI。

    昔なら何時間もかかったことが、一瞬でできる。

    それなのに、「生きづらい」という人は減らない。
    むしろ、心の問題は以前よりずっと語られるようになった。

    もちろん、昔から苦しんでいた人はいた。
    ただ、言葉にできなかっただけ、認識されなかっただけなのだと思う。
    だから単純に、「昔の方が幸せだった」とも言えない。

    それでも私は、
    便利になることと、豊かになることと、幸せになることは、全部同じではない。
    ということを、もっと考えてもいいと思う。


    「努力してます」が、ダサく見える人


    最近、SNSでよく流れてくるものがある。

    50代、60代くらいの人が、
    「私、まだまだ頑張ってます!」
    みたいな感じで、仕事や美容や趣味を頑張っているショート動画。

    別にいい。本人が楽しそうなら、それでいい。
    でも、見ながら思ってしまう。

    「いや、あなたたちが生きてきた時代は恵まれてただけでしょ」

    これは、その人が努力していないと言いたいわけではない。
    努力した人も、もちろんたくさんいる。

    ただ、
    「努力できた環境」そのものが違う。

    私が違和感を覚えるのは、本人の努力そのものではない。
    その努力が成立している「土台」が、私たちとは違うのではないか、ということだ。

    そこを全部、
    「私は努力した」
    だけで語られると、なんだか違うと思ってしまう。

    そして、最近はもう一つ、似たような違和感を覚えることがある。
    その世代の子どもたちだ。いわゆるバブル世代の子どもたち。
    今なら、30代前後くらいにあたる人たちだろうか。

    この世代の人たちが、
    「私、こんなに頑張っています」
    「自分で人生を切り拓いています」
    という発信をしているのを見ても、同じような違和感を覚える。

    もちろん、その人自身の努力を否定したいわけではない。

    でも、土台が違う。
    ここが、どうしても気になる。

    親世代がどんな時代を生きていたのか。
    どんな収入を得ていたのか。
    どんな住宅環境で暮らしていたのか。
    どんな教育を受けられたのか。
    どんな社会の中で子どもを育てたのか。

    そういうものまで含めて考えると、

    「自分は努力してここまで来た」
    という一言だけでは、私は納得できない。

    親がバブルの恩恵を受けていたなら、その恩恵は、形を変えて子どもにも流れている。
    もちろん、家庭によって全然違う。

    親が裕福でも苦労した人はいるし、バブル世代の子どもだからといって、全員が恵まれていたわけでもない。それは分かっている。

    それでも、世代には世代の「初期設定」がある。
    私はそこを無視したくない。

    追い風の中で育った人と、向かい風の中で育った人。
    どちらも努力する。どちらも頑張る。
    でも、同じ距離を走るのに必要な力は違う。

    そして、追い風の中で走れた人の子どもは、最初からその風の恩恵を受けている。
    風向きが違えば、同じ「頑張った」という言葉の重さは違う。
    私は、そこまで含めて「土台」だと思っている。

    だから、誰かの努力を見て、
    「すごいな」と思うこともある一方で、

    「でも、この人が立っている場所は、私が立ってきた場所とは違う」
    と思うこともある。

    これは、嫉妬なのかもしれない。
    ひょっとしたら、かなりの部分が嫉妬なのだと思う。
    でも、それだけではない気がしている。

    私が見ているのは、努力の量だけではなく、
    その努力が、どんな土台の上で行われているのか。なのだと思う。


    世代間の壁は、思っているより高い


    VIVANTを見たときにも思った。
    人は、自分が生きてきた時代によって、正義も価値観も変わる。

    戦後を生きた人。
    高度経済成長を生きた人。
    バブルを生きた人。
    就職氷河期を生きた人。
    失われた時代に生きた私のような人。
    そして現在を生きる若者。

    同じ国に生きていても、見ている景色が違う。


    だから、「あの世代はおかしい」と言うだけでは何も解決しない。
    その人たちが、どんな時代を生きてきたのかを知らなければならない。

    でも同時に、理解することと、肯定することは違う。
    これも大事だと思う。

    戦後世代がなぜああいう価値観になったのかを理解する。
    バブル世代がなぜああいう消費文化を享受したのかを理解する。
    氷河期世代が、なぜ上の世代との価値観のズレを感じるのかを理解する。

    その上で、「その生き方は好きではない」と言っていい。
    むしろ、その両方が必要なのだと思う。


    「昭和がダサい」と思う理由


    結局、私は昭和そのものが嫌いなのではない。
    昭和に生きた人たちを、まとめて嫌いなわけでもない。

    私がダサいと思っているのは、
    「今さえ良ければいい」という価値観。

    自分たちが豊かになればいい。
    自分たちが楽しければいい。
    自分たちが儲かればいい。
    自分たちが成功すればいい。

    その結果、何が残るのかは知らない。
    次の世代がどうなるのかも知らない。
    自然がどうなるのかも知らない。
    使い終わったものがどうなるのかも知らない。

    そういう生き方だ。
    私は、そこに美しさを感じない。

    昭和の時代に生きた人たちが悪かったわけではない。

    戦後の日本を立て直した人たちの努力は、本当にすごいと思う。
    その上に、今の私たちの生活がある。

    だからこそ、
    その時代が何を作り、何を残し、そして何を壊したのか。
    そこまで見てみたい。

    「昔は良かった」でもなく、
    「昔は全部ダメだった」でもない。

    豊かになった。
    便利になった。
    成功した。

    でも、その過程で何かを失ったかもしれない。
    そう考えることはできる。

    そしてもし、本当に何かを失ったのだとしたら。

    次の世代に残すべきなのは、もう一度同じ豊かさを追いかけることではなく、
    失ったものが何だったのかを知ることなのかもしれない。

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