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花のをすくに[跋]#29(終)

    かくて人は意いを宣のり、祈る

     気がつけば、号ごうは山の頂から町の惨状を見下ろしていた。満天星どうだん山は崩れた後で、田畑や家々が泥の海に沈み、太陽を照り返している。
     鼻をつく土臭さや草いきれに、一瞬咳き込みそうになった。異界のかぐわしさに慣れると、こうも現世がすえた生臭さに感じられるとは。

     比較的、高台にあった祭原さいばら総合病院は、まだ無事のようだ。
     気を取り直して、号はそこへ向けて走った。車両は使い物にならず、足を使うしかないが体力はまだ充分に残っている。
     着いた時には日が落ちていたが、非常事態のため院内は人でごった返していた。眼は瞬時に立ち働く白皙はくせきを見つけ出す。

    「慈愛しげみさん! 無事か!?」

     彼は暴行され監禁されていたはずだが、なぜここにいるのか。そんな疑問はこの際構わなかった、クチナシは、あの神はきっと事を終えている。

    「河野こうのさん、お怪我は」

     看護婦やスタッフの人垣から、慈愛は身を乗り出した。

    「おかげさんで! それより」

     号は握っていた水筒を目の前に突きつける。

    「早くこれを、美登里みどりちゃんに渡さないと」

     慈愛の表情が医師としての社会的な表情から、姪を案ずる叔父という個人的なものに切り替わるのが分かった。

    「どういう意味ですか?」

    ――誰かか、何かが貴方の身代わりになるよう、金魚を遣わしていると、私はそう思いますね。

     かつて森之進もりのしんはそう言った。
     花の苗床からひびきを解放したように、自分の腹から生まれる金魚には、不吉の兆し以外にも――身代わりになる力があるのではないか。

    「たぶんクチナシだと思うんだが、あいつに言われた。言うってかなんか頭の中に直接……とにかく、美登里ちゃんにオレの金魚が必要だ、ってよ」

     号は知るべくもないが、死者と生者の間に生まれた帰とつぎ美登里は、母が花のをすくにに迎えられたため、自らも死者に変わろうとしている。

    「兄さまは、あなたの神と約束をしたそうです。このことだったのですね」

     慈愛が呼んだスタッフに案内され、号は美登里とすぐ引き合わされた。
     人に見られたら面倒だなと考えたが、水筒の蓋に手をかけた瞬間、ふと「今だ」と直感する。誰の視線も交差しない隙間に、号と少女は居た。
     これも神のご加護か。少女の口に一匹目を落とすと、喉が上下することなくつるりと奥へ落ちる。続けて二匹目も同様に。
     これで良いはずだ。号は慈愛の所へ戻って手伝いを申し出た。後は、ただひたすら目まぐるしい忙しさ。
     ひと息つけたのは、一昼夜が開けてからだ。

    「美登里ちゃんのこと、あなたに伝えるべきでした」

     仮設テントの休憩所で缶コーヒーをあおっている号に、慈愛はそう切り出した。姪の正体と、彼女を救いたかったことをすべて白状する。
     半分は死者で、半分は生者の子。この世に留めるなら、身代わりを差し出さねばならない。それが出来るのが、号に遣わされている金魚たちだった。

    「……なんで、それ言わなかったんですか」
    「森之進は利害の一致でこちらに引き込めました。けれどあなたには、妻の死という動機が既にあったでしょう」

     そりゃそうだが、と言いつつ、号は決まり悪い限りだ。
     クチナシは神の位を取り戻し、残った黄人草と、自らに逆らった祭原の一族を鏖殺おうさつした。赦ゆるされたのは慈愛と美登里だけだ。
     餐原の外に住んでいるもの、たまたま遠くに離れていた者は生き延びているが、この地を踏めば、間違いなく命を落とすだろう。

     慈愛は、「自分が祭原の血筋でありながら赦免されたのは、幼い頃から仕え、復権に貢献したため」と説明し、号もそれ以上追求しなかった。
     何の罪もない美登里も、本来は罰の対象だったそうだが、慈愛は褒美として彼女の免罪を望んだ。その上で、金魚という身代わりがなければ、彼女はやはり命を落としたはずである。これが神の恐ろしさ、無慈悲さか。
     それをわざわざ、号の守り神と何らか交渉して救ったのは、クチナシ個人・・からの好意なのかもしれない。あの神は一時、人間であったのだから。

    「オレ……正直、あんたと克生先生と、どっちが正しいかどうでも良かったんですよ。集団リンチの件は本当にもうしわけなかったですけれど」
    「あなたは私の姪の、命の恩人ですよ。余りある恩義です」
    「恐縮……っす」

     缶コーヒーを飲み干して、休憩は終わりだ。克生と美智代の遺体が見つかったのは、それから程なくしてのことだった。
     森之進は院内にて既に手当を受けており、どういうわけだか全身のほとんどを骨折し、筋肉も断裂していた。霊術ももはや使えないのだとか。

     号も慈愛も、災害の後片付けに東奔西走しながら話し合い、十日祭の日に何があったのかだんだんと把握していった。
     大きな災害だったが、報道ではほとんど取り上げられることもない。これらは神罰の結果を現実に置き換え、反映させた結果だからだ。

    ――各おのも各もさくなだりに、落ち激たぎつ血潮で道を潤し、哭おらびいさちれ!

     祭原景克かげよしの葬儀当日、クチナシが帰ってきたその日から餐原町は異界に飲まれ、〝花のをすくに〟と化していた。
     十日祭の日、克生の決起に号が署の応援を出せなかった理由が、これだ。連絡すれば、通常通りのやり取りが発生するが、それだけ。
     再度連絡すると何事もなく、まったく同じ受けごたえをされるだけ。何度やっても変わりようがなく、そのうち金魚を吐いたので号は諦めた。
     災害の原因が、景克の葬儀から十日間降り続いた雨、ということになっているのもそのためだろう。実際に雨が降ったのは、火・水の二日だけだ。


     克生と美智代みちよは屋敷を押し潰した土砂の中から、窒息死体となって発見された。二人は刃物によって死亡しているが、もとより神罰の対象だった故。
     そして森之進が、殺人の事実を明かすことはない。
     祭原家母子の死は、ただの犠牲者として記録される。

    ◆

     美登里が退院した時、自宅は雨が引き起こした土石流に壊され、父ともどもしばらく祭原邸で暮らすこととなった。
     入院中、もうろうとしていた美登里はまったく気がつかなかったが、餐原町は土砂災害で壊滅的な被害を受け、多くの死者を出したそうだ。
     先週の土曜日から・・・・・・・・降り続けた長雨は、満天星山を始めがけ崩れや山崩れを起こし、北から西にカーブして南のびわ湖へ流れる偉蛇川いだがわは氾濫。

     牧山ファミリースキー場、餐原ピックランドといった山のレジャー施設は大打撃を受け、町の観光業はこれから大きく落ちこむだろう。
     満天星山にはひと筋の傷痕が残された。
     巨大な蛇か龍が山肌を這い降りたような格好で、家並みの三分の一をなぎ払い、偉蛇川と合流して二次氾濫を起こした。
     現在確認された死者はおよそ二〇〇人だが、負傷者、行方不明者の数は徐々に増えていくだろう。美登里の母・育乃《いくの》もその一人だ。

    「パパ、ママぶじだよね? 帰ってくるよね?」

     父の森之進に叔父の慈愛を加えた夕食の席で、美登里は何度目かの問いを発した。黒檀の座敷机にはレバーの甘辛煮、冷や奴、夏野菜の煮物が並ぶ。
     料理は慈愛が作った。彼の自宅は奇跡的に無事だったが、多くの土砂が雪崩れこんだ屋敷の片付けのため、泊まり込みで手伝いに来ている。
     祖母と伯父は既に亡く。祖父もまた災害前に葬儀を出したばかりだ。

     災害の死者は半数以上が高齢者だが、祭原の分家筋も多く含まれていた。今や本家宅を直接管理できそうなのは、慈愛ぐらいのものだ。
     父と叔父たちはこれから、祭原の大きすぎる屋敷や、神社をどうするかについて話し合っていくらしい。
     二人とも地域の信頼篤い神主として、医師として、やらなければならないことは幾らでもある。退院間もない美登里は、休んで良いと言われたが。

    「大丈夫だよ、美登里ちゃん。パパと二人でママを待とう」

     森之進はそう言って娘を抱きしめた。母にぞっこんだった父は、きっと心配で気が気ではないはずだ。
     彼の態度に違和感を覚えながら、少女は眼をそらした。

    「テレビでもつけようか」

     慈愛がリモコンを入れると、清掃企業のコマーシャルをやっていた。姉妹なのか二人の老女が「きんは百歳」「ぎんも百歳」と長寿をアピールする。
     人って百年も生きられるんだ。自分が生まれてから今までを、更にあと十回も続けるなんて美登里には想像もつかない。今たくさんの人が災害で傷ついたり、いなくなったりして、本当に酷いことが起きている。

    「ねえ、パパ。なんで人は死んじゃうのかなあ」
    「それはね、美登里ちゃん。宇宙はほとんど死んでいることが当たり前で、生きていることの方がずっと不思議で、へんてこで、怖いことだからだよ」

     父はなぜ空は青いのかとか、ミカンが酸っぱいのはどうしてと聞いた時と同じ調子で話し出した。

    「だから、いつか死ぬことは当然なんだ」

     意味がよくが分からず、美登里はポカンとしてしまう。

    「生きていることに比べたら、なんてことない。でも、生きることは一回限りで、あっという間に終わるから、大事にしなさい」

     父が頭をなでる手は優しく温かい。大きくなったら自分も理解できるだろうか。少し安心して、美登里は続けた。

    「じゃあ、死んでオバケになるのは?」
    「半分生きて、半分死んでいる状態かな。神さまは、生きても死んでもいない、私たちとはまったく違うものだから、凄いなあと仰ぎ祈るんだ」

     分かるような分からないような心持ちで、美登里はうんうんと頷いた。叔父が「さ、食べて食べて」と促すので、大好きな冷や奴に箸をつける。
     一度ゆでて冷ました豆腐は余計な水分が抜け、味が濃くなって美味しい。ママも料理が上手だけれど、毎日叔父さんのご飯を食べていたら、ついつい太りそうだ。それだって、生きているからこそ。
     屋敷の空気は、今までより明るい。

    ◆

     八月に入ると、町の復興もだいぶ進んできた。このところの号は、よく慈愛に誘われては手料理をご馳走になっている。
     いつだったか、慈愛は裏返りかけた声で「今度……よろしかったら、食べにきませんか……」と言い出したのだ。

    「実は、人が美味しくお腹いっぱいに食べている姿が好きなんです」
    「へえ」
    「あと……友人の作り方が分からないものでして」
    「へぇー、オレ友だちって思われてなかったのか……」
    「えっ」

     クチナシはもう居ないが、慈愛の料理が一級品であることは承知している。断る理由もないので、たまに森之進や美登里ともいっしょになった。
     姪が可愛いのもあるだろうが、克生からの暴行に加担した彼のことは気にしていないのだろう。血のつながりはないはずだが、妙に割り切りが良いという点では、慈愛と森之進はよく似ていた。

    「はい、ろんこぎろんこぎ」
    「おう、ろんこぎろんこぎ」

     場所は祭原邸だったり慈愛の自宅だったりするが、今日は自宅の方だ。号のリクエストで、二人してろんこぎを作っている。

    「そういや、〝ろんこぎ〟って名前、何が由来なんですかね」
    「兄さまの真の名前が、訛って伝わったものです」

     さすがに杵と臼は用意できないので、ボウルに材料を入れて代わる代わる捏ねる簡略版、ろんこぎ団子と呼ばれるものだ。

    「ん? どうだんってのは、騰蛇とうだが訛ったものじゃ」
    「兄さまを騰蛇と思ったのは、ただの勘違いですよ。エビスのように外国からやって来る神を来訪神、あだしくにの神と言いますが」

     だから御山に満天星とつけたのも、ただ音を合わせただけに過ぎず、満天星どうだん躑躅つつじとは何の関係もない。ろんこぎろんこぎ。

    「彼は私たちの宇宙の外から訪れた。騰蛇というのは、その御姿に無理やり当てはめたものなのです。ろんこぎろんこぎ」
    「じゃ……、ろんこぎってのは」
    「かなり変わってしまって、もう原型を留めていないのだとか。私は本当の名を教えられましたが、発音も、文字にするのも無理ですね」

     ろんこぎ団子自体、餅米を使ってること、甘いこと意外忘れられ、何もかも違うそうだ。慈愛のうんちくを聞きながら、菓子が完成する。
     男二人で菓子を手作りし、茶を飲むとは世間的にはかなり奇矯だろうが、こういう付き合いがあっても良い。号にとっては心地の良い時間だった。
     茶飲み話に、ふと号は思い出した疑問を口にする。

    「結局、オレの金魚って何だったんですかね」
    「私が思うに、号さんは神なるものの鑑賞物ではないでしょうか」

     飲んだ茶を吹くとはこのことだ。本当に吹き出しはしなかったが。

    「冗談よしてくださいよ。オレなんか見て、何が面白いって言うんですか」「金魚は己の美しさを、人が愛でていると知っているかと思いますか?」

     言われると号も反論しがたかった。
     ペットの動物はみんな、自分が人間にとって可愛かったり、美しかったりしているから飼育されているなどと知るまい。
     猫を飼っている友人は、「猫は自分の可愛さを分かっている」などと主張していたが……だとしても、金魚は怪しい。何せ魚だ。

    「金魚とは、偶然生まれた姿を人が世に留めた、本来自然界には存在しない魚です。ゆえに、生きた芸術とも言われているとか。傲慢なことですがね」

     金魚屋の親戚としてはまた耳に痛い言葉だ。

    「その美しさは、飼育され繁栄したという点を別にすれば、彼ら自身に何の益がないものです。つまり号さんは一種の突然変異した人間で、人の世界では無用な何かを、気に入られているのではないかと」
    「要するに、〝神さまの思し召しは人には測れない〟ってことでしょ」

     推測に推測を重ねた、ごく不確かな想像だ。
     慈愛は微笑んで、焼き菓子を一つかじった。心なしか、彼の表情は知り合った頃よりずっと、険が取れている気がした。
     荒んだ野良猫が、家猫になって丸くなったような、と言ったら怒られそうだが。安心する居場所を見つけた人間特有の、もの柔らかさを備えている。
     茶会を終え、号は慈愛邸を辞そうとした。家主が眉間にしわを寄せる。

    「そういえば、あれも刈らないといけませんね。見苦しい」

     視線の先を号が確かめると、道を一本挟んだ玄関前、枯れた紫陽花が花冠を保ったまま捨て置かれている。

    「枯れた紫陽花、嫌いですか?」
    「ええ。もうしおれてしまったのに、落ちもせず散りもせず、形を留めている。木乃伊みいらか何かのように、亡骸が残されているようで好きになれません」
    「へえ。オレは枯れてしまった紫陽花って、好きなんですよね」

     何気なく、号は持論を語った。

    「青紫や赤紫があんなに鮮やかだったのに、今は古い写真みたいなセピア色になって、形が残るのが良いんだ。咲くだけが花じゃないでしょ」

     桜は舞い散る姿が美しいし、葉桜だって良いものだと号は思う。慈愛は首を傾げ、何度か目を瞬かせた。

    「そういう考えも、あるものですか」

     そんなに意外なことを言っただろうか、とこちらが不思議に思うくらい、彼の表情は不意を打たれた者特有の無防備さに満ちていた。
     面白いものを見たなと思いながら、軽く手を振る。

    「じゃ、盆明けにまた」
    「ええ、また」

     三日後には盆の入りだ。
     ひびきの一件に蹴りがついて、今年は清々しい気持ちで帰省できる。実家で顔を合わせる兄や妹、両親とゆっくり話したい気持ちになっていた。
     軽やかな気持ちで、号は車に乗りこんだ。

     彼が帰った後、慈愛は一皿取り分けたろんこぎ団子を持って、二階へ上がった。専用に設けた一部屋に、大きな神棚がしつらえてある。

    「兄さま、お団子をどうぞ」

     慈愛は神前に団子を供え、一心に祈りを捧げた。

    【口はこれにて、しじま請い】終


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