メインコンテンツへスキップ
見出し画像

痛風とうんこと仕事。 ときどき、屋久島。

    社会人で最初に壊れたのは、腹だった。

    いや、正確に言うと、それよりずっと前から壊れていたのかもしれない。

    小学校5年生のとき、友達の家でお皿に山盛りあった、マーブルチョコレートだと思ってバリボリ食べたそれは、おばちゃんのコーラックだった。
    気づいたときには遅く、一生分のコーラックを摂取した後だった。
    まさしく春のコーラック祭り。

    その日を境に、なのかは分からないが。
    ただ、自分の腹はとにかく弱かった。

    学生時代、常に頭に入っていたのはトイレの位置だった。
    どの駅で降りれば最短で辿り着けるか。
    どのトイレが比較的空いているか。
    普通の人が覚える必要のない情報が、自分の中には蓄積されていった。

    高校生で花粉症になった、くしゃみはシャレにならない。
    こちらはお腹が弱い、くしゃみで何度冷や汗をかいたか覚えていない。

    20歳のとき、一度だけ、どうにもならない瞬間があった。

    通学の電車の中で、我慢の限界である。
    電車の扉が開いた瞬間、門も開いた。

    そして、裾から足元に落ちたそれを、無意識にボレーシュートした。

    あのときの感覚は、今でも忘れられない。

    笑い話にできるような話ではあるが、当時の自分にとっては切実だった。

    腹痛は待ってくれない。
    理屈も、予定も、関係ない。
    来るときはアポなしで突然来る。

    ストッパなんて、全然効かない。
    試したけど全く歯止めにはならなかった。改善求む。

    ブラック企業で身体の異変は加速した

    社会人になっても、その状況は変わらなかった。
    むしろ悪化した。

    朝起きて1回。
    出勤途中で1回。
    会社について1回。
    始業前に3回トイレに行くのが基本のルーティンだった。

    そのせいで、会社の敷地内には入っているのに遅刻扱いになることもあった。

    若い頃から、うんこは自分の代名詞のようなものだった。
    笑いにしていたが、内心は結構しんどかったし、毎日腹を気にする生活は想像以上に大変だった。

    26歳の正月明け、これまでに感じたことのない腹痛に襲われた。

    激痛だった。いつものやつとは明らかに違う。
    なんとか病院に行き、そのまま別の病院に搬送された。
    腸が腫れすぎているらしく、医者には笑いながら
    「正月に食べすぎたんじゃないか」と言われた。

    結果的には安静で済んだが、あの時から、何かがズレた気がしている。
    日々の腹痛とは別の腸の痛み。
    その後も、たまに同じような痛みがくるようになった。

    同じ頃、働いていた会社は、いわゆるブラック企業だった。

    1日中働く。
    それを毎日続けると、感覚が麻痺する。
    何が普通なのか分からなくなる。

    一番大きな小銭くらいの時間を毎月働き、
    30日なんて余裕で超えて連勤もした。

    今思えば異常だが、当時はそれが当たり前だった。

    若手はそういうものだと思っていた。

    20代半ばの自分にとっては上司たちは、
    異常に仕事ができるように見えた。
    あんなふうになれる日が来るのかと疑心暗鬼だったが、
    「今は目の前のことをやる」と思うしかなかった。

    ただ、その環境でやっていること自体は濃かった。
    ここでやれれば色々な意味で、忍耐、体力共にどこでもやっていけると自分に言い聞かせていた。

    お金 < 人間関係 < やりがい。 
    どれか1つしか得られないと思い込んでいた。

    若い頃はまずはやりがいと言う名の経験とスキルアップを優先した。

    お金は本当になかった、これだけ働いても全然残らない。
    財布もお腹も、余裕なんてなかった。

    朝、会社に行く前に3回トイレに行く。
    むしろ調子がいい日は、もっと出る。

    今思えば、身体は何度も言っていたのだと思う。

    この会社に行きたくない。この環境は変えた方がいいと。

    それでも続けた。

    スキルもない、自信もない。
    ここでやるしかないという強迫観念に近いものがあった。

    周りも同じように働いている。
    だからこれは普通なんだと思い込んでいた。

    身体のサインは、無視した。

    過敏性腸症候群という名前がついた日

    ある日、病院に行くと、過敏性腸症候群と診断された。

    ストレスが原因だと言われた。

    そのとき初めて、自分の腹の弱さに名前がついた。
    どーも、初めまして。ご挨拶遅れてすいません。

    体質だと思っていたものは、環境でもあった。

    遡ると、社会人1年目から転職をしている。
    25歳の時にはすでに3社目にいた。

    若い頃は、理解できていない会議に出て、気づけば居眠りをしている。
    自分の仕事が終わって帰ろうとすると、先輩や他の人の仕事を手伝い、
    気づけば終電を越えている。

    現場が終われば会社に戻り、また企画書を作る。
    その繰り返しだった。

    経験は増えていた。
    寝る間もなく働くスタイルで、20代半で500以上の現場数は経験していたと思う。

    でも、成長している実感はなかった。
    ただただ忙しいだけだった。

    祖母の死と退職を決意した出来事

    その後、屋久島の祖母が亡くなった。
    小3から社会人になるまでは、毎年帰る大好きな場所だった。

    社会人になってからの20代は、お金も時間もなく、
    屋久島に帰れる余裕は、全然なかった。

    会社は、葬式に行くことすら許さなかった。
    「仕事があるやろ」という理由だった。

    あのとき、初めて違和感が確信に変わった。

    これは、流石におかしい。

    葬式には出たが、そのままトンボ帰りで戻って仕事をした。

    何をやっているのか、自分でもよく分からなかった。
    正直、まともな判断はできていなかったと思う。

    だが、その後すぐに退職を選んだ。

    退職する日、最後に代表に言われた。
    「お前なんか、どこに行っても成功せえへん。」

    その一言で、頭が真っ白になった。
    さすがに、それはないやろと思った。
    ここまでやってきたことは何だったのか。
    この環境で削ってきた時間や身体は、何の意味もなかったのか。

    色々な感情が一気に込み上げてきたが、
    何も言い返せなかった。
    言い返す気力も、もう残っていなかった。
    呆然としたまま帰路についたのを覚えている。

    ただ、腹の奥に、はっきりと残ったものがあった。

    それは、うんこではなく、怒りだった。

    このまま終わるのだけは、絶対に嫌だという感覚だった。
    絶対に見返してやる。その想いだけを持って、次に進んだ。

    ただ、会社は自分を守ってくれない。ということだけは
    20代にして実体験、理解できた。

    ロックスターは27歳で亡くなる都市伝説。
    一切自分には関係ないが、27歳を迎える前に
    地獄のような環境から、抜け出せた事は、
    その後の人生の一つの分岐だったと思う。

    ただ、ばあちゃんが亡くなってなかったら、
    恐らくあの環境で、その後もいたと思うと虫の知らせ。
    本当に感謝と思うところはある。

    東京への転職と環境の変化

    そして時は経ち28歳、今度はついに、足に来た。

    まさかの痛風だった。尿酸値11。
    大型新人のデビューである。

    右足首に出たそれは、骨が折れたのではないかと思うほどの痛みだった。
    範馬勇次郎にやられたみたいな衝撃が走る。
    歩けない。触れられない。何もできない。

    まさに内部破壊。中がとりあえず痛い。

    確実に人生で一番痛い痛みだった。
    ロキソニンのありがたみを一番感じた瞬間である。
    いつも大変お世話になっております。

    うんこと痛風はここで出会い、
    この後長らく一緒に人生を歩むことになる。

    確かに、飲み食い、不摂生の生活ではあったので、お酒のせいかと当時は思っていた。

    痛風デビューもしたし、30歳のタイミングで、
    色々あって江戸に行くことを決めた。

    その時の会社が、東京に本社があったので、転勤願いを出して叶った。

    30年間住んだ大阪にいれば楽だった。
    でも、このままだと詰まる感覚があった。

    ここで行かなければ、一生、行かない気もした。

    それに、行く前に時々東京の案件を手伝う中で、
    明らかに違いを感じていた。

    予算の規模。関わる人のレベル。意思決定のスピード。
    全部が違った。ビジネスをやるには一度東京を経験しないと語れないと直感した。

    自分よりレベルの高い環境に行けば、何かが変わると思った。
    怖さよりも、その期待の方が大きかった。

    その時で5社目を経験していた。

    大阪から東京への移動は、自分の人生にとって大きな分岐点となった。

    30歳を超えたが、着実に身についてきたものと、
    場数の違い、案件数もトイレの回数も痛風デビュー済み、
    その辺の人に負けない経験をしてきた。

    面白法人で過ごした30代

    そして33歳のとき、さらに環境を変える事になる。

    きっかけは、
    妻の「海の近くに住んでみたい」という一言だった。

    海の近く?湘南?
    当時は都内に通っていたし、
    そうなると通勤時間も倍以上に長くなる。
    正直ありえないと思っていた。

    でも、その頃にはすでに感じていた。

    このままだと、また詰まる。色々な意味で。

    ちょうどその頃、全国のアート系イベントを手掛けていたことから、海外のvivid Sydneyに視察に行きボンダイビーチに行き、その後に能登国際芸術祭の視察で能登に行き、立て続けに自然、海を体験し、海の近くで暮らす生活に惹かれていた。単純に感動したことを身体は覚えていた。

    それに加えて、当時いた業界への危機感もあった。

    デジタルをほとんど取り入れていない。
    このままでは時代に完全に取り残される。

    自分の成長も鈍化している気がする
    何か詰まってきている気がする。

    変えるなら今しかないと思った。

    鎌倉にある会社に応募した。

    そこは、面白法人カヤックだった。

    ユニークな試みで有名であり、昔から知ってはいたが
    20代は大阪におり、その後も会社が都内だったため
    と業界が違い過ぎて、意識もしていなかった。

    海の近くと言うキーワードから、鎌倉→カヤックと
    すぐに結びついた、くしくもその頃、ネットを開けば
    カヤックの求人がよく出ており、オープンポジションだったため迷わず応募した。

    受かったとき、正直、人生が変わるかもしれないと思った。

    デザイン、空間、イベントと地域など、リアル中心にやってきた自分が、完全にデジタルに転換される、1からのリスタートではあった。

    が、地域の大型イベントをやってきた経験から、
    もっと地域に深く入る仕掛けや経験をしたかった。

    これまで、転職は5回経験してきたが、
    社名が一般的に知られている、ブランド力のある会社に入ることは初めてであり、足が腫れる経験は何度もあったが、期待で胸が膨らむ経験も初めてだった。

    入社までの合間に、再度家族を連れて屋久島に墓参りと報告をしに帰った。
    366日雨が降ると言われる、屋久島で雨にも当たらず、虹が迎えてくれた。

    そして入社してすぐ、うんこミュージアムが生まれた。

    長年うんこと付き合ってきた自分としては、運命を感じた。

    カヤックでは、33歳から7年間働き、30代を捧げた。

    プロデューサーとして、
    そして90人規模の事業部の責任者も経験した。

    人生で一番働き、仲間と環境に恵まれ、
    成長と変化が爆発的に出来た時期だった。

    湘南に住んでいるが、サーフィンは一切やらない。
    痛風の波に乗るツーファーである。

    痛みの波は突然来る。そして、どうやっても避けられない。

    ただ、経験を積むことで、「あ、これはそろそろ来るな」という予兆だけは分かるようになった。

    プレゼンを休んだり、足を引きずって幕張メッセに行ったり迷惑をお掛けした。

    もちろん、お腹も快調、日々出るモノは出る。
    ただ、就業前に何度もいくことは自然と減っていった。

    潮風と都会ではない、環境がそうさせたのか。
    俗に言うスローライフ
    業務は全然スローではなかったが。

    この頃の環境から、
    自分をプロツーファーと名乗る様になっていた。

    30代後半は、うんこよりも、謎の腹痛の方が辛かった。
    もちろん痛風も。

    屋久島で決めた独立という選択

    40歳を迎えるタイミングで、
    これからを考え、自分と向き合う時間を作るために、
    今度は1人で屋久島に帰った。

    20代後半に限界を迎えたとき、
    そこから抜け出すきっかけになった場所。
    鎌倉へ移住する前にも報告しに来た場所だった。
    大きな転換を迎える前後には、屋久島の存在がどこかにあった。

    点で見ればただの転職や引越しだが、
    線で見るとすべて繋がっていたかもしれない。

    屋久島では、完全にデジタルデトックスをして、
    更にゆっくりとした時間を過ごした。

    太古の森で、シシ神様が見ている、
    痛風やお腹は直してくれなかったが、生きろと言われた。

    ここで決めた。

    独立しようと。

    令和7年に7年勤めたカヤックを、7回目の転職をし、
    引越しも7回目に、そして痛風も7回目を記録、
    体重は77キロ。

    流石にこれは、独立するしかないという暗示だった。

    一番怖かったのは、収入だった。
    家族もいるが、全部を置いて、ゼロからやることになる。

    でも、これまでの経験と案件数を考えれば、
    やりようはいくらでもあると思っていた。

    会社という構造の中で、流されるのではなく、
    自分の意思で動く。

    残りの人生を、自分軸で生きる。

    それだけだった。
    (最終的に会社は自分の人生の責任をとってはくれない事は知っている)

    独立して消えた腹痛

    サラリーマンを卒業し、独立してから、
    不思議なことが起きた。

    10年以上悩まされていた腹痛が、パタリと消えた。

    40歳を超えて、うんこと腹痛からの卒業。
    おそらく。

    ただその代わりに、痛風が2箇所同時に来た。
    右手首と右足首。激ヤバ。
    色々な部位を経験してきたが、個人的に足首が一番痛い。

    プロツーファーとして10大会参戦してきたが
    同時に2タイトルは初めてだったので、流石に焦ったが
    プロなりの対処をすぐに施した。

    ただ、これは本当に死ぬ。

    身体はずっと正しかった

    だから思う。

    身体は、ずっと正しい。正直者です。

    違和感は、最初からあった。
    ただ、それを無視し続けただけだった。

    昔から妻には言われていた。
    体調が悪くなる前は、いつも仕事やお金のことで悩んでいると。

    その時は聞き流していた。

    立場的に悩むのは当たり前だと思っていたし、
    予算や売上に追われるのが仕事だと思っていた。

    でも違った。

    痛風は贅沢病と言われることもある。
    確かに不摂生な部分もある。
    でも、それだけではないし、
    30-40代の責任感ある働き盛りに多く出るらしい なぜか。

    体質もあるし、ストレスも絶対にある。

    日々悩み、苦しみ、見せかけは元気でも、
    身体がサインを出してくる。

    毎回チラ見してくる、そのノックを無視して閉じこもっていると、どえらい何かで返される。
    後は休めというサインでもありそう。

    はーい、限界でーす。
    と、身体が精神より先に根をあげる。

    今、振り返れば仕事の辛さやストレスはお腹に出て
    売上などお金の悩みは、場所を変えて痛風として出たのではないか。

    尿酸値の"値"は、ネダン(お金)のストレスが溜まると出ると言うオチ。
    そう思うようにしておく。

    金は天下の回しものだから、貯まらず流れていく。

    独立した今は、自分以外の悩みがなくなり、
    お腹の痛みはほとんどなくなったが、
    会社という後ろ盾がなく、自己責任でやっていく
    プレッシャーから痛風とは、まだ仲良くしている。

    むしろ、湘南のプロツーファーとして、鉄板ネタであり

    この荒波を乗りこなしていく事が、これからの人生である。

    ただ、これは社会人20年を振り返った話であり
    20代のブラック企業で培った強靭な体力、ベースがあり
    社畜魂万歳と、ワーカーホリックゆえである。
    決してお勧めは出来ない。

    最後に

    最近になってようやく気づいた。

    これは身体の問題ではない。
    構造の問題だと。

    同じような仕事を、
    同じような環境で、
    同じような思考で繰り返していた。

    うんこの流す量だけは増えたが、
    それに伴い自分自身が流されていた。

    水は流れていないと腐る。うんこも流さないと臭う。

    それは自分にも言えることだった。

    ただ、流せばいいわけでもない。

    7回転職と引越しをしてきたからこそ。

    水質と環境が重要。
    環境や構造が悪ければ、どこに行っても同じことになる。

    だから一回、立ち止まる必要がある。

    日々の忙しさにかまけて、自分が流されてしまわぬように
    自分と向き合う時間を作る。

    そのために、身体はサインを出し、一回詰まらせて
    止まる時間を与えていると思うようにしている。

    もし今、少しでも違和感があるなら、

    それは無視しない方がいい。

    それ、本当に体質ですか?

    それ、本当に仕方ないですか?

    我慢の限界きてませんか?

    自分の居場所、そこでいいですか?

    "早めのパブロン"は名コピー。 早めの行動を。
    だって、今日が一番若いから。

    断捨離も、呼吸もGive&Takeもまず出す事から始まる。
    出してから入れる、出したスペースに新しい何かが入ってくる、アウトプットが先でインプットは後。

    少し何かを変えるだけでもいいですが、

    環境を大きく変える決断、
    動く事は早い内がお勧めです。(人によりますかね)

    詰まる前に、思い切って流した方がいいし、

    自分自身が流れて、分からなくなる前に。

    うんこも仕事も、ストレスもプリン体も
    溜め込まない方がいい。

    自分の人生のけつは、自分でふくしかないのだから。



    最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

    このnoteでは、

    ・ローカルブランディング
    ・AI活用と教育
    ・地域での実践
    ・要件定義と思考整理

    をテーマに、現場で得た一次情報をもとに発信しています。

    共感いただけたら、フォローやスキも励みになります。


    関連記事
    ・変わり続けるための、生き方の話。
    ・かけた時間だけが、自分軸を形取る
    ・転職はどっちが楽しいかで、決めてきた話。


     
     

    nick

     
     
    言語化の流布師。AI時代に、個人や小さな組織がどう自分の言葉で立つかを考えています。テーマはブランディング、地域、中小企業、働き方、起業。現場で感じた違和感を、問いに変え、プロセスに変え、次の行動に変えるための記録です。

    あなたへのおすすめ