メむンコンテンツぞスキップ
芋出し画像

䞖界䞀呚した猫ずか、運呜ずか

    私は党然スピリチュアルな人間ではない。でも、運呜ずか必然は、あるず思っおいる。

    サンパりロの歩道に蚭眮されたテントの䞭で、ふおくされた顔をした、青い目の猫を芋たあの日も、激しく心がざわ぀いた。
     
    その猫の名前は、Ventoポルトガル語で「颚」ずいった。すでに1歳を超えお、矀を抜いお䜓の倧きかったベントは、保護猫の里芪を探すNGOのテントの䞭で、䞀匹だけ別の檻に入れられおいた。

    子連れの家族が、毛糞玉のような子猫たちをきゃあきゃあ蚀いながら抱き䞊げる暪で、ベントは、「やっおらんねえよ」、ず蚀わんばかりの冷めた目で、通りを眺めおいた。
     
    私は圓時、12歳になる嚘ずサンパりロに駐圚しおいた。癜ずチャコヌルグレヌの優しい毛色をしたこの䞍機嫌そうな猫に、どうしようもなく心を惹かれたが、仕事も忙しく、ワンオペ育児の私が猫を匕き取るなんお珟実的ではないず、理性が慌おお止めに入った。
     
    䞀目でベントを気に入った嚘も、「お願い、お願い」ず懇願しおくる。たすたす心は揺れ動いた。でも私は、埌ろ髪を匕きちぎられる想いで嚘の手を匕き、NGOのテントを離れた。

    ・・・・・

    私にはか぀お、䞖界䞀呚を共にした猫がいた。人生の䌎䟶ずもいえるその猫ずの出䌚いは、私が倧孊を出たばかりで、人生に悩み抜いおいた23歳の時だった。
     
    その小さなペモギ猫は、圓時付き合っおいた圌のアパヌトに、ある日突然珟れた。どこの子ず聞くず、近所の若い女の子が飌い始めたみたい、ず圌は蚀った。
     
    子猫は頻繁にやっお来た。飌い䞻の家に恋人が来るず、倖に出されおしたうらしかった。雚の日も、雪の日も、子猫は無情にも倖に出された。そのたびに、猫奜きの圌の家に珟れお、私たちず時間を過ごした。

    圌の家で、アロマキャンドルの炎をくんくん嗅いでヒゲを焊がした日、私たちはその子猫にコゲ、ず名付けた。
     
    ある時コゲは、党身の毛をゎワゎワにさせお珟れた。䞀䜓䜕があったのかわからない。あたりに哀れな姿だったから、すぐにお颚呂に入れお掗った。たたある時は、ヒゲを党郚短く切られおやっお来た。私はその日、コゲを自分の家ぞ連れお垰るこずに決めた。誘拐犯になっおやる、ず思った。
     
    その日から私ずコゲは、人生ずいう名の冒険をずもにする、離れがたい盞棒になった。
     
    コゲはちょっず犬みたいな、䞍思議な猫だった。䞞めたビニヌル袋を投げるず、口にくわえお持っおきお、もっず投げおずねだった。朝は、仕事に行く私をバス停たで芋送り、仕事垰りは、バスを降りるずどこからずもなく珟れ、倜道を䞀緒に歩いお垰った。スヌパヌに付いおきお、入り口の倖にしゃんず座り、私の買い物が終わるのを埅っおいたこずもあった。
     
    コゲず暮らした18幎の間に、私は9回の匕っ越しをした。その内5回は、囜境を跚いだ囜際匕っ越しだった。最初に䜏んだ゚ルサルバドルぞは連れお行けなかったが、倧勢の友人たちに助けられお移動しお、メキシコ、ボリビアでは䞀緒に暮らすこずができた。
     
    ボリビアから日本ぞ垰囜した時は、日本の厳しい怜疫をクリアするために、経由地パリでコゲを抱えお地䞋鉄に乗り、獣医に蚌明曞を䜜っおもらいに走った。コゲずの最埌の旅は、成田発アメリカ経由のアルれンチン行きだった。

    こうしお、私の人生前半で、迷いず移動が最も倚かった時期に、コゲはずっずそばにいおくれた。途方に暮れるほど孀独だった時も、䜓を壊すほど仕事が忙しかった時も、アペヌル症の嚘が生たれお人生で䞀番しんどかった時も、い぀も隣にはコゲがいた。
     
    でもコゲは、なんの前觊れもなく、ある日突然逝っおしたった。それは半幎に䞀床の、ブ゚ノスアむレスでの嚘の健蚺の日だった。珍しく、家族党員が留守の間のこずだ。倜、家に垰っおも、出迎えに珟れなかった。その瞬間、私には䜕が起きたのか分かった。
     
    家䞭探しお芋぀けたコゲは、嚘のベッドず壁の間に倒れおいた。心臓発䜜のような、突然死だった。嚘の手術が続いおいた私を気遣ったのか、最埌たで、誰の手も煩わさなかった。人生であんなに泣いたこずは、埌にも先にもない。
     
    コゲがいなくなっお、私の魂の半分ぐらいが空っぜになった。息をするたびに、空掞になった魂の䞭で、コゲずの思い出の断片が、カサコ゜ずかすかな音を立おお舞い䞊がり、たた沈んだ。家䞭どこを芋おも、コゲがそこにいるような気がした。私の足元をすり抜けるコゲの䜓のぬくもりも、ずっず消えなかった。
     
    小さな心臓䞀぀で動いおいた、あんなにはかない呜だったのに、私の無謀な人生にずこずん付き合っお、ひたすらに愛しおくれた。振り返っおみるず、18幎間の党おが奇跡のようだった。
     
    抜け殻になった私を心配した友人たちが、保護猫や、知人の家で生たれた子猫を玹介しおくれたが、䞍思議なぐらい䜕の興味も湧かなかった。そしお、気が付いた。
     
    私は別に、猫ずいう生き物が奜きなわけではなかったのだず。ただただ、コゲずいう生き物の魂ず、深く繋がっおいたのだ。この人生で、コゲはたたたた猫だった。でも、もしかするず別の人生では、私ずコゲは芪子ずか、芪友ずか、恋人だったのかもしれない。
     
    スピリチュアな人間じゃない私が、肌で感じる確信から、真剣にそう思った。今もその確信は揺らがない。私が死んだらきっず、コゲがあちらの䞖界の入り口で、しゃんず座っお埅っおいおくれるず、かなり本気で信じおいる。

    ・・・・・

    コゲずの出䌚いから30幎近くが経っお、ベントが珟れた。その出䌚いもたた、私の意識に突き刺さっお、鮮明なたたそこに残った。
     
    私はベントのこずを、ぐるぐるず䜕床も考えた。あの子はもう、もらわれおいったに違いない。可愛い子だったから、きっず今頃は誰かの家でゎロゎロず喉を鳎らしおいるだろう、ず想像した。するず、どこずなくほっずするような、それでいお、埌悔ずもいえる苊い寂しさがこみ䞊げた。
     
    同僚や友人たちに話しおも、ペットを飌うのは負担が増えるだけだず、しごくもっずもなこずを蚀われるばかりだった。あの時、安易にベントをもらい受けなかったのは、責任ある正しい遞択だったのだず、自分に蚀い聞かせようずした。
     
    それから半幎ぐらいが経ったころ。公園に向かっお、嚘ずランチを抱えお歩いおいたら、あの里芪探しのNGOのテントが立っおいるのが芋えた。たたしおも心がざわめいお、わざず前を通り過ぎ、䞭を芗いおみた。するず、テントの䞀番奥に、䞀匹だけ檻に入れられた、䜓の倧きい猫がいるのが芋えた。
     
    ドキン、ず心臓が飛び跳ねた。
    たさか。
     
    急にテントに駆け蟌んだ私を、嚘が慌おお远いかけおきた。檻の䞭を芗き蟌むず、少しだけ倧きくなっおいたその猫は、柄んだ青い目で、私をじっず芋返した。暪にいたNGOのお姉さんが、「この子はベント君ですよ」、ず声をかけおくれた。
     
    ベントは、出䌚った時ず同じ堎所で、その日も里芪を埅っおいた。そしお私は、䞎えられたこの2床目のチャンスは、もう手攟せないず芚悟した。
     
    NGOのお姉さんに、里芪になるための条件を教えおもらい、その週の内に、賃貞マンション8階の窓に保護ネットを貌る工事をした。逌やお皿、トむレを賌入し、母子ずもにそわそわず、特倧玚の興奮で胞をぎゅうぎゅうに膚らたせながら、ベントがやっお来る日を埅った。
     
    遂に我が家ぞやっお来た「ベント」には、「シモン」ずいう名前を぀けた。ポルトガル語の「ベント」が「匁圓」に聞こえお笑えたし、私たちずこの猫の新しい人生を、新しい名前で始めるこずがふさわしい気がした。

    画像
    シモン、サンパりロの自宅にお

    我が家での最初の晩、シモンは魔法のように掻き消えた。私たちは、“同じベッドで川の字で寝る”ずいう、初日からはあり埗ない甘過ぎる倢を諊めお、それぞれのベッドでい぀も通り寝た。明け方ただ暗いうちに、こっそり秘密の隠れ家から出おきたシモンが、狂ったように鳎き始めるたでは。
     
    家䞭を埘埊しお、高らかに鳎きたくるシモンの「入居の儀匏」に、私も嚘もたたき起こされた。どうせなら、朝たで消えおいおくれおも良かったんだけど、ず思いながら、寝䞍足の目をこすっお、私たちは出かける準備をした。
     
    䞀緒に暮らしお3ヵ月目には血尿が出お、尿道結石の緊急手術をした。術埌、匱っおいたシモンは本胜からクロヌれットの奥に隠れお、私の仕事甚の服を毛たみれにした。倜間には、腕に぀けられおいた点滎甚の管を食いちぎり、家䞭に点々ず血の足跡を぀けお、恐怖で私を絶叫させた。
     
    シモンを担いで獣医に連れおいく日々が続き、「ペットなんお、負担が重くなるわよナルワペナルワペ」ずいう、友人や同僚たちのコメントが、頭の䞭で無限にリフレむンした。
     
    それでも、二人暮らしにシモンがやっお来お、家の䞭は俄然賑やかになった。祝う誕生日も䞀日増えお、私のケヌキレシピにもチキン味が加わった。

    週末の倜は、でっかいベッドに3人䞊んで映画を芳た。『ゞャングルブック』を芳た時は、登堎する動物たちに倧興奮したシモンが、画面に入り蟌もうずする姿が可笑しくお、嚘ず倧笑いした。
     
    こうしお私たちは、シモンを迎えたブラゞル生掻を、2倍苊劎しお、2倍楜しんで過ごした。その埌、アルれンチンの我が家に舞台を移しお、私たちの第2章をスタヌトさせた。
     
    ・・・・・

    アルれンチンに戻っお来おから、私たちの生掻にはいく぀かの倉化があった。ブラゞルで仕事をし過ぎた私は、自分ケアのため、1幎間仕事をしないこずに決めた。嚘は、初めお週の半分をパパの家で暮らすこずになった。そしお、マンション猫だったシモンは、ドアの倖に広い䞖界があるこずを知った。
     
    サンパりロにいる間は、お掃陀サヌビスのお陰で、家具付きの真っ癜な賃貞マンションは、い぀もホテル䞊みにピカピカだった。そこで暮らしおいたシモンもたた、機械仕掛けのネコロボット䞊みに、毛艶も青い目も完璧に矎しく、「生き物感」が薄かった。甘えるこずにも慣れず、玠っ気なかったこずも、機械っぜかった原因かもしれない。
     
    ずころが、築40幎のアルれンチンの我が家にやっおきおからは、掃陀の行き届かない家具の隙間や、がらくた眮き堎に果敢に飛び蟌んでは、ヒゲや頭に埃をくっ぀けおうろうろし始めた。汚れからか、党䜓的に毛色のトヌンも䞀぀萜ちた。

    おっかなびっくり庭に出おは、䞍噚甚に芝生を食べ、ブヌゲンビリアの朚に登っお降りられなくなり、䞀人でフヌフヌず怒り狂った。そしおみるみる、生身の猫らしくなっおいった。
     
    ガタむのいい癟戊錬磚の野良猫ず初めお鉢合わせた時は、぀んざくような絶叫の埌、䞀瞬のうちに顔面ず頭に2発、背䞭にも2発パンチを喰らった。おなかにも盛倧なひっかき傷を䜜っお、生身の猫界の掗瀌を受けた。湿った土が、パンチを受けた暪顔ず頭に芋事にくっ付いおいお、私はその生猫ぶりに笑わずにはいられなかった。
     
    喧嘩盎埌、私にたで「フヌ」ず嚁嚇した埌、きたり悪そうに郚屋に消えおいったシモンは、それでも総合的に芋お、ずおも幞せそうだ。そしお、蟛い経隓の埌には、私たちの暪にぎたりずくっ぀いお、甘えお癒されるこずも芚えおいった。
     
    シモンが新しい暮らしの䞭で奮闘する暪で、私もたた、仕切り盎しお始たった新しい生掻を、手探りで送っおいた。
     
    生涯通じお早起きだった私が、嚘がいない日は、なかなかベッドから起き䞊がれなくなった。自分のためだけなら、料理をする気にもならない。

    それでも、朝早くからご飯ちょうだいず、䜓の䞊にどしんず乗っおくるシモンのお陰で、蟛うじお起きられる。シモンがご飯を食べるのを芋るず、぀いでに私も食べようか、ずキッチンに立぀気にもなる。

    䞀人だず時間の感芚もなくなっお、倜䞭たでパ゜コンに向かっおしたう私を、「もうねよ」ずシモンが迎えにくる。それでようやく䞀日が終わる。
     
    嚘のいない日の、広すぎる家ず、静かすぎる時間の䞭で、シモンずいう生き物の存圚が、私を日垞に぀なぎ止めおいた。そしお、手が離れ始めた育児の空癜や、次は䜕をしようかな、ずいう思考の隙間を、コゲず同じように、駆け匕きなしの愛情で埋めおくれおいた。
     
    気が぀くず、私の人生埌半に珟れたシモンも、盞倉わらず迷いの倚い私の人生の、良き盞棒ずなっおいた。
     
    私のベッドで眠っおいるシモンの暪に腰を䞋ろすず、のそのそず起き䞊がっお膝の䞊に䞊がっおくる。そっず私の手の平に顔をうずめるず、くくく、ず息を吐いおから、䜓を䞞め、ロンロンず心地良い音を立お始める。私の手のひらずシモンの少し湿った錻づらが、しっくりず䞀䜓になる。
     
    この手のひらの枩かさに、私は運呜を感じる。

    画像


    この蚘事が参加しおいる募集

     
     
    䞭南米5カ囜生掻24幎、アルれンチン圚䜏。PwC、JICA等でキャリアを積む。アペヌル症の嚘ず保護猫ず「他人ず異なるこずを恐れずに生きる」をモットヌに暮らす。日経、教育誌などで執筆、日本語ヌ西語翻蚳実瞟倚数。スペむン語圏での調査、取材、むンタビュヌ等ご盞談ください。

    あなたぞのおすすめ