
プロベーション・レポート ~新入社員の四カ月~ 第四章3
第四章 最終話「レジューム」
柄にもない。
小林という新入社員のお願いとやらを断る勇気もまた、私には無かった。
烏丸を飛び越えて社長に直談判など、およそ研修中の新入社員のやることではない。
だが、私は彼に託す以外の選択肢を持たなかったのだから仕方がない。
急ぎ社長にコンタクトを取るしかないのだ。
「もしもし、はい私です。
・・・はい、ありがとうございます。
いえ、今回は折り入ってお願いがありまして。
・・・はい、ありがとうございます。新入社員の小林をご存知でしょうか?
・・・あ、はい。
・・・ええ、その彼が今こちらにおりまして、社長にご相談したいことがあると私に話をしてくれましたので、是非一度私同席でお話をさせていただきたいのですが。
・・・ありがとうございます。
・・・はい。お店は私の方で決めても?
・・・はい、ではそのように手配させていただきます。
・・・貴重なお時間をいただき誠にありがとうございます。・・・はい、失礼致します。」
・・・社長との電話は切れた。
酷く心臓が脈を高鳴らせている。
私が社長に怯えているわけでもないだろうに。
「明日の夜会っていただけることになった。これでいいか?」
「明日ってのはいいですね。話が早い。」
・・・この男は何をこんなに急いでいるのか。
まだ歳若いのだから、年金にせよ退職金にせよ先のことだろうに。
わざわざ烏丸と敵対するような状況を作り出してまで急ぐ必要があるのか?
いや・・・あるな。
奴は人を萎縮させる手腕に長けているのだから、いずれ自身もその圧力に屈してしまう可能性を見ているのかもしれない。
ともあれ、もはや私には彼に託す以外、救われる道が無いように思われたのだ。
「会食の時に酒を嗜むつもりなら私が送っていこう。どうだ?」
「ははっ、僕一滴も飲めないんで大丈夫ですよ。事務長はいいんですか?良かったら乗せてきますよ。帰りも別に事務長の家そこまで遠くもないんで、多少走らせるぐらい苦でもないですし。」
「ん?君に家を教えたことがあったか?」
「あぁ・・・飲み会の時タクシーの運転手さんに頼んだの僕なんで。」
・・・道理で先日の飲み会の後、気づけば自宅にいたわけだ。
私のことを知る者であるなら、私が家に寄り付かないことも知っているからな。
妻と一言二言交わして家を出るのも億劫なのだ。
しかし、そろそろ私も家に帰るべきだろう。
・・・その勇気は出ないが。
「いや大丈夫だ。それなら別々で向かうことにしよう。19時に現地集合だ。配送が遅れる等であるなら連絡してくれ。」
「それは全然大丈夫です。では明日よろしくお願いします。」
翌日、一通りの仕事を終え、社長との会食に向かう。
そもそもだ、社長と会食をしたことがある者など社内に何人いるというのだ。
現社長は女性ということもあり気さくな方であるが、前社長は・・・
端的に言えば恐ろしい方だったと記憶している。
前社長との会食などもはや罰ゲームもいいところで、機嫌を損ねれば怒号飛び交う緊張の場だったことを思い出す。
・・・ふむ、すると烏丸は前社長になりたい人間、なのではないかと思われた。
元来高い能力を持つ男だ、野心もある。
自身が受けた仕打ちというべきか、教育というべきかわからないが、あの恐怖政治を自らの手で再演したいと考えても不思議ではない。
無論、支配される側はたまったものではないが。
その点、あの小林という新入社員からはどうにも違う気風を感じる。
自由を重んじ、軽やかに、そして何者をも恐れぬような・・・そんな心根を感じるのだ。
彼自身にそのような信念があるかどうかはわからないが、少なくとも私のような者にも救いの手を差し伸べてくれるぐらいには支配的ではない。
とうに時代は変わったのだ、前社長の亡霊に取り憑かれた人間が上に立つべきではない。
私は私に出来ることをしよう。
いつか小林が烏丸を倒す時のために、準備をしよう。
『・・・それで私の罪を償わせてくれ。』
思索に耽っているうちに店に着いた。
小林は既に到着しており、悠々と煙草を吹かしている。
強気なものだ、社長は煙草を吸われないのに。
しかし、私は彼がどういう形で社長に話を持っていくのかを聞きそびれている。
「早かったな。」
「お疲れ様ですー。ダッシュで風呂入ってくるぐらいの時間はあったんで良かったです。配送汗すごいっすからねー。」
随分、飄々とした男だ。
「社長にどう話を持っていくつもりなんだ?くれぐれも失礼の無いように、とだけ念を押しておかなければと思ってな。」
「流石にそこまで変な話はしませんよ。基本は正直に話します。」
・・・基本は?
変わった話し方をする男だ。
まぁ、私では恐らくこの男の考えを読むことなど出来ようもない。
「まあなんとかなるでしょう。炊飯行ってた時にお会いしたことありますけど、雰囲気柔らかいおばあちゃんでしたよ?」
「お、おい失礼だぞ!」
「流石に本人の前ではそんなこと言いませんよ!印象の話です。どこまでいけそうかなっていう。」
・・・若さなのか、いや、30代とは聞いているのだから若さで片付く話ではない。
若さではなく、それが正しいと思って行動している人間だというのか。
・・・私とはまるで違うじゃあないか。
・・・そういえば前職が飲食店の店長だったと言ったな。
子どものような連中に、何か無礼を働かれたことぐらいはあるのではないか?
「一つ聞きたいんだが、君は部下に失礼な態度を取られたらどうするんだ?」
「え?失礼な態度ってなんすか?人格否定されたら怒りますけど?」
「いや、敬っていないと感じるとか。」
「それは態度に出ますからね。言葉じゃないっす。」
そうか。
この男は常に真っ直ぐに物を見ている。
酒に濁った私の目には、もう映らない何かを見ているのだ。
煙草の火を消し、男は背伸びをした。
夏の夜風を受ける歳若い男の背に、私は今、救いの手のようなものを見ている。
「まあ、あんま深く考えずに基本給直してもらいましょうよ。」
「・・・ああ、そうしよう。」