
「それ、ミステリーみたいですね」と言われて― 誰かに話したら、見えていた景色が少し変わった
読みに来てくださり、ありがとうございます❁⃘*.゚
今、毒母と萎縮している父と同居をしています。母が理不尽に被害者を主張し、怒鳴り散らしている現実。
自分や旦那さん、子どもたちの生活を守る為に、境界線を引き、少しずつ行動に移している中での気付きのお話です。
もし、悩んでいる方がいらしたら、一人で抱えないでねという思いを込めて🌱
数日前、腰を痛めました。
私のしているベビーシッターの仕事は、子どもを抱っこしたり、坂道でベビーカーを押したり、身体に力を入れて踏ん張る場面が結構あります。
どうやら、そうした負担の積み重ねで、身体がガチガチに固まっていたようです。ヨガに行ったり、温泉に入ったり、湿布を貼ったり。自分でできることは、それなりにやってみました。でも今回は、どうにもならない。
そこで昨夜、いつもお世話になっている整体師さんのところへ行きました。身体に触れた瞬間、
「わ!パンパンですね。よく頑張りましたね」と。
私の心の中は、「ですよね」でした。
自覚はちゃんとあって、だから自分でも何とかしようと、セルフケアをしてきました。でも、自分一人でほぐせる範囲を超えていたんだと思います。
身体をほぐしてもらいながら、最近の家庭のことも聞いて心もほぐしていただきました。
整体師さんは、最初からかなり前のめり。これまでのことを話していると、「なんだかミステリーみたいですね。現実のことじゃないみたい」と言われました。私は、何だか妙にしっくり来てしまい、自分のことなのに笑ってしまいました。誰かに話してみると、「そんなこと、本当にあるんですか?」と思うような話に聞こえるんだなと、なんだか不思議でした。
そしてさらに、「たとえるなら、お母さんが吠えて噛みつこうとしているドーベルマンで、お父さんはそのリードを離して寝ているような感じですよね」と。かなりインパクトのある例えですね。笑
でも、妙に分かりやすい。そして「ですよね」とも納得してしまいました。
自分の中ではずっと、「何かがおかしい」と感じていたことを外にいる人から、まったく違う言葉で返してもらう。
すると、「ああ、やっぱり私の感覚だけではなかったんだ」と、自分の立っている場所を少し確認できるような気がしました。
先日、家庭のことをnoteに書きました。
書くことには迷いもありました。
実の母親のことだからこそ、「こんなことを書いていいのかな」「もっと私が理解した方がいいのかな」そんな気持ちは、今でもあります。でも発信したあと、想像以上にたくさんの言葉をいただきました。
「勇気ある大きな一歩ですね」
「親の人生まで、子どもが背負わなくていい」
「自分をすり減らしてまで、理解しなくてもいい」
そして、とても印象的だったのが、「実は私も」という言葉でした。親との関係に悩んできたこと。一緒に暮らすことの難しさや、距離を取るまでに時間がかかったことなど、いろいろな方が、ご自身の経験を話してくださいました。
家庭の問題は、外から見えにくい。
でも、もっと難しいのは、長くその中にいると、本人にも見えにくくなっていくことがあるということなのかもしれません。
「家族だから」
「いつものことだから」
そうやって繰り返しているうちに、自分の中だけで考えることが当たり前になっていく。
だから、人に話すことには意味がある。
自分の見ている世界以外の角度から、見てもらえるかも知れない。
今回、役所にも相談しました。
そして、父とも話をする時間を作ることができました。まだ、全部が解決したわけではありません。でも、これまで動かなかったことが、少しずつ動き始めています。
整体を受けながら、ふと思いました。
身体のことも、家庭のことも、一人ではどうにもならないことがある。難しいなら、人の力を借りる。
それは、自分の頑張りが足りないからではなく、
そもそも、一人で解決するものではないこともある。
そんな当たり前のことを、今、身体と家庭の両方から教えてもらっている気がします。そして時には、「それ、ミステリーみたいですね」と言ってもらうことも悪くない。自分がどっぷり入り込んでいた世界を、ほんの少し外側から眺められるから。
少し笑えるくらいの距離ができることもある。
母には、母の人生を。
父には、父の人生を。
そして私には、私の人生がある。
でも今は、一人で何とかしようとせず、いろいろな人の視点や力を借りながら進んでいます。(大事なのは、話す相手とは安心が得られる関係性であること。互いに「尊重」し合えない人でなければ、話した自分をまた責めてしまうから。)
そう考えると、このミステリーも、少しずつ見え方が変わってきました。なんてね。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。つづきは、また。