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母の人生を、引き受けなくていい

    せっかく作ってきた私の心の境界線を、同居中の母がズカズカと踏み越えて、怒りを爆発させてくる。苦しい状況だ。

    もし今、親のことで悩んだり、苦しんでいる方がいたら、ひとりじゃないよと伝えたい。

    加藤諦三さんの『自分に気づく心理学』を読んでいて、手が止まった。家族への「愛情」と「依存」について書かれているところを読みながら思わず『これ母のことじゃん!』って口にしていた。

    私は物心ついた頃から、母の機嫌をよく見ていた。

    子供時代の私は、母が不機嫌なら「私、何かしたかな…」
    母が悲しそうなら、「私が何とかしなきゃ…」そう思ってきた。

    母から散々父親の悪口を聞いた後に、「この家には私を理解してくれる人はいない」と言い放たれ、傷付いてきた。そして、どうすれば母の気持ちをちゃんと理解できるのだろう… 私が理解してあげなければ、この不安定な家庭が安定しないと思ってきた。

    大人になってから暫くはその姿勢は大きく変わらなかった。
    でも、6年程前に赤羽雄二さんに出会ってから、安心して話せたり、メモ書きで頭の中のモヤモヤを吐き出すことで、今まで抱えてきた自分の本音に気付くことができるようになっていった。


    母には母の事情があるという背景にも意識できるようにもなった。

    両親の夫婦仲がよくなかったこと。
    母は病弱なこと。
    母は幼少期に不安や寂しさを抱えてきたこと。

    だから、できるだけ背景まで理解したいと思ってきた。



    今、夫と息子たちと、我が家で両親は、諸事情により同居している。
    両親が少しでも暮らしやすいように、私たちの一番広い夫婦で使っていた寝室を両親の部屋として渡した。リビングには実家かと思う程、たくさんの母の物で溢れている。

    自分たちのスペースが狭くなっても、
    「身体がつらいなら」
    「少しでも暮らしやすい方がいいか」そんな風に思ってやってきた。

    家族だから、みんなでできることをしていた。それだけだった。

    でも母からは、
    「何もしてもらえていない」
    「私たちは何も迷惑をかけていない」
    「私たちの物が少しずつ盗まれている」
    「親なのに、どうしてこんな扱いをされなければならないの」と、理不尽に言われ続けている。

    最近、ある出来事があった。
    旦那さんに「あなたが老人いじめをしていることを外部に相談している」と母が言い放った。翌日に、以前母が私の旦那さんにプレゼントしたカバンが家の中で無くなった。財布も入っていた。また、家の中で大金も無くなったのだ。

    母は、泥棒がいると大騒ぎしている。警察に相談したが、外部の人による事件性はほぼないとの判断だった。
    でも、最近その大金が元の場所に戻ってきたのだ。鍵の閉まった家の中だった。

    お金のことはどうでもいい。いや、大金だったから本当はどうでもいい訳ではないが、それよりも私が怒っているのは、そのことで大騒ぎして家族を非難する言葉を言い放ったことで、私の息子がひどく傷ついたことだった。
    言っていいことと、そうではないことの分別もなく、私が最もして欲しくないことだった。

    理不尽極まりのない言動に「このまま一緒に暮らし続けるのは難しい」と伝えた。というか、嘆いた。

    すると、母はからこんな風に言われたのだ。

    「あなたは、私のことが嫌いなんだね」
    「もう苗字から抜けなさい」(婿養子のため)
    「引っ越してあげてもいいけれど、引っ越し資金を渡しなさい」
    「あんたたちに渡している生活費は1万円。光熱費も出せないこんな年寄りを追い出すんだね(60代ですが)」
    「家電製品は全部返してもらう」
    「もう孫だとは思わない」

    そんな言葉まで返ってきたのだ。感情のままに。
    私はそのたびに思う。

    母にはそう見えているんだ。

    悲しい。
    腹も立つ。
    でもそれ以上に、疲れたよ。いい加減にしてくれ。


    加藤諦三さんの本には、依存と愛情が混ざってしまう関係や、自分の満たされない思いを、身近な人に満たしてもらおうとする心理について書かれていた。

    思うように満たされなければ、「どうして分かってくれないの」「私はこんなにしてきたのに」と相手を責めてしまう。

    それを読んで、私は母との関係を思った。
    私には、母は今もまだ私や家族に甘えているように見える。

    不安なとき。
    寂しいとき。
    腹が立ったとき。

    その感情を私にぶつけても、どこかで最後には受け止めてもらえると思っているのかもしれない。
    でも私はもう、その受け皿になり続けることはできない。

    理解することと、引き受けることは違う。
    母が私を大切に育てたと思っていることも、否定しなくていい。
    母からの愛情があったことも、感じている。
    でも、愛情があったことと、私が傷ついてきたことは両立する。どちらかを嘘にしなくていい。

    親子であっても、「ここから先は入ってこないで」と言っていい。
    その人生を解決する責任まで、私が背負わなくていい。

    私は、私の夫や子どもたちとの暮らしを守りたいだけ。

    母には、母の人生を。
    私は、私の人生を生きる。
    まだ現在進行形で、腹が立つ日も、悲しくなる日もある。綺麗に終わった話ではない。

    それでも、私はようやく、そこまで来ている。

    愛するとは、
    相手をコントロールすることではなく、その人がその人らしい人生を生きることを尊重することだと思う。

    あなたにとっての愛とはどんなことですか?

     
     
     

    Leaf

     
     
    笑顔がトレードマーク。聴くことを大切にしています。 #ヨギニースマイルベビーシッター

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