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日本再編 第9話『公売』

    文・武智倫太郎

    差し押さえても、鍋は鍋のままでは捕まらなかった。

    『差押』の最後に、国家はその不快な現実を見せつけられた。
    封印票を貼る前に火が入る。
    取り上げる前に皆で食う。
    釜は宗教になり、鉄板は文化財になり、寸胴は福祉設備へ化け、餃子皮器は教材の顔をする。
    制度は、物を物として固定したがる。
    だが生活は、物を使うことで別のものへ変えてしまう。
    鍋は、台所にあるうちは資産である。
    火にかけた瞬間、共同体になる。
    この違いを理解できない制度は、次の段階でだいたい市場の真似を始める。

    中央は、当然、そうした。

    数日後、日本中の端末に通知が届いた。

    『地域生活資産の有効活用に伴う公売運用標準の導入について』

    奪えなかったので、有効活用と言い出したのである。
    この国は昔から、失敗すると急に再活用の顔をする。
    失政は改革になり、没収は保全になり、売り飛ばすことは利活用になる。

    制度名は、《地域生活資産公売制度》だった。

    今回は、あまり隠そうともしなかった。
    差押対象となった資産のうち、保全困難、継続保管不適、地域的滞留、運用停止中と判断されたものは、順次、公売に付す。
    要するに、取れるものは取る。
    取れないものは権利にして売る。
    それだけの話である。

    ただし、ここでいう資産は、もはや鍋や釜だけではなかった。

    共同厨房の利用枠。
    祭礼調理場の使用権。
    地域食堂の優先運営権。
    自治会館の炊き出し設備管理権。
    配給倉庫の附属調理区画。
    製麺機の使用時間帯。
    さらには、《郷土調理再建支援認証》なる謎の資格まで、公売対象に含まれていた。

    国家は、ついに道具そのものではなく、道具を使う順番まで売り始めたのである。

    説明動画では、いつもの上品な声がこう告げた。

    『公売は地域の再生に向けた開かれた機会です。民間の知恵と資本を活用し、滞留する生活資産を持続可能な形で地域へ還元します』

    実に見事だった。
    中身はかなり下品なのに、語り口だけが清潔だった。
    売れない国ほど、説明が上品になるのだ。

    行政執行アプリ《シビュラ源内ピコ》にも新しい画面が増えた。
    《公売一覧》である。
    丸いアイコンで鍋が並ぶ。
    釜の横には『現在価格。』
    鉄板の下には『入札締切まであと十二時間。』
    共同厨房利用枠には、なぜかきらきらした星印まで付いていた。

    《人気公売》
    《おすすめ生活再建案件》
    《地域再生注目枠》

    国家は、人間の不幸を棚に並べるとき、急に通販サイトの語彙を使う。

    最初に入札へ群がったのは、地元の人間ではなかった。
    当然である。
    地元の人間は、鍋や釜や厨房を、まだ生活の道具として見ていた。
    だが外から来た連中には違った。
    それは再編可能な資産であり、転用可能なブランド接点であり、食文化体験の収益化装置だった。

    食のコンサル会社。
    忠誠配給プラットフォーム。
    地域再生投資ファンド。
    地方創生キッチン運営企業。
    粉体活用スタートアップ。
    名前だけでだいぶ嫌だった。
    実際、中身もかなり嫌だった。

    そして、ここで初めて国家公認の新しいメニューが、公売資料へ姿を現した。

    認証済みビクトリー焼きそば。

    その名は、提案書の真ん中に、ひどく明るい書体で載っていた。
    説明文にはこうある。

    『粉食圏向け代替主食として高い再現性を有し、低コスト・高保存性・高回転率を実現。地域差を抑えつつ、焼きそば文化への親和的な接続が可能』

    焼きそば文化への親和的な接続。
    要するに、まずい麺を焼きそばの顔で売るというだけの話である。
    だが、資料の上では、だいたいそういうことになる。

    別の提案書では、さらに露骨だった。

    『ビクトリー焼きそばは、粉食圏における認知安定化メニューとして有望であり、米中心配給体制と競合せず、都市下層への供給効率も高い。特に共同厨房・学校・駅売店・慰撫食堂との親和性が高い』

    慰撫食堂。
    腹が減った者を食わせるのではない。
    怒る前に、まず何かを噛ませておく。
    国家が食べ物を政治に使うとき、最後は必ずこういう顔になる。

    地元の者たちは、その資料を見て、ようやく事態の深さを理解した。
    公売とは、差し押さえた物を売ることではない。
    生活の失敗と飢えの気配まで、商品へ変えることだったのである。
    しかも今回は、ただの鍋や釜ではない。
    まずい未来そのものが、公認メニューとして提案されている。

    大阪の親父は資料を読んで、しばらく黙っていた。
    それから、ひどく嫌そうな顔で言った。

    『それ、焼きそばに謝れや』

    まことに正しかった。
    焼きそばではない。
    ビクトリー焼きそばである。
    この一字の違いが、国家のいやらしさをよく表していた。
    本物へ寄りかかり、本物の名前だけを借り、本物ではないものを押しつける。
    制度は、たいていそういう顔で入ってくる。

    広島では、公売対象に出た共同鉄板利用権へ、婆さんたちがまたもや匿名で少額入札を繰り返した。
    額は小さい。
    だが件数が異様に多い。
    しかも名義は相変わらず嫌だった。

    《ひっくり返す会》
    《重ねて食わせる会》
    《ソースは譲っても鉄板は譲らん会》

    その一方で、外部事業者の提案には、認証済みビクトリー焼きそばの試食ブース設置案まで入っていた。
    広島の町内会は、それを読んで本気で怒った。
    鉄板の上で焼かれるものに、あれほど熱い執着を見せる連中である。
    当然だった。

    『ビクトリー焼きそばを鉄板へ乗せるな』

    と、ある婆さんは言った。

    『それは食いもんやのうて、制度の資料じゃ』

    名言だった。
    制度の資料。
    実際、そうだった。
    あの提案書のなかでは、味よりKPIのほうが濃かった。

    香川でも、釜の公売に併せて《ビクトリーうどん実証導入》が提案された。
    粉食圏をなだめるため、腰を抜いた量産麺を行政基準で茹で、安定した咀嚼負荷と忠誠配給を両立するとある。
    うどんの国で、うどんから腰を抜き、そこへ行政評価を足す丁寧な侮辱である。

    福岡はもっと静かに怒った。
    柔らかいうどんの文化があるからこそ、ビクトリーうどんのやり方が許せなかったのである。
    柔らかいことと、まずいことは違う。
    この区別が分からぬ者は、食を政策でしか見ていない。
    福岡の食堂組合は、短い抗議文を出した。

    『やわらかいものには、人を残す技術が要る。
    雑に煮崩れたものを配るだけなら、国家にもできる。』

    これもまた、まことに正しかった。

    山野県では、甲府と信州が珍しく同時に不快な顔をした。
    公売資料に、こう書かれていたからである。

    『山野粉食複合拠点における認証済みビクトリー焼きそば併設販売の可能性』

    甲府の男は言った。
    『おほうとう様の前でそれ売る気か』

    信州の男は言った。
    『蕎麦湯の近くへ置くな』

    二人が同じ方向で怒るのは珍しい。
    それだけでも、ビクトリー焼きそばの破壊力は十分だった。

    しかし、国家と業者の側には、もっと露骨な理屈があった。
    ビクトリー焼きそばは便利なのである。
    安い。
    保存が利く。
    配給米体制と競合しない。
    粉食圏の不満を『麺らしきもの』でなだめられる。
    しかも、『地域メニュー再生』の顔をして公費が引ける。
    これほど行政向きのまずさもない。

    つまりビクトリー焼きそばとは、単なる粗悪メニューではなかった。
    国家が人間に何を食わせてもよいと思っているかを示す、最も誠実な告白だったのである。

    やがて、公売会場の空気は変わった。
    鍋や釜の値段を見ていた者たちが、だんだんメニューの説明文のほうを読むようになった。
    差し押さえられて売られるのは、道具ではない。
    生活の名前であり、食卓の定義である。
    『焼きそば』と呼んでよいものを、誰が決めるのか。
    『うどん』と名乗らせる最低限を、誰が線引きするのか。
    国家はついに、そこへ手をかけ始めた。

    大阪のある若い店主は、資料の余白にこう書いた。

    『ビクトリー焼きそばは、焼きそばの格好をした終戦や』

    それもまた、正しかった。

    外部事業者の説明会では、コンサルタントが胸を張ってこう言った。

    『認証済みビクトリー焼きそばは、地域文化への入口として極めて優秀です』

    その場にいた全員が、少しだけ黙った。
    入口。
    そうかもしれない。
    たしかに、そこから入ってくるのは文化そのものではない。
    文化の代用品で我慢しろという、国家のほうだった。

    公売の締切が近づくころには、列島のあちこちで妙な対抗運動が始まっていた。
    大阪では『リアル焼きそば』という看板が増えた。
    広島では『認証なし、だが本物』とだけ書いた鉄板屋が出た。
    香川では『うどん』の文字の横へ、わざわざ『ビクトリーではない』と付ける店まで現れた。
    山野県では、甲府と信州が一時休戦し、『うちの鍋の横にビクトリー焼きそばを置くな』という一点だけで共闘した。
    国家が一番うまいのは、人間どうしを分断することではない。
    たまに、まずい共通敵を配って団結させることである。

    新形県の官僚は、もちろん平然としていた。
    彼らは会見で言った。

    『多様な食文化に対応した新しい公売モデルです。
    ビクトリー焼きそばは、地域差と国家安定の橋渡しとなる可能性があります』

    橋渡し。
    便利な言葉だった。
    片方の岸から見ると、かなりの侵攻でも、橋と言っておけば少し穏やかに聞こえる。

    だが、列島の食卓はもっと正直だった。

    試食会で、認証済みビクトリー焼きそばを食った子どもが言った。
    『これ、焼きそばのふりしてる』

    その一言で、会場の空気が少しだけ変わった。
    制度の説明文より、子どもの舌のほうが早かった。

    国家は、差し押さえた鍋を売ろうとした。
    釜を売ろうとした。
    厨房を売ろうとした。
    そして、ついにはまずさそのものを商品へして売ろうとした。

    公売とは、値札のことではない。
    何が本物で、何で我慢させるかを、国家が決め始める瞬間のことである。

    その夜、行政執行アプリ《シビュラ源内ピコ》の《公売一覧》には、新しい注目案件が並んでいた。

    《認証済みビクトリー焼きそば常設提供権》
    《広域配給対応ビクトリー麺運営枠》
    《粉食圏安定化献立導入支援案件》

    画面は明るく、文字は親しげで、説明文は穏やかだった。
    だから余計に嫌だった。

    誰かが、その画面を閉じて小さく言った。

    『次は、名前ごと売る気やな』

    国家は、その一言を市場理解の深化と判定した。
    人間は、それを予感と呼んだ。

    次回『入札』

     
     
    情報工学者/週刊バブルウォッチ編集長/『哭きの禿』原作者。 AI、金融、国際政治から日常の珍事まで、真面目に調べて、おかしく書く。 代表作『ボルガレナのボルチンスカヤ』 https://note.com/aiethics496/n/n8d4f9aef7c04

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