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『君への道のり』第十四章 熱中症

    朝の時点で、蒸し返す暑さだった。
    空気が重い。
    湿り気が抜けない。

    ハウスに入ると、
    すでに室温は高く、制御が追いついていないのが分かった。
    噴霧器の音も、いつもより間隔が短く感じられた。

    一平は、収穫作業の列に入りながら、
    無意識に周囲を見渡した。

    ――いない。

    オレンジ色の空調服は見当たらない。
    三浦麻衣子の姿がなかった。

    休みだろうか。
    そう思いはしたが、確認するほどの理由もない。
    作業は、始まっている。

    赤い実。
    色味。
    形。

    判断は、もう身体に入っていた。
    手は止まらない。

    だが、
    時間が進むにつれ、
    ハウス内の空気は確実に変わっていった。

    外国人技能実習生の動きが、少しずつ鈍くなる。
    普段、所々で聞こえている会話も今日は聞こえない。

    一平は、隣の列に視線をやった。

    若い女性の実習生が、
    台車に手を添えたまま、立ち止まっている。

    その立ち姿に、わずかな違和感を覚えた。
    ほんの一瞬。
    以前、同じように“止まって見えた背中”を、
    どこかで見たことがある気がした。

    「……大丈夫?」

    声を掛けたのと同時に、
    彼女の身体が、ゆっくりと傾いた。
    膝から崩れ、その場に倒れた。

    一平は、反射的に台車を離し、駆け寄った。
    その瞬間、近くで様子を見た佐藤の声が飛ぶ。

    「ちょっと! 誰か、水!」

    佐藤は事務所棟に居る松本主任に伝えるため、
    ハウスの出入口へ走る。

    一平は、実習生の肩に手を当て、
    仰向けに寝かせた。

    呼吸はある。
    だが、反応が鈍い。

    「……大丈夫、大丈夫だから」

    自分に言い聞かせるように、
    一平はそう繰り返した。

    松本主任を連れて戻ってきた佐藤が、
    冷えたペットボトルを実習生の首元に当てる。

    帽子を外し、
    一平は空調服のファンを止め、
    脱いで折り畳み、
    実習生の頭の下へ、そっと差し込んだ。

    「今日は無理だな。事務所で様子見ましょう」

    松本の判断は、早かった。

    しばらくして、実習生は松本に付き添われ、
    事務所棟へ運ばれていった。

    作業は、一時中断となる。

    一平は、自分の台車の横に立ったまま、
    しばらく動けずにいた。

    もし、自分が気づくのが遅れていたら。
    もし、声を掛けなかったら。

    そんな考えが浮かび、
    すぐに、打ち消した。

    今は、無事を願うだけでいい。
    そう、自分に言い聞かせた。

    そう思わなければ、
    その場を動けない気がした。

    残された実習生達とパート従業員は、
    心配と疲労感を表情に浮かべた。

    一平は、自分の手袋を見下ろした。
    汗で、内側まで湿っている。

    ――もし、麻衣子さんがいたら。
    そんな考えが浮かんだこと自体に、一平は少し驚いた。

    だが、
    今日は、いない。

    代わりに動いたのは、
    佐藤と、松本と、
    そして、自分だった。

    それで、何かが変わったわけじゃない。
    評価が上がったわけでもない。

    ただ、
    現場は、誰かが欠けても進まなければならない。
    その一端に、自分が立っていた。

    昼休憩の声が掛かる。

    一平は、黙って手袋を外し、
    ハウスの出口へ向かった。

    外の空気は、
    思った以上に、熱かった。

    ハウスの中と、
    大差はない気がした。

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