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子どもの日に「生きること」を考えてみた②

    ー正しさが、人を息苦しくさせる瞬間ー

    ■ 喪主は「無理ゲーの主人公」だった

    何を隠そう、私も喪主経験者の一人です。

    体験してわかったのは、

    葬儀とは
    「悲しむ暇も与えられない構造」
    でできているということでした。

    人が亡くなった瞬間から、

    判断
    連絡
    手配
    交渉

    すべてが一斉に押し寄せます。

    感情は後回し。
    優先されるのは、段取りです。

    ■ なぜ、あの場はあれほど息苦しいのか

    葬儀の場で、
    どうしても忘れられない言葉があります。

    「あんなにいい人だったのに、
     こんな病気で若くして
     亡くなるなんてもったいない」

    悪意はありません。
    むしろ、善意です。

    ですが、その言葉は
    遺族である私にはこう聞こえました。

    「もっと頑張ればよかったのに」


    ■ 正しさは、ときに人を傷つける

    仏教にはこういう考え方があります。

    生きることは修行であり、
    病気や苦しみも含めて「課題」である。

    そして、それらを終えたとき
    人は次の段階へ進む。

    この前提に立てば、
    「もったいない」という言葉は成立しません。

    しかし、問題は教えの正誤ではありません。

    “どの前提で
    その言葉が発せられたか”です。


    ■ ズレているのは「正しさ」ではなく
    「使いどころ」

    同じ仏教徒であっても、

    ・教えとして理解していること
    ・感情として出てくる言葉

    この2つは一致しません。

    つまり、

    人は「正しいこと」を
    言っているのではなく、

    「自分の中で納得できる形」
    で言葉を選んでいるだけです。

    このズレが、場に違和感を生む。

    そしてそれが
    「息苦しさ」の正体です。


    ■ 忘れられない、もう一つの言葉

    一度は手術でがんを取り除き、
    順調に経過していた父に、

    まったく別のがんが見つかったときのことです。

    すでに家族をがんで見送っていた
    私たちにとって、

    その知らせは「再発」という言葉以上に重く、
    現実を受け止めるまでに時間がかかりました。

    当時の説明に納得しきれなかった私たちは、
    別の専門医に意見を求めることにしました。

    長年、がん治療に携わってきた医師でした。

    カルテや検査結果を一通り確認したうえで、
    その医師は、
    静かにこういう趣旨の話をされました。

    いま行われている治療自体は、
    当時の医療水準として適切だったこと。

    そしてそれでもなお、
    すべてを事前に捉えきれるわけではない
    ということ。

    そのうえで、

    「医学は、
     起きた事実をもとに更新され続けるものです。

     現時点の医療で拾いきれなかった部分が
     あることは、申し訳なく思います」

    そう、率直に言葉を選びながら伝えられました。


    ■ 医療は「正しさ」を固定しない

    医療の現場に、絶対はありません。

    どれだけ成功率が高い治療であっても、
    想定通りにいかないケースは必ず存在します。

    そしてその一つひとつが検証され、
    積み重ねられた結果として、
    はじめて「標準治療」が形づくられていく。

    つまり医療とは、

    正しさを疑い、
    更新し続けることで成り立っています。

    ※これは医療を否定する話ではなく、
    再現性を担保する仕組みとしての
    医療の前提です。


    ■ その前提から外れたときに起きること

    しかし、その過程の中で
    統計上の少数に入ってしまった人間にとっては、

    その「前提」自体が意味を持たなくなります。

    もう一度
    元の生活に戻れる可能性があるのなら

    費用も、距離も、選択肢の妥当性すら
    優先順位が入れ替わる。

    わずかな可能性でも、探しに行く。

    それが当事者の現実です。


    ■ だからこそ問われる

    そのときに向けられる「希望」が、

    根拠の曖昧な情報や、
    再現性のない手段に
    消費されてしまうとしたら。

    それは本当に「救い」と呼べるのか。


    ■ 宗教の本来の役割

    本来、仏教や神道に仕える僧侶や神職は、
    悩みを抱えた人に対して「答え」を
    押し付けません。

    そっと寄り添い、

    現実から逃がすのでもなく、
    理屈で押し切るのでもなく、

    その人にとっての
    「生きやすさの知恵」を示すに留める

    なぜなら、

    どう生きるかは、
    その人にしか選べないからです。


    ■ 「聞いているのか、言いたいだけなのか」

    近年では「グリーフケア」という考え方が
    広がっています。

    大切な人やペットとの死別によって生じる
    深い悲しみ(グリーフ)に対し、

    ・話を傾聴する
    ・感情をそのまま受け止める
    ・同じ経験を持つ人とつなぐ
    ・必要に応じて専門機関へ導く

    といった形で、
    心と体の回復を支援する取り組みです。

    その目的は一つです。

    「いつか、
    その人がもう一度生きていける状態に戻ること」


    ■ なぜ、それができるのか

    理由は単純です。

    「相手の状態を理解すること」に
    時間と訓練を使っているからです。


    ■ 優しさの顔をした押し付け

    この話は、

    創作
    カウンセリング
    スピリチュアルビジネス

    すべてに共通しています。

    ・自分の中では正しい
    ・しかし相手の前提を見ていない

    この状態で発せられた言葉は、

    正論ではなく強制になります。


    ■ 相手を見ているのか、自分を重ねているのか

    違いはスキルではありません。

    外に向いている人は、
    価値を提供するために自分を使う

    内に閉じている人は、
    自分を守るために表現を使う

    相手を見ているようで、見ていない。

    ・共感しているつもりで、自分を投影している
    ・救っているつもりで、自分を肯定している
    ・導いているつもりで、自分の前提を
     押し付けている


    ■ 問題は「善意」ではなく、順序

    本来は、

    自分を整える
    他者を理解する
    社会に提供する

    この順番であるべきものが、

    それを飛ばして外に出たとき、

    押し付けは生まれます。


    ■無理ゲーでも喪主は逃げない

    告別式の最後、
    喪主の挨拶というものがあります。

    参列者に葬儀の参列と
    生前、故人とのお付き合いをしてくださった
    お礼をお伝えする時間です。

    喪主である私は
    こう言いました。

    「父は3年間、苦しくても 
     生きるために病気と闘いました。

     仏教では
     生きることは修業である。

     その修業が終わったから
     父はこの世界から旅立ちます。

     どうか、皆さん
     父にお疲れ様、頑張ったね
     と送り出してあげてください」


    最愛の母と同じがんが見つかった日
    言葉少ないながら、その落ち込む姿は
    家族から見ても明らかでした。

    それでも、
    父は生きるために必死に治療を受け続けました。

    徐々に思うように動かなくなる頭と体に
    めったに涙しない父が
    悲しそうに泣く姿は私しか見ていません。

    亡くなる数日前
    どんどん小さく、細くなっていき
    最後は声も出ない状態なのに

    そっと小さく私の手を握り返した父。

    そんな父に

    「もっと生きて」
    なんて娘の私は言えませんでした。


    棺に眠る父に私が言えたのは

    「やっと楽になれたね
     私のために
     頑張ってくれてありがとう」


    ■終活現場にいる人が見ているもの

    出棺の準備で誰もいなくなった会場には
    私と葬儀社の方しかいません。

    その時
    「よく頑張られましたね」

    担当の方が一言
    声を掛けてくれました。

    あの時の「頑張られましたね」の言葉は
    極限の私にとって
    唯一の救いの言葉でした。


    ■ 表に出る言葉と、裏にある現実

    ポストに入るチラシには、

    「感動葬儀」
    「ありがとう、きっと喜んでいる」
    「明朗会計・迅速対応」

    そんな言葉が並びます。

    その裏で、現場の人間は
    悲しむ余裕のない遺族に、静かに寄り添っている。

    無機質な書類の影で、
    答えの出ない問題に向き合い続けている人がいる。


    ■ 最後に

    人の死は、コピーで選ぶものではない。

    それでも私たちは、
    言葉と価格で意思決定をしている。

    その事実だけが、残る。

    今日、この瞬間にも

    大切な人の死に真摯に向き合っている
    人たちの目に、

    この矛盾は一体、
    どのように映っているのだろう。


    もし今、

    ・正しいのに苦しい
    ・人にも自分にも厳しすぎる
    ・“ちゃんとしなきゃ”で疲弊している

    なら。

    必要なのは努力ではなく、
    「正しさの再設計」かもしれません。

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