
現代の経営戦略で視る新解釈・織田信長 「歸蝶の戦国記」1ー3
第1章 桶狭間・信長が仕掛けた合戦
~主導権は我にあり~
第3節 相手の立場から見る・3C分析
二人は無意識に地図に目をやった。

「時間は敵。こちらの強みは大義名分と地の利、そして、練度」
「そうね。そこから勝てる手を打たないといけない」
状況は理解した。圧倒的不利。ここから逆転の一手を絞り出さないといけない。
「大義名分で大人しくしてくれるなら、苦労はしない」
「そうね」
「地の利はどうかしら」
「わしらの方が土地を良く知っている」
胡蝶が信長の言葉に続けた。
「それに近い」
「近い?」
信長はその意図を即座には理解できなかった。
「そう、近い。疲れない。兵糧が要らない。遠いと移動だけで時間がかかるでしょ。しかも大軍を率いる場合、兵糧が大量に必要になる。準備が大変。孫子の作戦編よ」
「そうか。わしらは兵糧の心配は要らないが、今川は大量の兵糧が必要になる。準備に時間がかかるし、何日も行軍すれば、疲れも出てくる」
「そう。兵糧。兵站は文字通りの生命線になるから」
兵站とはロジスティクス(物流)である。ビジネスの場合、サプライチェーンと言っても良い。
二人は一度、目を合わせると、再び地図に目をやった。
「いちど、今川義元の眼で見てみようか」
少しの間をおいて、胡蝶が続けてつぶやいた。
ビジネスなら、自社自分(Company)、競合他社(Competitor)、顧客(Customer)の3Cのそれぞれの立場から見てみる。自社自分のこだわりを離れて見ると新しい発見に気付く事がある。競合他社の目で見てみると、競合他社の苦手とするところにビジネスチャンスがあったりする。時には、競合他社が手を出していないところが見つかったりする。まだ手を出していないだけか、何か理由があって手を出せないのかもしれない。後者ならそれが弱点だったりする。
「以前、奪われた鳴海城と大高城、地図で見ると浮いてるよね」
「浮いてるね。最前線だから織田軍の背後を突けるとも言えるけど、孤立感がある」
信長も同意する。水野信元が押さえる村木砦、緒川城、刈谷城、大脇城があり、特に大脇城の印象が強く、鳴海城と大高城が浮いて見えたのだ。
鳴海城は織田信秀の死後、城主だった山口教継・教吉親子が謀反を企て、赤塚の戦いでは押し返したものの、城ごと今川に寝返ったために、現在まで今川方となっている城である。赤塚の戦いの後、山口親子は今川義元に駿府に呼び出され、切腹させられている。現在の城主は岡部元信である。
鳴海城は、東に谷、西に泥深い田、南は黒末川だが川というよりも実態は入江、北は東に向けて山があるという場所にある。攻めるには足場がなく、攻め手に難しい立地となっている事もあり、取り返せなかったのだ。見方を変えると、出撃する側にとっても経路が限られていて打ち手が少ない。ただ立地としては、今川にとって織田に対する楔となる城である。
「今川にとって最前線、橋頭保だから、多めの兵士で守っているのよね?」
「確かこの城は、もともと兵糧の自給が難しかったはず」
信長が思い出すようにつぶやく。赤塚の戦いの後、山口教継が大高城、沓掛城を乗っ取ったのは、単に支配地域を広げようとしたのではなく、兵糧輸送という理由があったのだ。
(あの時気付いていたら、もっと良い手があったかもしれない)
信長が赤塚の戦いを思い出していた。
そうとは知らない胡蝶は質問を続ける。
「ということは・・・?」
「つまり、鳴海城は最寄りの大高城から兵糧を補給しているはず」
「信長様が今川義元だとして、もし、鳴海城、大高城に兵糧が無いと・・・」
「困る」
信長が即答する。
「今川としては、対尾張の最前線。取られたくないよね?」
追い打ちをかけるような胡蝶の確認に、信長が即答する。
「だろうな。尾張を南から攻める橋頭保という位置だし東海道にすぐ出られる。折角取ったのに奪われたら士気にも影響するだろう」
「そうなんだ」
胡蝶は分かっていて質問したのに、妙に納得するような返事をした。
「兵糧が足りていないとすると、どうしているの?」
「最寄りの城、大高城から持ち込む必要がある」
まだ、織田家の支配下にあった時には、大高城以外からも兵糧を持ち込む事ができた。信長はその時の思い込みがあったが、今川義元の立場で見ると、兵糧の補給に苦労しそうな事は容易に想像できた。
「じゃあ、この二つの城を分断すれば?」
胡蝶が問うと
「鳴海城は飢えで落ちる。だから、今川としては、そのような事を許すはずがない」
信長が答えた。鳴海城は守るには堅牢な立地だが、城を出て戦うには逆に不利になってしまうのだ。
信長が続ける。
「わしらに時間は敵。もし、早く今川と戦いたいなら、ここを分断すれば、今川は出てくる」
「もし、出て来なければ?」
「鳴海城は落ちる。鳴海城に居ると思われる兵が死ぬか寝返る。そして、今川義元の信頼は揺らぎ、織田の領地が増える。上手くすれば、鳴海城の兵がそのまま織田軍になる。ついでに大高城も狙える」
「今川として放置はできないということね?」
「そうだ」
信長は力強く答えた。
「じゃあ、・・・」
続けて胡蝶が質問を続ける。
「・・・織田軍の強みを活かして勝つ状況を、どうやって作れば良いのかな?」
「まずは急いで出陣させれば、準備が足りずに兵士数が減る」
「どうやって、急がせるの?」
「鳴海城や大高城の兵糧が無ければ、急がなければならなくなる」
「じゃあ、鳴海城や大高城に兵糧を運べないようにすればよいのね」
「そうだ。でもどうやって?」
「そもそも大高城に兵糧が無ければ、鳴海城に運べないわ」
胡蝶がにやりと笑うと、それを見て信長は察した。
「大高城に入る兵糧、田畑を焼いてしまうのか」
「うん。以前、守山城の周りを焼かれたのを思い出したの」
「あれは酷いと思ったよな」
天文二十四年(弘治元年・1555年)六月、織田信長や信行(信勝)の弟・秀孝が、守山城主・織田信次の家臣、洲賀才蔵に無礼討ち(弓で撃たれて死ぬ)された時、弟の織田信行が怒って守山城の城下に火を放った事を言ったのである。
「そうね。事故なのに・・・。身内で消耗戦。農民はとばっちり。無駄以外の何ものでもなかったものね」
胡蝶は一息入れると、続けた。
「今回は大高城。サッと行って、サッと帰る。直接戦うのではなければ、戦死者は出ないでしょう」
「よし、それでいこう!」
信長は上機嫌で叫んだ。
「他には?まだまだ今川軍は多いよね?」
「何があるかな?」
二人の目が合う。そして、胡蝶が問う。
「今川軍を分散させる事はできる?」
「・・・できる。捨て駒になる者が出てくるが・・・」
そこまで言うと、信長は少し嫌そうな顔をして口をつぐんだ。信長は身近な人の死が嫌なのだ。戦国時代にあって、死は日常と化している。信長には合理主義者としての一面もある。捨て駒を使う事が結果として最も死ぬ人数を減らす事もある。その事は十分承知している。それでも嫌なものは嫌なのである。
二人の間に沈黙が流れた。
「決めるのは信長様です」
信長は黙って聞いている。
「今日はここまでにしましょう」
そして、胡蝶は議論を纏めだした。
「時間はかけられないので、早く勝負に出ないといけない。今川をおびき出すには鳴海城と大高城を分断する事。今川義元を急かすために、大高城の兵糧を焼く事。そして、敵を分散して、少人数になったところを叩く事」
最後まで聞くと信長はふてくされるように、無言のまま寝室を出て行った。誰かに『囮になって死ね』と言わねばならない。だから気持ちが落ち着かなかったのだ。胡蝶は、その姿をただ見送った。
胡蝶メモ
・時間はかけられないので、早く勝負をかける事・現在の認識
・今川をおびき出すには鳴海城と大高城を分断する事・戦の前に行う
・今川義元を急かすために、鳴海城と大高城の兵糧を焼く事・戦の前に行う
・敵を分散して、少人数になった本陣を叩く事・戦の最中に行う
◇
翌日も、信長は胡蝶の寝室に来た。
「昨日の続き?肚は決まった?」
「うん」
二人は地図の前に座り込んだ。
「敵を分散したら各個撃破すれば良いと思っていたんだけどね」
「えっ、何回戦うつもり?定量化しないといけないわね」
胡蝶は呆れたようにいうと、信長に確認した。
「織田軍が勝てる条件は?」
「織田軍精鋭2千で今川軍4千を叩く事」
「つまり、相手が倍の軍勢までなら勝算があるのね。それで、織田軍はどれくらい集まるの?」
「全軍で5千集まれば良い所だ」
「念のための後詰めに千を残して4千ね。だとすると、倍の数とすれば相手は8千まで。良いわね?」
胡蝶は信長の顔を見ながら確認する。既に4千だと精鋭とは言えず、論理破綻しているのだが話を進めた。そして、SWOT分析を思い出す。
「敵は少なくとも2万と言ってたわよね?じゃあ、合計3万と仮定しましょう」
「8千の軍勢を相手に立て続けに4回合戦する事になるのか」
「倍の相手に誰も死なない前提をおいてね。いくら今川軍が遠征で疲れていると言っても、勝てる訳がないじゃない。織田軍の精鋭が倍の相手に頑張れるのは1回のみ。・・・じゃあ、その1回で実現すべきことは?」
「今川義元の首」
信長の頭に、他の答えは思い浮かばなかった。
「そう、その1回で今川義元の首を獲る。今川義元は名君です。その大黒柱が討たれたら、今川家は大きく揺らぐことになります。信秀様が無くなられた時の織田家を思い出してください」
「もし、獲れなかったら?」
「獲れなくても、本隊が崩れれば今回の合戦は織田の勝利です。おそらく大高城までは奪還できるし、上手くすれば沓掛城も取れるかもしれない」
「もし、今川本隊が壊滅しなければ・・・」
「勝てると言ったのは信長様です。負けたら逃げるしかないでしょう。それでも今川本隊の持っている兵糧を焼くことができれば、尾張は籠城して今川の兵糧切れまで頑張るという方法が残ります」
これがコンティンジェンシープランニング。目論見が外れた時の対応。代替案を考えておく事は、必ずしも弱気を意味しない。むしろ緊急時の対応の早さに繋がり、最悪ケースを想定する事で心理的な安心感を与える事の方が多い。
「だから、目標は敵本隊。狙うは、今川義元の首を獲る事」
ここまで胡蝶が一気にまくし立てた。ここで、はたっと口をつぐむ。
(言い方がきつかったかしら)
胡蝶が信長の顔を覗き込むと、信長は意外に落ち着いていた。
「そのために必要な事は?」
信長に言われて、胡蝶はハッとした。恐らくは信長も同じことを考えているのは間違いない。胡蝶に言わせようとしているのだ。先ほどまくし立ててしまったので、胡蝶もひっこみがつかなくなっている。胡蝶はひと呼吸おくと、仕方なしに答えた。
「今川義元の本隊を減らし、孤立させる事。ついでに言えば、今川軍を分散させる事。今川義元を討った後、敵が烏合の衆なら、それこそ各個撃破できます」
胡蝶としては、出来るだけ信長に答えさせたいと考えている。実行する者が自ら考えた案である事(自分で考えたと感じる事・腹落ち)が大事なのである。それが自信につながり、臨機応変な行動に繋がる。他人に与えられた案では思考が止まる。不安が残り、失敗した時の言い訳になる。行動する前に失敗の言い訳があると、頑張れなくなる事がある。
これはビジネスプランコンテストなどにおけるメンタリングでも考慮すべき事である。発表資料・最終報告書は原則としてメンティが自分の言葉で作らなければならない。質疑応答で自分の言葉で語る事で、発表者(事業家)の自信や自覚を聴衆や投資家にアピールできるからである。
にも関わらず、胡蝶が答えさせられてしまったのだ。
(やっちゃった・・・)
少し時間をかけるように、胡蝶が昨日のまとめを取り出し、次のように書き直した。
・時間はかけられないので、早く勝負をかける事・現在の認識
・今川をおびき出すには鳴海城と大高城を分断する事・戦の前に行う
・今川義元を急かすために、鳴海城と大高城の兵糧を焼く事・戦の前に行う
・敵を分散して、少人数になった本隊を叩く事・戦の最中に行う
そして、信長に向かって質問した。
「大高城の兵糧を焼いたら、今川義元は出てくるかな?」
「日常の小競り合いだ。兵糧を焼いたくらいでは、直ぐに出る理由にはならないだろうな」
「じゃあ、鳴海城と大高城を分断したら絶対出てくる?」
「出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない」
少し信長も自信がなくなってきた。
「うーん。出てこない可能性があるわ。今川義元にしてみれば、まだまだ国境の小競り合いでしょう?じっくり準備して確実に織田家を叩き潰せば良いと考えるかもしれないわ。小豆坂の時でも、大将は太原雪斎だったわよね」
「そうかもしれない」
信長は自信なさそうに同意する。
「ともかく、今、分からない事を議論しても仕方ないわ。まずは、大高城近くの田畑を焼き、今年の収穫を減らす。次に大高城と鳴海城の兵站を切る。両方の城に兵糧が少ない状態からの合戦にする」
胡蝶が確認すると、信長が続けた。
「その合戦では、敵兵力を分散して、今川義元の首だけを狙って戦う」
「で、もし、狙いが外れたら?」
確認するように胡蝶が尋ねた。
「敵の兵糧を焼いて、籠城する」
第二次小豆坂の戦いで今川軍1万の大将を務めた太原雪斎は、弘治元年(1555年)閏十月に死去している。これだけの大軍を指揮できる大将は他に居ないように信長には思われた。しかし、今川義元本人が来るという自信は十分ではなかった。
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関連:
赤塚の戦い:3-1 各個撃破:8-1
主要参考文献など
第1章:参考書籍
信長公記 太田牛一・著 中川太古・訳
甲陽軍鑑 腰原哲朗・訳
武功夜話・信長編 加来耕三・訳
近江浅井氏の研究 小和田哲夫・著
戦国合戦マニュアル 東郷隆・著 上田信・絵
新説桶狭間合戦 橋場日月・著
桶狭間・信長の奇襲神話は嘘だった 藤本正行・著
Rule Design 江崎貴裕・著
測りすぎ ジュリー・Z・ミュラー・著 松本裕・訳
第1章:参考インターネット
Wikisource : 美濃国諸旧記・巻之二 黒川真道・編
Wikipedia :「コブラ効果」他