
アレゴリー的なもの
[…]自然は純粋に詩的である。そして、魔術師や自然学者の部屋、子供部屋、物置きや貯蔵室などもまたそうである[…]まさにバロックの時代に知られていたような、魔術師の部屋や錬金術師の実験室の、断片的なもの、無秩序なもの、積み重ねられたものに、アレゴリー的なものがこのように関係していることは、決して偶然と見なされてはならない。
この一節を読んだとき、脳がバチバチと発火するのを感じた。
私にとってこの一節は、紅茶に浸したマドレーヌだ。
やや牽強付会の感は否めないが──ハイカルチャーであれサブカルチャーであれ、私が好ましく思ってきたあらゆるものを「アレゴリー的」という言葉で特徴づけられると思ったのだ。
[…]比喩装飾的な中心のまわりに、夥しいエムブレムが蝟集するのである。[…]「混乱せる〈宮廷〉」[…]〈散乱〉と〈収集〉がこの宮廷の法則である。[…]この表現形式のもつ弁証法に従い、収集の熱狂には配置のだらしなさが釣り合いを保っている。
断片が単一の理念に即して統一されることもなく、現在時において蝟集している様が好きである。その寄せ集め全体──とはいえ、集合全体とその外部との境界線もまた曖昧なものだろうが──を指して、すでに普遍であるとしてしまう精神性が好きである。
この普遍は現在時における多様性、共生、状況の豊かさをその根拠としているから、時が経つごとに絶えず色褪せていく。ひとつの建築物が絶えず色褪せ、頽落していくのを、権威なり美なり熱情なりの分泌物でつなぎとめ、過剰装飾によって補修し続ける。私はその偏執的なプロセスを魅惑的だと思っている。
近代国民国家に対する、複合国家や礫岩国家が好きだ。ハプスブルク帝国が好きだ。「A.E.I.O.U.」という謎めいた標語、アルチンボルドの絵画が好きである。
「汝幸いなるオーストリアよ、結婚せよ」に見られる、高貴な血を混淆させてさらに高貴にしようという交雑の発想が好きなのである(他方スペイン・ハプスブルク家が断絶しているところもよい)。
自らが統べる地域すべての言語を話せることこそ君主の誉れという、古めかしい理想を魅力的に感じる。
スコラ哲学が好きである。まったく明るくはないが、きっとスコトゥスやビュリダンがお好みだろう。
偏執的なまでに緻密な概念操作が、神すらも論理に従うと考える論理への帰依が、イスラーム世界から古代ギリシャの知識を入れたという経緯が、興味深いのである。
存外古代ギリシャやローマも好きなのだが、明朗さや均整ゆえではなく、頽廃と衰亡ゆえに好きである。ポリュビオスが好きだ。「これまでの水準を維持できずに崩れたラテン語」という、ヨーロッパの俗語の起源が好きである。
イタリアが好きだ。交易都市だったところが好きで、第四回十字軍の経緯が好きである。シチリアの晩鐘が好きだ。
マニエリスムが、ヴィラ・デミドフやピッティ宮殿が、カラヴァッジョが、ベルニーニやボッロミーニが、好きなのである。
スペインが好きだ。ピエドラ修道院が好きで、アルハンブラ宮殿が好きだ。イスラーム世界との文化の混淆が、宗教的熱狂と銀の奢侈が、斜陽の帝国という後世のイメージが、好きである。『眼球譚』で描かれたような、胸の詰まる熱病的なエロスが好きなのである。
正確にはポルトガル語のfeitiço由来だが──フェティシズムという言葉の起源がイベリア半島にあるという事実が好きである。
地中海世界は明澄さや視覚芸術の印象が強いけれど──私がこの地域に魅力を感じる理由について考えたとき、真っ先に浮かぶのはイカロスや太陽黒点である。
太陽は直視できないところがよい。太陽黒点があるからよい。地中海の昼間は暑くて、やり過ごすためにシエスタの習慣が生まれた。昼はみんな眠っている。
だから地中海世界において、幽霊が現れるのは白昼なのだ。私は白昼に現れる亡霊のイメージに、烈日の下の陰影に魅せられている。
他方イギリスも好きである。テューダー朝が好きだ──君主権といういまだ存在しないものを表象するために、議会も神学的思想も豪奢な衣装も引っ張り出してきて権威を飾り立てる贅沢さが好きである。
アトランティック・ヒストリーが好きだ──蒐集家──探検や博物学や驚異の部屋が好きなのだ。
カントリー・ハウスが好きである──習慣でがんじがらめになりながらあらゆる贅を抱え込む貴族の爛熟したありよう、現代ではどんな大金持ちにさえ不可能になったその暮らしぶりが好きである。
respectabilityという観念が好きだ、ジェントルマン資本主義が好きだ、「博愛の帝国」が好きだ──潮風に乗ってくる道徳的頽廃と偽善と余剰の香りが好きなのである。
ニーチェやラスキンのいうような、高貴と野蛮の観念が好きだ。私は野蛮さ、つまり自由が、己の限界に悩みながら尽くした贅に強い魅力を感じる。野蛮であるがゆえに均整とは無縁なものが、不器用にためらいながら、どのみち汲みきれない崇高なものをなお表現しようとしているのが好きだ。この意味でフライング・バットレスみたいなものが好きである。高みを形而下に具現させるための鈍重な機構に惹かれるのだ。
この手の鈍重な聖性の喚起が好きであるがゆえに、中世絵画の金地や、ゴシックやバロック建築、果てはウィーン分離派やモダニズモなどにも魅力を感じている。
フラクタル構造なんかのときにグロテスクな幻惑もよい。この手の自然界によく見られ、有機的だ。そこには一種のめまい、悪趣味なまでの過剰の美が宿りうる。
幾何学は自然に対する人間性の砦であり、有機的曲線は自然へのいくらかの甘えを含んだ回帰なのかもしれないが──人間性の過剰にせよ(しばしば峻厳さと緊張に帰結する)、自然の過剰にせよ(ときに自然災害として猛威を振るう)、そこには現在時における何かしらの充溢がある。
人間性がくっきりと識別される際の驚嘆も、巨大なものに呑み込まれるときの無常も実によい。いずれにせよ──矛盾するようだが──「をかし」と「あはれ」の入り混じった、どこか乾いていながら切なさも覚えさせる趣がある。
書いていて思ったのだが、私はあまりにも音楽に興味がない。
サブカルチャーの話もしておくか……BloodborneとかBlasphemousとかReturn of the Obra DinnとかThe Case of the Golden Idolが好きである。趣味がわかりやすくて照れるね。
青ざめた血でも奇蹟でも幽霊船でも黄金像でもよいのだが──中心にある謎(往々にしてゲームをクリアしてもよくわからない)の周りに凝集する、病や死や欲望や熱狂の醜くも魅惑的な相貌が好きだ。グロテスクでロマンがあって、そこがエロティックでたまらない。
その作品の「概念」を一枚の絵で表現しろといわれたとき、ドラクエのエビルスピリッツみたいになる作品はだいたい好きである。この喩えで伝わるのか?
そう、私はアレゴリー的なもの、今この瞬間に蝟集し絶えず崩壊し続ける至高性を、エロスという次元において見ている。
何もかもをエロティックなものにこじつけているというのではなく、一般的に性的な目では見られないものを、端的にエロティックだと思っている。
例えば探検がエロティックなのは、冒険への情熱が性的好奇心になぞらえられるからではなく、これを可能にした時代的・技術的諸条件が私の目に魅惑的と映るからだ。
要するに知性のOSがエロスなのである。思索の原動力も思考の道具立ても、概ねエロティシズムをベースにしてできあがっている。
これはおそらくバタイユ由来だろう。今のところ治る気配はない。
有り体にいえば、私はこれまでに列挙してきたすべての事物をエロい目で見ているのだ。
あらゆる理屈を駆使して至高性を飾ろうとするコラージュ的な偏執、エッチだね〜♡
とはいえ、なんだかんだでアドルフ・ロースやバウハウスみたいなのも好きである。
「現在時において、謎めいた中心に断片が凝集する普遍」を蠱惑的だと思うが「時間を一本の線とみなし、無限の未来を統合した不変の原理を求める普遍」も均整がとれていて美しい。
よりエロティックだと思うのは過剰さの方だ。しかし均整を求める心情が過剰になったとき、私はそこにもエロティシズムを見出す。逃げられると思うなよ。