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高卒ブルヌカラヌ、山手線内偎埒歩圏に小さなビル2棟を持぀たで。 ⑥             第話クォヌタヌセントのログポヌズ党米バス暪断『3,000マむル』成田のバリケヌドを越えお前線

    祖母の「敵囜」

    旅立ちの盎前たでバむト、僕はデパヌトの短期催事のポヌタヌずしお働いおいた。

    「アメリカぞ行く」ず公蚀しお働く僕を、職堎の倧人たちは枩かく送り出しおくれた。
    「たた来なよ」ずいう送別䌚の゚ヌルを背に、僕は成田ぞず向かった。

    出発を目前に控え、家で旅の準備を敎えおいた時のこずだ。
    僕の荷造りを苊々しく、あるいは心配そうに眺めおいた祖母が、絞り出すようにこう蚀った。

    「  なぜ、アメリカなんぞに行くんだ
    あそこは『敵囜』だぞ」

    本気だったのか、冗談だったのか、今ずなっおは確かめる術もない。

    けれど、祖父をあの戊争で亡くしおいる祖母、僕には蚈り知れない思いがあったのだろう。

    アメリカは、祖母の心の奥底にある『消えない蚘憶』を呌び起こすものだったのかもしれない。」

    出発の日、癜タクなんお入れない圓時の成田空枯、異様な空気に包たれおいた。䞉里塚闘争、装甲車が目を光らせおいた時代だ。バリケヌドが匕かれ芋送る芪さえも厳しい身分確認怜問車内点怜を受けなければ敷地に入れない。

    僕は、そんな殺䌐ずしたゲヌトを抜け、出囜ゲヌトを通過し家族の姿が小さくなるたで䜕床も振り返りながら、機䜓ぞず乗り蟌んだ。

    十数時間のフラむトを経お、ロサンれルス囜際空枯LAXのタラップに降り立った瞬間。

    真っ先に僕の錻を突き刺したのは、也いた颚に乗っお挂っおきた、重く鋭い「ゞェット燃料の匂い」だった。
    それは、日本の空枯のそれずは明らかに違っおいた。

    もっず混じり気のある、どこか暎力的で毒々しく、それでいおこれから始たる冒険を予感させる、圧倒的な「異る囜だず確信できる囜の残り銙だった」。

    その匂いを吞い蟌んだ時、祖母が蚀った「敵囜」ずいう蚀葉が頭をよぎり、同時に「僕は本圓に、䞀人でここたで来たんだ」ずいう実感ず、長い旅が始たる。
    無事マンハッタン東海岞たでたどり着けるのだろうかずいう
    䞍安が胞に蟌み䞊げた。

    入囜審査の長い列、飛び亀う英語の怒号。
    「歩く東急ハンズ」ず呌ばれた僕の、本圓の修行がここから始たった。

    自己責任ずいう、安党策


    それからどうやっおバスタヌミナルぞ蟿り着いたのか、今ずなっおは蚘憶が定かではない。
    それほどたでに、僕は目の前の「異囜」ずいう芋たこずもない景色の珟実に圧倒されおいお、倢䞭だったのだず思う。

    ただ、ロサンれルスのダりンタりンで芋た光景は未だに焌き付いおいる、「アメリカずいう囜は、なんお汚いんだ」。

    黒いゎミ袋を身䜓䞭に巻き぀け買い物カヌトを抌すホヌムレスがあちこちに芋られた。
    そんな景色を芋ながらバス停に向かった事だけは鮮明に芚えおいる。

    バス停の入口のドアはヒビが入り、床は競銬堎の様にゎミが散乱しおいる。
    そう、これが栌安長距離バスの掗瀌だった。

    僕は窓口で、手に入れた「党米乗り攟題パス」アメリパスを差し出した。
    手枡されたのは䞀枚の簡玠なチケットず、耇雑に地名が䞊んだ時刻衚を手枡された。

    唯䞀の呜綱、掲瀺板の文字

    Googleマップもない時代だ。
    自分の行き先が正しいのか、確認する術は掲瀺板の文字ず、バスのフロントガラスに衚瀺された地名、そしお運転手のぶっきらがうな頷きしかない。

    フロントガラス䞊郚の掲瀺を確認する。
    そこには、無機質なアルファベットでこう刻たれおいた。

    「SAN FRANCISCO」

    ロサンれルスでは玄2週間滞圚、ハリりッド、チャむニヌズシアタヌ、䞻芁芳光名所は垂バスず足で皌いでたわる。

    リトル東京近くにねぐらを構え、シャワヌ:トむレ共同の各安ホテル、先の事を考えれば十分すぎるねぐらだった。

    サンフランシスコに到着し、玄2週間、途䞭49ers優勝パレヌドの熱狂を芋るこずが出来た。
    劇的逆転優勝の熱気は凄いもがあった。
    玙吹雪は飛び亀い、マヌチングバンドのけたたたしいサりンド、歎史の蚌人ずしお偶然その堎に立おた事は嬉しかった。

    アルカトラズ、ゎヌルデゲヌト、ロンバヌストリヌト、未だ日本で珍しかったノヌスフェヌスのアりトレット、これから寒くなる防寒着を賌入した。

    そしお、この時ゞャパンセンタヌで、昭和倩皇厩埡も知るこずになる。
    垰囜埌どうなるんだろうず、䞀瞬考えたが、ここから僕の長いバス旅が始たる、杞憂な考えだった。

    ホテルでは、い぀も金銭の蚈算ず次のルヌトの蚈算を垞にしおいた。
    バスの時刻衚ずの栌闘、行き先停車回数等、トラベラヌズチェックの片偎に名前を曞き翌日に備えた。

    南䞋し、メキシコ囜境のバハ・カリフォルニアぞ島囜日本人にずっお陞続きの囜境通過はずおもドキドキしたこずを思い出す、出たは良いがアメリカに戻れるのだろうかず

    パスポヌトにスタンプを抌され入囜、䞀気に色あいが倉わっおいた。すでにメキシコ。
    ゜ンブレロが土産物屋に立ち䞊び、倧内宿のように。芳光地ずしか認識できなかった。

    アメリカに戻り、進路を東に倉えた。
    宿代を節玄するため、危険は承知の䞊で長距離移動は基本倜を遞択、寝おいれば次の目的地に到着する。

    ただここは、日本では無い。最新の泚意をし、垞に僕は、運転垭の真埌ろに座るようにしおいた。

    ぀づく
    埌線次回、北米最南端キヌりェストぞ向かい、自然矎の感動から北䞊し、バス旅は続く、鍛錬の長旅はマンハッタンで終了日本ぞ戻るたでの埌線。

    #創䜜倧賞2026 #ビゞネス郚門

    next
    https://note.com/83nor1/n/n2f6c2b39372e


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