
ネームで詰まったとき、もう一度立ち止まりたい──私が“描く前に見極める”理由
■ネームで詰まることが少ない理由
私は、ネームで詰まるという経験が多くありません。
なぜなら、その前に「本当に描く価値があるのか?」を、プロットの段階で見極めているからです。
世の中では「ネームが進まない」「ネームで何度も直す」という話をよく耳にします。
私も経験がないわけではありませんので、そのたびに自分に次のように問いかけます。
「ネームの前に、本当に描く意味があるのか問い直していますか?」
■ネームで詰まるのは、何が問題なのか
ネームで詰まるというのは、キャラクターが動かない、話が面白くならないという状態だと聞いたことがあります。
でも、それはネームの問題ではなく、もっと根本的な問題──
「その物語に、自分が今、本当に伝えたい問いがあるのか?」が置き去りにされているのだと思います。
それに、もし企画案やプロットの段階では困らないのに、ネームで詰まるという場合は、
それはおそらく「漫画演出に関する引き出しが極端に少ない」か、
「そもそも漫画表現に向いていない」かのどちらかだと私は考えています。
■潔く没にする勇気を持つ
私は、企画案やプロットの段階で、「これを今、描く意味はあるのか?」と自問します。
そこで答えが出なければ、潔く没にします。無理に引き出しをひねり出すようなことはしません。
描きたいから描くのではなく、「なぜこれを今描くのか?」
その問いに答えられない企画は、今は描くべきタイミングではない。それだけのことです。
■絵だけで伝えたいなら、それはイラストでいい
もし「絵でしか伝わらない」のだとしたら、それは漫画ではなく、イラストで表現すれば十分です。
私は、絵と文字、そしてコマ割りという演出──この複合的な芸術でこそ伝えられる何かを描きたいと思っています。
物語を描くということは、「どんな順番で、どのタイミングで、どの感情を揺さぶるのか」を意図的に設計すること。
だからこそ、ネーム以前に「何を伝えたいのか」が明確になっていなければ、
どれだけ巧妙に絵や演出を重ねても、最後には“届かない”のです。
■勝負するのは、プロットではなく「完成原稿」
誤解してほしくないのは、私は「プロットで勝負している」のではありません。
勝負するのは、最終的に読者に届く“完成原稿”です。
絵のうまさは、もちろん大切です。漫画は「絵で魅せる」芸術なのですから。
けれど、それだけでは足りない。
絵の力も、物語の力も、演出のすべても。
すべてを尽くしてこそ、“作品”として世に出す意味がある。
だから私は、プロットの段階で自分に問い続けます。
「これは、本当に今、私が社会に届けるべき作品なのか?」
■それぞれに合った創作スタイルがある
もちろん、「ネームで考えながら描く」「ネームでしか伝えられない」という制作スタイルを取る方もいらっしゃいます。
それがその人にとって最適なら、そのやり方が一番だと思います。
実際、プロットよりネームの方が早いという方もいますし、そこに正解・不正解はありません。
ただ、もし「プロットはいいからネームで持ってきて」と言われたら、私は少し困ってしまうかもしれません。
(幸い、これまでそう言われたことはありませんが…)
■描くべき価値がある作品と向き合う
私は、自分の時間と創作のすべてを、まだ見ぬ読者のために、大切に使っていきたい。
そのためにも、描くべき価値があると信じられる作品だけを、これからも丁寧に世に送り出していきます。
■最後に
「自分にはそんなに大きなテーマはない」
「描きたいものが見つからない」
そう思うなら、こんな問いを自分に投げかけてみてください。
『私はなぜ、この物語を描こうとしているのか?』
もし一人で考えるのが難しければ、今はAIなど、便利な対話相手もいます。
誰かと“対話”するように、自分の本心を掘り下げてみてください。
その答えが見つかったとき、きっとネームは自然と動き出しています。
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もし何かを感じてくださった方がいれば、作品も手に取っていただけたら嬉しいです。(でも、気づいてもらえたら、それだけでとても報われます。)