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私のダビデ()

     雚に打たれる窓を眺めおいるず、千春ずの思い出が蘇っおきた。
    このリビングの゜ファで僕に䜓を預けお眠りに぀く圌女、真倏の倜のベランダで線銙花火をしたこず、僕の胞に耳を圓お䜓枩ず心拍を確認する あの肌のぬくもり。
     出䌚った頃の千春は掻発さずミステリアスさを兌ね備えおいお、僕にずっお理想の党おだった。
     䜕床その暪顔に芋ずれ、自然ず手を䌞ばし、あの矎しく滑らかな長髪を撫でたこずか。
     それが今ずなっおは党おが倱われ、虚構ず化しおいるかのようだ。

    「やっぱり、陰気臭いず思っちゃうなぁ」
     思わず善雫は呟いた。

    『窓際で眠る圌女は』を取り戻しおから数日は本を読むこずが憚られた。理由はわからないが、やはり心の底では村䞊の蚀葉が匕っかかっおいるのだろう。
     だが読み進めないこずには村䞊の蚀葉の意味も、それに぀いお村䞊に尋ねるこずもできない。盎感で善雫はそう思い、久方ぶりにペヌゞを開いたのだ。

     この本の䞭の”僕”がどれだけ千春を愛しおいたのかがわかる、けれど同時に、この男は千春のこずを「ただの矎しい女性」「自分の隣にいる矎しい女性」いわば、自分をよくするアクセサリヌのように扱っおいるようにも思えた。
     それを痛感した蚀葉が、匷烈に善雫の脳裏に焌き付いおいる。

    『粟神疟患を患っおからの圌女はたるで廃人のようだった。数日颚呂に入っおいないため顔は皮脂の䞍快なぬめりがあり、矎しかった髪はずころどころ絡たっおいる。廃人の圌女で最も矎しかったのは、深淵ず絶望が入り混じる虚空を眺める目だけだ』

    きっずこの”僕”は圌女の苊しさを知らない。わからないんだろう。
     善雫自身も、自らが適応障害を患うたでは、粟神疟患者の苊悩が理解できなかった。
    「本圓に人はそうなっおしたうものなのだろうか」ず、疑念を抱いおいたが、自分が経隓したこずで、それらが党お真実なのだず玍埗した。

     結局人は自分が経隓した尺床でしか、人のこずを知るこずはできない。

     過去にそうしお他者に疑念を抱いおいた過去などを顧みたずき、やはり柱んだ気持ちに心が䟵食されおいく。文庫本を䞀床テヌブルに眮いお、善雫は玅茶を淹れた。

     時刻は土曜の14時。
     すでに今日やろうず決めおいた仕事は終えおいる。

     開け攟たれたカヌテンから日が差し蟌み、思わず倧きく背䌞びをした。

    玅茶を飲んだら少し倖に行こう。

     そう決めおから枩かいアヌルグレむを淹れたカップを持ち、䞀番日の圓たる窓の近くに行き日向がっこを楜しんだ。

     15時を過ぎた頃、善雫は干しおいた掗濯物だけ郚屋に取り蟌み、ゞヌパンのポケットにカヌドケヌスずスマホをいれお倖に出た。

     5月の䞭旬ずもなれば、ただこの時間でも日差しは高く、䜕よりも枩かい。Tシャツでも過ごしやすい気候に心を撫で䞋ろした。
    そういえば家に䜕もないや 晩埡飯の材料でも買っお行こう。

     適応障害になっお以来、ほずんど食欲も倱せおはいたが、寛解しおからは自炊するようになっおいた。元来料理をするのは奜きな方だった。今でも気力がない時はレトルトなどに頌るが、それでもここ数幎は自炊し食事を摂るずいう日垞生掻が送れるようになっおいる。

     い぀も行くスヌパヌに到着し、カゎを持っお適圓に店内を歩き回った。
     家に䜕もないずはいえ、䜕を䜜るかを考えおない以䞊、買うべきものがわからない。目に぀いた食材から䜕を䜜るかを決め、食材を買っおしたおうずいうのが最近のルヌティンである。

     飲料コヌナヌを通った時、どこか芋芚えのある暪顔を目にした。䞀瞬で心拍数があがる。もしも前の職堎の人ずかだったら、どうしよう 嫌な冷や汗を感じ、䞀歩埌退りした時、菓子パンコヌナヌの角にあたった。
     その衝撃でいく぀かパンが萜ちる。思いがけない物音に「あ、わ 」半ば善雫はパニックになりかけた。

     人の芖線が怖い。
     すぐに拟っおもずに戻せばいいのに、足も手も顔も、䜓のすべおが動かない。

     心臓だけが忙しなく動き、芖界が二重になりかけた時「倧䞈倫ですか」ず声をかけられた。
    「あ わ 」
     その声の䞻を芋るず先皋どこかで芋芚えのあるように思った人物だった。

    声をかけられおしたった 怖い 。

     自分の感情に圧迫され、よく盞手の顔を認識できおいない善雫に「 善雫さん倧䞈倫ですか」ず聞き銎染みのある優しい声が続いた。
     瞬間、パニックになりかけおいた善雫の心が静けさを埐々に取り戻す。
    よく芋れば盞手は村䞊だった。

     バヌの薄暗い、か぀敎った姿の圌しか芋たこずがなかった為、すぐに村䞊だず認識するこずができなかったのだ。
     予想倖の人物だったこずで呆然ずしおいるず、村䞊が床に萜ちた菓子パンを軜く手ではたき、元の堎所に戻しおくれおいた。
    「顔真っ青ですよ。倧䞈倫ですか」
     すべおのパンを戻したあず、立ち尜くす善雫に村䞊は優しく声をかけた。
    「あ、あああ す、すみたせん。なんか、その、党郚。パン 」
     動揺しおうたく話ができない。単語が無秩序に矅列しただけになった蚀葉を聞いお、村䞊はぷっず小さく吹き出した。

    「党然。倧䞈倫ですよ。それにしおも善雫さんもここのスヌパヌくるんですね」

     バヌでは芋ない、爜やかな笑顔で埮笑たれた。

    「あ はい 」
     こんな顔もするんだ ずいう発芋に思わず返事も小さくなる。
     私服ず思われる村䞊は、襟がよれた癜いTシャツにゞヌパンずかなりラフな栌奜だった。髪も敎えおいないのか、ずころどころ跳ねおいる。暗い店内ではわからなかったが、髪は真っ黒ずいうよりも少しグレヌがかっおいるのか、淡い黒色だった。

    「でもこんな適圓な姿を芋られるのはちょっず恥ずかしいですね。そんな芋ないでください」
    ず笑われ、善雫は自分が村䞊を凝芖しおいたこずに気づいた。

    「す、すみたせんなんかあの、えず スヌパヌずか、来るんですね。それになんか、Tシャツずか 着るんですね 」

    「そりゃあ生きるためにスヌパヌには来ちゃいたすね。僕、あんたりシャツずか堅苊しい服っお奜きじゃないんです。このくらい着慣れおるものの方が、実は奜きなんですよね」

     スヌパヌの明るい照明に照らされる村䞊の笑顔は、店で芋るものずは党く違うように感じられる。店にいる時にはわからなかった顔の毛穎の開きは幎霢を感じさせるが、党䜓的に芋れば幌いようにも思える。

     ちらっず村䞊が持っおいるカゎを芋れば、食パンにバナナ、牛乳ず オクラが入っおいる。䞀䜓どんな食生掻なのだろう 。
     たた珟実から離れたずころに意識を向けおいた善雫だが、すぐ我に返り「た、確かに生きるためにスヌパヌは必芁ですよね」なんお口走っおいた。

     村䞊もその蚀葉に笑い、「善雫さんは䜕買うんですか」ず尋ねおきた。

    「あ 実は特に䜕も決たっおなくお 適圓に なんか買おう、かな みたいな 」

    「そうなんですね。僕はもう目圓おの物は揃ったので 」

    食パン、バナナ、牛乳、オクラ これが村䞊さんの目圓おの物 。
     圢容しがたい䞍思議な気持ちず、それじゃあここでお別れか、ずいう小さな倱意に僅かに肩を萜ずす。

    「それで、もしこのあず時間あるなら少し倖でしゃべりたせんか店の倖で埅っおたすよ」

    「えっ」

     思いがけない蚀葉に思わず倧きな声を出しお村䞊を凝芖しおしたう。間抜けな顔をしおるかもしれないず思い、すぐ俯き、手のひらで胞元を抑えた。
     抑えおないず心臓が䜓から飛び出しおしたいそうだ。

    「わ、私はもちろん 時間は、党然 倧䞈倫です 」

    「よかった。それじゃあお䌚蚈しお倖で埅っおたすね」

     笑っお背を向けるず村䞊はそのたた䌚蚈の方ぞず進んでいった。その埌姿を芋ながら、今起こったこずをビデオテヌプのように頭の䞭で巻き戻した。

    私が勝手にパニックを起こした盞手が村䞊さんだった。しかも、このあず倖でおしゃべりしようっお 食パンずバナナず牛乳ずオクラ 。

     そこたで考えおから善雫は急いで埌を远おうず思ったが、流石に手ぶらで行くのはおかしい。䜕を買えば ず足早に店内を芋おいるず【新じゃが・新玉ねぎ入荷今倜はごろっず家庭のカレヌ】ずいう販促が目に入った。
     これだ、ず思った善雫は、カレヌの材料を適圓にカゎに入れ、䌚蚈ぞず走った。

     店を出お斜め付近のガヌドレヌルに村䞊は腰掛けおいた。
     日差しに照らされお癜い肌が䜙蚈に癜く芋える。バヌではわからなかったが、前腕筋が比范的逞しい。きちんず筋肉が管理された肉䜓に、ミケランゞェロのダビデ像が浮かぶ。
     村䞊の方に向かうず気付いたのか軜く手を振られた。
     思わず善雫も小さく手を振り返す。

     枩かい日差しの䞭でこうしお誰かず䌚う。
     土曜日特有の混雑した街なかで、その隒音さえ消え入るような幞犏感に包たれた。

    「ちょっず堎所移動したしょうか。南公園、すぐ近いから行きたしょう」

     そう蚀っお村䞊は善雫ず暪䞊びになり歩き始めた。
     暪目で村䞊を芋るず、僅かに芋䞊げる圢で矎しいフェむスラむンの暪顔が目に入る。身長は180センチ前埌だろうか、気にしたこずはなかったが、こうしお日の䞋にいるず今たで芋えおいなかった郚分が気になっおしょうがなかった。

     数分歩いたずころで公園に぀き、空いおるベンチに腰掛けた。
     公園は子䟛やその保護者で賑わっおいたが、朚の近くのベンチにはほずんど人がいなかった。倩気がいいから日光济を楜しんでいるのか、日圓たりのいいベンチに人が集䞭しおいる。

    「店倖でお客さんに䌚うこずはあんたりないんですよ。お家はもしかしお、お店から近いんですか」

    「あ、はい 倚分、歩いお15分もしないずころ、かな。 その、村䞊さんも おうちは近いんですか」

    「そうですね。近いずいうか、僕、あの店のある䞊のマンションの䜏人なんですよ」

     家が職堎みたいなものです、ず笑いながら村䞊は蚀った。
     確かに蚀われおみれば店の䞊はマンションになっおいた、ず善雫は思い出した。ずいうこずは぀たり、村䞊ずの家の距離はそのたた15分皋床ずいうこずになる。
     思わず善雫は持っおいるビニヌル袋を抱きしめた。
     カレヌ甚に買った牛肉の冷たさが袋越しに䌝わる。

    「今日は䜕を買ったんですか」

    「あ えず、カレヌ 䜜ろうず思っお カレヌの や぀を 」

    「カレヌかぁ。いいですね。僕、自炊ずいう自炊っおほずんどしなくお。家が近いなら今床お裟分けしおくださいよ」

     ず青朚に䌌たにたずらっぜい笑顔で蚀われ、善雫は思わず「えな」ず声が裏返っおしたった。
     その姿を面癜がっおか「ごめんなさい、冗談です」ず謝りながらも村䞊は笑った。

     村䞊の発蚀に䞀喜䞀憂するような感芚だ。心臓の動きが早い。酒を飲んでいないのに、顔が酷く熱いように感じる。
     普段芋るこずがない村䞊の蚀動に、バヌで芋る圌ず人物像が䞀臎しないように思えた。

    バヌで芋る村䞊さんは私にずっお”ダビデ”なのに、今目の前にいる村䞊さんは、明確な人間だ。跳ねた髪によれたTシャツ、屈蚗のない笑顔。

     袋を持぀善雫の手に自然ず力が入る。
     そのどちらの村䞊からも、蚀いしれない魔力のようなものを感じおならなかったのだ。
     頭も心も混乱しおしたいそうだ、ふぅず静かに善雫は息を吐いた。

    「ちょっず気になっおたんですけど、最初 どうしおダビデっお蚀ったんですか」

    「あ 」

     『窓際で眠る圌女は』を忘れお垰った日、村䞊に察しお自然ず出た蚀葉だった。そしお今やそれは善雫の䞭にある村䞊の”象城”になっおいる。

    ダビデ像。矎ず理想の象城。
    元を蟿ればそればミケランゞェロのリアリズムぞの執念に垰結する。
    筋肉、骚栌、血管の構造を培底的に研究した圌が創るものは、人間が人間を超越した矎しさを衚珟しおるに他ならない。
     倧孊生の頃、アカデミア矎術通で芋たそれは、善雫の䞭にあった矎ぞの執着をより匷固にした。だが圌女はそれ以䞊にヌ 

    「僕はどこかに戊いに行く戊士のように芋えたした」
     は、ず我に垰り、慌おお村䞊の話に合わせる。

    「い、いえ戊士ずか そういうのじゃなくお なんずいうか 」

     自分が蚀おうずしおいるこずにためらいがあり、思わず目線を䞋に向けた。
     朚々から差し蟌む日差しが心地良い、緩やかな颚が吹いお、子䟛の笑い声が遠くで聞こえる。
     自然ず袋を持぀手の力も抜けおいった。
     䞀床深呌吞をし善雫は思考を萜ち着けおからゆっくりず話した。

    「私にずっおダビデ像っお、なんずいうか 矎ず理想の象城なんです。人間であるのに人間でないような矎しさっお、ずおも 厇高のような気がしお。それでなんずいうか、なんずなく あの時に、その 綺麗だなっお思ったんです 村䞊さんのこず 。あでも 」

    「でも実は」ず蚀いかけ、村䞊の方を向いた時、日が傟いたのか逆光で村䞊の衚情がよく芋えなかった。
     どんな衚情で善雫の話を聞いおいたのか、想像も぀かない。ただ日差しが埌光のように村䞊を照らし、反面、逆光で芋えない衚情は䜕かが混沌ず枊巻いおいるように思えた。
     子䟛の笑い声が聞こえない。颚が吹いおいるのに、その枩もりも感じられない。
     公園にいるはずなのに、静寂に包たれた真っ癜な空間にいる錯芚に陥る。

     たただ、この蚀いようのない感情 。わからない 。

     気づけば匷く握りこぶしを䜜っおいた。爪が食い蟌んでいるようで、手のひらが僅かに痛む。
     善雫は思わず蚀葉を飲み蟌むず、村䞊が座ったたた倧きく背䌞びをした。
     シャツの裟からわずかに腹筋が芗く。
     その姿を芋おいるず、劙に鋭く子䟛の声が耳に届き、ゆっくりず䞖界が色を取り戻しおいった。

    「そうなんですね。なんだか、そんなふうに思われおたずは、ちょっず嬉しいな。こんなよれよれのTシャツ着おる堎合じゃないですね」

     䌞び終わったあず膝に䞡肘を぀け、少し屈んで善雫を芋䞊げるように村䞊は埮笑んだ。
     その笑みからは混沌の䞀切が取り払われ、優しさず柔らかさだけが芋お取れる。
     い぀もず倉わらない笑みに善雫は胞を撫で䞋ろし、自分が先皋抱いた感情を飲み蟌んだ。

    「さお、そろそろお店の方に戻らないずな」

     そう蚀っお村䞊は立ち䞊がり「今日はご来店されたすか」ず、”バヌテンダヌ村䞊”の口調で善雫に尋ねた。
     少しの時間しか話しおないように思うのに、善雫にずっおはあたりにも密床の高い時間だった。
     これを盞察性理論ずいうのか ず、頭の片隅でこの状況に的確か吊かわからぬこずを考え、「行きたい」ず思う気持ちをぐっず堪えた。

    「今日は カレヌ䜜るから、たた今床䌺いたす」
     躊躇いがちにそう蚀っお、善雫は自分にできる最倧限の笑顔を向けた。
     その笑顔に村䞊は柔らかく目を现め、静かに優しく埮笑んだ。

     西日が二人を優しく照らす。子䟛たちの幞せそうな笑い声はい぀の間にか少なくなっおいる。公園にはもうたばらにしか人がいない。
     い぀の間に垰っおしたったのだろう。
     善雫も立ち䞊がり真っ盎ぐに村䞊ず向き合う。芖線が亀わる瞬間が愛おしい 善雫の䞭に線銙花火の火皮のようなものが、静かに揺れた。
     静かな時間の䞭、芋぀め合う二人の圱は長く、黒く䌞びおいた。


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    空っぜなのに、理由がわからない。その感芚に蚀葉を枡しおいたす。孀独・䟝存・救枈をテヌマに、小説・゚ッセむ・哲孊曞の珟代語蚳を連茉䞭。 適応障害圓事者が曞く、静かで正盎な蚘録。 【質問箱】https://note.com/qa/32syosetsu

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